第124話 ラニ
――私はハイタラクネと呼ばれる種である。名は先日『ラニ』と付けられた。
人間を繁殖の道具か、食糧としか見ていない妖魔たちは、徒党を組んで生活している。それらが人間に害をなすので、ハイタラクネたちはそれを妨害する。彼女らは女性しか存在しない種族で、繁殖には人間の男に協力してもらう必要があるからだ。
人間が急激に強大な力を手に入れたため、今までのような妖魔たちは好き勝手に人間を襲い繁殖すると言う事が出来なくなった。迂闊に襲い掛かれば、簡単に返り討ちに会うからだ。
そういう意味でハイタラクネのような女性のみの単性種は運が良い。男性の胤を貰えれば繁殖が可能だからだ。人里から攫って来て、用済みに成れば食べてしまったり、種の共有財産として住処に囲っていたりしたが、それが出来なくなっただけで繁殖のための障害は余り大きくならなかった。
それ以外にも、人間の協力が得られたり、恋仲に成ったりして胤を貰うこともあった。
一晩だけの番い、夫婦に成り子を授かるだけで、人間側の負担は極少ない。
逆に男性のみの単性種は、種の存続が一気に厳しくなった。
妖人として人に紛れて暮らせる種族はさして痛手ではないが、身体の大きさが違い、出産と同時に母体がほぼ死んでしまう程の赤子に成る種もいる。彼らは可哀そうだが、知性があっても共生が不可能であるため、妖人には成れず妖魔と呼ばれたままだ。
――それはいい。
種の生存本能に従い、人間に害をなす妖魔を殺すことに抵抗は感じない。
先日も妖魔たちが一丸となって人間の街に襲い掛かったので、これを阻止するために介入した。彼らは妖魔の中でも最下級に属する魔物であるが、縄張り意識も強く、徒党は組んでもあのような大群を組むことは珍しい。
特に強い個体が誕生したのだ。
所謂“王”とか“主”と呼ばれるような強力な個体が稀に誕生すると、あのような大群を動員し襲撃を仕掛けることが可能になるのだ。それは津波のように襲い掛かり、全てを食らい尽くして行く。
それを阻む術は二つ、正面から全ての妖魔を討ち滅ぼすか、統括している親玉を殺すかだ。
流石に数が多過ぎて、全滅は狙えなかったので、親玉を討ち取るために強襲を仕掛け、足を二本犠牲にしたがこれを成し得た。だが問題が生じた、親玉と双璧を成す準親玉と言うべき個体が居たのだ。強さ自体は親玉よりも劣っているようであったが、ハイタラクネは疲労と負傷により後れを取ってしまう。
結果、足をさらに二本失い、その命を・・・いや、あの妖魔は弱ったハイタラクネであるラニを襲い繁殖しようとしたのだ。別種の妖魔同士が子供を作った場合、基本的に男親の複製が生まれる。ラニからすれば、殺されるよりも非道な行いだ。
だが、一人の少年剣士がそれを許さなかった。
一刀の下に、妖魔の首を刎ねた。
――かっこよかった・・・。
その剣速は、あまりに早過ぎてとても追い切れなかった。
ラニからすれば、危機を救ってくれた勇者。ユイゼ教の教えに従い生きてきて事を、神の意思で救いの手が差し伸べられたと思えたのだ。少しばかり雲行きが怪しくなりかけたが、結果的には回復魔法により全身の傷を癒して貰え、二本の足も回復して貰えた。
そして、一命は取り留めたものの、掟により住処から去らねばならなくなった。
妹も成長具合も十分だと確認できたし、心残りは随分と軽くなった。
どうせなら死にたくない、出来れば子供を産みたい、という生存本能だけが残ったが、それが叶うかはこの先の運に因る。
そして、あの少年剣士に呼び止められ、傷が癒えるまででいいから、この炭焼き小屋を使ってくれと案内された。
――でもこれ、どういうこと?
ハイタラクネが気に入った男を巣に囲うことはあった。
――つまり私に子供を産んで欲しいってこと? キャーーーーッ!
気分が高揚し、自ら作り出した淫らな妄想に身悶えする。その時妖魔から救ってくれたことも、それが目的なら喜ばしい事だ。人間の男に気に入られると言う事は、妖人にとっては勝利に等しい。
――足が治るまでって・・・結構な時間がかかるから、ひょっとして治るまで何回も?
そうなればこの一帯は、自分の娘たちの縄張りで覆い尽くされる。子孫を存続させると言う、生命としての宿願を果たした上でお釣りがくる。何よりあの少年剣士は強い、ハイタラクネである自分よりもだ。妖人であるハイタラクネの子は、父親の強さを受け継いで生まれるために、娘たちは確実に自分より強い個体に成ると推測できる。
――これが、人間の為に頑張ったご褒美なのですね。
有頂天に喜びに悶えていると、足音が聞こえた。
地面に接した足の先が、彼の歩く時に出る僅かな振動を拾い上げたのだ。神官の女もいるが、特に不快感は覚えない。彼女は、瀕死の重傷を負った所を回復魔法で助けてくれた恩人なのだ。それを蔑ろに出来るほど、恩義に鈍くない。
「ラニ、居るか?」
炭焼き小屋の戸を叩き、少年が声をかける。
ラニの逸る心は既に冷静さを吹き飛ばし、激しい動機に震える手で恐る恐る戸を開けた。
「・・・・・・はぃ・・・」
出迎えの声は、恐ろしく小さい。淫猥な妄想が脳裏を駆け巡り、淫らな期待に緊張して巧く喋れないのだった。
少年騎士はヤマト、神官はデリアーナと普通に名乗り、友好の印として更に食糧の差し入れをしてくれた。
ラニの千切れた足の根元に、デリアーナは回復魔法を掛けると、僅かずつであるが細胞が盛り上がってきているようだった。
「今日は少し聞きたいことがあって来たんだ。ラニは武器を使わないのか? それとも使えないのか?」
戦闘では蜘蛛の足で走り回り、その逞しい足で敵を蹴りつけていた。アラクネは、コガネグモやジョロウグモと言った感じだが、ハイタラクネはハシリグモやアシダカグモと、近い蜘蛛の種類が違う。その為か巣を張って待ちの戦法は取らない。
糸で動きを封じながら、蹴りで弱らせ、毒液を打ち込み止めを刺すと言った戦法を取る。
だが、人間の上半身が付いているのだから、武器を使えばもっと楽に戦えるだろうと言うのが、大和の考えだった。
ただし上半身の大きさに対して、下半身の蜘蛛が大きく足も極端に長いので、人間が使える大きさの刃物ではとても敵にまで届かないし、届くほど長い刃物では重すぎて振り回せないと言う欠点もあった。
武器を持つのであれば、長い槍が無難だと思われるが、今度は木々の合間を縫うように走るには邪魔になってしまう。
「そこでだ。弓とか弩とか持ってきた」
近距離の格闘戦に成れば、結局蹴りの方が早くて強いと言う結論に達するため、蹴りの間合いの外を狙える跳び道具が相応しいと思う。
「・・・あまり・・・使った・・・こと・・・ない・・・」
弓や弩は、飛び道具の武器では主力ではない。今では、趣味や拘りで使い続けている人も居るには居ると言った程度で、需要が極端に低下した結果、矢の単価も非常に高くなっていた。自作することも可能だが、やはり職人の造り上げたものと比べれば、精度が落ちる。
「飛び道具で武装すれば、足の怪我で低下した機動力を補える筈だ」
日本の和弓のような大型の弓は、結局邪魔になるので、取り回し優先で小型の合成弓か弩が適当だろう。
技量により連射が可能な弓か、威力に重点を置いた弩。どちらがより好みに合うかで選んでもいい。
「一応こういうものも持ってきた」
そう言って大和が取り出したのは、拳銃と短機関銃だ。
ゴトリと鉄塊に相応しい重量で、床を鳴らす。
「火薬とか、文明アレルギーだと使えないけどな」
エルフと呼ばれる亜人種は、鉄と火薬の文明を嫌ったため、今では蛮族と蔑まれるほどに没落してしまった。だがラニにはさほど抵抗感はなかった。共闘してくれる防衛軍が基本的に装備している武器だから、未知の恐怖と言うものはない。ただ、使ったことが無いために、不安がっている。
その威力も良く知っていた。怖さも。
子供でも簡単に妖魔を仕留められるようになる武器だ。
強い武器を扱えば、護れる命も増える。ならば、特に躊躇う理由もない。
「・・・使い・・・かた・・・と・・・練習・・・できる?」
ハイタラクネの腕の筋力はかなり強い。しかし、それでも車両に搭載するような機関銃などを抱えて歩き回れるほどではないため、使える銃器は人間のそれと大差はない。
だが、人間にはない利点が二つある。
それは下半身が蜘蛛であるため、高速で走行しても上半身を揺らさずに走ることが出来る。人に例えるなら、騎乗の状態で馬が人の意思で自在に走ってくれるようなものだ。高速移動と安定した射線というだけで十分に凶悪だ。
もう一つは、下半身の蜘蛛の部分が上半身の人間の部分と比べ大きいため、弾薬の保持量と言うものが桁違いに多い。常人の5~6倍の装備を持っても、手ぶらの人間よりも素早く動けるだろう。
銃器による射撃戦で敵の頭数を減らし、弾が尽きたり懐に入られたりした時の緊急回避として格闘戦も可能という、起動歩兵化が、ハイタラクネをより強力な戦力へ昇華する方法だと大和は提示した。
銃以外にも、榴弾や噴進砲なんかを運用すれば、殲滅能力も向上できる。
「あ・・・あの・・・わたし・・・やって・・・みたい・・・」
「そうか。期待している」
ラニにとって大和の行動は理解できないものではなかった。強者が弱者に武器を与えると言う事は、功績を讃えた褒美であり、配下として仕えろと言う意思表示だ。
つまりは、先の妖魔戦の健闘を讃え、傷を癒す間の衣食住を見てやる代わりに、戦力として貢献しろと言う事だった。
――ありがとう。私はまだ戦える・・・。また戦える。
別に戦闘狂であるつもりはなかったが、今のハイタラクネと言う種は人間のために戦わなければ繁殖できない。まだここで、人の住む街の片隅で戦わせて貰えると言う事は、その機会が巡ってくる希望に縋れる。
この人の領域から離れ、当て所もなく彷徨った先の末路と言うのは、容易に想像できた。恐らく先達と思われる屍を幾つも見てきたのだ。自分もその列に加わるしかないと、少し気持ちが沈んでいた所だを、救われたような多幸感に浸る。
少年の声も足音も、仕草も強さも、硝煙の煙たさや銃身の冷たさすら、ラニの気持ちを高揚させていた。
どうせ散るのであれば、希望に縋り散るのも良い。絶望に嘆いて屍を晒すよりは、何倍も良い。
そして少年の為に散るのであれば・・・。
「ヤマトさん。・・・彼女に、ラニにあれだけの武器を渡しても良かったのですか?」
子爵の屋敷に帰るなり、デリアーナは心配そうに問いかけた。
「必要な事だろう? 何より折角ある武器だ、使わずに怪我を負うのは馬鹿みたいじゃないか」
核兵器のように、使うべきではないとされている武器とは違うし、当人が問題ないと言うのだ、構わないだろう。
デリアーナは外套を脱ぎ、少しばかり気の弛んだ装いで、大和の腕に体を寄せる。
――あったかくて柔らかい感触が腕に・・・、おおおっ! 女の子の良い匂いもする。って、いかん!
「デリアーナ、近い」
「ヤマトさん。ラニに、ハイタラクネに誑かされてます」
ハイタラクネは卵生であり、哺乳類ではない。半人半蟲の妖人――元魔物だ。蜘蛛の頭部から生えている女性の上半身は、人間の男を誘惑するための器官であり、その為にとても美しい造形をしている。
「良いおっぱいがあれば拝み倒したいと思うのは、男の本能のようなものだろう?」
「知りませんよそんな事! ああ、もう! ヤマトさんは馬鹿なのですか? お・・・乳房がありさえすれば、良いと言うなら乳牛でもお嫁に貰えばいいじゃないですか!」
「デリアーナ。人間と乳牛は結婚できないぞ」
ユイゼ教で、そう言うものは禁忌として扱っているはずだ。
――妖人相手じゃ違うかもしれんが。
禁忌を推奨するような言葉を吐くと言う事は、言い逃れのできない禁忌を犯させて断罪しようと言う腹か?
「デリアーナの懸念も分からなくはないけど、そんなんじゃないから」
悪辣と非難されることを厭わず言えば、自由に使える戦力が欲しかっただけだ。しかも失っても誰からも文句が出ない、後腐れの無い所も評価点だ。
もう少し言葉を繕えば、自分で選んだ信頼できる戦力が欲しかったのだ。
「万が一にも、ラニがあの銃器で人に害を成す可能性は?」
「ないな。そのつもりがあればもうやってるだろ? 無作為に人間を殺すつもりがあるなら、もう結果は出てると思うけどな」
「・・・ですが、銃を渡すのは」
塩を送り過ぎだと言いたいのだろうが、その事も全く考えていない訳ではない。使えば弾丸を消費してしまう銃は、強力ではあるが万能ではなく、弾が切れればただの錘だからだ。そして、弾が手に入ればまた強力な力が復活すると言う思いがあれば、その枷に成った鉄塊を捨てることは躊躇われる。
「武器を渡せば武器に頼ろうとしてしまうのは、本能のようなものだ。逆に言えば同じ武器を扱う以上対策を立てることは可能なんだよ。それにラニは弾丸を独自に入手する方法が無い。ラニが裏切って敵対しても言う程脅威にはならないと思うぞ」
弾丸を適度に制限して渡すことで、街の外に脅威を育てたとは言えない状況を出来る。理性の無い獣では駄目だが、相手は知性のある妖人だ、こちらの思惑も理解してくれれば無茶はしないだろう。
「それに妖魔に襲われれば殺される危険性はあるんだ。少しでも生存率は上げてやらないと」
前回の妖魔との戦闘時、親玉と接敵した時はほぼ無傷で、足を二本犠牲にしてこれを討伐している。そしてその後も準親玉と戦闘して足を二本失い、結果としては敗北していた。
つまり足が六本しかない現状では、準親玉程度の強さの妖魔に殺されてしまう可能性が高い。
さらに言えば、当時は脳内麻薬などが過剰に分泌され、二本の足を失った損害と痛みを無視することが出来ていたのだと思われる。だが、一度戦闘から解放され、精神が高揚状態から安定してしまうと、恐らく前回のようには戦えないだろう。
武器が無ければ、準親玉に次ぐ程度の強さの妖魔、準々親玉くらいの強さの妖魔にすら敗北する可能性が高い。
「ヅィスタムバーグ大連峰を支配するには、使える戦力は使わないとな」
「しかし、ヤマトさんの最初の兵がハイタラクネと言うのは・・・」
「風変わりで良いじゃないか。それに、最初が蜘蛛ってのは定石でもある」
大和の構想としては、子爵の諸侯軍に妖人で構成された部隊を作りたいのだ。
その目的の真意は浪漫である。
体外的には、ヅィスタムバーグ大連峰が人類の勢力圏に収まらない理由として、妖人を始めとした、獣人や亜人が非協力的だからだ。戦力の数が足りず、彼らも自分たちの住処を失いたくないから、妖魔などの外敵とはともに戦ってくれるが、それ以外の交流は少ない。
将来的に協力を取りつけるために、新しい領主は妖人などにも理解があると主張していく必要性を感じたためだ。
「領主が法に背かない限り、人間も妖人も同等に扱う姿勢ってのは、大事だと思うんだよね」
同等の女性であると認識したからこそ、ラニが着られる様に服も提供したのだ。
人間の街の側を、妖人が全裸で歩くのは、少々拙い。公然猥褻の罪に問わねばならないからだ。
「ヅィスタムバーグ大連峰の森の中に、亜人の集落とかもあるんだろ? そこと交易とかできる様にならないとな。安全に行き来が出来れば、観光名所として機能するだろうし、そうなれば赤字財政から脱出できるだろ?」
亜人の集落と協力して、妖魔の襲撃に対する最終防衛線を押し上げ、街と観光の安全を確保したいのだ。
「まあ素人考えの赤字脱却政策なんだがな・・・」
「済みません、ヤマトさんがそんな事を考えておられるとは、露とも思っておりませんでした。普通にハイタラクネに誑かされた男が一人増えただけかと・・・その、侮っておりました」
「誑かされただと!? まあ・・・否定はしないが」
「そこは否定してください!」
デリアーナは主を妖人に取られまいと“当ててんのよ”状態を強化する。大和の腕を絡め取り、逃げ出さないように体を密着させる。
「あの・・・デリアーナさん? ちょっと色々拙いんですが・・・」
「人は人と結ばれるべきです! それが一番自然なんです!」
そんなことは大和も重々承知しているし、今はまだ早いとも思っていた。それこそ、そう言う行為は結婚してからでも十分だと思い、積極的なデリアーナに腰が引けてしまう。
それに、当面の目標は領地が黒字運営できればいいのだ。亜人たちの民芸品が流通させられれば、物珍しさに外から欲しがる人が来るかもしれないし、その流れが拡大すれば亜人の領域への観光などにも発展するだろう。
妖人のような存在と共生している街としての印象の向上と、徐々に積み重ねて行けば、不可能ではないと思っていた。
「どっちにしろ、赤字よりは黒字だよ。うん・・・、なんか楽しくなって来た」




