第8話 マール、はじめての採取依頼
朝食のあと、レグルス隊はその足でギルドへ向かった。
街の中央通りは朝市の活気に満ち、焼き魚の匂いや香草の香りが風に混じって流れてくる。マールはきょろきょろと首を動かしながら、小さな靴で一生懸命について歩いた。
「今日受けるのは、軽い採取依頼だ」
レグルスの言葉に、マールの目がぱちっと輝く。
「たべられる草?」
「……いや、食べるためではなく薬を作るための草だ。絶対にその場で食べるなよ」
「う、うん……たぶん!」
なんとなく後ろの三人が「あの反応は絶対食べるな……」という顔をしていたが、今は見なかったことにされた。
ギルドの扉を押すと、今日も傭兵たちのざわめきでいっぱいだった。依頼ボードの前でわいわい騒ぐ者、戦利品を自慢する者、受付の女性に必死にアピールする者。
「お疲れ様です、レグルス隊のみなさ――っ!?」
受付の女性は、レグルスの背後からひょこっと顔を出した“ちっちゃい男の子”を見つけて固まった。
レグルス隊が帰還した際もマールがいたはずだが、今は身だしなみも整っているので別人に見えているらしい。
「え、えっ……かわ……いえ、こほん。どちらのお子さんです?」
「拾った」
レグルスが真顔で言い、後ろの三人が(説明放棄した!)と内心つっこんだ。
「それで、依頼ボードの一番右下にある依頼なのだが」
「(拾ったってどういうことなの……)あぁ、あの採取依頼ですね? 薬草“シソバジル”の収集は、傭兵見習いさんのお小遣い稼ぎ用でして。街の小さい子でも入れるほど森の浅い場所ですし、危険度は低いですよ」
そう言いつつも、受付嬢はまだマールを凝視している。
「……本当に男の子? 髪も目もこんなに綺麗で……」
「き、きれい……っ?」
マールは固まった。褒められることに慣れていないせいで、顔が真っ赤になる。レグルスはさりげなくマールの前に立ち、受付嬢の視線を遮った。
「この依頼を受ける。場所は把握しているので大丈夫だ」
「あっ……は、はい! いってらっしゃいませ!」
受付嬢がまだ名残惜しそうにマールの姿を追う中、レグルス隊はギルドを後にした。
街の喧騒が遠ざかり、ほどなくして木々の影が地面を覆い始める。魔の森といっても、入り口付近は明るい日差しが差し込み、鳥の声すら聞こえる――だが、その奥に広がる危険を知っているのは大人たちだけだった。
アッポロが前に出て、太い腕で茂みをがさりと押しのける。
「あぁ~、腹が減った」
フリッツは低い姿勢で地面を確認し、罠や魔獣の痕跡がないか確かめる。
「いや、朝メシを食べたばかりだろ!?」
ドクペインは木々の葉を一枚ずつ見て、毒草の位置取りを淡々と説明していく。
「ならこの毒草を味見してみませんかアッポロ。三日三晩、下痢で苦しみますが」
マールはというと――小さな靴でとてとて歩きながら、レグルスの隣にぴたりと寄り添っていた。胸の奥で“初めての依頼”への期待がぽわぽわ膨らんでいる。
「シソバジルはコイツだ。紫色の葉で、触ると少し冷たい。匂いを嗅げばすぐ分かるはずだ」
レグルスはしゃがみ込んで、そっと葉の特徴を教える。その大きな体に影が落ち、マールは目をぱちぱちさせながら真剣に聞いていた。
こくこくと頷き――しかし次の瞬間、目がきらりと光る。
(……食べたら、どんな味かな……)
完全に別方向へ走り出した思考に、背後の三人は同時に顔を引きつらせた。
(((絶対食べる気だ……)))
魔の森に生えるものはすべて毒。もちろんシソバジルも例外ではない。
だが初心者向けの採取依頼でもあり、“根を土から抜かず、茎を切る”という正しい手順さえ守れば安全だ。逆に根を引き抜くと、葉っぱがぷくぅっと膨らんで――ぼんっ、と毒液を撒き散らす。
そんな恐ろしい仕様を聞かされつつ、マールはきらきらと目を輝かせたまま、紫色の葉にそっと指を伸ばした。
「……きれい……」
朝の光に透けるそれは、毒々しさよりも宝石のような美しさをまとっていた。小さく息をのんで、地面近くの茎を“ちょきん”とハサミで丁寧に切り取る。
そして両手で大事に抱えて、レグルスの前に差し出した。
「レグルスおじさん、これ……!」
「……よし。よくできたな」
短いが、まっすぐな褒め言葉。マールの顔がぱあっと花開いたように明るくなる。
「えへへ……!」
その後も――
「レグルスおじさん! これもシソバジル?」
「それは違う。触るな。毒が強い」
「これは?」
「それは正解だ。切り取れ」
「これは?」
「……ただの雑草だ」
レグルスのもとへちょこちょこ走っては、確認して、また走り去り、また戻ってくる。その健気さに、アッポロたちの表情はどんどんゆるんでいった。
「なんか……癒されるっすね」
「隊長の声がやわらかい……!」
「尊い……」
やがて、かごいっぱいにシソバジルが集まった。マールは胸をぐっと張り、誇らしげに宣言する。
「マール、がんばったよ!」
大人たちは自然と拍手した。
レグルスも、ほんのわずかに口元を緩める。
「……ああ。よくやった」
その一言で、マールの小さな胸は達成感いっぱいに満たされた。
◆
採取を終えた森の帰り道。
マールは抱えたかごを胸の前でぎゅっと持ち、鼻歌まじりにとてとて歩いていた。足取りは軽く、頬はほんのり赤い。
「マール、できる子!」
跳ねるように言う声に、アッポロたちは思わず目を細める。
「調子いいな、ちび!」
「今日は本当によくやったっすよ」
「えぇ、とても有意義な採取でした……ふふ」
ただ一人、レグルスだけは険しい視線を周囲に巡らせていた。
「……気を抜くな。森は帰るまでが仕事だ」
「はぁい!」
返事は元気よく。しかし、心が浮き立っていたマールの視線は、すでに次の“紫色の葉っぱ”を探して、キョロキョロと泳ぎ始めていた。
そんなとき――
「あっ、あっちにもシソバジルがあるよ!」
「おい、待て!」
レグルスの声が届くより早く、マールはぱたぱたと草むらへ駆けていく。だが、そこで草陰がぴくりと震えた。
「えっ……!」




