第139話 後悔
すみません。今回も短いです。
魔王機関によってかどわかされたスティルは、絶望の淵に合った。
困惑と疑問ばかりが募り、現状の打開策など思い浮かばない。考えようとする気力すら湧かない。
身柄そのものは、帝国の姫君として丁重に持成されている訳ではないが、かと言って罪人や畜生のように粗雑に扱われている訳でもない。魔王の手の者に攫われた姫、などと言う言葉から連想されるような、薄暗い地下牢に鎖で繋がれている事もなく、一間貸しの下宿のような明るく清潔感のある部屋に放り込まれただけだ。流石に武器の類は取り上げられ、魔法を封じる首輪を架せられただけで特に不自由はない。
魔法を封じる首輪、魔封じの首輪などと呼ばれる魔法使いを無力化する道具は、昔から基本的に頭か首に着ける物ばかりだった。簡単に取り外せないと言う点が重視され、一度取りつけたら二度と外れないように固定されてしまう物、交渉が前提であり装着者や特別な解除方法が存在する物、無理に外そうとすれば装着者を死に至らしめる物などが作られている。それは、かつて剣と魔法の時代と呼ばれた昔に、魔法使いに対抗するためにあらゆる手段を講じて開発された物であり、魔法使い自体の質と数が風化してしまった現在では僅かに遺物として現像するだけになってしまっていた。
創造者により首輪型が最も好まれた理由として、指輪や腕輪では装着部を切り落としてしまうと言う手段が取れる。例え腕一本を失う結果になったとしても、命自体を落とすか、残りの人生の全てを良いように操られるかよりは遥かにマシだからだ。それに欠損部位を治癒する回復魔法が行使できるのであれば、装着部位を斬り落として道具を外し繋ぎ直したり、生やし治したりという荒業が可能だからだ。流石に頭や首を切り落として、生きて居られる人間はいないために、首輪型が最も好まれて製造され、結果として最も多く残存する魔封じの道具だった。
そしてスティルの場合、魔封じの首輪を架せられても、そもそも初級の攻撃魔法くらいしか使えない為、脱出に役立つようなものはない。回復魔法も使えるが、肉体が激しく損壊した場合は治療できない。腕を切り落として、魔法で繋ぎ直すことはできても、新たに生やすことはできない。そう言った実力から、そこまで魔法に頼ってはいないため、魔法を封じられた事よりも、武器を取り上げられたことの方が心細さを加速させていた。
そして魔封じも武器の没収も、魔王機関側の思惑としては、自決を阻止するための措置でしかない。スティルの能力では脱出は不可能であると判断していた。それは相手を見くびっての事であればどんなに良かったか。
一般庶民には十分な程度の――皇族が寝るには質素過ぎる――寝台に寝ころび、ごろりと寝返り打つ。
髪が長かったころは、寝返りで巻き込んでしまわないように気を使っていたのだが、今の短い髪ではそう言った配慮をしなくても良い利点だ。だが、その感想がさらに自分の置かれた状況の悪さを感じ取らせる。
食事は少ない量であるがちゃんと出る。健康状態を維持するだけの栄養素を取らせ、碌に運動できない環境な為に太らせないような量に調整されているのだろう。味気ない料理ばかりで、舌が喜ぶようなものは出会っていない。
もっとも置かれた状況により、味をまともに感じられなくなっているだけなのかもしれないのだが。
そもそも、捕らわれた意味が理解できないのだ。これが他国の諜報の仕業と言うなら、まだ得心もいく。
自分は帝国の皇女だ、現時点ではその権限の幾らかを放棄して、隠居したような立場であるが皇族であると言う事実は変わらない。つまり、命や存在そのものが帝国へ対しての要求を通すための材料になり得る。だが魔王機関に、帝国へ政治的な圧力をかける利点が無い、価値や意味がないのだ。
女として求められた訳でもなさそうだ。スティルを攫った張本人であるルゴノゾールに、色目を使われた事はなく、ただ魔王復活の為の贄になれと告げられただけだ。
そして、魔王を復活させるための贄に選ばれた基準と言う物も理解の範疇を超えていた。
御伽噺のように、脈々と続く皇室の血が必要であるとか、魔人と呼ばれるほどの魔力を持っているためだとか、そう言う理由ならば自分が選ばれてしまったことも納得できる。正直に言えば、自分よりも清らかな心の持ち主で、美しい乙女というのもその辺に住んでいると言う自覚もある。確かに自分は昔から美しいと評されて来た、いや、そう評されるための努力を強いられて来たと言った方が正しいだろう。
姿勢に立ち居振る舞い、好きな物を食べたくとも食べられない食事制限に、美しく見えるため肢体を鍛え上げるための運動、身体を均一に育てるための体操、髪や肌の手入れだって毎日念入りに行われて来た。自分の“美しさ”は言ってしまえば大自然の生み出した奇跡ではなく、人工的に手を加えられた盆栽のようなものだ。
魔王の眷属や崇拝者・信奉者によって手塩にかけて育てられたのならまだ理解が及ぶのだが、そうではないらしい。
――魔王の寵愛を受けた身・・・などと。
世迷い事だ、妄言だとしか思えない。一体自分のどこに魔王などに寵愛を受けたのだろうか?
それこそ、皇室の教育係にでも魔王崇拝者が蔓延っていなければ、いやその中に魔王自身が紛れ込んでいなければ納得できない。私生活で直接相対した存在が魔王でなければ、どうやって寵愛を受けられるのだろうか。それにスティルの身の回りに居て、そんなことが可能な人間は一人しか思い当らない。その名はイノンド・ボークモン。既に盾と成って命を落とした、スティルが世界で一番信頼していた侍女である。寵愛などと言うなら、彼女が魔王でない限りあり得ない。だが魔王が、彼女があんなことで命を落とすなどあってはならない。
イノンドは本件に関係の無い人物だ。そう結論付けるしかできない。
もしくは、死んだふりをしていただけかも知れない。スティルを驚かせると言う意味では意味のある行為だが、それ以外に何の利点もない。
――私は・・・イノンドが魔王である可能性を望んでいる?
彼女の遺体は回収されたはずだが、自身の目で確認したわけではない。もしかしたらあの死が演出であり、虚構であるなら、実は生きていてひょっこり種明かしに現れてくれるかもしれない。
それは、悪戯好きで皇女を皇女と思って居ないような、イノンドの性格ならやりそうなことにも見える。以前はそうやって散々からかわれた、煮え湯を飲まされたと怒りすら抱いたこともある。だが彼女は本質的に従者である、スティルを傷付ける真似はなかった。まして自分の命をネタに、悲しみを押し付けるような真似をするとは思えない。
――その死を目撃しておいて今更・・・、イノンドの名誉を冒涜する行為ね。
目の前で撃たれ、力尽きた姿を見ているのだ、今更それを覆されても困る。
それに彼女の性格を考えるなら、あの場で起き上がりネタバラシをしないのはあり得ない。そうすれば、あの場で悲しみと絶望に染まった感情が虚構と知らされた間抜けを、笑うことが出来る。そして今はもうその機を逸している。
――それで、これは、帝国の利益になるのかしら。
結局、スティルの価値観の根幹はそこだ。帝国の利になるか、ならないか。
そもそもスティルが生家へ引き籠ることを決意したのも、このまま皇城で公務を続けることに何の魅力も感じなくなったせいだ。カゾリ村の騒動は余計な箸を突っ込み掻き回しただけとしか感じないし、第一皇子が皇帝位を得るための材料として死んだことにもさせられ覆したことで皇帝を代替わりさせ少なくない混乱をもたらした。結果で見ればそれなりに頑張っているようにも見えるだろうが、事情を知らない第三者から見れば、自分の存在など厄介事の種にしか見えないはずだ。
正式な龍騎士の候補でもなくなり、最早この身の価値は政略結婚くらいにしか役に立たない。腐っても第三皇女であることが足枷と成り、相手にもそれなりの身分を求める。他国の王族、公爵・侯爵程度の貴族ぐらいしか嫁の行き先が無い。しかし、こんな傷モノの自分を喜んで貰ってくれる奇特な人間がどれほどいるだろうか。
――ヤマトなら・・・貰ってくれるのかしら?
今は子爵位を与えられた大和だが、そういう事情であれば簡単に陞爵させ釣り合う身分を得るだろう。
しかもそれは、現龍騎士を帝国へ繋ぎ止めるための鎖に成りかねない。
大和の事は憎からず思うようになったが、あれは考えなしの馬鹿に見えて、考えた末の馬鹿だ。
扱い易そうに見えて、そうではない。己の正義に根差した事しかしない。取り扱いを失敗すれば帝国の敵に回る上に、扱いかねる難物でもある。ならば、素直に故郷に還した方が良いだろう。
もう自分は生きていても、生きて帰還しても帝国の利益には貢献できない。
ならば魔王を復活させる贄になればどうか、今与えられた運命を受け入れるのはどうか。
答えは否。
あり得ない。
魔王の贄になり、魔王を復活させても、その魔王が帝国の利益になるとは思えない。それこそ剣と魔法の時代に逆行するだけで、大規模な魔王討伐の軍団が結成されることになるだろう。そうすれば国力は疲弊し低下する。
魔王の贄になることは、自身の死であると自覚していた。
もしも、魔王の自我に、今の自分の感情が影響を及ぼすのであれば、魔王機関に反感を持たないような極上の待遇で持成されているはずだ。それが無いと言うだけで魔王に何ら影響は与えない。本当に贄なのだ。
どれぐらいボンヤリとしていたのだろうか、時間の概念が曖昧になりつつある頃に、部屋に客が訪れた。
ルゴノゾール・ジブールガン。魔王代行の任に着く、現在の魔王機関最高指導者にして悪の魔法使い。
「・・・ご機嫌麗しゅう、ございますよ。お姫様」
不健康そうな白い肌に陰気な面構え。
吹けば飛ぶような風貌に相応しく、ふわふわとどこか足取りも怪しい。
その癖に、部屋の湿度が上がった気がする。暑くはなく、霧でも出たかのようにジットリと薄ら寒い。
スティルの応答を待たず入ってきた無礼者に反応すら返さず、焦点を合わせずに天井を見ていた。礼節を知らない無礼な態度に、まともな応対をする気にならなかったのだ。この状況では不評を買うかもしれない可能性は低い、手を抜けるならとことん抜いてしまえば良い。
「気丈とお聞きしておりましたが、心が折れ、壊れてしまいましたかな?」
傍から見ればスティルの態度は、心神喪失しまともな受け答えが出来ないような精神状態に陥ったと解釈された。ただ単に、焦点を合わせるのすら面倒に感じ、何もかも投げ出していただけなのだが。
「今少しで、準備が整います故に、そのままお待ちくださいな」
「・・・ねぇ。何故、私なの?」
不意に返る声に、ルゴノゾールは驚いたように目を見開いた。
「それは、魔王様の寵愛を強く受けておいでだからですよ」
言いながら懐から、何かしらの魔法の道具なのだろう、暗い色の水晶球を取り出した。それが、寵愛の度合いを指し示す測りと成るのだ。
「寵愛など、受けた記憶はないのだけれど?」
「お姫様の愛剣の二振りは、魔王様が自らお造りになった逸品」
「・・・なるほど」
理解できた。要するにあの魔剣、流水の魔剣アルネスと埋火の魔剣シャリエルを振るったことが、あの二振りを選んでしまったことが何よりの間違いだったのだ。
呪われた魔剣だった。
そうとは知らず、剣を学ぶために自分で選びだした物だ。
自ら進んでこうなる未来を作り出してしまっていた。
――なるほど。実に愚かですね・・・私は。
スティルは強く後悔した。




