第132話 失態と顛末
しまったと直感した時には遅かった。
衝撃に大和の身体は吹き飛び、山肌に叩き付けられる。放射状に亀裂が走り、皮膚が裂け筋肉が潰れる。飛び散った血が、死の彩りを与える。
――これは・・・致命傷か?
骨も何本か折れた、いや砕けた。内臓も破裂しているかもしれない。
薄れかける意識が、辛うじて己の身体の状態を認識した。
失態だと、罵詈を吐きだしたいが口はとうに動かない。その攻撃を受けたのが一般人であったなら、恐らく即死していた。己の怪我の現状どころか、痛みを感じる暇すらなく絶命していたであろう。鍛えられた大和の身体だから、卓越した戦闘能力を持つ彼だから、直撃の瞬間に後ろへ、攻撃と同じ方向へ跳び、僅かながら威力を減衰し、重ねて受け身を取ることで、本来の威力を削いだのだ。
「ヤマトさんッ!」
デリアーナの避難交じりの悲鳴が上がる。
「バカ者ガ! 何ヲヤッテイル!」
ガリーの怒り交じりの怒声も上がる。
そして、大和を吹き飛ばした本人は、羞恥に因る発作的な行動の末に、とんでもないことをした現実に気付き、顔色を青く変化させていった。
大和は薄れゆく意識の端で、頬に触れた柔らかな感触を肴に走馬燈を見ていた。
――あれは致死量だは・・・。
ぼんやりとそんな事を思いながら、大和の意識は闇に沈んで行った。
少し時を戻そう。
デリアーナがぶん投げた女獣人が、顔面から地面に落ちそうだったので、大和は咄嗟に止めに入った。ガリーを見て、ただの脳筋野郎と判断し、殺し合い出なく、腕試しで満足させられる相手だと認識していた。彼らは敵ではなく、強いて言うなら強引に組み手を挑んできた無頼の輩程度と思っていた。だから、仮にも女性が顔面に大怪我を負うところは見たくなかった。
宙を舞う女獣人を、空中で無理矢理半回転させ背中から地面に落としたのだ。手を握ったままだったのは、落下の衝撃を僅かでも緩和させるためだ。
――これで勝負ありだな。
大和とデリアーナ、そして駆けつけたガリーも内心そう思っていた。
「良く持たせた、デリアーナ。だけど、少しだけ、やり過ぎだ」
大和の評価は的を射ていたと、デリアーナも得心したほどだ。
彼女からしてみれば、殺す気でかからなければ勝てない相手だった。だが、殺していい相手ではなかった。どこかでそれに気付いてはいたが、殺す気で挑まなければ、勝を拾えないほど地力に差が合った。
デリアーナと女獣人の筋力・膂力はほぼ同等。しかし、それ以外の全てに差がある。
車に例えるなら、女獣人が大排気量エンジンを搭載した大型車なら、デリアーナは過給機付きの小排気量エンジンを搭載した小型車だ。同じ出力が出せると言われても、その評価は大きく変わるだろう。
簡単に言えばデリアーナは安全に最高出力を出せる時間と、最高出力時の負荷、安定性とどれをとってもあんな獣人に劣るのだ。身体の大きさも違うので、やはり剛性でも劣る。そんな彼女が唯一勝っていたのは、実戦経験であり勝負勘と言うものだ。
決死の一撃でなければ、勝を拾えなかっただろう。
一つ目の誤算はここだ。
女獣人が、己の負けを理解できていなかったと言う点だ。
ある程度、格闘技を学んだ者同士なら、実際に相手を気絶させなくても、勝ち負けの判定と言うものがある。試合なら形式に則った勝敗を決する規範がある。練習なら寸止めで拳を振るおうと、有効打を何打入れられたかと、勝敗の行く末は見えるものだ。だが、人生経験・実戦経験の無さがそれを理解させなかった。
まるで性質の悪い、子供の喧嘩だ。先に泣いた方が負けだと頭で理解していても、泣いても負けを認めない、いや涙を零して嗚咽を漏らしても泣いていることを認めない。子供の喧嘩が、泥沼に発展する場合があるように、“ここで終わり”と言う線が見えていなかったのだ。
自分のせいで同胞の命を危険に晒したという負い目が、負けを認めさせない。
女獣人は立ち上がり吠え、大和の手を振り払い、戦斧を構え直し攻撃を繰り出す。
だが大和は素早くそれに反応し、女獣人を投げ飛ばした。
それは、デリアーナのような力技ではなく、ガリーが面白いと称賛した柔術で。重心を崩し、女獣人の勝に行こうとする力を利用して、地面に叩き付ける。
それはマグレでも、魔法でもなく、純然たる力量、技量の差。
負い目によって追い詰められていた女獣人がそれで諦められるはずもなく、二度・三度と投げ飛ばされても立ち上がる。それどころか、闘争の狂気に呑まれていく。負けは認めない、勝たなければならない、例え殺されようとも。
「イ、イカン! うぃが! 感情ニ呑マレルナ」
ガリーが焦り声をかけるが女獣人――ウィガの耳には既に届かなくなっていた。
「本当にミノタウロスそっくりですね・・・」
デリアーナの目にした資料によれば、ミノタウロスは追い詰められると狂戦士化して手が付けられなくなることもあると記されていた。
「ヤマトさん。狂戦士化すると並の攻撃では気絶させることは難しいです」
つまり、殺さなければ止められないと言う可能性が高いと言う理由だ。
ガリーもその助言に肯定的で、渋面を作るが、それは怒り狂った狼の貌だった。色々な感情がないまぜに成り、腹の中で煮えくり返り、もんどりうって顔に出たのは憤怒の色。
「ガリーさんよ。殺したくはないんだろ」
「当然。アレモ、ウチノ娘ダ」
こうなることが予想できたため、基本的に加勢せずに観察に留めるように指示を出していた。しかしそれを誤解したデリアーナの挑発に乗ってしまった。状況がそうさせたとは言え、悪者を決めなければならないのであれば、悪いのは判断を誤った女獣人ウィガだ。
デリアーナに察知されない距離で観察しているか、脅された時に逃げれば良かった。もしくは、直に投降すればこの戦闘は回避できたはずだ。元々ヅィスタム村側、ガリーたちが、大和たち一行の実力を測るために引き起こした戦闘なのだから。
「スマン。アレモ、マダ子供デナ」
「協力は・・・・・・してくれるんだろう?」
再び攻撃を繰り出すウィガの軸足を払い、地に着ける。投げに因る衝撃は馬鹿に出来ない物なのだが、頑丈な体がそれを無視していた。
「助ケラレルノカ?」
「失うには惜しいおっぱいだからな」
そう言って大和は不敵に笑い、デリアーナは主の患っている病気の業の深さに、僅かながら眩暈を覚えた。
五度立ち上がり、襲い来るウィガを、事も無げに地面に叩き付ける。
「デリアーナ! 下半身を押さえろ! ガリー! あんたは右腕だ!」
大和から突如に飛んだ指示に、二人は即座に反応した。
「押エテ、ドウスル? ツモリダ?」
ガリーの疑問は尤もだ。押えて動けなくしただけで、諦めるとは思えない。持久戦では恐らくウィガに軍配が上がる。それまでに正気を失った娘を呼び戻すために、藁にも縋る思いで、声をかけ続ける作戦だろうかとガリーは、勝機の見えない苦行を行うつもりなのかと懸念した。
実際にガリーがかつて成功をおさめた、ウィガを正気に戻した方法はそれだった。
怒りに我を忘れたウィガの攻撃を躱し続け、血のつながりの無い育ての親とはいえ、父の威厳を持って声をかけ続けたことがある。あの時はまだウィガが幼く、今よりも体躯が小さかったから可能だったことだ。今やれと言われれば、死を覚悟しなければならない。
「こうするんだよ!」
大和はガリーの問いかけに答えるように、ウィガの左腕を巻き込み絞め技を仕掛ける。所謂、袈裟固めと言うやつだ。
三人がかりで押さえ付け、辛うじて動きを封じるが、危うい。下半身を抑えるのがデリアーナでなければ、簡単に吹き飛ばされていただろう。大和はウィガの左腕を抱えつつ、頸動脈を圧迫する。どんなに頑丈な体でも、人類であるなら、脳に血が回らなければ意識を保つことはできない。
ウィガは自分の頭と左腕を抱え込んだ大和を、親の仇でも睨むような目付きで睨み、歯を食いしばり口の端に泡を浮かべ、強引にそれを外そうとするが、力を込めれば込めるほど、外そうともがくほど、返って大和の腕が食い込んでいく。
そして一分・二分と時が過ぎ、三分を超え、そろそろ大和の体力が限界だと言うあたりで、まるでろうそくの火が消えるように、ウィガの身体から力が抜けた。ぐったりと抵抗が無くなったのを確認して、大和は腕を放す。
「マサカ・・・殺シタノカ?」
ガリーが当然の懸念を寄越す。殺した方法は分からないが、この少年ならそれぐらいは出来そうな気がしたのだ。大和は力の入れ過ぎで固まった指を解しながら、安心するように反した。
「絞め技で落とした・・・失神させただけだ。死んじゃいないさ。少しすれば意識も戻る。まあ、その時には冷静になってくれている事を願うよ」
一旦意識を失えば、ある程度感情の起伏は平坦になっているだろう。その時に、ガリーなど信頼できる家族が目の前に居てやれば、多分大丈夫だ。そしてもし、それでもだめなら完全に心が壊れてしまっている、発狂してしまっている状態だ。誰かが優しく殺してやるしか、救いはないだろう。
しかし、ガリーは物言わぬ骸に成ってしまったような気がして、大和の言葉を信じきれなかった。
気を失い、力の抜けたウィガの腕が、異様に重く感じたせいだ。死んだ生き物と言うものは重く感じると言う事を、経験で知っている。
もしウィガが死んでいれば、そうでなくともこのまま意識が戻らなければ、ガリーは育ての親として大和を許せなくなる。だがヅィスタムの族長としては感謝の意を示さなければならない。その狭間で揺れる感情を、制御しきれるか、不安に成っているのだ。
「モシモ・・・ダ。モシモノ時ハ・・・」
「だ・・・大丈夫だって! ほら! ちゃんと息もしてるし、心臓も動いてる!」
ガリーの心配が大和にまで伝播し、大和も自分の所業の結果に自信が無くなって来た。
ウィガの鼻に手を翳し、呼気の存在を確認し、心臓の上に手を添えその鼓動を確認する。
二つ目の誤算はここだ。
ウィガの瞼が音もなく開いて行く。
意識を失っていた時間は、実質一分にも満たない。そんな僅かな時間で、回復させ覚醒させた。
これは完全に想定外の出来事だった。
幸いにして、大和の怪我の治療は間に合った。
確実な致命傷であったはずが、回復魔法を扱える人材が二人居たことが、完全な回復を迅速に促した。その一人は、もちろんデリアーナだ。美しく整った顔を、必死の形相に歪ませ、主の命を摘み取ろうとする死神を睨んだ。献身的な彼女の治癒の御業の行使により、どうにか即死は免れた。現在は御業行使の為に魔力を使い切り、別室で休ませてある。クヌート、イェフコルト、ベルトラムに案内役の四人も無事だった。この中で特に消耗していたイェフコルトには、デリアーナに無理を言って治癒の御業を使って貰っていた。
そしてもう一人。
今は、のほほんとした表情のまま、ガリーの隣に座り茶など嗜んでいる。
耳の尖った、十七才くらいにしか見えない少女。ガリーの伴侶であり、レジナの母たる、エルフの人妻ジーナだった。
「無茶ばかりしちゃだめよ~、生き物の身体って、自分で思っている以上に壊れやすいんだから」
わざわざ言われたことが、耳に妙に痛い。
小さな食卓にガリーが座り、その隣に妻ジーナが席を取り、ガリーの正面に大和、その背後には執事クヌートが控えていた。
「でも君は不思議な子だね? 召喚勇者って皆こうなのかしら?」
大和の傷が回復してからは、こうして茶を飲みながら世間話も交えて、自己紹介していた。本日の来訪の目的も伝え、身分も明かしているため、アットホームなお茶会のような雰囲気だが、一応は領主と族長の会談の席でもある。
「・・・不思議ナノハ同意スル。ソレハ、じーなガ回復魔法ヲ躊躇ワナカッタコトニ関係ガアルノカ?」
「ええ、彼はエルフ族に愛されているもの。怪我の状態を見た時、エルフの回復魔法で癒されて痕跡があったの。それも致命傷となる程の大怪我だったわ」
ジーナにとって、大和の怪我を癒す義理はない。
本人の過失ではないし、個人的に親しい交流がある訳ではないからだ。
現代において、回復魔法と言うものは非常に価値のあるものだ。だからユイゼ教も、治癒の御業を秘匿し、一般に施術する場合も多額の寄付金を要求する。それは濫りに力を当てにされては困ると言う考えがあるからだ。
そして教会に属さない回復魔法の使い手も、己の力を誇示することは稀だ。回復魔法を使うことを強要され、使い潰される未来が見えているからだ。
それを十分理解して尚、その力を晒した理由がそれだった。
「この子は私たちにとって、重要な運命を背負っているのかもしれないの」
「・・・それは買い被り過ぎだろう」
その言葉を聞いて、大和の困惑が言葉に成る。大和としては一回目の治療は、嫌がらせを手伝わせるための報酬の前払いのようなものだ。そんな種族に対して何かしら貢献するような物ではない。
「それにしても、よくあの場に間に合いましたね」
今度は逆に大和が不思議に思っている事を、口にしてみた。
種族的に、緑の多い場所で活動的に動くことは苦にしないらしいが、それでもあの場にのこのこと出てくる理由が無い。それこそ、旦那の浮気を疑い監視していたとかでなければ、些か不自然な登場だった。
半分は命の恩人であるジーナが、独占欲に歪んだ女ではないかと疑っているようなものだと、大和は思いついた理由を必死に打ち消した。
――別にそれは良いじゃないか。・・・もしそうでも俺は困らないし。
大和の疑念が真実だったとしても、そんな彼女を伴侶として選んだガリーが苦労を強いられればいいことで、代わりに思い悩む必要はない。
そしてジーナは、大和の問いに顔を強張らせ、ガリーの様子を伺う。
夫婦間の理由か、ヅィスタム村の中で完結すべき理由で、部外者の大和に話しても良い物かと、伺いを立てているようだった。
「構ワヌ。イヤ、ムシロ話シテクレ。やまとハ新シイ領主ダ。変ナ秘密ハ作ラナイ方ガ良イ」
このヅィスタム村は獣人サーグリフの一族が主となる集落であるが、当然人間社会、ヒュームの世界と敵対している訳ではない。今までも細々とした交流があったのは、塩などの必需品を手に入れるためであり、交流を途絶えさせないために、犯罪者などが逃げ延びてきた場合は捕えて突き出していた。未踏の山の麓にあるとはいえ、この集落は間違いなく人類の勢力圏なのだ。
獣人と言う異分子であるため、ヒュームの勢力圏の端で細々と生活していただけだ。
「あのね、最近人攫いが出るんだって。私たちエルフの血を引いた子供が攫われているみたい」
ジーナの言葉に、ガリーの貌が一瞬で険しくなる。
妄言の類を聞いて、気を悪くしたわけではなく、妻の言葉を真実として受け止め、親として怒りが込み上げてきたようだ。
「・・・何処の誰がそんなことを?」
大和としては、現在領地の責任者に成る訳で、当然自分の領地内でそんな事件が発生すれば、その責任を問われる立場だ。情報を得て、対策を講じなければならない。
「ええとね。まおーきかん? とか言う人たちらしいの」
「魔王機関カ・・・ヤッカイダナ」
帝国ですら真正面から事を構えるのを避けている組織だ。その理由の一つに、帝国のような大国には害よりも利の方が大きいからと言う、利己的な物がある。
そして本来は、人類の正義と秩序を守るための悪の組織だ。それが行う悪であるなら、人類にとっては善行に繋がるのではないかとも思う。ガリーもこの辺りの事情を知っているかもしれない。
だからと言って、子供を攫われて我慢できる親は居ないが。
対策を立てないととは思うが、対策の立てようがない。黒騎士のようなMSSを中隊規模で送り込まれれば、帝国軍だって危ういのだ。
「帝国の方に情報を上げて、対策を立てて貰うしかないんじゃないかな?」
「ダガナ・・・対象ガ亜人ノ子ト成レバ、帝国モ腰ガ重クナルダロウヨ」
残念ながらアインラオ帝国はヒュームの国だ。人口の九割を占め、当然優先されるのもヒュームが絡んだことになる。亜人と言うだけで蔑ろにされる傾向が強い為、こうして勢力圏の端に安住を求めたと言う側面もある。
情報を精査して、報告を上げても徒労に成るだけだと危惧していた。
「だが報告しない訳にもいかないだろう? どうせ動かないからと諦めただけでも、情報を隠蔽したと叩かれかねない」
一応は領主としての肩書を持つ大和としては、得られた情報は正確に上げるべきだと考えていた。
その為には一つだけ明らかにしないといけない事があった。
「ジーナさん。疑う訳じゃないけど、その話は何所で聞きましたか? 明確な情報源を提示できますか?」
「・・・そう言われると、困るわね。帝国の方じゃ信じて貰えないかも・・・。あのね、声が聞こえたの。精霊たちを通して男の人の悲嘆にくれた嘆きの声が。『俺の命である娘が攫われた。攫った奴らは魔王機関。少しで良いから情報が欲しい』って」
魔法が衰退した今、その技術を元に持たされた情報は信憑性が低い。
だから帝国に情報をもたらしても、動いて貰えなさそうであったのだ。だから情報を提供することに乗り気ではなかった。
「ジーナさん。その攫われた娘の・・・名前何と言いました?」
一つだけ、大和が改めて問い質す。
「え? ええ・・・確か『アーモ』って」
最早懐かしさすら感じる名だ。それは一時期だけ大和にもいた筆頭侍女の、もう一つの作戦名であった。




