あとぬっぽり
土曜日。
あれから、侑李とは言葉を交わしていない。
教室の隅にたむろしている二軍女子達は、風見取と侑李の関係について無遠慮な妄想を耳打ちしてる。それが漏れ聞こえて、文喜の心をチクチクと責める。
お土産物屋への納品を済ませると、いつものように木陰のベンチに座った。
あれから父親は覇気がない。土産物屋に向かう際も、いつものようなねちっこい伝言はなく、たった一言「気を付けろよ」とだけ言った。
いがみ合いながらも、父親と鈴木店長はいいライバル関係だったんだな、と文喜は気付く。
人間ってのはわからない。
言葉のやり取りだけで人の心を推し量ろうとすると、痛い目を見る。
いつもこの場所で愚痴を言い合っていた侑李だって、まさかそこまで店や町の『これから』について考えていたなんて――ココでいくつもの言葉を交わしていたのに、それに気付けなかった事が文喜は悔しかった。
しばらくすると侑李がやってくる。
辺りを伺いながら、小走りで。
「信じらんない。あんな事あったのに、またココに来るとは思わなかった。群れからはぐれたニホンザルかと思った」
「サル界隈ではイケメンなんだ。嫉妬されて、群れから追い出された」
「あっそ。ぬっぽり池の水面にその顔を映してみな? 真実に気気づいて愕然とするから」
相変わらずの対応で文喜は安心する。それ故に、あの日の彼女が見せた弱々しい姿が辛かった。
「あ、周りに気を付けてね。風見取に見つかったら、大事なコラボがおしゃかになるかもだし――」眉をひそめ、真剣な表情で辺りを見る。「仕事の関係で、しばらくは東京に行ってるらしいから、大丈夫だとは思うけど……」
文喜はぬっぽり池を眺めた。自分がイケメンではない事実に愕然とするためではなく、風見取の事を語る侑李の顔を見るのが、なんとなく嫌だったからだ。
「なあ……」
「なによ」
「お前ら、もうヤったの?」
言った瞬間、後頭部に衝撃が走り、文喜は足元の湿った草に顔面を突っ込んだ。
「やってねーよ! 大人が女子高生に手ぇ出したら犯罪だろ!?」
確かに犯罪だ。
でも、それは今はだ。風見取の要求を受け入れるという事は、いずれヤツとそういう関係になるって事だ。
頬についた泥を服の袖で拭って、文喜はベンチに座り直した。口の中に入り込んだ砂つぶがジャリジャリする。
「あいつの要求……本当に受けんのかよ」
「受けるよ。イケメンだし、金持ちだし、最高じゃん……」
「性格悪いだろ、あいつ」
「悪いけど……嫌になったら逃げるよ。コラボが大成功して『ぬっぽり池』が再興したら、離婚届突きつけて逃げ出してやる……」
「そう上手くいくわけねーだろ」
「上手くいく」
「いかねーよ!」
「いくよ! なんでそんなイジワル言うの!」ベンチに座った侑李は、足元の草を蹴り上げた。「だってしょうがないじゃん!? この機会を逃したら『ぬっぽり池』はどんどん寂れていくし、そうなったらウチや大間庵だって潰れちゃうかもしれないよ!? お土産物屋もなくなって、このベンチだって……きっとなくなる……」
侑李は手のひらで座面を撫でる。
文喜も同じように撫でた。ヒビが入って剥がれかけている水色のペンキが、指紋に引っかかってカサカサと音を立てた。
2人はそのまま、何も言わずに『ぬっぽり池』を眺めた。
名画に煤をぶちまけたような、残念な景色だ。
ガラスの器に泥水を流し込んだような、後悔しか生まない景色だ。
でも、そんな暗澹たる景色を背景にして、文喜と侑李は花を咲かせ、舞い散らしていた。
友情という花、信頼という花、そして蕾をつけはじめた、今まで以上に鮮やかな花――
そんな日々を、このまま失いたくない。
本間庵も、パティスリースズキも、ぬっぽり池も、そして、鈴木侑李も……。今まで『どうでもいい』ってうそぶいてたもの達が、途端に輝いて見える。
「俺にとっての『ぬっぽり池』は、親父や鈴木さんの店だけじゃない――」
文喜は立ち上がって、恐ろしいほど灰色一色なぬっぽり池を睨みつける。
「鈴木侑李――お前がいてはじめて、俺が失いたくない『ぬっぽり池』なのかもしれん」
「文喜……」背中から侑李の声が聞こえる「くっさ」
「うるせーな」
「でも、嬉しい、かも……」
文喜の背中に固いものが触れる。侑李が軽く握った拳で、文喜の背中を小突いていた。
文喜も拳を握り、眺めた。
貧弱な手だけど、この見えない天井をぶち抜く力を込める。
「まだわかんないけど、俺、見つけるよ」力を込めた拳がプルプルと震える。「風見取の力に縋らなくたって『ぬっぽり池』が復活できる方法を――」
「自分一人で気張んないでよ」震える拳が温かいもので包まれた。「私も頑張るから、一緒に見つけよう」
硬く握られた文喜の手を、侑李の両手が包み込んでいる。
子供の頃から今日まで……それだけ長い間、一緒の時間を過ごしていたのに、侑李の体温を肌に感じたのはこれが初めてだった。
そして――
「あ……」
文喜の脳裏にあるアイディが浮かんだ。
それは希望の卵だった。温めなければ死んでしまうが、育てればきっと、未来が産声を上げる。
* * *
風見取秀は東北自動車道を飛ばしていた。
東京に戻ってから1ヶ月は、予定されていた雑誌の取材だったり、ネット番組の撮影だったり、15人いる彼女の相手だったりで大変だった。
25歳オーバーのハリの無い肌を何人も抱いたからか、沸る身体が10代のスベスベな肌を求めている。
もういっそ、今日は侑李を抱いてしまおうか。
法的にまずいかもしれないが、風見取は我慢の限界だった。それに事態が表面化しようとも、パパがなんとかしてくれるはずだ。パパが手がける菓子店は警察のお偉いさんも贔屓にしてくれてるし、色々融通を利かせてくれるだろう――そんな甘い算段が脳内で組み上がる。
パパはなんでも言うことを聞いてくれる。
パティスリースズキとのコラボ商品だって、パパが考えてくれたわけだし。
ありがとう、パパ。
愛車のハンドルを操作しながら、風見取はスマホでSNSを眺めた。どんな時でも、車の運転中だって、エゴサは欠かさない。
しかし、ある投稿でスワイプスする親指が止まった。
『福島県Z村の「ぬっぽり池」に誕生した新名物!』
脳がバグったような感覚に陥り、風見取は首を傾げる。
新名物?
パパの考えてくれたコラボ商品は、まだ提案すらしてないのに――新名物って、なに?
* * *
『福島県奥地の隠れた名所「ぬっぽり池」ですが、町おこしとして地域の高校生が考えた「お土産」が、今SNS上で話題になっています!』
『和菓子屋と洋菓子屋、地域を代表する二つの菓子屋のお土産を組み合わせた、まさに奇跡のマリアージュ!』
『大間庵の名物「ぬっぽり大福」を、同じく名物のパティスリースズキの「ぬっぽりクッキー」で挟み込むと、サクサク食感ともっちり食感が同時に味わえる激うまお菓子に!』
『2つの名物を同時に楽しめる画期的なお土産レシピ! 料理研究家のユージさんも太鼓判!』
『レシピを考案した高校生カップルが尊い』
『照れた顔の二人がかわいい』
『若者が地域を盛り上げようとする姿に感涙』
『こんな青春を送りたかった』
#ぬっぽり池行ってきた
#恋人の聖地
#推せるカップル
#ぬっぽり・マリアージュ
風見取はスマホを落としそうになった。
どういう事だ、これは――
* * *
文喜は配達の合間、いつものようにぬっぽり池を眺めていた。
どんより薄茶色の枯れ草みたいな風景の中に、何組ものカップルが鮮やかな花を咲かせている。
文喜が閃いた二つの名物土産の合体アレンジを、侑李はSNSで全国に発信した。
寂れた観光地である『ぬっぽり池』の現状と、抱えている問題。それを目の当たりにしたことで気が付いた故郷の大切さ。
だから自分達は、ぬっぽり池を守りたい。
そんな背景と共に発信された二つのお土産の合体レシピは、エモいエモいと祭り上げられ、若者やカップルを中心に拡散していった。
私と文喜が「推せるカップル」扱いされちゃったのは、最大級の失敗だったけどね――
侑李は大袈裟に嘆いて見せながらも、その表情は晴れやかだった。
「あー、サボってる」
聞きなれた声に振り向くと、オレンジジュースを持った侑李が立っていた。
「お前もサボりじゃん」
「私は……休憩」
勢いをつけてベンチに座る。
「あのな、こんなところに二人で座ってたら、また『推せるカップルだ』って誤解されて、観光客に写真撮られるぞ」
文喜はベンチの端っこまで移動して、そっぽを向いた。
「別に……私は、気にしないけど……」
侑李はゆっくりと文喜の座る側に擦り寄る。
「は? それって」
「あ、勘違いしないでよ! 私は営業戦略的に、その方が都合がいっていってんの!」
文喜のすぐ隣まできた侑李もまた、大袈裟な動作でそっぽを向いた。
「それよりさ……アレ、大丈夫なのかよ」
「アレ?」
侑李が首を傾げる。
「ほら、風見取とのコラボ企画」
「ああー。でもさ、観光客もどんどん増えてるし、お店の売り上げも右肩上がりだから、今更無理なテコ入れはいらないでしょ」
「そうじゃなくて、お前のこんやく――」
そこまで言ったところで、土産物屋の方向が何やら騒がし事に気がつく。文喜と侑李は同時にそちらに視線を移し「げっ……」と漏らす。
「どどどどどういう事だ侑李! おまえ、ぼぼぼぼ僕という婚約者がありながらああああ!!」
顔を真っ赤にした風見取秀が、両手を振り回しながら二人の座るベンチへと迫っていた。文喜は侑李の前に立って、風見取と対峙する。
「お前だな! 僕の侑李を誑かしたのは!」
端正な顔立ちが怒によって醜く歪んでいる。
「勝手しちゃった事は謝ります。でも、あなたも俺達も『ぬっぽり池を盛り上げていきたい』って目的は同じのはずですよね?」
穏やかな口調の文喜。しかしその奥には、目の前の男を問いただす強い信念が潜んでいる。
「そんなのどーだっていいんだよ!」風見取は更に語気を強めた「僕は侑李を落としたかっただけなんだよ! それを横から掻っ攫いやがって――」
怒りに呑まれて本心がダダ漏れだ。
ここが以前のぬっぽり池であれば、風見取の悲痛な叫び声だって野犬や野鳥の鳴き声に等しい。ただ草木をささやかに揺らすだけだったろう。
しかし、今やぬっぽり池は『恋人の聖地』だ。恋人達がそこかしこで愛を語らう中、風見取の掠れた叫びは耳障りな雑音として彼らの鼓膜を揺らす。
ひそひそ……
「あれ、風見取優の息子じゃね?」
ひそひそ……
「あの有名パティシエの……」
ひそひそ……
「そういや、こことコラボがどうとか言ってたよな?」
ひそひそ……
「地方創生とか散々キレイ事言ってたくせに、結局は女の子目当てだったって事?」
野次馬で集まってくる観光客の冷ややかな視線が、狼狽する風見取を突き刺した。
「あ、いや、ちがっ……」
言葉に窮した風見取は、頭を掻きむしる。
手に入らないものなど何もなかった。
有名パティシエの息子として生まれ、その跡を継ぐ者としてもてはやされながら育った風見取秀は、常に人から敬われてきた。
望めば差し出され、その両手はいつも満たされていた。
しかし、世の中には手に入らないものもある。
風見取秀はその事を生まれて初めて知った――
「破棄してやる……」
震える声で風見取は言った。
「お前みたいな売女との婚約なんて破棄してやる――」
「そんなの、こっちから破棄してやるよ!!!!」
掠れた叫びを食い殺す、侑李の怒鳴り声。
風見取はビクッと肩を震わせた。
野次馬から向けられる侮蔑の目と、侑李から注がれる怒りの視線。それらに耐えきれなくなった風見取はおずおずと踵を返した。
「お、覚えてろよ……パパに言いつけてやるからな……!」
想像出来る限り最もショボい捨て台詞を吐きながら、風見取秀は走り去っていった。
残された文喜と侑李は、顔を見合わせて疲れた笑顔を浮かべる。
そこに野次馬の一人が歩み寄り――
「あの、推せるカップルさんですよね? このお土産にサインもらっていいっすか?」
* * *
秋が終わり、冬が過ぎて、春が来た。
パパに言いつけられたはずなのだが、今のところ風見取親子から何のアクションもない。
きっと風見取秀の淫らな女性関係がスクープされ、結婚詐欺紛いだと世間から大バッシングを受けたため、その火消しで忙しいのだろう。
ぬっぽり池の水面のように、のっぺりとした日常が今日も続いている。
土曜日の朝、いつものように配達を頼まれた大間文喜は、いつものように原付に跨り、エンジンをかけた。
父親は眠そうな目をしていた。
定例戦略会議と称し、パティスリースズキの鈴木店長と夜中まで飲んでいたらしい。若い奴らに負けてらんねぇと、第二の『ぬっぽりマリアージュ』を開発していると言っていた。
鈴木のやろう、何もわかっちゃいねえんだ。
そう悪態をつく父親の声に、以前のような卑屈な感情は含まれていない。ちょっとした向かい風は、言うべき事を言い合いながらも、少しずつ前に進んでいるが故だ。
どんな逆境も、力を合わせれば乗り越えられる。
原付の風を浴びながら、文喜はそんな月並みな言葉を思い浮かべた。
風見取の一件は災難ではあったけど、『ぬっぽり池』と共に生きる人々が新たな道を切り拓くためには、必要な向かい風だったのかもしれない。
配達を終え、ぬっぽり池のほとりにあるベンチでコーラの蓋を開ける。その冷たさが心地よく感じるほどに、暖かな春がこの町を包み込んでいた。
遠くの山並みが、山桜で白く色付いている。
これから、ぬっぽり池が一年でもっとも美しい季節になる。
お土産物屋から、今日も侑李がやって来た。
いつものオレンジジュースを片手に。
この場所で、あんな恥ずかしい会話を交わしたにも関わらず、二人の関係は未だに『仲間』のままだ。
あの日以来、手だって触れていない。
でも――
それだってきっと、これからだ。
お読み頂きありがとうございます!
初めて『ざまあ』っぽい現実恋愛のお話を書いてみましたが、簡単だと思ってた『いやーな悪役』がなかなかに難しく、書くのに苦労しました……。ちゃんと悪役になってるかな?
少しでも、ざまぁっぽい成分を感じてもらえたら嬉しいです。
それでは……。




