第104話 嫌がらせの中身
第三皇女の葬儀場では、ある噂が流布しだしていた。
それは皇女殿下の幽霊が出ると言ったものだ。
その噂を耳にした、真実を知る者達はニヤリと口角が歪むのを押し殺し、沈痛な面持ちを必死に浮かべ、皇女殿下もさぞ無念であったのでしょうな・・・と、呟いた。
またある者は、そんな事などある物か殿下の墓前で無礼であるぞ・・・と、頭ごなしに叱りつけた。
そして、一部の人間は復讐に来たのではと、恐れをなし家に閉じこもってしまった。
しかしアインラオ帝国皇帝トーバルトフリートや大和による嫌がらせ計画は、ここまでの成果で十分と言える程度の代物だった。第三皇女ステルンべルギアの命と富を天秤にかけ、富を取った者への細やかなる復讐としては大成功と言って良いだろう。皇帝であり父親であるトーバルトとしては、少しは己の愚行を顧みてくれればよいと言った程度の物で、大和としても懺悔し心を入れ替えてくれれば、水に流すつもりだった。
蓋を開けてしまえば、この程度のテレビのコメディ番組がやるドッキリと同レベルの事を、国家権力を使い、やたら大掛かりに仕込んだと言うだけだ。
そもそも皇帝トーバルトが大和に子爵位を叙位した理由も、ステラと名を変えた娘が生涯食っていくための飯の種を、召喚勇者の献身を理由に与えたに過ぎない。
立場上および世論上、種明かしは許されないが、精々盛大に肝を冷やし、己の浅はかな行いを悔いてくれればよかった。
だが、今回の嫌がらせ計画は仕掛け人の手を離れ、とんでもない事態へ進行していくことに成る。
第三皇女の幽霊の噂を耳にした件の召喚勇者は、計画の成功ににんまりと笑みを浮かべるだけで、この後に発展していく事態を全く予想していなかった。
ステラは独り、式場の端に居た。
特に何をするわけでもなく、ただぼんやりと、物憂げに存在感を霞ませながら、ひっそりと佇む。
露骨に存在を誇示するのではなく、式場の添え物の一つであるかのように、柳の下に佇んでいる靄であるかのように。テラスに設置されたテーブルの一番隅で上品にお茶を嗜んでいた。
理由は簡単だ。第三皇女の幽霊の噂を流布させるために、葬儀場内に居続けなければならず、さりとて他にやることが無くて暇だからだ。
「あ、あのっ!」
若干気負い過ぎて、上ずってしまった声でステラに男性が話しかけ、年の頃は二十歳程度の青年で侯爵家の跡取りであると名乗る。
「宜しければ、名前を教えては頂けないでありましょうか!」
彼が行っているのはただのナンパだ。葬儀場内にとんでもない美人が居ると言うのが噂になり、わざわざ訪ねてきたようだった。
ステラは慌てて立ち上がると、深々とお辞儀をした。
「初めまして侯爵様。ご丁寧な自己紹介有難うございます。私はステラ・ルーゲン・ヅィスターバと申します」
青年はその名前を聞いて、おやと眉を顰めた。ヅィスターバは、ヅィスタムバーグ大連峰を擁するヅィスボバルト領を治めていた子爵が没落した後に名乗ることに成ったものだと知っていたからだ。
つまりは、今の身分は平民である。
青年はなるほどと思う。立ち居振る舞いの美しさは、高位の貴族にも劣らない美しいものだが、短い髪と、安っぽい喪服、そしてその美貌でありながら、端の目立たない場所でちびりちびりとこれまた貧乏臭くお茶を飲む。何より自分が口早に名乗った後、即座に椅子から降りて頭を下げたのだ、自分の身分の低さを自覚している証拠だ。
男爵家の娘でも、男が緊張した面持ちで話しかければ、鷹揚に応対するのが常である。身分が少し高いからと、即座にしっぽを振るような、もしくは涎を垂らすような女は下品であると言うのが、貴族内の一般認識であった。
顔を上げたステラの顔をまじまじと観察し、青年は稲妻に撃たれたかのように戦慄した。少女の顔の造形が作り出す美と、仕草や雰囲気が彩る気品に、目を奪われた。うわ言のように、美しいと零し頭を振る。
この少女を自分の女にしたいと言う欲望が一気に膨れ上がった。自分は次期侯爵であり富みも名声も持ち得る人間だ、対して少女は美しくは有るが没落貴族で平民と変わらない身分、例え囲おうとも誰憚られることはないと、胸中で素早く計算する。
「ステラ嬢。正式な手順も踏まずいきなりこんな事を言うのも失礼であるとは思いますが・・・。宜しければ私の妾になって頂けませんか? 貴女の髪はきっと美術品のように煌く宝と成りましょう。残念ながら正妻としてお迎えすることはできませんが、私の下で造り上げては下さいませんか?」
長く美しい髪が、高貴な生まれの女のステータスであるために、当然下々の娘も出来る限り髪を伸ばし、長い髪が憧れである。当然ステラも欲しがっている物だと思い、口説き文句に織り交ぜた。
「大変魅力的な申し出を有難うございます。ですが申し訳ありません。侯爵様のお申出はお受けできません」
表情だけで、何故だと叫びそうな顔を作る青年貴族に対して、ステラは丁寧に頭を下げた。
「このたびヅィスボバルト領を下賜された子爵様へ輿入れが決まっております。まことに申し訳ございません」
「し、子爵がなんだ! お・・・私は侯爵家の跡取りだぞ! 地位も名誉も財産も我が家の方が上に決まっている! 私ならば君を幸せにすると誓えるッ!」
「侯爵様。お気持ちは嬉しいのですが、その為にもお伝えしなければならない事があります」
今までと打って変わって強い意志の込められた言葉に、青年は息を飲んだ。
「まず、私の身分では侯爵様の妾は務まりません。続いて私のこの顔は整形手術で、皇女殿下の顔を模して造られた偽物です。そして、そも嫁ぎ先をお決めになられたのは皇帝陛下にございます。私如きではそれに逆らえる道理もありません」
「・・・皇女殿下を模して・・・?」
「・・・はい。非公式なれば明言は出来ませんが、斯様な理由にございます。この度その任を解かれ輿入れと相成りました」
身代わり用の影をやっていたとは言わない方が、都合よく解釈してくれそうなので伏せておく。
「ではその子爵をここに呼び給え! その子爵を説得して・・・いいや、決闘してでも君が欲しい!」
「それこそ、お止め下さい侯爵様。その方は召喚勇者で帝国へ腰を据える交換条件で子爵に成られたのです。只人の剣では勝負に成りません。無為に侯爵様が傷つくだけです」
「なんと、私の身を案じてくれるのか・・・、君は心優しいのだな」
この時すでに青年の頭の中では、皇女殿下の影であった少女が、まるで景品のように好きでもない子爵の元へ引き渡されていくと言う、妄想物語が展開していた。運命に翻弄されるステラを救えるのは、自分だけだと言う酔いに、気持ちも昂ぶり気分も良くなってくる。
「なればこそ決闘を申し込まねばならん! 必ず勝って君を自由にして見せる! なに、大丈夫。決闘で勝って、子爵殿には輿入れを断って貰おう。皇帝陛下も子爵殿が直接断るのであれば飲んでくれるさ」
何を言っているんだこの馬鹿はと、ステラは本気で機嫌が悪くなった。
アレと決闘して勝てるなどと言う妄想が良くも抱けるものだと。ステラの剣技ならば、十分に目の前の侯爵を斬り捨てられる。それこそ命を奪うつもりであれば、五秒もあれば無残な肉塊へ変貌させられるだろう。ただ対峙しただけで、それだけの差があると見抜ける程度の実力しか持ち合わせていない。
だがアレは、そんな自分が本気でやり合っていなされたのだ。こちらは勢い余って殺してしまっても止む無し位の気持ちだったが、アレは恐らく、殺し合いなんざ面倒臭い適当にあしらっておくか程度の気持ちだった筈だ。
何よりこちらは魔剣を振り回していたが、アレは訓練用の木剣だ。それであの結果だったのだ。
ステラをして、アレに勝てるなどと言う幻想は抱いていない。
この青年貴族が、実力を完全に隠せる猛者の一人であったとしても、勝てる可能性と言うものが想像できないのだ。アレはCランクとはいえMSSすら、刀一本で無力化したバケモノだ。本当の意味でのバケモノだ、人間に勝てる道理などない。
「あの方は本当に強く、空恐ろしい方です。決闘などと言う無謀はお諌め下さい」
「なるほど、斯様に強いのだな。それで君も、ましてや皇帝陛下すらも恐ろしさの余り要求を受け入れざるを得なかったのだろう? なに、分かっている。君のその美貌、その・・・とても美しいと思う。君を欲しがってしまうのは無理からぬことだ」
それは完全に自己紹介だと、思いっきり突っ込みを入れて罵りたい気分になってくるが、ステラにはそんな行動は許されていない。
「不安がらないで欲しいし、私は君に無理強いをするつもりはない。君を自由の身にした後に改めて申し込むことにするよ。その時にもし、断られるとしてもだ・・・私は潔く身を引くと誓う」
何を言っているんだこの馬鹿は?
人の意見を聞くなら何故この段階で引かない?
その時に断っても「まだ呪縛が解けていないのだね」とか阿呆な事を宣い、延々と自分の納得のいく結末になるまで食い下がり続けるに決まっている。帝国の貴族はこんなお花畑ばかりなのか?
「私自身が子爵様をお慕いしているのです。無理を強いられている訳ではありません」
「なるほど、そう言うように脅されているのだね? 可哀そうに、余程怖い目に会わされたと見える。安心してくれ給え、必ずや私がその恐れの暗雲を打ち払って見せよう」
イラッ!
こいつは駄目だ。完全に人の話を聞かない、自分の都合しか考えていない。恐らく侯爵と言う身分故、平民の娘なぞ好きに出来て当然という思い込みがあるのだろう。
若い貴族は特に、女は男の後を黙って付いて来いと思い込んでいる者も多いのだ。結婚して、領地の運営などでくたくたに疲れた所を、妻に優しくされて、ようやくその有難味と言うものを噛みしめ、立派な貴族になると言う。この青年はまだその域に達していないし、者によってはその域に達するよりも早く、寿命を迎えてしまう。
青年はステラの眼前で跪くと、その手を取ろうとして、静電気でも走ったのか驚いて手を引っ込めた。
「・・・いっ! ・・・っと、おや、静電気かな?」
この痴れ者め! と叫んで殴り倒したい衝動を辛うじて抑えたが、魔力の方は若干漏れ出してしまったようだ。
第三皇女の身分であるなら、こんな事にはならなかっただろう。如何に侯爵とはいえ、皇族には逆らったりはしない。
青年が気を取り直して、ステラの手を取ってきたところで、一瞬だけ本気で消し炭にしてやろうかという気に成ったが、それは結局自分の首祖絞める行為であると、どうにか噴出そうとした感情を抑え込む。
そこへ、意外な人物が現れた。
「先ほど、決闘がどうかと息巻いている声が聞こえたが、ここがどのような場所であるか、どうにも理解しておらぬようだな」
落胆した侮蔑交じりの男の声が聞こえる。
青年がまた邪魔をされたことに腹を立て、勢いよく向き直る。そこには帝国第一皇子ナザルドルークが、疲れたように嘆息を吐いていた。
「で、殿下!」
「もう一度だけ言う。決闘などと、ここが何所で、今何をしておるか、考え直してから口を開け!」
ここは帝国の葬儀場で、今は第三皇女の葬儀の最中。
その中で、女欲しさに決闘だなどと騒いでいるのだ。まともな人間なら擁護できる点が無い。
「一度この場を去れ。そして頭を冷やして考え直せ」
それだけ告げ用済みと成った青年には目もくれなくなり、ステラに言葉をかける。
「初めまして。君がステラだね? 君のことはケイペンド卿から聞かされたよ。なるほど妹によく似ている・・・いや似せていると言うのが正しいのかな? 何にせよ今まで陽の光を浴びることなく辛い思いをさせたことを許して欲しい」
「お目通りを許されまして光栄にございます、殿下。許すも何も、特に思うところは有りません」
「そう言ってくれると助かる。妹に変わって礼を言わせてもらうよ、有難う」
茶番なのだが、しなければならない事もある。
白々しく、二人は形ばかりの挨拶を交わした。
「ところでステラ。今からお茶にするが、付き合ってはくれないかな?」
「はい。・・・あ、いえ、あの、私などで宜しいのでしょうか?」
つい、素で返事を反してしまったが、今は身分が違い過ぎる。
「構わないよ。君から見たケイペンド卿の話も聞いてみたいしね。良かったら君も同席するかい?」
不意に青年にも話を振られるが、流石にこれは全力で辞退した。ナザルドルーク殿下のステラ嬢に対する態度を見て、迂闊に自分が側に居れば火傷では済まないと言う事は理解できたからだ。皇族に逆らっては何の意味もないが、ここでのこのことついて行くのは自殺行為。うっかり殿下の逆鱗にでも触れてしまえば、自身の出世にどれだけ影を落とすかわからない。
「いえ、私は殿下のお言葉通り、外で少し頭を冷やして来ようと思います」
「そうかい? 聡明な判断を期待させてもらうよ」
「はっ! これにて失礼いたします」
呼び止められ、決闘の話を穿り返されるのが拙いとは理解できたので、青年は速やかに撤退を選択した。ステラ嬢の美貌を手に入れる千載一遇の好機を逃したことに成るかもしれないが、第一皇子に悪い意味でこれ以上注目される方が問題だ。冷めだした頭で考えれば、天秤は簡単に傾いた。
「しかしステラは本当によく似ている。・・・そうだ、私を “兄様”と呼んでみてはくれまいか?」
「い、いえ。ですが・・・お立場と言うものが・・・」
「ここは帝国で私は第一皇子だ。自分で言うのもなんだがね、その私が許可しているのだ、これ以上必要な物はないよ。さあ読んでみてくれ給え」
「・・・に、・・・兄様・・・」
「・・・ああ、嬉しいな。本当に妹が帰って来てくれたみたいだ。うむ、よし、私のことを兄と思ってくれて良い」
「いえ、そんな、畏れ多いです」
青年はそんな二人の会話を背中越しに聞き、人知れず安堵の溜息を吐いた。
先程のステラ嬢への求愛で、かなり強引だったことを少しだけ反省出来たことは僥倖だったのかもしれない。どうにもナザルドルーク殿下もステラ嬢には甘いようで、迂闊にも同席した場合、どんな言いがかりを付けられたかわからない。
もしかすれば逆に第一皇子に取り入る好機であったのかもしれないが・・・。
しかしだ、第一皇子は病弱だと聞いて居り、取り入るのが目的であれば第三皇子の方だろう。そして第三皇子が皇帝位を継いだ時に、第一皇子を強い繋がりが有ったと分かれば閑職に追いやられる危険もあった。
ここは適度な距離を取ることが出来たと、自分を褒めておこうと結論を出し、後ろ髪を引かれる思いは有ったが、未練を置いて行こうと思い歩みを進めた。
そしてぎょっと目を見開いてしまう。
かなり失礼な態度だったが、その者達は我関せずと青年を素通りしていった。
彼女らは恐らく第一皇子付きの女中なのだろうが、その服装が、少々露出が多く下品に見えたのだ。
案外、殿下も趣味が悪いなと思い、そして自分とは無関係になる世界に背を向けた。




