第127話 運営始まる
「おおむね順調だな」
「左様にございますな、お館様」
大和は家臣として配属された三人の顔を見て、満足の行った言葉を漏らし、アベイの同意も得られる。
「順調・・・ですか」
しかしデリアーナの声色はやや暗い。それは三人の立ち位置の違いに因る物だった。順調に事が進むと言う事は、結果としてデリアーナは主に捨てられる・・・とまでは言わなくとも、これからの人生において接点を失う。好意を持っている相手と別れるために、嬉々として協力できるはずがなかった。
アベイは単純に主である少年の望みを、叶えることを望んでいる。大和の活躍により、長年付き従った皇帝の抱えた懸念の一つを払えた上に、娘の名誉も取り戻せた。できれば生涯仕えたいという思いはあったが、それよりも主の望みが優先されているだけだ。
大和は、相変わらず自分が日本に還る算段をして行動している。
最近は還ることに意義を見出せなくなったりもしたが、還りたくない訳ではない。主に人間関係では、アインラオ帝国に居座った方が友好的な人間は多い。強いて還りたい理由を上げるのであれば、最近少し日本食を口にしたいと思うことが増えてきたくらいか。それについても、打開策がうっすらと思いついたので、どうにかなるような気もしていた。
現在の状況では「じゃ俺、還るわ」と強引に我を通せば日本に還る事は出来る。ただそれを、あまりにも無責任が過ぎると思い、せめて最低限の責任を果たそうと行動していた。
――ステラがなあ・・・。
居なくなった人間のことをいつまでもグチグチと思っても致し方ないのだが、思わずにはいられない。
だからせめて、彼女の代わりに成りそうな人材を揃えてから、運営を丸投げする算段をしていた。
これで少なくとも、この世界の常識を知り、その上で子爵家を運営する駒は、最低限であるが揃ったと言えるだろう。後は彼らの能力が、満足に足るだけあればいい。満点を取れとは言わない、及第点以上を出せればいいし、全員まだ若いのだ伸び代もある。
例え還らずに・・・もしくは還られる状況が出来上がる前に、領主としてだけでなく、騎士として、場合によっては龍騎士として帝国からの要請を受けることになると予想され、長期間領地から離れることもあり得る。
この辺りは、頼られたら断り辛い日本人の性か、突っぱねられない。だからこそ、そもそも要請の届かない日本へ還りたいと言う願望が生きているとも言える。友好関係に付随する柵を、鬱陶しいと思うこともあるのだ。
――スティルに頼まれると断り辛いんだよな・・・。
それはすでに出来上がっている、大和とスティルの力関係に因る物だ。
しかしそれでも、スティルに振り回されたせいで、領地の運営が出来ませんでしたでは、お粗末すぎる。
その辺りは現皇帝もしっかりと考えてくれたようで、あの三名が配属されたのだろう。その上に、彼らが生活するのに不便が無い様にと、前もって七名に登る女中が送り込まれていた。
彼女らは完全に皇帝陛下付の女中の息のかかった者ばかりで、色々な意味で不安要素は少ない。
「しかし、この屋敷にも一気に住人が増えたな」
「ですが管理運営と成るとかなり厳しい人数にございます」
「女性の数も増えましたしね。皆さん可愛らしい顔の子ばかりでしたね」
デリアーナは笑顔を崩さなかったが、目が笑っていないのが気に成った。確かにアベイの下で手足となって働く女中が七名派遣されている。選出は皇帝陛下直々に行われた大変有難い人事であったので、受け入れざるを得ない。人員的にもかなりギリギリの頭数で、管理する屋敷の規模と、支払える俸給の額を絶妙な分配で擦り合わせていた。
「お前にも手を出していないのに、他の奴に手を出す訳ないだろ?」
「・・・え? ああ、まあ・・・そうですね。ええ、そうですね、ヤマトさん」
手を出せば面倒事に成ることは分かり切っているのに、出す訳がない。
――新興の子爵様ご乱心。雇われメイドにセクハラ行為! とかワイドショー賑わす未来しか見えん。
そんなことになれば、下手をしたらお家取り潰しだ。そうなれば皇帝陛下となったニオルトラートの顔に泥を塗るようなものだし、英雄と讃えられている祖父の名誉も貶めてしまう。
そういう意味で、大和自身の覚悟が決まれば手を出しても大丈夫なデリアーナの存在が、大和の心に余裕を生んでいた。もっともあまりにも失礼な考えであり、扱いであると自覚しているので、態度に出ないように注意していた。
――まあ、それでもバレてるんだとは思うけどな・・・。
その上で、今まで通りの付き合いをしてくれるデリアーナに感謝の言葉もない。そして、それ故に生半可な思いで手を出す訳にもいかなくなっていた。
「そもそもメイドさんが派遣されたのだって、アベイさん一人じゃ大変だからだろ? 広過ぎるんだよ・・・この屋敷は。自慢じゃないが、俺だったら掃除始めても終わらせる自信が無いぞ」
「いえいえ、私めでも一日では到底終わりませんよ」
貴族の位によって、ある程度家屋敷の広さの規範と言うものが存在する。下級貴族が上級貴族よりも大きく豪華な屋敷を持つことは「生意気だ!」と言い掛かりを付けられる騒動の種に成りかねない。とは言え、上級貴族が馬小屋のような屋敷では、馬鹿にされるし、何より下級貴族は馬小屋以下の屋敷にしなければならなくなる。それを回避するために、暗黙の了解として子爵の屋敷の大きさは決められており、ヅィスボバルト子爵の屋敷はほぼ規範通りの大きさだった。
しかし、日本では四畳半の部屋で生活していた大和にとって、ここは広すぎた。
三階建ての洋館に、前庭、中庭、駐車場に馬小屋どころか敷地内に練習用の広場すらある。噴水や観賞用の池に、バラ園、ワインセラーなども恥じることなく鎮座していた。もっともその殆どは持ち出されていたり枯れていたりするのだが、再生する気になればなんとかなりそうではあった。
「俺一人で管理するなら断捨離するわ。いらんもんまとめて全部捨ててやる」
「ですが、子爵様ともなれば、そう言う訳にもいきません」
大きな屋敷を持つ、奇麗な庭園を維持する、煌びやかな宝石を愛でる、旨い飯を食う、多くの女を囲うことは貴族としての力の一つである財力を誇示する指針だ。
大和の感覚で言えば無駄に広い屋敷で、この屋敷を建てたかつての子爵は何を思っていたのだろう。
地下に巨大な空間・・・MSSの格納庫が隠されていた。
――この秘密基地感は、ナイスだね!
と大和も、この点だけは気に入った。金の無駄遣いと叩かれようが、浪漫があるから浪費するべきだと胸を張れる。事実、終末戦争以前の情勢では騎士家ともなればMSSと言うか、魔動機を一機所持するのが当たり前だったそうだ。当主が代々機体と爵位を継いでいく家督だったが、終末戦争でかなりの騎士家の魔動機が失われてしまった。
この地下施設は至龍王にデバイオを格納してもまだ余裕が有る。詰め込めば十機くらいは格納できそうな空間があった。
普通は格納庫を地上に作り、こまめに操縦訓練をするものであるらしいが、このように大規模な格納庫をわざわざ地下に隠すと言うのは、このヅィスボバルト領が如何に特殊であるかを如実に示すものだ。屋敷が亜人たちや妖魔どもの住処であるヅィスタムバーグ大連峰の麓にあるため、緊急時に領主を守りつつ脱出させるだけの戦力を独自で保有する必要性があったのだろう。
領主の乗る一機に、護衛一小隊、殿一小隊と言った戦力配分にすれば生存率は上がるが、子爵の持つ戦力としては過剰になってしまう。それらを普通に地上で管理運用しようとすれば「子爵が国家転覆の機を伺っている」と、要らぬ疑いを持たれる可能性もあるために、地下に隠したのだろう。
現在では残っている機体どころか、碌な機材すらなく整備も出来ないような状況だが、至龍王を手元というか足元に保管できるのは有難い。幾ら側に聖墓があると言っても、緊急時に取りに行って間に合う距離ではない。
――修理が終わったら、ここに運び込んでおくかな・・・。
と密かに計画を立てる。
欲を言えば、ここで修理や整備が可能な人員を確保したいところだ。
「見栄を張り合うのが貴族と言う生き物なんだって?」
「左様にございます」
それぞれの立場によって、生活水準の上限と下限があるのだ。
こうすることで経済が回っている部分もあるので、裕福層の者が贅沢を止めれば、経済が死ぬ。
宝石一つとってもそうだ。金持ちが高い金を払い見栄を張り合うから、宝石の価値が維持され、装飾の質も競い磨き上げられ、工夫も一攫千金を夢見る。もし金持ちが宝石に価値を見出さなくなれば、宝石の加工技術、装飾細工の技巧などが発展しなくなる。金にならなければ、工夫に成りたがる者も居なくなり、当たり前のように産出されている鉄すら不足しかねない。鉄の価格が高騰し、今のような鉄製品の利用が不可能になる。そうなれば経済は簡単に行き詰まる。
金持ちが金を使わないと、経済が回らないのだ。
「・・・俺は、庶民なんだけどな。金持ちの贅沢にしかたって分からんぞ?」
「分を超えた贅沢は身を滅ぼします。幾ら子爵の身とは言え、それなりの節制は必要かと思いますが」
つまりは貴族が庶民よりも優雅で贅沢な生活をするのは義務だ。そして、その義務の中で破綻しないように、遣り繰りする責任が存在する。
七人の女中を雇ったと言う事は、七人の雇用を創出したと言う事だ。
そして、それは大和がすべきことへ繋がる。この子爵領で雇用を増やすことが、領主の務めに成るのだ。雇用を増やし、税収を上げて黒字化させる。いずれはMSSの地下格納庫での運用も可能になるかもしれない。
「人を呼ばないと・・・もしくは呼べないと意味がない。一つは施設などの建設だな、施設の建設自体に人は要るし、保守運営にも人が要る。人が増えれば、その増えた分の商売も増えるな」
宿泊施設などの家屋に、食糧を提供する場など付随する物も多い。しかし、行き成り巨大な施設を建設しても、利用客で埋まることはないし、維持費は莫大になるしで、赤地街道まっしぐらだ。段階的に規模を大きくしていくしかない。
娯楽施設や賭場なんかも必要になってくるだろう。そして人が増えれば必ず必要になるのが、葬儀屋と墓場だ。
「何所にでもあるようなものを作るのは儲けられないのでは?」
「そうだな。この地に有る特色を伸ばすしかないだろう。特色、特色・・・ヅィスタムバーグ大連峰?」
「それしかないでしょうな・・・」
もともと港の無い、内陸の領地であるため海運を活用することが出来ず、製造業で身を立てることは難しい。
と、成れば手つかずの大自然を活用するのが妥当だろう。幸いヅィスタムバーグ大連峰は自然が豊かで、希少なキノコや木の実、、山菜に薬草が取れることは分かっている。ただ、その自生地の保護が出来ていないことと、自生地までの道のりが整備されていないため、採取は基本的に運に因る。何より妖魔の襲撃があるかもしれない地域に入らねばならず、危険度のわりには実入りが無い。どちらかと言えば、境界防衛軍の構成員が警邏として巡回のついでに採取するか、比較的安全が確保されている地域で採取するかの二択しかない。
大和としては、ラニの足が回復すれば、このような採取を依頼したいと思っていた。ハイタラクネの脚力ならば山岳の悪路を物ともしないし、人間よりも圧倒的な積載量を誇る。そして、人間に貢献できれば彼女たちへの悪感情も減るだろう。
「このヅィスボバルト領はとても水が奇麗ですよね? これも大連峰の影響ですか?」
「はい、神官戦士さま。ヅィスタムバーグ大連峰より清流が流れ込んでおりますので、大陸の国家である帝国の中でも、水が清い地でありますな」
大連峰にこそぎ取られるように、通過する雨雲から恩恵が受けられている。雨水や雪解け水も多く、地下水・・・井戸水も元々の量が豊富な為に渇水では余り困った事の無い土地だった。だからこそ豊かな自然が残り、亜人たちが最後の生活圏として大連峰に根差したのだろう。
「山の恵みの天然水とか、温泉なんかで地域振興できないかな?」
製造業が無理なら、観光業と言うのが浅はかな考えだ。
「今までもなくはありませんでしたが、パッとしない結果に終わっております。飲料としての天然水はともかく、温泉は入浴するのに危険が伴うので、余り流行りませんでしたな」
大連峰の奥に入って行けば、そこかしこに秘湯があるらしいのだが、これも現地と道程の管理がされていない。
「湯治に命懸けじゃ、本末転倒だよな」
確かに、温泉でのんびりしてたら、隣に熊が居たとかは洒落にならない。まして、それだけに及ばず妖魔などと言う人類の敵すら出すのだ、態々危険を冒してまで入ろうと思う酔狂は少ない。
「よほどの効能やご利益がなければお客さんは来ないか」
「ユイゼ教にまつわる逸話などもあまりないですよね?」
「はい。何もありませんな」
リウマチに良く効くなんて謳い文句の温泉は有あれど、本当にどれだけの効能があるのか分からない。
宗教的な名所でもなく、取り立てて見るべき物もない。大連峰の中に、昔の神社仏閣があるなら観光で訪れる人も居たかもしれないのだが。
「巧いとこ湯治客でも来てくれれば、少しはにぎわうかな・・・」
だがそれでも、湯治客はあまり派手にお金を使う印象が無いので、そこまで効果はないのかもしれない。
ベルトラムたちは主人との面会の後、女中たちに案内され屋敷内を見て回り、最期に住処として貸し与えられる部屋へと通された。
――他のところの子爵家に比べて、俸給が少ない代わりに出費を抑えるってことかな。
活気がある領地でもないし、そもそも税収は殆どこの領主と関係の無い領域で完結している。
――でも、自分の部屋が貰えるってのはありがたいな。
使用人用の部屋なので、豪華な装飾品はなく、実用性しか考えられていない寝台や机に椅子、箪笥などの調度品が必要最低限備え付けられているだけだ。
それに、今回の家臣への取り立てはベルトラムにとって、まさに渡りに船であり助かったと言うのが正直な感想だった。
騎士家の出と言うのもいろいろと面倒で、次期当主と成る長男とその予備と見なされる次男くらいまでは、剣の腕を磨きつつMSSの操縦士としての資格も取らなければならない。その下地がなければ、親の騎士位を受け継ぐことが出来ないのだ。
国と民を護る名誉ある職業であるため、代々受け継ぎ守っていくことが誉とされる。新興の歴史の浅い家の騎士は、下に見られるし、後継者が居ない騎士家は無能の烙印を押される。
代を重ねること、恒常的に騎士を育て上げる環境を維持することが重要視されるのだ。
そして騎士位は下級貴族の位でもあるため、帝国から年金が支給される。
貴族からすればはした金のような金額だが、一般市民からすれば一生働かずに暮らせる程度の額に成る。その為に騎士位を持つ者は必ず子供に継がせたいと願う。
騎士家の存続には子供の存在が不可欠。子宝に恵まれずとも、養子と言う手段もあるが、人として自分の血を引いている方が望ましいだろう。そして荒事が出来なければならないので、継承者はほぼ男児となる。女児もなくはないが、能力的に向いていないため、男児を望み、結果として子沢山に成る騎士家は多い。妻も一人だけで満足する者もいれば、数人の妾を娶る者もいる。妻の人数は、稼ぎに影響されるので、仕える領主の土地の税収が多い方が良い。
また寄親の中には、寄子が自分より多い妻を持つことを嫌う者も居るため、その辺の見極めも家を存続させる重要な要素の一つに成っている。
だが、任官先に恵まれない子供たちが大量に溢れるという結果に繋がっていた。
子供が就職浪人で大変な目を見ている家もあり、多ければ良いと言うものでもないのだ。
貴族の家の子供の就職先と言うのはあまり多くなく、普通に軍学校に入り仕官するか、国家公務員を目指すか、兄や他の貴族家の家臣団に加わるか、身分を捨てて自由人に成るか程度しか選択肢はなかった。軍事関係の求人は、終末戦争で大量の殉職者を出したので、暫く採用試験に落ちる奴は居ないと言われる時期があったが、その流れも途切れ、求人数も今はただ下り坂だ。戦争もなく殉職者も少ないので、新規で雇い入れる必要が無くなっているのだ。
戦争もなく、疫病も流行り難く成ったおかげで、職の席が空かず、若い世代は順番待ちで大渋滞。
他の手段として、アインラオ帝国にもコンビニエンスストアのアルバイトの求人は存在し、そこで精を出せばどうにか生きて行くことは可能なお金を手にすることはできる。だが、それは一般市民の話で、曲がりなりにも下級貴族がして良い仕事ではなかった。騎士の家の子が“そんな仕事を?”と馬鹿にされるし、平民相手に接客しなければいけないので“やってられるか”となる自尊心を抉らせる者も居る。騎士の出で可能なアルバイトは、交通整理や警備員といった過酷で人の役に立つものか、いざと言う時に持ち前の武力が役立つ職業に限られていた。これも当然、男子に限った話だが。
ベルトラムの生家であるエーベルスト騎士家は、兄が既に騎士位を受け継いでいるため、彼がそのお零れに預かり続けるのは不可能で、当人の性格により軍学校にも入りたくない、入ったとしても軍人への教練課程に付いて行けるか怪しいが、それしか道が無いような状況だ。
公務員試験は縁故採用が幅を利かせているので、超難関の狭き門と化していた。
縁故採用は所謂コネなるが、後継人が能力と人格を保証するために、どこの馬の骨とも分からない、頭の回転だけは良い人間よりは使い易かったり、優秀な成績を残したりしている。その背景には、親の財力と熱心な教育があった。資産のある貴族で子供の将来を憂いた場合、幼少の頃より家庭教師などを付けて専門的な勉強をさせる。これが将来の国家公務員として働くときに必要な技能の習得だったりするので、ただ勉強が出来るだけの平民とは、開始点での地力に差があるのだ。
つまり、貴族としては貧乏な騎士家では、余程の情熱をもって採用資金に挑まなければ、突破は叶わない。
他の貴族も、家臣団は飽和状態で、雇い口などある訳もなく、ベルトラムに残された道は、騎士家の生まれ――兄が名誉の戦士や、事故病気などで命を落とした場合、息子が居なければ弟に継承権が移行する――と言う身分を捨て平民に成って、慎ましく暮らすか、軍人に成ってしまうかの二択だった。
だから、正直助かったと安堵したのだ。
身分は貴族――正確には貴族の子息――から、貴族の家臣と変わったが、生活水準を下げずに済みそうだ。
――それに、女中の女の子たちも可愛かったし・・・。お付き合いとか、期待しちゃっても許されるよね。
収入が無ければ養えないために、今までの学生時代に恋人は作らなかった。国家公務員に挑むつもりで勉強はしてきたために、作る暇がなかったとも言える。
職を手にした今であるなら、恋人を作ることが許される。ある程度の身分の者に成れば、恋人は婚約者と同義であり、結婚の前提条件としてお付き合いするのだから、慎重に良い子と巡り会いたい。
などと空想をしていたのだが、その青い欲望は一瞬で打ち砕かれた。
「やめておけ・・・というかな、やめておいた方が良い。私たちの為にもやめておいて下さい」
その日の夜、夕食を頂き自由時間に成った時に、クヌートから親睦を深めるの為の飲み会をしようと言う提案があり、彼の部屋に集まった。その場の人間は、部屋の主であるクヌート、少年騎士イェフコルトにベルトラムの三名だ。
「ええーーーーっ! なんでですかぁ?」
若干酒が回り、気分が良くなってきたところで、恋人の話に成り、女中が可愛い子が多くて良かったと零したら、即座に叩き潰される。
「ん? ははぁん、わかったぞ! 全員お館様の御手付きだってことぉ? だから粉掛けるとまずいんだぁ!」
「まあ、そうならもっと気楽で分かり易かったんだがな・・・」
クヌートはやや絡み酒の気のあるベルトラムの扱いに辟易しながらも、丁寧に相手をしていた。ちなむにイェフコルトはワインを葡萄ジュースで割った、極薄い物を飲んでいた。ワイン程度なら既に飲酒は許可されているが、完全によってしまう訳に行かない、彼流の職務に対する真摯さであると受け止められる。
「女中のまとめ役はシュタイン伯爵家の七女様で、女騎士として叙勲されるかもしれないと噂の有った方だぞ?」
「流石騎士殿、分かってらっしゃる。他にもノルドハイム伯爵家、カイザーリ子爵家、ヴァルネファ男爵家のご令嬢も居られたな・・・つまり、女中として俺たちの身の回りの世話をしてくれている彼女らの方が身分が高いんだ。迂闊に手を出して見ろ、実家の方に咎が及ぶ」
貴族の娘でも、母親の序列が下の子に成れば政治的な価値も弱くなり、嫁ぎ先が減ってくる。そうなると手に何らかの技能を持っていれば選択肢が増えるのも当然であり、花嫁修業の一環として女中を経験させることは珍しい事ではない。
女中育成学校のような教育機関も存在しているが、こちらは一般市民の娘なども入学が可能であり、どちらかで言えば商人の娘とかが入学して技能を学ぶ。ここの卒業生であるなら問題はなかったのだが。
花嫁修業中に娘が傷モノにされた親の心情は、どれほどの怒りに染まるだろうか。
「・・・・・・ほんとうに?」
「嘘を言ってどうする。まあ、私は一応止めたからな、好き勝手やって自爆しても構わん。お館様の耳にもそれとなく入れて、無関係だと白を切ることにするからな」
「うわぁずるい」
「ずるくはない。最低限の情報は開示しただろう? まあ、そちらの騎士殿はぎりぎり問題にならないだろうが、私とエーベルスト君は駄目だ」
大和の耳にも話を入れると言うのは、雇い主の管理不行き届きや指導不足を指摘されない為の予防線だ。指導したり、注意をしたが無視されて暴挙にでられたと言う体裁を作っておくことで、現在に主への咎も最小限にとどめる腹積もりだった。
逆に、お館様に傷モノにさせて、責任を取らせると言う事を望んでいるはずだ。
そうすれば、妾なり内縁の妻なりの立場で子爵家に食い込むことが出来るからだ。女中たちも自分らの好意を押し付けられても、邪魔にしか感じないはずだ。
「俺はいいのか?」
「お館様と奪い合いにならなければな。君自身が騎士位を持つから、女中の親御さんもぎりぎりで許してくれるかもしれない」
「おいおい、それでも博打じゃねーか!」
クヌートも実際はダナー男爵家の八男であるため、相手も男爵家の出までなら許されるかもしれなかったが、その辺りの隙間を縫うようなすり合わせが必要な付き合いと言うものを、求めていない。
「お嫁さんが欲しいのは分かるが、その嫁になのを求めているんだ? お館様の女中をやっていたと言う箔が欲しい訳じゃないだろう?」
「俺は・・・騎士位があるからな。嫁さんは取り敢えず、元気に子供を産んでくれそうな娘かな。浪費癖は無い方が良いな。見てくれや性格は良いに越したことはないが」
イェフコルトの意見はバルアリッテ騎士家を尊重した意見だ。世継ぎのいない騎士家ほど惨めな物はない。
「僕は・・・やっぱり性格ですかね。可愛くて優しい娘が良いです」
「「普通だな」」
醜くて憎らしい娘を好んで愛する男は、ただの被虐趣味だろう。
「ぐ・・・じゃ、じゃあ。ダナーさんは?」
「ん? 私か? 私が妻に求めるのは性能だな。容姿や性格に多少の難があろうとも、家事を熟し、家を守る能力がない娘は遠慮願う。作る飯が不味いとか、碌に洗濯も出来ないとか娶ってみろ、地獄だぞ」
どこか体験談のような生々しい怨嗟を漏らしながら、クヌートは懊悩した。今のご時世、携帯や即席食品と言ったものも普及しており、食うだけならば料理が全くできなくとも可能なのだが、世の中にはそれすら残飯にしてしまう特殊能力者と言うものが存在するのだ。
「世の中には膨らんだ缶詰を食べごろと称する奴もいるんだ・・・気を付けろよ」
二人は絞殺される鶏のような気分になり、舌を出した。
「それよりもさ・・・」
「いやいや・・・」
「ハハハ・・・」
当初の目的は達成できたようで、三人は男同士腹を割って語り合い、夜は更けて行く。
その部屋の明かりは、夜中まで消える事はなかった。




