第111話 ステラ
大和と衛兵の押し問答は終わらない。
『通せ』と言う要請と『通すな』と言う命令の、主張の平行線化によって雰囲気だけは悪化の一途を辿る。
衛兵たちもただの子供の我儘ならば、一発小突いて帰らせると言う手段も取ったかもしれない。しかし『召喚勇者』『騎士』『子爵』と言う肩書が、手を出すことを拒んでいた。
彼らにも生活があるのだ。
今、起きている騒動が収まれば、また日常に戻る。その時に遺恨が残っていれば、それからの人生設計に暗い影を落とすことになる。まだ少年が、暴力に訴えてきた方が対処し易いのだ。暴力には暴力で反すことが出来る。
大和も、相手が暴力を振るってこない以上、先に手を出すのは憚られた。例えば口喧嘩で、先にて手を出した方が負けであると言った認識が、どうにも踏み止まらせてしまうのだ。まして相手は悪の存在ではない、善性によって命令を遂行しているに過ぎない。彼らは命令に従っている以上に、下手に騒ぎを大きくする要因を見逃して、本来守る側の軍人が国民の命を危険に晒す訳にはいかないと言う、軍人としての善性によって大和の要求を拒んでいる。
その善性が、対象を斬るべきではないと、大和を踏み止まらせていた。
――くそっ! 埒が開かない!
舌打ち、毒吐くがどうにかそれを表に出すことは抑える。
――皇帝陛下の名を出してみるか?
実際に嫌がらせ計画自体に皇帝陛下も噛んでいるのだ、あながち間違いではない。だが、今はその皇帝陛下が暗殺されたとかで、この騒動に発展しているのだ、下手に皇帝の威を借りることが事態を好転させる要素になるとは思えない。
スティルの名を出すことも意味がないだろう。
――むしろ、こういう騒動の時に皇族の名前を出す奴は多いはずだ、と成れば逆効果にしかならない気がするな。
何か打開策はないかと、自問するがこれと言った名案は浮かばない。
何十回『通せ』と言葉にしたか分からない。
何十回、それを出来ないと拒まれたかわからない。
だが、少しだけ変わってきたことがある。
膝の半笑いも収まったし、噴出していた汗も一段落ついた。まだ咽喉は焼けるように痛いが、随分と呼吸も楽になって来た。
ここまで回復すれば、無理に押し通ることも不可能ではないだろう。
大和は意を決し、左手を鞘に添える。衛兵たちが一斉に短機関銃を構え直す音が耳に届く。
右手を突き出し、掌で制止を求める。腰に佩いた刀を抜き取る動作を、真剣身の増した眼光が些事すら見逃すまいと貫く中、大和は抜いた刀を地面に横たえた。
武装を解除することで、今からの行動を容認して貰う。
大和は上野悦子に貰った盾章を、規則だからと言う理由で平服に付け替えていた。そしてこの盾章を与えられた意味も少しは理解していた。盾章の表面に特殊フィルムが貼ってあり、それを剥がすことで一回だけ周りに影響を与える魔法がかけてあり、どうにもならない窮地に陥った時に、身を守るために使えると説明されたことを思い出していた。
――今使っても、問題ないよな・・・つか、今使うべきだよな。
一回だけ周りに影響を与える魔法と言うのは良く言ったものだと思う。
大和は慎重に盾章に張られたフィルムを剥がして行く。
無論これが閃光を発したり、攻撃的な効果が出たりする訳ではない事は察していた。そういう意味での魔法なぞ掛けられてはいないのだ。
剥がしたフィルムの下から出てきたものは、一振りの剣の図柄だった。いや、正確には剣のように見える図柄だ。
銀の下地に薄紫色の剣のような図柄。
それは至龍王の冠する頭角を図案化したものだ。
そしてそれを、盾章に刻めるのは、現在の至龍王の操縦士、龍騎士のみである。
「・・・通せ」
「いい加減に・・・え?」
しつこい大和の態度に焦れて居た衛兵も、息を飲んだ。
突っかかりそうになった所を、同僚に肩を引かれて言葉を止める。
「改めてお名前を頂戴してもよろしいですか?」
衛兵の中で年の多い方――恐らく先任か、班長なのだろう――が、その意味を良く理解していた。
「影崎大和、だ」
肩書に意味がないのであれば、親に付けて貰った本名を語る。
「頂戴しました。どうぞお通り下さい」
衛兵は態度を一変させて、大和の通行を許可した。
龍騎士は国家元首、帝国で言えば皇帝陛下と同格の存在である。彼らは帝国軍人だ、その言葉に従う義理などないが、逆らう理由もない。
大和はそそくさと刀を拾い上げると、目的の物へと再び走り出した。
事態の変化に取り残された衛兵が、通過を許可してしまった同僚に非難の声を上げる。
「そんな事より、よく見とけよ? すげーもんが見られるぞ?」
「軍紀違反ではないのではないですか?」
「かもな? だがここで押し留めるよりは、良い結果になるだろうさ。俺も親父に散々自慢話を聞かされて育った世代でね、これで少しは親父に自慢し反せるってもんだ。ああ営巣行ってんならそれでも構わんが、あと十分、いや五分で良い、ここで見届けさせてくれ」
走り去る龍騎士の背中を見送り、衛兵はそう述べた。
大和の向かった先にあった物は、一言で表すなら巨大な箱だ。
全長30メートル、全幅15メートル、全高10メートルはある巨大な、金属製の箱。部隊章は聖墓が描かれており、接地面には巨大な何十個ものタイヤその質量を支えている。その前方には、動力車が接続され、自走可能になっていた。
それはMSSの輸送ケージ。この嫌がらせ計画の最後の詰として搬入された小道具であった。
『操縦座席を定位置で固定・・・搭乗口閉鎖・・・気密の確保・・・循環空調の正常稼働・・・生命維持装置問題なし・・・。お帰りなさい、マスター』
「ただいま、シーゼル。今回も力を借りるぞ。・・・でも、マスターはやめて」
『では・・・やーくん』
「それはもっとやめてくださいお願いします」
『愛称で呼び合うのは親愛の証なのでしょう?』
「その呼ばれ方は嫌な思い出があるからやめてください。ほんとマジで」
無遠慮に、ちょっとしたトラウマチックな記憶を刺激され、泣きが入った。
それは祖父以外で、大和にとって親しかった唯一の人物と言って良い、遠縁の親戚に当る姉替わりだった人物に呼ばれていた愛称だから、少し心が痛い。今思えば彼女の奇麗で長い髪が好きだった。大和撫子然とした微笑みを絶やさない人で、家庭的で美人でどうしようもないくらい甘党で、何より巨乳だった。
大和が照れ隠しから遠ざけようとしても、実際に遠ざけても、めげずに慈愛に満ちた笑みを向けてくれる、母代わりもこなしてくれた母性溢れる姉だった。
たぶん初恋の相手だったのだろう。
だが彼女には許嫁が居り、今は他の男のモノに成っているはずだ。
その時の、許嫁が居ると知らされた時の、仕方ないと諦め切った姉の顔が、泣き出す寸前のような顔が、そしてそれをどうにもできない無力な自分が許せなかった。姉とはその時以来会っていない。再会して幸せそうに微笑んでくれるのであれば、まだ救われるのかもしれないが、その笑顔を見るのは辛いし、懸念通りに辛そうな姉の顔を見るのは恐ろしかった。
大和にとっての姉であり、母であり、魅了された乳房だった。
大和のおっぱい星人としての一面は、彼女により醸成され、その代償行為として発露しているのかもしれない。
『機関触媒に接続・・・MPコンバータ起動、出力上昇中・・・相互フィードバック接続状態安定・・・シスト起動・・・フィルドリア通常出力で起動・・・主推進器に点火、出力正常・・・駆動用電磁筋肉通電、正常応答を確認・・・』
次々に機体の情報が表示されていく中、機体の起動はシーゼルにすべて任せ、大和はスティルのマーカーを検索し、その位置を確認する。今回は戦闘行為はどうでも良い、最優先はスティルの身柄の確保だ。
「飛竜種のような害獣の接近情報はあるか?」
『ありません。MSSを用いて討伐が必要な害獣・外敵の存在は確認できていません』
「となると今帝都に出張って来た連中の目論みは?」
『分かりません。ただし帝国軍の通信周波帯と違うものを併用しています。傍受します。・・・帝国の資料に無い暗号を使用しています』
それはつまり、機密の為に新しい暗号を使用していると言う事で、帝国軍正規部隊には内密で作戦行動をとっていると言う事だ。
やはりクーデターでも企んでいるのだろうか。
「暗号解読は出来るか?」
『解読は終了しています。何か通信があれば情報を拾い上げて行きます。現在は異常が無いか定時連絡をしているのみです』
最悪の場合、この独立した情報網で通信しあっているMSSと、市街地で殴り合いを想定しなければいけないと言う事だ。
『本作戦に際し、各種追加装備が提供されております。使用されますか?』
「当然フル装備だ」
それが浪漫である。それに博士も、この程度のことは想定していたらしく、相応しい装備が与えられていた。
『了解。装着済み装備の排除を取りやめます。重量過多により機動性に著しい影響が懸念されます。留意してください。龍鎧機シーゼルティフィス・アンソザム・ヴェンジャルハー汎用重装甲装備、起動します。起動成功を確認。続いて輸送ケージの解放を行います』
輸送ゲージの箱部分が開き、仰向けに寝かされていた至龍王が屹立していく。
ガクンと強めの衝撃が、動作の完了を告げ、輸送ケージの警告灯が全て緑になる。
『機体固定具解放』
「シーゼル発進!」
大和を見送った衛兵たちは、その後の動向を見守る。
聖墓の部隊から搬入された輸送ケージが解放され、その中から姿を現したMSSに息を飲んだ。
憧れの英雄機、至龍王がその姿を現したからだ。
しかし、誰かが疑問符を零す。
知識の中に有る至龍王と、随分と印象が違ったからだ。白銀色の装甲の表面に、青灰色の装甲が被せられていた。
「ありゃあなんだ?」
「なるほど、市街戦用の追加装甲か」
機動性重視の機体では、障害物の多い市街地戦ではその本領を発揮できない。被弾率も跳ね上がるため、機体に致命傷を負わないようにするための鎧だ。特に被弾率の高くなる上半身前面の装甲が重点的に増加されていた。左手には標準的な盾を持ち、背中には長大な突撃砲を装備している。
それらの装備は別に特別な物ではなく、帝国軍主力MSSユーケイヌの兵装の流用だった。
「突撃砲に突撃小銃、各種弾薬に、誘導弾の欺瞞装置を搭載か。やる気満々だな」
ユーケイヌの第一種兵装を基礎に、突撃砲を始めとする武装の追加、装甲の増加などを行い、恐らく重量で換算すれば三機分くらいの装備を搭載している。
反対にフローゼント兵装、いわゆるビーム兵器の追加は一切されていない。
「よくあれだけの装備を乗せられる物だ。拠点防御用の砲撃装備でもない限り、あんなに積まねーぞ普通」
「いやー良いもん見れた。よし門は閉鎖して避難するぞ。市街戦が始まれば流れ弾で人間なんて簡単に挽肉になるぞ」
「兄・・・いえ、殿下。これは一体どういうことなのでしょうか?」
ステラにとって、それは第一皇子に招かれ歓談している時に起こった出来事だった。
帝都内に無作法に侵攻してくる見知らぬ機体群。皇族が看過して良い物ではなかった。
「問題ない。あれは私の私兵だ、皇帝陛下暗殺の犯人の逃さぬ為の檻に過ぎないよ」
「犯人が分かったのですか?」
「ああ、現場は陛下の寝室。護衛の者は一撃で始末されてしまったようだ。そしてその手段は恐らく古代魔法の雷光の矢による、全目標同時攻撃」
なるほど、確かにそれならば可能かもしれないとステラは頷いた。魔力で雷光の矢を形成してから発射までの隙が極短い、卓越した魔法使いであるなら、いかな優秀な護衛と言えども回避しきれるものではない。
「そしてそれが可能な人物にも心当たりがある。なあステルンべルギア、お前がやったのだろう?」
思いもしない言葉が、兄から掛けられる。
確かに自分は古代魔法の中で、最も相性の良い物が雷の属性だった。しかしそれだけで犯人扱いされてはたまらない。
そんな馬鹿な話がある物かと、与太話の類なのだろうと、笑い飛ばそうとしたが、兄の真剣な顔がそれすら許さない。
「ヘクセリアの名を冠するお前ならば可能だ。そうだなステルンべルギア」
可能か不可能かで問われれば、恐らく可能だろう。
だが、そんなことをする理由も利点もない。
「なに、別に私は怒っている訳ではないのだよ。お前は昔からそうだった。私こそが次期皇帝に相応しいと、いつも応援していてくれた。その事はしっかりと覚えているし感謝しているのだよ」
そう犯人であると決めつけられても、身に覚えのない事だ。
それに犯人の可能性はもう一人いることを兄は失念している。
「折角お前が邪魔な皇帝を始末してくれたのだ。あの女に誑かされて狂った男を。その意を酌み私が次期皇帝になろう。だから犯人として裁かれなさい、もう一度私のために死になさい。ステルンべルギア」
決めつけられてしまっている。兄の中で、第一皇子ナザルドルークの中で、皇帝殺しの犯人は決まっているのだ。
咄嗟に辺りを伺うが、逃げ場はない。兄の趣味であるはしたない恰好の女中が、密かに包囲していたし、愛用の魔剣も拳銃も今は手元にない。だがそれは大した問題ではなかった。
一番の問題は、兄に死ねと告げられ、それが兄の為になるならとどこか容認してしまっている自分が居ることだ。
――完全に術中に嵌まっている。滑稽なほどに、これが皇帝暗殺の真の目的ですか・・・。
ステラ――いや、スティルには真犯人が誰であるのか、推測が確信に変わってしまった。
そもそも病弱を理由に継承権を第三皇子の次に引き下げられていた。それを払拭するべく、健康な、魔人である自分はその兄の評価を上げるために駆けずり回って来た。子供の頃、本当に家族に囲まれ幸せだった時の恩を返すために。
カゾリ村で死にかけた時も、全ては兄の手柄にして、兄の評価を上げるためだった。
ヨラージハ国との親善試合だって、そうだ。
「お前はそのために生かしてきたのだから。あの穢れた女の血を引くお前をな」
「そんなに母が・・・私の母が憎いですか殿下。私も憎んでいるのですか? 女の下心がそんなに恐ろしいですか?」
第三皇女の母親は後妻だ。第一皇子の立場から見れば、死んだ母の後釜を狙う毒婦に見えたのかもしれない。確かに母にも下心は有っただろう。少なくとも好きになった男性と一つになりたいと言う願望くらいは。
「ああ恐ろしいとも。面と向かえば愛を囁く口で、影では男を貶める毒婦ばかりではないか。そんな化け物に恐怖を感じないのは人ではあるまい。同じ化け物の類だよ」
気が付けばスティルの頬を涙が伝う。
憧れた、恋い焦がれた者の正体が、こんなものだった。
純真無垢な女など存在しない。誰にでも心の底に黒い感情を持つものだ。それが人間である証であり、それを制御する事が、その人物の徳なのだと思ってきた。
だが、第一皇子は違う。その感情の全てが許せないのだ。腹の底で隠している感情が恐ろしいのだ。男と女は本質的に理解しきれない存在だ。だから、深く知り合うために恋人になったり、お互いに補い合うために夫婦になったりするものだと思っていた。
「だからそんな紛い物を侍らせて・・・」
「紛い物ではない。彼らこそ私に必要な愛人だ。私が愛している者が社会的に貶められるのであれば、正すのは社会の方だ。私はそのためにも皇帝にならねばならない!」
「だからこそ“病弱”などと貶められたのでしょう! お考え直し下さい。そのような考えでは民は幸せにはなりません」
「お前のような己の幸せを考えない者に、他者を幸せには出来ない。まずは私の楽園を作り、それに従うのであれば幸せを分け与えよう」
病弱は方便だ。第一皇子の性格が、思考回路が、精神構造が皇帝に相応しくないと、見切りをつけた帝国の重鎮たちが、第一皇子の継承権を引き下げる言い訳に過ぎない。本来の彼は健康そのものなのだ。ただ体外的にそう装わねば、人物評価に付いた傷がさらに開く。
第一皇子は病弱を理由に倒錯的な生活を日々送って来た。兄は何所か歪んでいたのだ。よく怪我を負った犬猫を拾い看病していた。周りは心優しい皇子だと、その在り方に感心してきた。だが現実は違う、ただそういうものしか愛せなかっただけだ。依存し切った存在でなければ、信じれなかっただけだ。
それに気付きながらも、スティルは必死に目を逸らしてきた。
「そんな歪な幸せを誰が欲しがると言うのです!」
第一皇子が辿り着いた先は力だ。他者を服従させる力。帝国を守り強くする力であるなら、先陣を切れる度量があるなら。病弱な兄でも皇帝に認められるだろう。
「だからそれを払拭させるための力を磨いて来た! 見よこの新型MSSを! これならば国民が妄執する至龍王すら倒して見せる! この力は帝国を守る力だ!」
そして、そのつけを支払わなければならない。それは過去の自分の行動全てを否定することになるが、それでも、兄が更生できる可能性を期待して。
「ならば倒して見せなさい! その歪んだ性根が産んだ力で、私のヤマトを倒しなさい!」
やれるものならやって見せろと、スティルは過去の思い出と決別を決心した。




