まえぬっぽり
このお話は武頼庵さん主催『秋のお土産企画』参加用として書いてたのに、結局間に合わなかったやつです。
なんか勿体無かったので『春のチャレンジ企画』として書き上げてみました。一応、仕事っちゃ仕事だし……。
前後編で1万文字くらいです。
ちょい長いですが、よろしくお願いします!
ぬっぽり沼――
新潟と福島の県境にある、ほとんどの人に知られていない寂れた観光地である。森の中にポカンと口を開けた不毛地帯。沼の成分がどうやら植物の生育によくないらしく、沼を中心に荒れた土壌が広がっている。
運良くなのか運悪くなのか、その景色を拝む事が出来た者は、もれなく同じ言葉を思い浮かべるだろう。
『来なきゃ良かった……』
ぬっぽり沼は、一応は天然記念物であるものの、感動とは程遠い虚無の感情を見るものに刻みつけるのだ。
* * *
沼のほとりには、客足もまばらな古ぼけた土産物屋が存在する。
存在意義が不明な『ぬぽにゃん』というマスコットキャラのぬいぐるみを筆頭に、ぬっぽり5ヶ条が印字された手拭いや、龍が巻きついてる剣のキーホルダー、それに謎の木刀。そしてそのどれもが、うっすらと埃を被っていた。
大間文喜は、その土産物屋に『ぬっぽり2大銘菓』の一角『ぬっぽり大福』を卸している、老舗和菓子屋『大間庵』の倅である。
ぬっぽり大福は、求肥で秘伝の餡を包み込んだ、平たく言えば至って平凡な大福である。一応餡子には黒糖が使用されていて、薄黒いぬっぽり池の水面がイメージされている。
「文喜よ」
大間庵2代目であり現店主の父親が、土産物屋へ配達に向かおうとする倅を呼び止めた。
「昨日の売り上げ、『パティスリースズキ』に負けてんだよな。野郎んとこの娘っ子に嫌味の一つでも言付けてきてくれ」
岩石のような顔と頭に巻いた手拭いは、質実剛健な古き職人の様相を見せてはいるが、その実負けず嫌いでねちっこい。こんな未来の見えない先細りの観光地で、ひたすらに大福を包み続けられるのは、ひとえにそのねちっこさの賜物であろう。
文喜は返事をする気も起きずに、曖昧に首を動かす。
『パティスリースズキ』は『大間庵』と双璧をなすぬっぽり池に根差した洋菓子屋だ。『ぬっぽり2大銘菓』のもう一つである『ぬっぽりクッキー』は、ぬっぽり池の水面をイメージしたチョコクッキーである。2枚入りの個装が10袋で一箱。お世辞にもオリジナリティが見られない、至って普通のチョコクッキーである。
ぬっぽり大福とぬっぽりクッキー。この2つの売り上げの差分なぞ、文喜はこれっぽっちも興味がわかなかった。
気になっているのは、一つだけ――
土産物屋裏の砂利に原付を止めて、ぬっぽり大福の箱が入ったバッグを片手に、裏口から店内に入る。狭苦しいバックヤードに置かれたデスクにバッグを置いて、暖簾の隙間から売り場を見た。
パティシエのコックシャツを着た女の子が、退屈そうにドアの向こうのぬっぽり池を眺めていた。
鈴木侑李。文喜の高校のクラスメイトで、今一番気になっている女子。
暖簾の向こうの文喜に気が付いた侑李は、腰のあたりで小さく手を振る。文喜は頷くと、裏口から店を出た。そして原付を押しながら、少し離れた木陰のベンチへと向かう。
ほんの数十分の、2人だけの時間。
* * *
ライバル店の3代目同士として、子供の頃から顔を突き合わせていた2人は、単なるクラスメイトとはちょっと違った感情を、お互いに向け合うようになっていた。
それは友情とも愛情とも違う。同じ運命を持つ仲間、と言うのが一番近い表現かもしれない。
どちらのお菓子がぬっぽり沼の銘菓にふさわしいか……そんな親同士の争いなど、2人にはどうでも良かった。ぬっぽり沼が観光地としてどんどん痩せ衰えていくのは目に見えているし、それに縋るような商売がいつまでも成り立つわけがない。
でも、そんな不満を親にぶちまけられるほど、2人は成熟していない。高校生なんて、見た目は大人でも、社会的にはまだまだ無力な子供だ。
文喜がベンチでコーラを飲んでいると、オレンジュユースをブラブラさせた侑李がやってきて、隣に座った。
2人は無言で、ぬっぽり池を眺める。
観光客からしても面白みもないその景色は、それを見慣れた2人にとっては、もはや道路沿いのゴミ捨て場だった。この陰気なゴミ捨て場に、2人は貴重な青春の日々を投げ捨てていた。
「親父、イラついてたぜ。昨日の売り上げ、お前んとこに負けたから」
痰を吐くみたいに、文喜は言う。
「あっそ。どーでもいいし」
侑李はオレンジジュースのペットボトルを傾けて、小さく喉を鳴らした。襟足のあたりで無造作に結んだお団子髪がひしゃげる。
「俺だって、どうでもいい」
張り合うように文喜は言った。
そして、2人は無言のままぬっぽり池を眺める。
この、行き先が詰まった日々はいつまで続くのだろうか。
小皿の上の残飯を奪い合うようなお互いの両親の対立と、それに巻き込まれる自分たち。
その未来は、ぬっぽり池の水面みたいに暗澹としていた。
* * *
そんな彼らの日常は、突然立ち上がったプロジェクトによって、水面に張っ氷みたいに打ち砕かれた。
あの天才パティシエ風見取優の息子である風見取秀が、ぬっぽり池の辺りに洋菓子店を建てるらしい。
最初は町内会の噂でしかなかったその話も、件の風見取秀がぬっぽり池の視察に現れた事で、一気に現実となる。
『地方にはまだ、優れた文化が存在します。僕はそれを盛り上げていきたいのです』
ぬっぽり池の写真と一緒に、そんな文言がXに上げられた。
製菓専門学校を出てからも実務経験はなく、ネットでばかりデカい顔をしているドラ息子が、どの面下げて大言造語を宣うか――そんな否定的な声もあるにはあったが、あの『風見取優』の息子ならばあるいは……という声がそれを凌駕してた。
ぬっぽり池が活気づくのであれば、それは町民や菓子屋の二人にとっても願ったりである。
しかし、事はそう単純には運ばなかった。
風見取秀は、あろうことか『パティスリースズキ』とだけ、コラボを表明したのだ。
いがみ合う二つの家の均衡が崩れる。
ぬっぽり池の老舗菓子屋……その明暗は大きく分つこととなった。
* * *
高校の帰り。
原付通学の文喜が山道前の交差点で信号待ちをしていると、隣にレクサスLSが止まった。運転席には風見取、そして助手席に座っているのは――侑李だった。
運転席で人たらしな笑顔を見せる風見取。
少し困った笑みの侑李は、逃げ場を求めるように窓の外へと視線を移し、そこで文喜と目が合った。
侑李の目が見開き、すぐに俯く。
信号が青に変わった。
レクサスは重たいエンジン音を響かせながら、ぬっぽり池へ向かう山道を物凄いスピードで駆け上っていく。
文喜の原付も、新聞紙を丸めるみたいな軽いエンジン音を鳴らして山道を上った。しかし、その差はどんどん広がってき、やがてレクサスは見えなくなった。
* * *
文喜がぬっぽり池に到着すると、すでに一悶着あったらしい。
土産物屋の裏にある砂利の駐車場のは、文喜の父親とパティスリースズキの店長、そしてポケットに手を突っ込んで微笑を浮かべる風見取がいた。
風見取の後ろには、所在なさげに立ち尽くす侑李。
「いいところに来たなぁ、文喜……」
「親父、何があったんだ?」
そう尋ねてはみたが、文喜にはおおよそ察しがついていた。
「鈴木の野郎、裏切りやがった……」怒りで声が震えている。「この大馬鹿野郎は、そこのボンボンとのコラボの話、受けるらしい!」
「ああ……」
怒りで破裂しそうな父親とは違い、文喜はこの件について冷静で俯瞰的だった。
正直なところ、コラボなんかよりも気になる事がある。それは、風見取のうしろの侑李の事。
「裏切りとは心外ですね、大間くん」
細身でインテリチックなメガネの鈴木店長は、深い溜息を吐く。
「うるせえ! 余所者の金に縋りやがって! 情けねえんだよ!」
父親は野犬のように吠える。
「情けない? これは立派なビジネスです。風見取さんは『ぬっぽり池』の観光地としてのポテンシャルを評価してくれた」メガネを指先でクイっと持ち上げる「そして、この町の未来を築いていくにあたって、私の『パティスリースズキ』の力を必要としてくれた! ただ、それだけの事――」
「それだけの事だと……?」父親の視線が揺れる。大事な宝物を壊されたみたいな、行き場のない感情の揺れ。「俺たちは、競い合ってきただろ? ぬっぽり銘菓の座を勝ち取るため、己の全力で戦ったきただろ? それなのに、お前は……」
「勝手にライバル視して突っかかってきたのは大間でしょう? あなたは昔の頃からそうですね!? 本当は私が羨ましいだけなんじゃないですか!? 風見取さんに見初めれなかった事が、悔しいだけでしょうが!」
「うるせえバーカ!」
「なんだとアホ!」
「まあまあ、お二方。おっさん同士の醜い言い争いを純粋な若者に見せつけるのは、よくないですよ」
一人で薄笑いを浮かべていた風見取が、二人の会話に割って入った。憤怒する大人2人を横目で見やり、舌先でペロリと唇を舐める。
「安心してください。僕がコラボしたからには、この斜陽な『ぬっぽり池』にだって、再び日が当たるでしょう。あなたの古臭い和菓子屋だって、多少はその恩恵を受けられるはずですので、悪しからず」
「古臭いとはなんだ! おい文喜! この野郎のご立派な車に、そこの石ころで傑作を描いてやれ!」
文喜も、さすがにそんなねちっこい嫌がらせをする気はない。
「この僕がスズキさんに肩入れしているのが気に食わないのでしょう? でもね、こちらとしては、もうスズキさんは他人じゃないんだ――」
意味深な物言いだった。
なんの事かと首を傾げる一同を尻目に、風見取は後ろに立つ侑李の手を引くと、腰に手を回した。
「おい!」
咄嗟に、文喜から怒声が漏れる。
それを聞いた風見取はサディスティックな笑みを浮かべた。
「喜んで下さい、僕は彼女を気に入ったのです。僕の隣を狙う女達は何千何万といますが、侑李さんを僕の隣に置いてあげてもいい――」
腰に回した手を強く引き寄せる。
バランスを崩した侑李は風見取にもたれかかってしまい、不快感からキツく眉根を寄せた。
しかし当の風見取はそれを知らない。気にしようともしない。
侑李の感情などお構いなしだと言わんばかりに、優越感に酔いしれた表情でおじさん2人を見ていた。
「彼女、SNSでこの『ぬっぽり池』について毎日発信してたんです。健気ですよね。そこに映り込んでた侑李を見て、その直向きさに感銘を受けました」
そう言いながらも、風見取は花を這うナメクジのように侑李の臀部を撫で、鼻の下を伸ばしている。
この男が、健気とか直向きさとか、そういう人柄の尺度で彼女を測っていないことは明らかだった。
「そういう訳で、もう僕たちは『他人』じゃないんですよ、お義父さん」
「あ、え……?」
どうやら鈴木店長は、そんな事情を知らなかったらしい。自慢顔の風見取と俯いた侑李を交互に見て、困惑の表情を浮かべている。
「というわけで、家族なんですから、この僕が『パティスリースズキ』に肩入れするのも当然です。でも、もし家族じゃなければ、どうかなぁ……?」
そう言って侑李を見た。
俯く彼女の細い肩が、小さく震えた気がした。
文喜は風見取の魂胆を知って愕然とした。
この男は『ぬっぽり池』の再興なんてはなから考えちゃいない。SNSで見かけた侑李に一目惚れして、自分のものにするために一計を案じたのだ。父親の店とのコラボを引き合いに出して、誰も反論できない状況を作り上げたのだ。
握った拳の爪の先が、手のひらに食い込んで痛い。
文喜は何か言いたかった。ふざけるなと叫び出したかった。
しかしその一言が、父親の店の――そして『ぬっぽり池』を抱えたこの町の再興を願う侑李の思いを挫くかもしれないと思うと……何も言えなかった。
「まあ、そういう事なんで、これから僕は彼女とディナーに向かいます。この辺りはろくな店がないから、街の方へ……。あ、ご安心ください? 門限までには返しますよ。高級なワインは、熟せば熟すほど味わい深いので――」
高笑いを浮かべながら、侑李の手を引いてレクサスに乗り込む。そして重たいエンジン音を響かせ、砂利を撒き散らしながら、坂を下っていった。
乾いた砂埃が風に流され、呆然とし鈴木店長の顔が顕になる。
「いいのかよ、鈴木……」
大間父親の発した言葉に、鈴木店長は何の言葉も返さない。ただレクサスが走り去った先を、じっと見つめていた。
あとぬっぽり、に続きます。




