第129話 戦士との闘い
イェフコルトの進路を阻んだのは、銀色の塊だった。
「そなたの相手は、儂が勤めよう! いざ!」
年輪を重ねたような野太い咽喉から発せられる声は低く籠った響きだった。その声の放つ威圧感は、頭一つ背が高く感じたほどだが、実際のところイェフコルトよりも背が低い。
それが御伽噺に出てくるような、一片の肌も外気に触れさせないような甲冑を着込んでいた。面に遮られ顔すら見えない完全装備だ。
「ば、板金の? 全身鎧?? ばっかじゃねーの!?」
思わずそう声に出してしまったほどの時代錯誤。
「馬鹿かどうか! 試して見せよう!」
剣と魔法が全盛の神代の時代に相応しい出立、だが今は鉛と硝煙の鉄火の時代だ。いやそれすらも過去としそうなほどに進化しているのだ。武器の発達に逆行しているにも程がある、前々時代的な防具。
マスケットや火縄銃と呼ばれる先込め式の滑腔式歩兵銃の登場で無用の長物と成った板金全身鎧。ライフリングもなく、球状の鉛球を黒色火薬の爆発力で押し出すだけの銃ですら防ぎきれずに、第一線を退いた鈍重な防具。弾頭形状も材質も、炸薬の質も向上された今の小銃の前にそれはただの足枷でしかない。普通なら。
だが、その全身鎧が鎧の重さを感じさせずに、素早く振るった銀塊・・・武骨な長剣の一撃は、盾代わりにされた突撃小銃を容易く粉砕し、吹き飛ばす。
――やられた! 盾にさせられた!
咄嗟に盾にして、更には武器を捨てることで、自身への致命的な損害を回避することには成功した。だが武器を失う。
「飛び道具など、無粋・・・さあ、少年。腰の物を構えられよ」
思わず舌打ちをしたくなるが堪え、ゆっくりと隙を作らないようにした動作で剣の柄に手を導く。
その間に、相手をつぶさに観察する。剣の腕前では完全に劣っている事は痛感させられ、真っ向から打ち合えば負ける。身体能力を比べても勝っているのは機動力のみ、手足の長さにはやや分があるが、得物の長さで劣るため、戦闘距離での優劣はさして存在しない。攻撃力も防御力も劣り、恐らく体力持久力と言った点でも、勝っている要素は皆無であると悟っていた。
それでも一刻も早く、この障害を排除して、主君たる大和の援護に駆けつけなければならない。それすらできず、もしくはしようともせずに、仕えるべき主君を失った馬鹿どもは散々見て来た。
自分はそうはならない、同じ轍など踏んでやるものか。
少なくとも、そうならないように尽力しなければいけない。
――焦るな! まだ手はある!
まだ主武装を失った程度。予備や控えはそれなりに用意してある、戦う意思も折れてはいない。
取れる戦法はあまり多くはないが、必勝への道筋を組み立てて行く。
他の救援、クヌートかデリアーナかが異変に気付き駆けつけてくれたとしても、当てにして戦闘を引き延ばした場合、そこまで粘れるかも怪しい所だ。それに他力本願はイェフコルトの性分ではない。隣に使える味方が居るなら、協力を要請するが、居ない者に縋るべきではない。
一見、全身鎧を纏っている分持久戦に難があるように見えるが、動きの軽やかさから柔な鍛え方はしていないようだ。味方が来ることを期待して持久戦に持ち込めば、こちらの策を見透かされて足元を掬われるだろう。
下手に引き延ばすよりも、自力で打破する方法を模索した方が、生き残る可能性は高いと判断する。
倒す気で、殺す気で挑まなければ敗北は必至。だからこそ、僅かな隙でも見出し突くしかない。
全身隙の無い板金鎧。脇や肘の内側と言った場所は流石に手薄に見えるが、その隙間を護るように剣を構え直す。
対人戦、騎士同士の試合用の構えだ。それはイェフコルトの苦手とする戦い方であったが、現状ではこれが最良であると判断する。
鎧の隙間からは、細かい鎖で編まれた布が見えた。
――板金鎧に鎖帷子か・・・これで下着が防弾素材で出来て居たら、銃で倒すのも無理だったかもしれないな・・・。
板金鎧は、地肌の上に直接着るような物ではない。汗を吸わせるための布製の下着と、鎧で身体を傷めないようにするための革のような素材で裏打ちが施されているのが普通で、もしくは下着鎧と言えるような、革や布製のインナーが存在する。
そういう意味ではヘルメットを連想すると良いかもしれない。自転車用のヘルメットでも、直接プラスチックの部分を頭に被せるのではなく、ベルトやスチロール製の緩衝材が間に入っているようなものと同じだ。
曲面で構成された板金鎧の表面は、運が良ければ銃弾を逸らすことが出来るし、そもそも板金がぶ厚ければそれだけで停弾も可能だ。古めかしいのは外見だけで、停弾を目的とした積層構造であった場合、おのずと結果も変わってくるだろう。銃砲が発展し、対抗手段として開発された防御機構を、鎧に転用してしまえば、普通の鎧より圧倒的な防御能力を獲得することも可能だろう。
それこそMSSの装甲材の技術を転用すれば、現代でも圧倒的な防御力を誇る装備に成り得たであろうが、結局殆どの者が見向きもしなかった理由、そして廃れてしまった最大の要因は、やはり重いと言う只一点に尽きる。
鎧一式で自分の体重の同じくらいから二倍くらいあり、まともに歩くことすら困難で、転べば鎧のせいで起き上がれないなどという事態すら起きている。昔の騎士は落馬が殉職と同義だった時代もある。自分で起き上がれない為、馬に踏まれたり、敵に簡単に止めを刺されたりしたそうだ。
現代の鎧で、流石にそこまで動きにくい物はないと思うが、優秀な鎧でも重ければ素早く動けず、的に成り火砲の集中を喰らう。そうなってしまえば、いかに強固な防御力でも貫かれてしまうだろう。この世界でも、銃弾から身を守るための行動は、受け耐えるのではなく、身を躱す方法を選択していた。
そんな九割方は無意味とも取れる板金鎧を平然と着こなす、骨格の頑丈さと筋肉の強靭さ、そして背の低さ。それに当てはまる、人間の常識から逸脱した存在をイェフコルトは知っていた。
「あんた・・・ドワーフか?」
「如何にも!」
正体を突き止める事で揺さぶりをかけるつもりの問いかけに、正直に答えられ返って当惑してしまう。全身鎧で姿を隠しているのに何故分かったと、動揺を誘えるような相手ならどれほど良かったか。
ドワーフの声はむしろ良く分かってくれた、見識のある少年だと褒めるような響きが含まれていた。
――敵に平然と情報を与えるなど・・・、けっ! 舐められてるってことかよ!
下に見られたからと言って、感情に任せて剣を勢い良くは抜き放たない。急ぎ剣を抜く行為は、血に飢えた野獣のような印象を抱かせるため、騎士の礼儀としてはあり得ない。悠然と折り目正しく、刃を鞘から解き放ち、よどみない動作で構える。その一連の動作の美しさも、騎士の嗜みと言うものだ。
抜剣の隙に斬り掛かれないように注意を払ったが、それは杞憂に終わった。ドワーフは律義に、イェフコルトの抜剣の型を終えるまで待っていた。
「おお。その年で良く鍛えられた! 天晴である!」
一連のゆったりとした動作に焦れることなく、ドワーフは無邪気に称賛を送って来る。
――ああ、この連中は、こういう手合いばかりだったか・・・。
種族的か民族的かは知らないが、愚直なまでに真っ直ぐな連中だ。戦にしろ鍛冶にしろ、ドワーフは脇目も振らずただ一つの事に打ち込む。頑固で融通が利かず、それ故に巌のように硬い。
――こいつは戦士なんだろうな、昔の、戦士のままなんだろうな。
イェフコルトもドワーフに触発され、騎士として覚悟を決める。
だが、それは本当に正しい事なのだろうか?
ふと、あり得る未来を想像し、心の秤にかける。
騎士道を貫き、己の討ち死にだけでなく、主君を守れなかった弱い騎士。
極道だろうが、外道だろうが、敵を倒し主君を守った汚い騎士。
自分はどちらを目指すべきか、どちらに成るべきか。
真っ向勝負の力圧しで正面から打ち勝つのが進の騎士としての誉れだ、だが自分はそう言う人間ではない。剣の才能も、体格にもそこまで恵まれた訳ではない。真っ向勝負なら、善戦は出来ても敗北は確実だ。ならば真っ向勝負が出来ないならと、どうするべきかと考えを巡らせる。
「サンダラックより馳せ参った、ドワーフ・ガルガレイ! いざ!」
ドワーフが名乗り、騎士の礼儀としてイェフコルトも応える。
「アインラオ帝国バルアリッテ騎士家当主、ヒューム・イェフコルト!」
亜人との交流において、異種族であることが明確である場合の正式な名乗りでは、名に種族名を付けて言うのが習わしであった。人間、人類と普段はぼやけた表眼が多いヒト種は、このような場合“ヒューム”と名乗ることになっている。
サンダラックと言うのは、恐らくガルガレイ氏の生まれ育ったドワーフの集落か、洞窟の名だろう。
「「いざ! 尋常に! 勝負!!」」
ガルガレイの放つ斬撃を、イェフコルトは躱す。
剣で受け、鍔迫り合いなどと言う愚行はしない。自分の長剣とドワーフの長剣では、刀身の厚さも重さも違う、まともに撃ち合えば刀身どころか、それを取りまわす腕まで切り落されかねない。
そしてこちらの攻撃は、板金鎧に容易く跳ね返される。
――ああーくそっ! 剣が駄目になっちまう!
だが、これで良い。
陛下に賜った騎士の剣であるが、敵を斬れぬのであればそこに価値はない。ガルガレイを倒せるのであれば、潰れようと曲がろうと、刀身が台無しになっても大した問題ではない。
正々堂々の戦いなど、騎士同士の意地の張り合いの場だけで良い。何より、狙撃などと言う手段で不意を突いてきた連中に、戦い方が汚いとか言われる筋合いはないのだ。
相手と同じ土俵で戦うことが、騎士としての嗜みであり、それを理解しない騎士に価値はない。だが、主君を護れぬ騎士にもまた価値はない。
ならば、むしろとことんまで相手のやり方に沿った戦い方をするべきだ。
イェフコルトは少し意地の悪い笑みを浮かべ、再び鎧の表面を叩くように剣を振るい、ガツンと金属同士の激しい衝突音が響く。
「中てるだけではな!」
「そうかい!」
腰の全く入っていない、中てることを主眼とした剣の振り方だ。相手の攻撃を避けることに重点を置いた腰の引けた立ち回り、攻撃と同時に回避に移る事で、ガルガレイには反撃から逃げる。イェフコルトは、板金鎧の太鼓でも叩くように軽い攻撃を中てて行く。ただし一方的に。
足捌きや、身の熟しでは鎧を着ておらずに身軽な分、イェフコルトが有利ではあった。ガルガレイの反撃を紙一重で交わし、掠めるように籠手を剣で弾く。
イェフコルトは攻撃を躱すことを最重要とし、ガルガレイの攻撃を躱すために剣を鎧に中てて行く。中てるだけの剣、とても有効打であるようには見えず、徒労感が押し寄せる。だがそれでも、全くの無傷と言う訳ではない、無傷である筈がない。イェフコルトの剣が命中した際、ガルガレイの動きが極僅かに鈍った。
――どんなに強固な鎧でも、衝撃まで完全に打ち消せはしない!
もしも、衝撃を完全に無効化することが出来れば、その鎧を纏って動くことはできない。
攻撃は中り、鎧こそ切り裂けない物の、一撃をくれてやることはできる。攻撃が中ると言う事は、僅かながらに衝撃が鎧を浸透し、ガルガレイの身体に負荷をかける。そして僅かながらであるが、剣の衝撃が確実に体力を削って行った。
大きな鐘の中に入り、外から叩くようなものだ。
中の人は直接殴打されることなくとも、鐘の中で起こる振動派が蝕んで行く。
もう一つ、反撃しても躱され、自分だけが一方的に攻撃を受ける状況下で、精神に掛かる負担と言うものも馬鹿にならない。鎧にも精神にもストレスが蓄積していくのだ。
「むうう! 小癪な!」
ガルガレイが憤った声を漏らすが、言えた義理ではないだろうと思う。
刃を立て斬ると言う行為はとうに諦めている。剣をただの鉄塊として扱い、殴打を繰り返す。
堪らず、ガルガレイが距離を取れば、イェフコルトは副武装である“拳銃”を引き抜き、容赦なく鉛弾をお見舞いした。
――ちっ! まさか魔法の鎧か? それともMSSの装甲と同じ構造か?
拳銃弾をまともに喰らいながらも、一発も鎧を貫通できなかった。魔法による強化が施された鎧の可能性もあるが、既に鎧の性能は些末事に成っていた。拳銃弾の衝撃により、ガルガレイはふらふらと怪しい足取りを見せたが、即座に強引に捻じ伏せ頭を振って正気を取り戻す。
「・・・おのれ、飛び道具は無粋と申した筈だが?」
「あんたの決まりで戦ってやる義理はねーよ!」
「それでも騎士か!」
「ああそうだ! 俺は主君を護る護衛騎士だ! 護る為なら手段を選ばん!」
拳銃を撃たせないために強引に距離を詰め、ガルガレイは長剣を突き出した。
イェフコルトは、その動きに合わせて、身体を捻って強引に突きを躱すが、余りにも強引過ぎた。躱しきれずに、背負子を切っ先が貫き裂いて行く。
途端に、白い粉がガルガレイの身体に降りかかった。
それは山奥の亜人の集落では貴重品とされる塩だ。その量が足りなくなれば、簡単に命を終了させかねない、生命体にとって必須と言える栄養素。ガルガレイとて、塩が切れれば死ぬしかない。
「ぶふっ!? が、し? 塩か? ああ、要らん事をした!」
霞のように広がった塩に視界を遮られ、命を繋ぐ大切な資源が、目の前で、自分のせいで台無しになって行く。
その動揺は、明らかに大きな隙を作りだした。
「言ったろう? 手段は選ばんと!」
イェフコルトは渾身の力を籠め、鉄塊と化した長剣をガルガレイの兜に叩き込んだ。
もんどりうって地べたに転がり、長剣も手から離れた場所に落ちる。
「し、塩を粗末にしおって・・・ぐ、・・・む、無念」
剣を取ろうと手を伸ばした所で、全身から一気に力が抜け落ち、ガルガレイは昏倒した。兜こそ僅かに変形した程度に留まったが、その衝撃に因る頭部への衝撃は、脳震盪を引き起こしガルガレイから平均と意識を奪い去った。
最後に残されたガルガレイの言葉が癇に障る。
「うるせぇや! 好き勝手言いやがって! 自分の信念を押し付けるんじゃねぇ!」
鬱憤を叫ぶことで吐き出す。
塩を無駄にさせたのはお前たちだろうが、と憤りが燻る。
驚くほど奇麗に策に嵌まってくれたおかげで勝利をもぎ取れたイェフコルトは、安堵の溜息を漏らした途端に全身が訴える激痛に頭の中が真っ白になる。
足は慣れない山道で、手は鎧を叩きすぎたせいで、全身は完全に躱し切れなかったガルガレイの攻撃の残滓の蓄積により、焼けつくような痛みが走る。緊張が緩んだことで、脳内麻薬のお陰で感じなかった痛みが一気に知覚されたせいだ。
息苦しさが限界を超え、呼気は血の匂いを纏う。
身体を支えることが苦痛になり、膝が崩れて行く。
両肩は激しい疲労感を訴えるくせに、肘から先の感覚はなかった。手にした武器を取り落とし、拾おうとしても指が動かない。
――くそっ! 結局は相討ちか・・・。
歩くどころか、声すら出せずにイェフコルトは倒れ込み、気を失った。




