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3.お弁当に感謝した

「おっきろー!」


 普段通りの元気な声に、僕は夢から目覚める。剥ぎ取られる布団を追いかけるようにして、体を起こした。


「おはよう直樹」

「…………」

「ん? どうしたの、私の顔になんかついてる?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」


 「じゃあなに?」と訊かれると困ってしまう。露骨ではあるが、話をそらすことにした。


「今日も、似合ってるよ」

「え!? え、エプロン姿のこと?」


 エプロン『姿』言うな。


「今日のご飯なんだ?」

「あ、うん。昨日の特売セールで買ったシャケ焼いた」

「そっか、すぐ行くから待っててくれ」

「うん……あのさ」


 言いかけて、ちょっと躊躇う素振りを見せる木葉。やばい、気付かれたか……?


「ほんとに似合ってる? かわいい?」

「……お、おう、かわいいかわいい」

「あ、ありがと直樹。じゃ、冷めないうちにきてね!」


 パタパタと心なしか軽い足取りで木葉が出ていくのを見送って、僕はほっと胸をなでおろした。


「だから布団とらないでって言ってるのに……木葉のやつ」


 朝、特に女子には見せたくない状態になってしまうという事を理解して欲しいものだ。








 木葉との援助交際が始まってから、一週間が過ぎた。

 これまでの生活でわかった範囲で、神影木葉という人物について整理してみよう。


・神影木葉(18歳)

  性別、女。

  容姿端麗で、基本的には天真爛漫な性格。因みに、茶色っぽい髪色は産まれつきらしい。

  経歴、ほぼ不明。

  わかっているのは、高卒で彷徨っていたこと(つまり同い年で同学年だった)、

   男性遍歴はゼロに等しいこと(無理矢理に聞かされた)、

   家事スキルは皆無だが料理だけはやけに上手いこと(エプロンは持参だった)くらいだ。


 どうして借金なんてしたのか?

 どうして家には帰れないのか?

 そういう根本的なことに関しては、まだわからないままである。ついでに、なんで僕とこんな恋人ごっこみたいな事をしているのかも。


「直樹、大丈夫?」


 木葉が、テーブルの向かいから覗き込んできた。

 よっぽど神妙な顔でもしていたのだろうか。心配かけてしまったかな。


「大丈夫だよ」

「本当?」

「大丈夫だって」

「でも、いつもより20分は過ぎてるよ?」

「……え?」


 壁掛け時計に目を移す。出発予定時刻を、5分もオーバーしていた。


「うわあああッ!」


 茶碗の米をかきこんで、僕は急いで立ち上がった。寝室に戻って、鞄を引っ掴む。


「直樹、お弁当!」


 慌てて飛び出そうとして、木葉に呼び止められる。風呂敷包みの箱を手渡された。


「いってらっしゃい」

「おう」


 弁当を鞄に突っ込み、僕は走り出した。









「おせーぞ、三野!」


 結局、工場には出勤時間より5分遅れて着いた。

 作業場に入った途端、工場長の怒鳴り声が僕を出迎える。


「すんません」

「謝んのは後にしろ、早く作業に入れ」

「わかりました」

「ばかやろー!! 俺以外には謝るんだよー!」

「すんません!」

「だから、俺以外に謝れつってんだろお!」

「すんませんでした!」


 工場長はマジでおっかなくて、僕はびくびくしながら謝った。

 その日の作業中、僕はずっと後ろから工場長の視線を感じて落ち着かないままだった。




 昼休み。

 デスクに弁当箱を広げて、水筒の中身を煽っていると、後ろからバーンと背中を叩かれた。


「よう三野、今日は災難だったな」

「……野崎さん」


 先輩作業員の野崎さんは、僕が最もお世話になっている人だ。この工場で働き始めてから今日まで、仕事のやり方の大半をこの人に教えてもらった。

 野崎さんは隣のデスクに腰かけ、パンを齧る。


「そういや三野ってさ」

「はい」

「彼女でもできたのか?」

「ブッ!」


 僕は、盛大にお茶を吹き出した。


「おおっ、その反応は図星か?」

「……できてませんよ」


 ただ、なんというか……居座られただけの女の子がいるってだけで。


「本当にいないのか?」

「いませんよ。だいたい、僕に彼女がいるかどうかなんて聞いても何の得にもならないでしょ」

「そんなことねえよ、すげえ気になる。なあ、園宮?」


 野崎さんが顔を向けた先、斜め向かいのデスクで小さなお弁当を広げていた女性が不機嫌そうに野崎さんを見返した。


「……なんで私に振るんですか?」


 冷淡な声で呟いたのは、先輩の園宮そのみや詩織しおりだ。先輩と言っても、野崎さんのように職場のではない。僕が通っていた工業高校の一年先輩だったひとなのだ。

 つり目がちな瞳を光らせている様子は睨んでいるようにしか見えないが、本人は物静かなだけできつい性格というわけではない。声も、元から少し低いだけである。その点を理解して見ればなかなか美人だし、あれで可愛いところもあったりする。

 まあ、今は完全に野崎さんにイラッとしてるみたいだけど。


「まあ、そう睨むな園宮。お前だって気になるだろー?」

「……き、気になりません!」

「お、詰まった詰まった、つっかえたー」

「…………」


 ドコ、バキ、ドガァン!


「……し、しおり先輩。ちょっとやり過ぎじゃ……」

「いい。野崎さんだし」


 パンパンと両手をはたくしおり先輩。彼女は空手の有段者なのだ。なんでも実家が道場なのだとか。

 あっという間にコテンパンにされてしまった野崎さんを憐に思いつつも、僕はお弁当の玉子焼きに箸を伸ばした。


「……なおきくん」


 僕と同じく、野崎さんはほうっておいてお弁当を食べ始めているしおり先輩が呟いた。


「なんですか?」

「やっぱり、彼女できたの?」

「ブッ!」


 玉子焼きを吹き出しそうになって慌てて飲み込む。


「な、なんでしおり先輩までそんな事訊いてくるんですか!」

「……それは」


 しおり先輩が無言で指し示す先には……僕のお弁当。

 なにかおかしいだろうか? 以前、木葉がデコデコの愛妻弁当みたいなのを作ってきたもんだから何とか言って聞かせて、随分オーソドックスなものになっているはずなのだが。


「僕の弁当、なにかおかしいですか?」

「うん」


 しおり先輩にしては珍しく、断定的な口調だった。


「……まず、冷凍食品が一個もない。なおきくんのお弁当、前は冷凍食品と夕飯のあまりだったのに」


 そういえば、こっちの方が安上がりだからって木葉が冷凍食品じゃなくて朝作るようにしたんだっけ。


「それから、栄養バランス。赤、黄、緑の量も絶妙だし、安くて美味しく栄養豊富な旬の野菜もおさえてる、色味もいい」


 赤、黄、緑は身体に必要な栄養素を三つに分けた3群点法というものらしい。

 これも木葉から聞いた話だが、赤はタンパク質など身体の素材となるもの、黄は脂質や糖質など身体のエネルギーとなるもの、緑はビタミンやミネラルや食物繊維といった身体の調子を整えるもの。これらを摂り過ぎず、不足させないことが重要なんだとか。


「最後に、なおきくん今日遅刻して走って来たよね」

「はい、それが?」

「なのに、お弁当の中身があんまり片寄ってない。お弁当の詰め方を良く知ってる人じゃないと難しいよ」

「…………」


 うかつだった。表面上は何の変哲もない普通のお弁当でも、そこまで工夫してあったなんて。


「……母です」

「え?」


 木葉にはお弁当のレベルを落としてもらうとして。なんとかこの場を切り抜けないと。

 僕はなるべく平静を装って、玉子焼きを口に運んだ。


「だから、実家の母親が作ってくれたんです。昨日、家に来てて、それで今朝も遅刻しちゃったんですよ」


 パクパクと、玉子焼きの次は野菜炒めに箸を伸ばす。もやしと春キャベツがシャキシャキと程よく火が通っていた。美味しい、さすが木葉。

 そうして料理に意識を飛ばしてとぼけること数十秒。


「そっか、お母さんか」


 しおり先輩は納得してくれたのだった。

 それにしても、しおり先輩も料理のこと詳しいんだな。女の子ってみんなそうなのかな?











 つっかれた。

 もう、本当につっかれた。疲れたじゃなくてつっかれた。工場長のばか、作業後まで怒ることないじゃんかよ。


「はあ、ただいま」

「あ、おかえり直樹」


 玄関に入ると、すぐに木葉がパタパタと出迎えてくれる。誰かが帰りを待っててくれるっていうのも、いいもんだなあ。


「今日、遅かったね」

「ん、ちょっと工場長に怒られてな」

「そっか、じゃあ……」


 僕の鞄を受け取った木葉が、鞄で半分顔を隠しながら言った。


「ご飯にする? お風呂にする? それとも……じ・ょ・う・じ?」

「せめてそこは『わ・た・し』って言って欲しかったな!」


 情事って、生々しすぎるだろ!


「じゃあ、ご飯にする? お風呂にする? それとも……プ・レ・イ?」

「何の!?」

「水着にする? ナースにする? それとも……せ・い・ふ・く? きゃー、直樹ってばマニアック!」

「だまらっしゃい!」


 取り敢えずメシ! と叫んで、中に入る。クスクス笑いながら、木葉がついてきた。


「ご飯、できてるよ」


 今日はお肉が安くなってたから、豪華だよー。と胸を張る木葉。その木葉がドアを開いた。


「…………」


 僕はその時気がついた。

 当たり前になりつつあった、食卓の上の料理たち。木葉がいなかった頃は、2日に一回はカップ麺やレトルト食品で、いつも一人で、栄養なんて微塵も考えたことなくて。でも、その方が楽だった。

 きっと、大変だ。栄養を考えるのも、限られたお金でこんなに沢山料理を作るのだって。


「ありがと、木葉」

「ふえ!?」


 僕は無意識のうちに、木葉の頭を撫でていた。


「夕飯も、弁当も。ありがとう、すっげーうまかった」

「あ……う、ん」


 しばらく、木葉は紅葉みたいに顔を真っ赤にさせてされるがままだった。

 僕は僕で、勢いにまかせて凄く恥ずかしいことしてしまっていると思ったけど、やめ時がわからなくて木葉の頭をずっと撫で続けた。


「……よしっ!」

「うおっ」


 突然、木葉が気合を入れて僕たちの妙な硬直状態は終わりを告げた。


「私、明日からもっとがんばるね!」

「え、え?」

「お弁当だよお弁当。もっと直樹に美味しいっていってもらえるように頑張る!」


 もっと頑張ってくれるのか。そんな今のままでも美味しいのに。すっごい張り切ってるなあ。

 …………。

 あれ? 弁当のレベル落としてくれなんて、言えない雰囲気じゃね?


「当分は、母親に作ってもらってることにしよ……」



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