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第130話 獣人との戯れ

 案内役の男は狙撃からベルトラムを匿い、木の陰でどうにか彼が落ち着きを取り戻しつつある様子を見て、胸中の不安を吐き捨てるように溜息を吐いた。

 頭を振り、あることを知っていた襲撃に際し、嘆息する。


「今回もどうにかなりそうだな・・・」


 顎を伝う汗を拭いながら零した言葉は、ベルトラムの耳にも届いていたが意味は理解できない。ボヤキのようなもので言葉が返ることを期待しての発言ではなかった。

 しかし、僅かな葉擦れの音と共に、その希望的観測をぶち壊す存在が闖入する。


「んん~? 何言っているの、君の洗礼はこれからでしょ?」


 そう言って木々の隙間から出てきた少女の外見を見て、げんなりと顔を歪めた。

 少女の姿は、街で見かければ痴女と後ろ指を指されかねないほど、軽薄な物だった。乳房が豊かに膨らんでいるのに、女性らしさを隠す気もないような袖の無いシャツに、短いズボンしか穿いていない。足回りはしっかりとした革のブーツを履いていたが、他は驚くほど軽装なのだ、服だけを見たのなら。

 少女の身体の一部は、毛皮に覆われているため、地肌の露出は決して多くはない。側頭部の下側から生えた耳は、横に長く毛に覆われ、膝に届くほどの長さの、ブラシのような尾が興奮ぎみに振れた。

 人間の体型を基礎として獣の要素を追加した姿の獣人の少女だった。


「ちょ! 待ってくれ! 俺は既に!」

「そう言う事だから! 取り敢えず飛んでけ!」


 洗礼は受けたはずだ、と続くはずの言葉を打ち消し、反応も見捨てて、容赦の有る回し蹴りをお見舞いした。どうにか防御が間に合った物の、隣に生えて木に叩き付けられ力なく崩れ落ちる。よほど運が悪くなければ死にはしないだろう。


「んん~? 一応防御できたから、合格点? 及第点? ま、いいか。良かったね、君の洗礼はこれで終わり・・・に成るかもしれない。でぇ・・・次は君の番だ」


 満面の、嗜虐的な笑みを浮かべて、必死に状況を受け入れようとしているベルトラムに向き直る。

 ようやく息が整ってきただけのベルトラムにその対応は不可能だった。自身の心を苛む、自傷的な思考が己の行動を縛った上、想定の範疇を軽く超えた出来事だった。獣人の少女は、ベルトラムの反射神経を超えた速度で迫る。

 呆けたような疑問符を口から溢すことが、彼にできる精一杯だ。


「んとね、そう言う事だから」


 一方的な判断基準により、事務的にそう告げた。

 そして、ベルトラムを蹴り飛ばそうとした足を上げた所で、走り込んできた何者かに蹴り飛ばされる。


「おや? 女性でした・・・痴女の方でしたか。失礼。一応とはいえ、一方的にやられる趣味は無い物ですから」


 咄嗟の判断で、クヌートはベルトラムの救出に成功した。先に案内役が絡まれたお陰で、辛うじて間に合ったともいえる。蹴り抜いた足を音もなく戻すと、半身で隙を感じさせないように構える。


「いきなり何するかな? ん? 君はそこそこやれそうだね?」


 獣人の少女も軽い身のこなしで受け身を取り、さして傷を負ったようには見えない。


――やれやれ、獣人とは言え少女・・・いや痴女が相手とは、やり難いですね。


 クヌートの感覚で言えば、獣人の少女は下着姿でうろついているような、露出癖のある残念な女性にしか見えなかった。女性のそう言う姿を・・・酒場などで見る分には嫌いではないが、公に晒されては痴女としか思えないでいた。


「でもさ! 君も痴女痴女って人を変態扱いしないで欲しいな!」

「・・・だったら、もう少しちゃんと服を着なさい。年頃の娘がはしたない。街の娼婦でももう少し着飾りますよ」


 言外に男を誘う娼婦よりも如何わしい格好だと知らしめるが、どうにも獣人の少女は“街の娼婦”と言う存在を知らないようだ。

 憤慨し少女は、年相応の可愛らしさも持って抗議する。


「毛が擦れて痛いし! 蒸れて暑いんだもん!」


 自前の毛皮があるから服を必要としないなのかも知れないが、獣娘の仮装にしか見えない姿では、やはり如何わしい姿に見えてしまう。


――ともかく、相手が私で良かった。お館様も、騎士殿も少しばかり免疫がなさそうなお歳であられるからな。エーベルスト君は、そういう意味では二人よりも危ういな。


 年齢的に思春期真っ盛り。それなりの女性経験を経て、少しばかり大人の落ち着きを得だした自分とは違う・・・はずだ。そしてベルトラムは、その思春期に勉強漬けで経験値が無い状態だ。もしかすれば、二人よりも女性に・・・女体に免疫がないかもしれない。

 軽装の女性と思うから羞恥心が働いてしまうのだろう、いっそ、普通の人間の娘が、獣人の仮装をしていると思った方が、精神衛生上都合が良いかもしれないと、自身の煩悩を抑制する。

 やれやれと雑念を吐き捨てる。戦いの最中に我ながら面倒な性格だ。

 拳を握り直すと、ぎゅっと白い手袋が擦れ合う。クヌートは剣を振り回すよりも、徒手空拳で戦う術を学んでいた。それは執事と言う立場上、常に武器を携帯できるとは限らないため、それに頼らずに主の盾に成ることを想定して、自らそう鍛え上げたのだ。

 まだ完成の域には程遠い武功であるが、それでも目の前の障害を退けられないほど、弱いつもりはない。


「ヅィスボバルト子爵家執事、ヒューム・クヌート」


 静かに構え、僅かに腰を落とす。足はリズムを刻まず、静かに大地を掴む。


「ヅィスタム族長ガリーの娘、サーグエルフィア・レジナ」


 獣人の娘も名乗りには素直に応じ、構え直す。


――族長の娘? 案外、大物ですね。しかし“サーグエルフィア”とは聞いたことのない種族ですね。


 確か族長は、狼頭――というか、二足歩行し人語を解する狼――の獣人サーグリフであったはず。その娘と言う事で、別の種族との混血児と言う事だろうか。しかし、獣人は生まれ持った自身の持つ、遺伝的な因子の自己主張が強く混血児は基本的に存在しない。


――学術的に見て興味深い存在ではある訳ですか・・・。


 だが自分は門外漢だ。一般常識として、そう言う方面の学者が興味を持つだろうと言いうことは、想像に難くないだけで、それ以上の興味はなかった。酒の肴話の種が一つ手に入った程度の有難味を感じる。

そして、合図もなく虚を突いて踏み込み、容赦なくレジナの頬を拳で狙った。


「おおっと! 女に対しても容赦がないね! 君ってさ!」


 腕で防御して、その反動を殺さないように体を捻った蹴りがクヌートに襲い掛かるが、それを受け流し捨てるように払う。


「そう望むのであれば、もう少し淑女らしい出立と言うものがありますよ。どうにも貴女は服装という物を理解していない」


 ただ寒さを凌ぐ為だけに着るのであるなら、服装など貫頭衣で十分なのだ。

 現代では服装と言うものは、身分や立場、品性などまで表す一種の自己表現に成っている。巷でうろつくゴロツキなどは、「公共社会の規則に縛られたくない」と宣うくせに、自己社会での規則に忠実だ。判で押したように、まるで制服でもあるかのように、同じような特徴を持つ服装を好んでするのだ。

 そうすることで属している共同体を示す、本能のようなものかもしれない。


「族長の娘として扱って欲しいなら、それに相応しい恰好がありますよ。ですが、貴方の姿は常識を疑わざるを得ません」

「くぅーー! 田舎者だと馬鹿にして!」

「ああ、なるほど。自覚はあるのですね。芋娘であると」


 舌戦と共にそれぞれの攻撃を受けつ、流しつで決定打に欠いていた。

 クヌートがレジナを制せない理由は、純粋に身体能力で劣っているからだ。流石にレジナは獣人であるため、基礎的な運動能力は人間であるクヌートを凌駕している。レジナは足技、主に蹴りを主体とした格闘戦を挑んできていたが、そこに型が無い事は理解できた。レジナは何らかの武術や格闘技を学んでいる訳ではなく、何となく蹴りで戦うのが性に合っていると言うだけだ。

 一方クヌートは、帝国に伝わる拳法を学んでいたため、身体能力で劣りながらもどうにか対応できていると言った所だった。


「型一辺倒な攻撃だね! そんなんで私に勝てるかな?」

「生憎とこれしか知りませんので。ですが、勝を得られないのは貴女も同じでしょう?」


 持久戦は出来れば避けたいところだ。

 クヌート自身も、レジナが街のチンピラでただの人間なら、持久戦に持ち込んだかもしれない。常に鍛錬は怠っていないため持久力には自信が有るし、下手に急いて怪我をするのも馬鹿らしいからだ。だが、今回はそうもいかない。

 初手で狙撃をしてきた相手がいる。どうにも大和とイェフコルトが迎撃に向かったらしいと言う事は見ていたが、さっさとこちらを片付けて援護に向かうのが部下としての務めだろう。つまり、あまり悠長に持久戦は望めない。そればかりか、救援の為の体力は残しておかなければならない。


――いやはや、面倒ですね。


 相手が獣人であるため、街のチンピラと同等と考えるのは危険だ。

 幾ら武術を学んだ形跡が見て取れなくても、足の速さで人が犬に勝てないように、持久力で人間を遥かに超越しているのかもしれない。それぐらい生まれ持った種族の差と言うのは隔絶しているのだ。

 何合目か打ち合いで、クヌートの拳がレジナの防御をすり抜けた。


「っ!?」


 驚きに声にならない抗議を上げる。何故と。身体能力の差で突破できないと踏んでいた自分の防御が抜かれた驚きは、レジナの動揺を誘うには十分な物だった。

 タタラを踏み、体勢を立て直す。


「遅い」


 突き出した拳が、レジナのミゾオチにめり込む。

 衝撃と痛みに身体をくの字に折ると、肩に回し蹴りを食らわせ吹き飛ばした。ほぼ完璧に決まった、会心の一撃。これ以上の攻撃は出せる自信はなかった。

 木に叩き付けられたレジナは、呻き声を漏らして気を失ったようだ。


――これも仕事とはいえ、後味は悪い物ですね。


「お見事です。ダナー殿」


 クヌートの韜晦など知らずに、称賛の声が降る。


「これは神官戦士殿。・・・何時から見ておられました?」

「千日手かと思われる攻防を始めた辺りからです」


――やはりそう見えていましたか。


 型一辺倒な単調な攻撃を繰り返したのは、クヌートの仕掛けた罠だ。対戦者――レジナの目と体が慣れるまで繰り返すと、咄嗟に動きを変えた時に僅かな隙が出来る。想定していた最高速度を超えた攻撃を繰り出されてことで、本来ならできるはずの無い隙に、本人が大いに驚き、更に隙を作り出してしまったのがレジナの敗因だろう。

 しかもクヌートは、攻防の動作を徐々に減速させていった。よほど修練を積んでいなければ察せない程に僅かずつ。例え気付いても、疲れに因る減衰と思われるだろう。そして、ここぞと言う所で本来の最高速度に因る攻撃を繰り出す。レジナはそれが策であるとは気付かずに、こちらを侮っていたが故に嵌まったのだ。最高速度が誤認させられていたのだ。


――これは、監視・・・、いえ。評価でしょうか。私が子爵家執事として相応しいか、品定めをしておられた?


 そう考えれば途中で助力に入らなかった理由にはなる。デリアーナの方が大和の従卒としては古参であるため、新参者が使えるかどうか見定める必要もあるだろう。

 だが、己が主を放置してまですることではない。


――主の援護の為に、協力して叩き潰すべきだった。・・・神官戦士殿は何を考えている?


「主を護らぬ神官戦士は信用できませんか?」


 無意識に心の中で沸いた疑念が顔に出てしまっていた。


「必要ないからですよ。この亜人の集落ヅィスタム村は、初めて来訪する人間に勝負を挑み、村に招くに相応しい人間かどうか見定める通過儀礼の風習があるそうです。ですから殺されるようなことは、まずありませんし、怪我程度なら私の御業で癒せます」


 やはりユイゼ教の情報収集能力は侮れない。

 クヌートもその可能性を導き出すまでの情報を得てはいたが、確信には至らなかった。


「それにあの方を倒せる存在が、亜人の村程度に居るとは思えません」


 一対一であるなら狙撃手にすら勝ち得る大和であったが、連射する突撃銃や散弾銃には敵わないと本人も自覚していた。今回も狙撃手が二人以上いたなら、大和は突撃を選択しなかったかもしれない。


「そうですか。取り敢えず後を追いましょう。障害を取り払った以上もたつく謂れはありませんし」

「そうですね。それでは・・・」


 言いながら、デリアーナは戦槌を抜き放ち構える。


「な、・・・何をするおつもりで?」


 一瞬、不意の失言で敵対してしまったかと冷や汗を流す。デリアーナを不審がったせいか。


「後腐れ無いように殺して埋めておきましょう」

「ちょ! ちょっと待ってください! その娘は族長の娘ですよ!?」


 デリアーナは気を失って横たわるレジナに向き直り、その頭部目掛けて戦槌を振り上げる。


「それはこの口から出ただけの出任せの可能性もあります。それにこれだけの事をしでかしたのですよ、勢い余って殺されることも想定していて当然です。この先村に向かう道中、意識を回復させたこの娘に背後から襲われる危険もあります」

「縛って置けばいいでしょう」

「その間に命の危険が無い保証が無く、脅かされた上に助かった場合、後々交渉でシコリと成ります」


 例えば木に縛り付けて放置したとしても、野生の獣や、先日の妖魔の逸れた個体などが出た場合、レジナは相当な危険に見舞われる。その後、食われたり殺されたりした場合は、集落との関係も難しくなるだろうが、それ以上に襲われた上に助かってしまうと、レジナは感情的にクヌート達を認めることは出来なくなるだろう。

 あいつらのせいで酷い目に会った、と。それは逆恨みでしかないのだが、当事者ともなれば誰かを憎まねばやっていられない。

 そして時間は有限であり、意識が戻るまで介抱するわけにもいかない。

 戦闘の拍子で死んでしまったと言うのが、後処理として一番楽なのだ。


「それに、仲間が殺されそうなら・・・助けたいと思うものでしょう?」


 クヌートには、その言葉の意味が理解できなかったが、直後に変化した状況がデリアーナの意図を理解させた。

 要するに、もう一人居たのだ。

 だが、何らかの理由で隠れたまま出てこなかった。だから誘き出すために芝居を打ったのだ、と。

 咆哮が森の中で上がる、それは自己嫌悪を無理矢理に振り払う、怒りの感情に染まっていた。


「執事殿。できれば三人を連れて、ヤマトさんを追って下さい。あれは私が受け持ちます」

「了解した! 神官戦士殿! 御武運を!」


 即座に迫りくる脅威に対抗できる力が無いと自覚したクヌートは、対処をデリアーナに一任することに決めた。

 男として、護衛として、役立たずである自分が歯痒かったが、それだけで勝てる相手ではないと理解できたのだ。仕方のない事だと、諦めるしかなかった。


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