表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

使い方のわからないお金

作者: 小桃 綾
掲載日:2026/03/24

 22時、仕事から帰宅してベッドの横に座り込んだ。

 マットレスに上体を預けて、大きく息を吐く。疲れすぎて「疲れた」の独り言すら出せない。


 職場の移転と自宅の引っ越しを同時にこなして、二カ月近く忙しい日々を過ごした。

 ようやく仕事が落ち着く兆しが見えて、気持ちも落ち着けそうだ。


 晩ご飯も入浴も済ませていない。でも明日は休みだし、このまま眠ってしまっても問題ないだろう。

 カバンからスマホを取り出して、ブックマークしているサイトを表示した。


 今まで頑張ったご褒美に、少しだけ夢が見たい。

 表示したのは宝くじのネット購入ページ。賑やかな表示の中に『サマージャンボ発売中』の文字が目に映った。


 来月はお盆で帰省するからお金を残しておきたい。どうせ当たらないんだから無駄遣いしたくない。でも少しだけ、夢を買わせて。


 購入ボタンを押して十枚だけ買う。


 決済完了の通知を見ることなく、私は当選の夢を見るより先に眠りに落ちていた。


 疲れすぎていたのか、夢も見なかった。


  ▼


 8月末、暑さが和らぐ気配を全く感じない夕方。仕事終わりにコンビニへ寄った。

 お盆の帰省で両親や甥っ子姪っ子にお小遣いをあげて、職場へのお土産も買って手持ちのお金が減った。お金を下ろさないといけない。


 今月の引き落とし額は分かるし、それが滞らないようにATMを操作してお金を下ろす。

 明細書不要のボタンを押して、取り出し口のお金を取った。


 ……?


 さっき、画面に変なものが見えた気がした。ATMの表示がバグる訳ないし、私の目がおかしかったかも。

 でも……


 何となく気になったので、財布にしまおうとしたカードをまたATMに入れて、残高照会のボタンを押す。

 表示された残高金額の桁数を、私は指で数えた。

 ……おかしい。

 こんな金額が表示されるわけない。


 画面に並んでいたのは九桁の数字。

 私の口座残高は──

 七億円になっていた。



 コンビニからアパートまでの帰り道、私は焦っていた。

 可能性が高いのは宝くじの当選金が口座に振り込まれたこと。でも、外でそれを確認するのが怖い。スマホに貼っているのは覗き見防止フィルムではなくただの保護フィルム。横から覗かれないように気をつけても、近くに人がいるだけで不安になる。


 もしあの残高が当選金じゃなかったら……

 何年か前にニュースで見た、どこかの役場が個人に誤送金したパターン?

 それとも、詐欺電話の言葉「アナタの口座が資金洗浄に使われている」が実は本当に起きてるとか?


 早く自宅に帰りたい。走ると周りから怪しまれるかも。大金を持ち歩いてる訳じゃないから襲われたりは……あ、カードの暗証番号は生年月日。免許も一緒に入れてるから財布を取られたらアウトだ。

 静かに、目立たないように。

 路傍の石のふりをして帰ろう……


 自販機でジュースを買う人。

 ペットを散歩させる人。

 すれ違う車。


 いつもの帰り道で見る平凡な日常風景。それなのに、この世の全ての人が自分を狙っている。そう思えた。


 自意識過剰なのは分かる。でも、私が持っているものの凄さ、ヤバさが分かるからしょうがないと思う。


 脇に変な汗をかきながら、いつも歩く距離を何倍にも感じつつ歩いて、ようやく自宅に着いた。



 玄関に入って鍵を締めると、急いでカバンからスマホを取り出した。

 震える指でネット購入のページを操作して、結果未確認の項目を押す。


 10枚を連番で買ったサマージャンボ宝くじ。それが1等と前後賞、それと5等に当選して、7億300円が口座に振り込まれていた。


 どうしよう……とりあえず、滅多に見られない画面だからスクショしよう。


 部屋に入ってベッドに腰を下ろす。大きく深呼吸しても心臓の鼓動は全然収まらない。


 念願の宝くじ1等が当たった。


 ……当たってしまった。


 口座残高を先に見たのでこれは勘違いじゃない。誰もが喜ぶ出来事だし、私も嬉しい。間違いない。でも……


 これから、どうすればいいんだろう。


 これからの人生が変わる大金。大抵の願いが叶うそれを手にした私は、自由ではなく、先の見えない不安を感じていた。



 次の日、いつも通り出勤して、いつも通り仕事して帰ってきた。

 昨夜、お金の使い道を考えて……結局、何も決まらなかった。それよりも寝不足で出勤するのが怖くて、いつも通りの就寝時間に眠った。やったことと言えば口座の暗証番号を変えたことと、通販で覗き見防止のフィルムを注文したことくらい。

 ……少し奮発してしまった。


 もしかしたらもう働かなくてもいいのかもしれない。仕事は大変だし。大変だけど……職場のみんなとは仲が良いし、頼りにされてる感じがするから辞めにくい。


 今後、どう生きればいいのか。


 お金の使い方ではなく、自分が何をしたいか考えてみる。

 やりたいことがなく、これといって欲しいものもなく生きてきた私には、アプローチを変えてもやっぱり答えは出なかった。


  ▼


 ある日の朝。出勤するためにバスを待っていると、私の後に並んでいる学生がポケットを叩いて慌てていた。


「ない……ない……」


 焦り具合が見ていられなくて声をかけると、定期券が見つからないらしい。今日は早く学校に行く必要があって、自宅に戻る時間がない。

 そう話していると、こちらに向かってくるバスが遠くに見えた。


 私は財布から千円札を取り出して渡した。


「返さなくていいよ」


 反射的にそう言ってから、少しだけ言い過ぎた気がして後悔したが我慢した。

 学生は何度も頭を下げて、バスに乗ったあとも私の隣に座ってお礼を言う。ずっと言われ続けて気恥ずかしくなったので学校のことを聞くと、クラブ活動のことを楽しそうに話してくれた。


 若いっていいなぁ。私の学校生活は何もなかったよ。


 明るく話す学生の表情に、私もなんだか明るい気持ちになった。



 次の日の朝、昨日の学生がバス停で待ち構えていて、千円札とラッピングされたクッキーを手渡された。

 昨日学校から帰って親に話したら喜んでくれて、親と一緒に作ったらしい。


 戻ってくると思っていなかった千円札。

 それが戻ってきたことよりも──


 私の知らないところで笑顔が作れた。


 それが、すごく嬉しかった。


  ▼


 とある土曜日。

 病院の会計窓口で老人が慌てていた。

 診察代が足りないらしく、財布をひっくり返して小銭を何度も数え直して、カウンターに並べていた。時間を気にしているのかかなり焦っているように見える。


「お金、足りないんですか?」


 声をかけると老人は私を見て頷いた。

 次の用事があって急いでいるのに手持ちのお金が足りなかった。お金を下ろしてくれば済むが本当にないか確かめているらしい。


 私は足りない金額を聞いて、少し迷ってから千円札をそっと渡した。


「ありがとう! 来週ここで返すから。本当にありがとう!」


 老人は何度もお礼を言って、急いで病院を出ていった。

 受付の女性が何も言わないところを見ると、常習犯というわけではなさそうだった。でも、あの千円が戻ってこなくても、それはしょうがないと思っていた。



 翌週の土曜日。

 病院の待合室で会計を待っていると、先週会った老人が隣に座った。


「先週はありがとう。少し話してもいいかい?」


 老人が話したのは先週のこと。あの日は老人の70歳の誕生日で、子や孫がお祝いで温泉旅行をプレゼントしてくれていたらしい。


「これは土産なんだが……本当は、もっといい物を渡したかった」


 老人はそう言うと、千円札と温泉まんじゅうを差し出した。


「……時間ギリギリで新幹線に乗り遅れるところだった。アナタのおかげで間に合ったし、楽しい温泉旅行になった。アナタにとってはただの温泉まんじゅうなんだが……どうか、私の感謝を受け取って欲しい」


 柔らかい笑顔で差し出されたそれを受け取って、膝に乗せる。


「あの日、もし間に合わなかったらな」


 老人が前を向いて目を瞑る。先週のことを思い出しているようだった。


「遅れても宿で合流は出来た。だが、子や孫たちと一緒に宿に向かうことはできなかった。……楽しいあの時間は、なかった」


 膝の上に乗る温泉まんじゅうの箱。

 でも、それは──

 ちょっと関わっただけの人の暖かい思い出、気持ちの一部のように思えた。


 視線を膝に落としたまま、思い切って老人に聞いてみた。

「あの、変なことをお聞きするのですが……お金って、何なんでしょうね」


「ん? ……そうだなぁ。お金そのものは何にもならん、せいぜい燃やして暖を取ることしかできん。何に使うか、何に変えるかで初めて意味を持つんじゃないかな」


 老人の言葉が胸に落ちる。

 使わなければ意味がない。たしかにその通りだ。でも、せっかく手に入れたものがなくなるのは怖い。

 答えは見つからない。代わりに、ふと思い付いたことを口にした。


「この千円札、……また受け取ってもらえませんか?」


 老人が不思議そうに私を見る。


「あげるっていうより……誰かが困っていたら、そのときに使ってもらえませんか」


 老人は少しだけ目を細めて、千円札を見た。


「……なるほど。それは金じゃなくて、役目(・・)だな」


 そう言って、老人は静かに頷いた。


 それは名前も知らない老人とのやり取り。私の中に答えは、まだ生まれない。


  ▼


 夜、駅の改札前でスマホを握りしめてオロオロしている人がいた。

 何かあったのはすぐに分かる。

 声をかけようとして、足が止まった。


 詐欺だったらどうしよう。

 関わって面倒なことになったら。


 結局、私はそのまま通り過ぎた。

 数歩進んで振り返ると、その人はまだ同じ場所にいた。

 誰彼構わず助けようとするのは怖い。そう思いつつも、胸に小さな引っかかりが残った。


 何か答えが欲しいのに、誰に何を聞けばいいのかも分からない。

 モヤモヤした気持ちを抱えたまま街を歩いていると、急に袖を掴まれた。

 「ひっ」と小さく声が漏れて、反射的に横を見る。私の袖を掴んでいたのは小柄な女性。子供みたいに幼く見えるのに、大人のような落ち着きが見える、不思議な女性だった。


「そこで占いやってるの。少しお話しない?」


 落ち着いた声とあどけない仕草で女性が指を差す。ビルの壁を背にして、小さな机と椅子が置かれていた。

 街角で占いをやっている人はたまに見かけるし、この女性もそうかもしれない。でも、歩いてる人を捕まえるほどアクティブな占い師さんは初めて見た。

 怖いと思っているのに、それを包みこむような不思議な空気。人通りもある、変なことにはならない……はずだ。


 周りの人の視線が気になったが、それよりも女性の不思議な雰囲気の方が気になっていた。

 胸の引っかかりが消えるなら、話を聞くのもいいと思えた。


 二人のことを周りの人が誰も見ていないことに気づかないまま、私は女性に促されて椅子に座った。



「最近、すごいものを手に入れたんじゃない?」


 座って最初に聞いた言葉に、思わず息が止まった。心臓が一拍遅れて跳ねる。


「……なんのことですか?」

「隠さなくていいよ。顔に出てる」


 女性は微笑んだまま、机の上に肘をついた。


「それ、怖い?」


 少しだけ、考える。


「……怖いです」


 自然と、そう答えていた。


「何が?」

「騙されることとか……奪われることとか。あとは……」


 言葉が詰まる。


「……使い方が、分からないことです」


 女性は小さく頷いた。


「いいね。ちゃんと分かってる」

「え?」

「分かってない人はね、『嬉しい』しか言わないんだよ」


 少しだけ、視線を逸らす。

 嬉しくないわけじゃない。でも、それだけじゃない。


「じゃあさ」


 女性が、少しだけ身を乗り出した。


「使った?」

「……少しだけ」

「どんなふうに?」


 頭に浮かんだのは、帰ってこないと思って渡した千円のことだった。


「困ってる人に、少し」

「いくら?」

「……千円です」


 女性は、ふっと笑った。

 馬鹿にされたような感じはしなかった。


「それで、どうだった?」

「……嬉しかったです」

「相手が?」

「それもありますけど……」


 少し考えてから、言葉を続ける。


「一人は、親も喜んで一緒にお菓子を作ってくれて……」

「うん」

「別の人は、私の知らないところで楽しい思い出になってたのが……なんか、良くて」


 女性は静かに聞いている。

 何も言わない。

 でも、目を逸らさない。


「それでいいのかは、分からないですけど」


 そう付け足すと、女性は少しだけ首を傾げた。


「何が?」

「……使ったのが、千円だけって」


 情けないような、そんな気持ちが少しあった。


「じゃあ聞くけど」


 女性はあっさりと言った。


「大金を使えば、もっと嬉しかった?」


 言葉に詰まる。

 少し考えて……


「……分からないです」

「でしょ」


 あっさりと返される。


「金額って、あんまり関係ないんだよ」


 そう言って、女性は指で机を軽く叩いた。


「むしろさ」


 少しだけ、声が柔らかくなる。


「急に大きく使うと、怖くなるよ」

「……はい」

「あなた、静かに生きたい人でしょ」


 ドキッとする。


「……はい」

「じゃあさ」


 女性は少しだけ笑った。


「そのお金、静かに使えばいいじゃない」


 シンプルな言葉だった。

 でも、すぐには分からなかった。


「静かに……?」

「うん」


 女性は肩をすくめる。


「目立たないように。無理しないように。誰かに見せるためじゃなくて」


 一拍おいて、


「自分が納得できる形で」


 その言葉が、ゆっくりと落ちてくる。


「……それで、いいんですか?」

「いいかどうかは、あなたが決めること」


 即答だった。

 そう言って、女性は少しだけ笑った。


「あなた、使えてないわけじゃないよ」


 その一言で、胸の奥が少し軽くなる。自分の中にあった“何もしていない”という焦りが、少しだけほどけた気がした。


「ただ……まだ怖がってるだけ」


 図星だった。


「でもそれ、悪いことじゃないよ」

「……そうなんですか?」

「うん」


 女性は頷いた。


「怖いってことは、大事にしてるってことだから」


 その言葉は、思っていたよりも優しかった。

 少しの沈黙のあと、女性が立ち上がる。


「今日はこれで終わり」

「え?」

「十分話したでしょ」


 あっさりしている。


「お金、払った方がいいですか?」

「いらない。その代わり……」


 女性が微笑みながら私を見る。


「よく考えて。それと、もしまた会えたら、お話を聞かせてね」


 私も立ち上がった瞬間、背後に人が立つ音が聞こえて振り向く。

 そこには、誰もいなかった。

 急に聞こえた背後の音に驚いたが、また前を向くと、そこにいたはずの女性の姿は、消えていた。

 さっきまで話していた足下には、机も椅子も、何もなかった。


  ▼


 当選してから半年。実家の隣にあった、長く人の住んでいなかった家を買った。リフォームは来月から開始する。

 使ったのは、当選金額の一割にも満たなかった。


 このお金がなくならない限り、老後の心配はない。安心して生きられるならそれで満足だ。

 そして、私の周りの人が邪な思惑のない笑顔を見せてくれるなら、私も嬉しい。

 身体が問題なく動くうちは働いて、キツくなったら田舎に引っ越してのんびり過ごそう。

 

 本当はどんどんお金を使って経済に貢献する方が世の中のためになることはわかる。でもここ最近の物価高を考えると、残しておいて不安を無くしたい。


 何かに投資してお金を増やす気もない。仮にこれが10億になっても、100億になっても、きっと私には使いこなせない。軽く考えて使ったらあっという間になくなる。使い道が見つかるそのときまで、大事に残しておこう。


 お金がなくて生活が縛られることは知っている。でも……

 お金があっても、自由になれるとは限らないと知った。


 ──お金があって、見えない何かに縛られることもある。


 そう思いながら、いつものように出勤する。

 変わらない朝の中で、少しだけ違う気持ちで。

 誰かの笑顔が見られることを願って、今日もまた、同じ道を歩く。


 今はそれでいいと、思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
これが小桃さんのお金観なんですね。 素敵な物語をありがとうございました。 (しいなさんの感想に笑っちゃった。。)(^◇^;)
30万円でいいので、くださいm(_ _;)m
昔は、高額当選者は銀行に行かないといけなかったんですけど、今はネットで買うと直で振り込まれるんですね。知らなかったー(^^; でも、銀行では高額当選者の手引きみたいな冊子(非売品)をくれて、大金を得た…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ