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プロローグ

「お前が、影崎大和だな?」


 大和と呼ばれた少年は、暮れなずむ町を眺めながら黄昏ていたが、不意にかけられた声に訝しんだ。

 その場所は中学の校舎の屋上で、時間帯は放課後である。なんとなく今日そういう――黄昏たい気分になって初めて入り込んだ場所だ、例え友人であっても偶然出会うという事はあり得ない。声に聞き覚えもなく、まして相手はこちらの名前の確認を取っているのだ、初対面でなくとも知人ではあるはずがない。


――まったく。誰だよ、せっかくの気分が台無しじゃないか。


 大和は面倒臭そうに振り返る。無視しようかとも思ったが、既に浸っていた感傷に水を差されたのだ、文句の一つでも言いたくなっていた。

 しかし、突如として頬を襲った衝撃にたたらを踏む。一瞬力の抜けた膝が地に着こうとしたが、男の意地がそれを許さずにどうにか持ち堪え、目の前に突き出されて拳を見て大和は殴られた事を知った。


「いってぇ・・・お前、何しやがる!」


「むかつくからぶっ飛ばしただけだ・・・ぜっ!」


 フェイントもない二撃目。余裕で躱せるはずの攻撃だったが、吸い込まれるように腹を抉り重たい音を響かせる。肺腑から強制的に息を押し出されて、一気に苦しくなった。


――おかしい。


 大和は自身の強さに自信があった。

 中学校のクラスメイトなど雑魚でしかなく、例え学校中でバトルロイヤルを行っても勝ち残る自信があったのだ。

 物心着いたときには既に祖父から剣術を仕込まれていた。毎日20キロの走り込みもしている。筋力トレーニングや素振りなども怠ったことはない。何より十歳の冬に、木刀一本で冬眠に失敗した熊を撃退していた。それから・・・、他にも根拠となる物は沢山あった。

 とにかく、平和な日本の――近年の殴り合いの喧嘩すらしたことないような学生が主流になった――中学生程度に、後れを取ることすらあり得ない、最初の一発は油断の産物だったとしてもだ、二発目を貰うなどあり得ないはずだった。

 自分の体調が悪いのか、実力を見誤るほどに侮っていたか。いや、そんなはずはないのだ。

 混乱の後に天啓のように閃く。

 こんなあり得ない状況が起きていることは、“こいつ”の方が正しいのだと。

 恐らく“こいつ”が仕入れた情報を大和自身が知った場合、同じように怒ったのだろうと察した。この怒りは正しく、罰せられるべきは自分であると、感じ取っているような気がした。

 避けられなかったのではない。

 避けてはいけないと思ってしまったのではないのか? と。


――そう思わんと納得できん。


 喰らうべき拳によって受けたダメージは身体に浸透しかなり深刻だったが、それでも崩れ落ちそうになる身体をどうにか持ちこたえさせ睨み返すと、思考が停止しかけた。時間の停止した人間がいたからだ。

 今時のご時世に、リーゼント、細長いサングラス、短ラン、ボンタン、首からは数珠をかけ、そして原色のシャツと靴下。激しい怒りのオーラが、背後に不動明王を幻視させる昭和の不良がそこに居た。


「いったい何時から昭和は百を超えた?」


 タイムトラベラーが目の前に突然現れたら、なるほど、こんな風に動揺するんだなと何所かずれた感想を抱く。

 時代錯誤の不良は、左手を前に出して半身に構えを取っている。空手のような構え、その奥の目には激しく炎が盛っていた。最初の一撃がやや不意打ち気味ではあったが、実に正々堂々と真正面で構えている。


――なるほど、正しく怒り、誠実なる拳を握る、か・・・避けられないわけだ。曲がったことが嫌いな奴なんだな。・・・にしてもこいつの名前は、なんだっけ?


 今対峙している少年の名前が思い浮かばない。これだけ個性的な人物が記憶に残っていないと言うのが、逆に大和が今まで他人を気にかけず見ないで来たツケだ。自分の置かれた世界を蔑ろにし過ぎていた、つくづく自分の人生に向き合っていなかったのだと思い知った。


――まぁいい。敵ならば――。


 眼前の少年を“敵”と認定すると同時に、混乱も落ち着きを見せ、思考も研ぎ澄まされていく。

 体の熱がすっと冷めていく。殴られた頬の痛みも、腹の重みも感じなくなっていく。左足を音もなく下げ、右腕の肘を僅かに曲げることで半身になった自身の盾にする。刀なしで構えた居合のようだ。

 そこに放たれた三撃目の拳を、完全に見切って躱し大きく距離を取る。


「自分が可愛いのは分かるがな! ワガママだけで生きていられるほど世の中甘く出来てねーぞ!」


 続けざま突進と共に繰り出される拳だが、最初の二発がマグレであったかのように大和に掠りもしなくなり、必中必殺のタイミングで放たれた拳も、軽く手を添えられるような所作で外す。


――面倒だな。さっさと倒すか。


 大和は完全に相手の隙を突いた必殺の一撃を食らわせようとした自分を、その一撃を放つ直前に客観視して思い留まる。


――何をやっているんだ、俺は? ここは学校だぞ!


 自身が行おうとした暴挙に驚愕する。祖父に叩き込まれた剣術の技は人など簡単に壊してしまうのだ、少なくとも今ここで――中学生同士の喧嘩で使うべきものではない。


「勝手に人生を見限って、冷め切ってんじゃねー!」


 不良少年の何発目かの拳が頬に迫るが、大和は落ち着いて右掌で受け止める。


「へっ! やるじゃないか」


「そうだな、その通りだ。冷め切った人生じゃ何も生まれやしない。お前の言う通り熱くならないとな!」


 大和は冷え切った自身に活力を入れ直し、腹にある炉に薪をくべるようなイメージで集中力を高め、爆発するような勢いの熱量を言葉に乗せていく。


「だが、お前には迷惑かけてねーだろーっが!」


「てめぇの存在が迷惑なんだよ!」


 存在を否定されるような暴言。ここまで言われては、大和も最早なぁなぁで――先に貰った二発の御礼も込めて――済ますわけにはいかない。大和の拳は不良少年の顔に突き刺さり、不良少年の拳はそらす。


「お前の言い分は分かった。いいだろう! 来いよ! 揉んでやるッ!」


「へっ! 上等ッ! そのふざけた貌、叩き潰す!」




 現在の、影崎大和という少年の置かれている状況はあまり宜しくはなかった。

 本人は150センチ程度の身長で、男子としては決して高い身長ではなかったが、未だ成長期であることを鑑みればもう少し未来に展望はあるだろう。美形と持て囃されるほどではないが、剣術の鍛錬の影響もあって年の割には精悍な顔つきであった。


 小学生のころは山奥の分校に通っており、基本的には一人で生活をしていた。分校には教師を入れても二十人ほどしか人が居らず、大和の家と分校との距離が離れていることもあり――暗くなる前に帰宅しなければ遭難してしまう可能性が高い為――放課後一緒に遊ぶという暇はなかったし、休日に誰かの家に遊びに行くと言う機会にも恵まれなかった。


 中学に進学する際に、山奥の家から通える中学は存在しなかったので、町の方へ引っ越してきたのだった。同じ分校出身の友人というのは各地に散って行き、同じ中学には通っておらず、中学校生活における交友関係はゼロから再出発と言う形になった。しかし、大和自身は一人で生活してきた人間なので、コミュニティに自ら進んで溶け込もうという意識も必要性も感じていなかった。

 そのために良くも悪くも、注目を集める存在になってしまっていた。


 クラスの少年達からすれば、小学生時代に作り上げたコミュニティの外から混ざり込んだ異物であったのだ。

 大和は剣術の鍛錬の成果もあり基本的な運動能力は高く、山奥は娯楽が全くなく暇つぶしに教科書を読んでいたりしたので、勉強に励んでいたわけではないが成績は良い方で、教師の言付にも素直に従っていたため、田舎から出てきた優等生と言った印象だった。

 クラスの少年達からすれば、勢力増強の糧になりそうな利用価値がある異物に見えた。だから大和を、自分達の勢力下に引き入れてやってもいいかと考えていた。

 お情けでコミュニティに加えてやるのだから、上下関係はきっちりと着け一番の下っ端としてこき使ってやるから有難く思えと言うのが彼らのスタンスだったので、基本的に大和を下に見て侮っていた。


 そしてある事件が起こった。それは、体育の授業で行われた、ある球技のルールを知らなかった大和がバカにされ、その言い分を承服できなかったために諍いが発生したのだ。

 球技のルールについてクラスの少年達は、それが国民的スポーツであることからルールを熟知していることはスポーツマンはおろか、一般的な中学生男子の嗜みであり、知らない人間は畜生に悖る存在であると決めつけていた。


 大和自身はそもそもスポーツマンではないし、その球技に何の思い入れもなかった。授業で体験すると言うので、大まかに説明されたルールに従ってやっていただけのものであったし、体育教師は少しでもクラス内のコミュニケーションを図ろうと言う思惑でやったことであった。高々一スポーツのルールを知っている程度で、何をそんなに悦に入っているのだろうと、そもそも行動理念が理解できなかったのである。


 大和の感覚では、それこそ数百万本売れたとか言う大人気テレビゲームがあったとして、全国民が遊んでいるわけでもなく、その操作方法を遊んだことのない人間が知らないことは問題ではないと認識していた。だがクラスの少年たちは、遊んだことは関係ない、日本人なら知っていなければならないと言う考えだった。


 だから大和はふざけるなと怒りを露わにしてしまった。彼自身がそのスポーツを将来の食い扶持にするとか、豪語していたのであればクラスの少年達の言い分を聞き入れただろうが。


 クラスの少年達は普段からコミュニティの外にいた大和を下に見ていたので、“常識”を知らない大和を攻撃してしまった。

 大和が適当な所で折れるだろうと楽観していたのか、普段の傲りからそのような態度になってしまったか。しかし、これ以上攻撃を露わにしたり、因縁をつけたりすると直接殴り合いの喧嘩になりそうで、鍛えられた大和の体を見て自分と達とは次元が違う、絶対に勝てないと引いてしまった。

 実際、大和も実力行使に陥れば絶対に勝てると確信していたので引かなかったわけだが。


 結果として大和は、クラスの特にスポーツに傾倒している男子から相手にされなくなり、それ以外の男子もクラス内で力のある男子に目を着けられるのが嫌で、大和と友好を深めようと思う者は居なかった。


 そして女子からは、保護欲を掻きたてるほどの愛らしい顔立ちでも、一瞬で虜にするような美形でもなく、家が金持ちであるとか、女子と楽しく会話するようなスキルもなかったため、わざわざ構おうと言う者も居なかった。

 外部から誘いの手はなく、そもそも集団行動を苦手としていたため、結局は一人でいる時間が多くなり、大和は本を読んだりして自分の殻にこもるようになった。

 その結果が、孤立である。


 ただ一人しかおらず、孤独であるだけならば何も問題はなかった。小学生時代の様ならば比較対象がないために、こんなものだろうと、それがどんなに惨めな環境であっても疑問に思わなかった。

 しかし他人の集団の中での孤立というのは、存外堪える物であった、少なくとも自分の居場所がここではないのではと疑ってしまう程度には。

 俺は強いからとか、俺は他の人間とは違うとか、そんな慰めは何の役にも立たなかった。


 学校から帰れば、そこは一人暮らしのアパートだ。両親はすでに他界しており、剣の師であり実質の保護者である祖父は未だに多忙を極める人物で、入学式前日に会ったきりだった。

 当然、自炊もしなければならず、基本的に面倒くさいので野菜炒めと白飯というのが毎日の食事だった。飽きるがそれを通り越せば不満は無くなる。宿題をカタして風呂に入ったら寝る。家具はほとんどなくテレビもないため起きていてもやることがないのだ。逆に朝は異様に早く、四時には起き出して走り込みや鍛錬をするのだった。師である祖父から剣の腕を曇らせなければ何をしても良いと言われていたため、最低限の鍛錬は欠かさなかった。

 その強さは、世間一般のクラスの男子と比較すれば、その存在を哀れんでしまうほどの開きがあった。

 天と地ほども、負けようがないと思えるほど、開いていた。

 そして、強さに意義を見出せなくなっていった。


 いくら強くても、クラスに迎合されるわけではない。金が稼げるわけでもない。法治国家である以上、強さが――個人レベルの暴力の度合いは評価されないのだ。暴力を振るえば、クラス内での孤立ではなく社会から排斥されるだろうという事は予想がついていた。

 だから大和はかつて一度だけ、祖父に問いただしたことがある。


『これ以上強さを求めることに意味はあるのか?』と、熊を撃退し、並の人間では自分と同等の領域に立つことすら不可能であると自負していた。確かにまだ自分より強い人間はいる、例えば祖父だ。だがこれもあと五年もすれば追い抜いてしまうだろう。最早、強くなるための鍛錬は無意味ではないかと疑問を持っていた。


『それは真に強者となった時、自ずと知るだろう』大和の問いに祖父はそう答える。

 意味が分からなかった。

 自分はもう十分強い、そしてこれ以上の強さを必要としていない。ならばこれが答えなのではないのだろうか。

 祖父は剣の師であるが、他に門弟は居ない。ただ祖父が収めた剣を受け継ぐために叩き込まれただけ。一子相伝門外不出と言えば聞こえはいいが、道場を運営する資金と時間がなかっただけだ。

 同門も子弟もいないので、試合うこともできない。

 自分の強さが分からない。

 自分の価値が分からない。

 大和は仮住まいの部屋に寝転がり、憂いてしまう。

 自分の居場所がここではない、別のどこかにあると言う幻想に。


2016/09/04 誤字修正

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