第126話 家臣がきた
結局、新ヅィスボバルト子爵家臣の公募は行われなかった。
当の子爵様が、その行いの必要性を全く理解していなかったからだ。そして皇室の主導により、非公式に当該者を直接指名すると言う例外的な措置が取られた。
さらに、その人選も特殊性が強い。
厳選された人事か、適当に押し付け合った結果かは分からないが、子爵家を運営するにあたって必要と思われる人間が選出された。彼らは家令であるアベイの下で研修を兼ねて実務を行い、将来的に子爵家を支えて行く人材になる。
子爵家の執務室に併設されている客人用の待合室で、三人の男性が緊張した面持ちで、仕えることになる主の声を待っていた。
一人目は、クヌート・ダナーと名乗る青年。
濃茶色の髪を丁寧に撫でつけた長身の青年で、二十歳を超えて落ち着きが身に着き出したような印象を受ける。待合室にもかかわらず部屋の隅で背筋もピンと伸ばし、声が掛かれば即座に対応できるように心掛けているようだ。丸眼鏡を付け、折り目の正しい執事服を着こなしており、几帳面さを窺い知ることが出来る。眼光は鋭く、立ち居振る舞いから隙を感じさせない。
元々のクヌートの上司は、少数存在していた第二皇子派の貴族の家臣だ。第二皇子が皇帝位に就いたため、子飼いの人間を子爵家の中心に据えるための人事なのだろう。現在子爵家家令の座にいるアベイの教育を受け、次期家令として鍛えられていくことになる。
――内側から子爵様を監視・・・あっ、ちが、管理して行こうって思惑だよね。
新皇帝陛下と子爵様は仲が良いと言う話なので、その関係を維持するための重要な役割を担う。皇帝陛下も折角の縁を捨てたくはないのだろう、他の思想に染まった人物に影響されても困るのだ。
二人目は、イェフコルト・ダン・バルアリッテ卿。
騎士位を持つために、子爵家の家臣に推挙された中では一番位の高い人物だが、それを無にしてしまう程、服装の乱れが酷い。
騎士の平服の襟元のボタンどころか、第三ボタンまで外しているし、何よりシャツも洗い晒しなのか皺くちゃだ。ザンバラ髪も、碌な手入れをせずに伸ばし放題で、まともな騎士位を持つ人間の身だしなみではない。
ただ、その姿も“だらしなくて不潔”と言うよりは“野性的”と形容できる範囲に収まっているのは、本人の人徳に因る物だろう。つり上がった太い眉毛に対した垂れ目が、特徴のある顔立ちだ。左右の眉と目を斜線で繋ぐと、眉間の辺りで交差する×の字に成る。
ガリガリと粗野に頭を掻きながら、熊のようにぐるぐると部屋の中を何周か回り、気が済んだのか扉の側で足を止めた。射竦めるような眼光で、辺りを見回すことを止めないが、腰を落としてやや猫背気味でズボンのポケットに両手を突っ込んでいるため、街の不良少年が辺りを無意味に威嚇しているようにも見える。
帯剣を威嚇程度で抜き放つような、短絡的な馬鹿でない事を祈るばかりだ。
「あ、何見てんだ?」
「え? ああ、その、ごめんなさい・・・」
「何で謝る? 何か疚しい事でも考えていたんじゃねーだろうな?」
彼はもともと第一皇子派に属していた寄親から出向を命じられた人物だ。第一皇子殿下は持病が悪化し人前に出られるような健康状態ではなくなったそうだ。生涯隔離病棟で静養することが決まり、その支援貴族たちは、不意に担ぐべき神輿が無くなってしまった。
そしてこの神輿を担ぐにしても、地獄の底まで付き合うような一蓮托生の忠義ではなく、この人なら自分たちに都合の良い儲け話をくれそうだと言った程度の思惑で支持しているだけだ。その為に、他の派閥に属しているからと言って、敵対していた訳ではない。順番待ちの列に、ここが早く進みそうだと並んだが詰まってしまい、他の列に並び直す程度の感覚と言える。
直臣たる貴族ならともかく、その下っ端であるなら、その程度のこだわりしかない。寄親が「この列にしなさい」と進めてきたので、従っただけ。
それでも世間体と言うものがあるため、ホイホイとその日の気分で並ぶ列を変えられたりしないが、今回は並んでいた列が急に解散させられたようなもので、他の列に並び直すことを悪い事だと考える人間は少ない。
確信的な支持者から言わせれば、裏切り者と言われるかもしれないが。
彼の出向も、今まで形成されていた各派閥を解消するための試金石の一つなのだろう。
そして騎士位であることから、自身の戦闘能力が高く、恐らく子爵家の護衛役として仕えることになる。そういう意味では彼の言葉は職務に忠実であり、評価すべき態度かも知れないが、正直に怖いのでやめて頂きたい。
「騎士殿、やめたまえ。怯えてしまっているだろう?」
「敵を排除するのが俺の仕事だ」
「君の行いは身内を害するものだぞ、それともその分別も付かない田舎者かね、君は」
「んだと! こら!」
イェフコルトは火を吐きそうな形相で睨み返し、彼の好意を窘めたクヌートは氷のように表情を変えずに受け流す。
この二人は、本質的に合わないのかもしれない。
そして、三人目であるベルトラム・エーベルスト。
橙色がかった茶髪以外、あまり目立たない中肉中背の少年。年齢的には青年と呼ぶべきかもしれないが、全体的に醸される幼い雰囲気がそぐわなく感じさせる風貌だった。
自分の風貌をあまり好ましく思っていないので、どうにも自信が付いてこない。
待合室の椅子に所在無げに腰を下ろし、胃を絞り上げるような緊張感と戦っていた。仕えるべき主に面通しするために待たされているのだが、他の二人はそれぞれに自分の役割を把握し、それに沿った行動を取っている。ベルトラムは今の自分にできる、職務上の相応しい態度と言うものが分からずに、かと言って他の二人と同じように立っているのも違うと感じ、判断に迷っていた。だからふと、迷いなく既に職務に忠実な二人を目で追っていた。
彼自身は、第三皇子派に属する貴族の家臣の家臣、陪臣の出だが本来一番場違いな人物だと感じていた。
第二皇子が皇帝に即位されたので、クヌートの取り立てはある意味で、正当な昇進だ。第一皇子派のイェフコルト卿は、皇子のお立場からの救済的な人事とも取れるが、第三皇子派は言ってしまえばまだ生きている政敵の派閥の人間だ。今更、現皇帝派に転じて支持を表明しても、実入りは少ない。その為に、現皇帝が何らかの理由で倒れた場合の予備として、第三皇子派は雌伏に耐えなければならない。第三皇子派の原理的な連中は、現皇帝が偶発的な理由で退位することを狙っているはずだ。
そんな爆弾足り得る人間をわざわざ雇うには、強固な必要性がいる。
ベルトラムには兄が居り、兄は騎士位を継いでいた。そして兄と子爵様が、支持派閥の枠組みを超えた仲であったらしいので、そのお零れに預かったと言うのが、今の境遇なのだろう。
恐らく、皇室が第三皇子派の人間を入れたのは、公平ではないと非難されないための安全策で、自分が選ばれたのはある意味で兄と騎士位が人質として機能しているからだ。
「彼は子爵家の経理に携わる人物だぞ。敵に回せば子爵様に次いで恐ろしい存在だ。そんな彼に敵対的な行動をとり、覚えを悪くするのは田舎者と言うよりは馬鹿者と言った方が相応しくなる」
「・・・ぐ! きたねぇ!」
「ええっ? 僕は何もしてませんよね?」
何か、鬼気迫る形相でイェフコルトに睨まれてしまうが、そんなつもりはまだないので勘弁してほしいと、ベルトラムは思うのだった。
年齢的にはクヌートが新社会人、ベルトラムが大学生、イェフコルトが高校生くらいの雰囲気と順列だが、三人の力関係はそれと比例しないことになりそうだ。
――恐らく僕が担う仕事は経理のはず・・・。
子爵領を運営するにあたって、その財布を管理する仕事だ。当然、雇われている人間の俸給も管理することになる。
――でも、気に入らないからって、勝手に俸給額を変えて良い訳じゃないんだけど・・・。
だからイェフコルトが睨むのだ。彼だって俸給が出なければ飢えてしまうが、その俸給の額の操作を自在にできると思われて、彼の生活を人質に取ったと思われたのだ。
――でも、それがバレれば・・・兄さんの騎士位が改易されるかもしれないんだ・・・。
子爵様と兄が親しい仲・・・友人と呼んで差し支えない間柄であったために、その弟であるベルトラムが大抜擢されたのだ。その恩を仇で返せば家名が傷付き、最悪の場合は子爵家に仇を成すためにすり寄ったと、兄の立場自体が危うくなる。
これがまだ、同じ派閥に属していた人間へ行うのであれば、仲間に厳しく処罰したと取って貰えるかもしれないが、違う派閥の人間へそんなことをすれば、職権濫用と見なされる。公正に、規程通りの仕事でなければならない。
好き嫌いの感情だけで仕事は出来ないし、嫌いな相手とも協力して仕事を進めるのが大人の対応だ。それに恩を受ければ、恩を反そうと思うのが普通の人間の態度である。
「仲良くなるのは後でも構わないだろう。無駄に敵視せず、まずは仕事を第一に考えればいい」
「・・・分かっているさ」
「経理が僕の仕事だって、まだ決まった訳じゃないですよ。もしかしたら警備担当になるかもしれないですし、あ、一応騎士家の生まれですから、可能性はあると」
「ないな」
「うん、すまない。私にもあるようには見えない」
「そんなひどい」
ベルトラムも、本当にそんな可能性は天変地異の前触れくらいでしかありえないと思っていたが、頭ごなしに否定されるのも業腹である。
「毎日の鍛錬も行っているんですよ」
騎士家の嗜みとして、幼い頃からの剣の鍛錬は日常だ。騎士家の息子が剣を握れないのは恥でしかなく、警官の息子が泥棒と言うくらいに家名を傷付ける行為になるのだ。
「どう考えても、この中で最弱はお前だろう」
「悪いが私も同意見だ。君の剣の腕前を貶めるつもりはないが、君の性格上荒事には向いていない」
イェフコルトにクヌートの二人は、ともに良く体を鍛えており、その二人からすればベルトラムはお遊戯と思われる程度でしか無いようだ。それでもベルトラムの剣の実力は、街に出る不良少年程度なら十分にあしらえる力はある。ただし、不良少年に怯えず的確に行動できるという前提が必要になるが。
「三人ともじゃれ合うのはそこまでに、お館様が御呼びです」
不意に子爵家の家令を務めているアベイより声を掛けられ、三人は驚きの表情を浮かべた。直後に二人は、己の力量の無さを恥じる顔を浮かべる。
その二人の反応を見て、そんな反応すらできない自分は確かに最弱なのだなと、少しだけ悲しい気分になった。
緊張に顔を強張らせたまま、執務室に案内される。
部屋に入ると、正面の机に領主である少年――大和が座り、その斜め後方に神官戦士が控えていた。
「えー、現在ヅィスボバルト子爵領を預かっている、ヤマト・ダン・ケイペンド・シャグ・ヅィスボバルトだ」
正式に子爵領を預かる身に成った大和は、長くなった帝国での通り名を言い難そうに紡ぐ。龍騎士であるグンと、本来の姓であるカゲサキは面倒事が起こると想定されたので、基本的には使わない方針だった。
「バルアリッテ騎士家当主イェフコルト。我が剣をお館様の為に!」
間髪入れずイェフコルト片膝を着き、騎士としての礼を尽くした忠義を捧げる。
目上の者が先に挨拶をするのは、本来の礼節ではないため、大慌てで臣下の礼を捧げる。
「クヌート・ダナーと申します。この度は取り立てて頂き、感謝の言葉もありません。せめて誠心誠意お仕えすることで感謝と代えたい所存であります」
本来は目下の者が名乗り、それに答える形で目上の者が名乗るのが一般的だ。まして今回の相手は雇い主である、雇われる側としては知っていて当然と思われる知識だ。それをわざわざ名乗ったと言うのは、やはり召喚勇者であり、帝国の礼節を知らないのだと納得してしまった。
「べ、ベルトラム・エーベルスト、です。よろしくお願いします」
駆け込み気味に名乗りを上げた二人に追い縋るように名乗る。横顔を盗み見れば、二人の緊張感の険がきつくなっていた。
「以上三名が本日より子爵家の家臣に加わります」
「領主としては至らないため、幾つかの事が丸投げに成ると思うけど、こちらこそよろしく」
全然偉ぶった事を言わないのが、逆に拍子抜けしてしまう。年下でも貴族様なのだ、いや、年下だからこそ、無茶を言ってくるかと思い身構えていた。
「ダナー君には、私の下で執事としての職務を学んでもらうのと同時に、お館様の名代を務めて頂くこともあり、実質的な子爵領運営の統括の任に着いて頂きます」
「と、統括ですか? 責任重大ですね・・・」
「辞退しますか? 今ならば、まだ可能ですよ」
「い、いえ! 折角の機会、望外の期待、全力で務めさせていただきます!」
名代ともなれば、領主宛の書類を目にする機会もあるだろうし、公的に領主と同等の権限を持って発現することもあり得る。機密情報を見てからでは拒否権は行使できない。
「バルアリッテ卿には警備長を務めて頂きます。屋敷の警備と、場合によってはお館様の護衛任務に就いて頂きます」
「拝命します。・・・護衛任務がおまけみたいな扱いですが」
当然それは疑問に感じるところで、イェフコルト自身も不満を声に滲ませている。
子爵として家臣に騎士が居ない事は世間体的に拙いからで、特に主人を護るように言われないのは、形だけの存在で良いと自尊心に傷がつく。
「直接的な護衛には従卒たる私が付きます。バルアリッテ卿はお館様の帰るべき家をお守り頂きたい」
子爵様の後ろで沈黙していた神官戦士が、捕捉を口にする。護衛とは名ばかりの後方支援に徹しろと言うのだ。
「それに、バルアリッテ卿もお判りでしょう?」
「・・・確かに、了解した」
そして自分たちの言葉だけで不満を飲み込んでいった。
「エーベルスト君には経理を担当して頂きます」
それは順当に、自分の能力に見合った仕事なので、大きな不満はない。
「手始めにまずは、子爵邸の管理運営をお任せすることになります。子爵領の運営は、都市長と代官が代行しておりますので、そちらとの折衝を経て、将来的に子爵家に返還させる予定です」
「そう言う訳で、基本的には任せることになるから」
と思ったら、随分と大きな責任と権限を丸投げされ、思わず顔を引きつらせる。
「あ、あの、自分の能力を超過していると・・・判断した場合は・・・」
屋敷の運営だけならどうにかする自信はあった。
基本的に子爵領での税収は都市長に管理を委託されており、集まった税金の一部が子爵領の運営費と言うか、子爵邸の管理費として子爵家の所得に成っている。委託した仕事が、段階的に子爵家に戻されるにあたって、収入も増えて行くが、当然仕事も鰻登りの青天井で増えて行く結果に成る。
「人事に関して全権を委ねられませんが、経理として費用対効果の面で承認できれば上申して下さい。可能な限り要望を受け入れた人員の補充は致します」
諜報員や刺客の可能性もあるため、流石に審査は厳しいようだ。それに手が足りないからと、自分の補佐を無駄に増やして、財政を破綻させない為の縛りは存在するようだ。
「分かりました。鋭意、努力いたします」
子爵領と言うか、子爵家の収入は、この三人を雇うので精一杯と言う事なのだろうし、逆に考えればそれだけ仕事が無いともいえる。
こうして取り敢えずと言う形ではあったが、新ヅィスボバルト子爵家に三人の家臣が出来た。




