第7話 その小さな身体に
朝の光が差し込むと同時に、マールはぱちりと目を覚ました。
ふかふかの布団は、納屋の小麦袋を並べた寝床とは、比べものにならないほど快適だった。小さな身体を包み込むような柔らかさに、思わず頬がゆるむ。
(……ここが、レグルスおじさんたちの家……)
これまでとはまるで違う、静かで、安心できる空気。マールは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、布団からそっと抜け出した。
階下に降りると、小さな拠点の一階では、すでに三人の隊員が思い思いに朝の準備をしていた。
「……いち、に、さんっ……ふんっ!」
アッポロが外で丸太を担ぎ上げ、筋肉を隆起させながらトレーニング中。
「弓の張りは問題ないっすね。矢羽のバランスも……よし」
フリッツは無駄のない動きで武器の整備をしている。真剣な横顔は、どこか職人のようだ。
「ふふ……私の毒たちも朝日を浴びて気持ちがよさそうですね」
ドクペインは……なぜか朝から毒瓶を並べて調合を始めている。にこやかなのに内容が物騒だ。
マールはキョロキョロと視線を動かし、レグルス隊の“日常”に目を輝かせていた。
(すごい……みんな、朝から楽しそう……!)
「起きたか、マール」
低い声に振り向けば、レグルスが腕を組んで立っていた。いつもと変わらぬ鋭い金の瞳――だけど、その奥にほんの少しだけ柔らかさがあるように思えて、マールは嬉しくなる。
「おはよう、レグルスおじさん」
「――え」
一瞬、空気が止まった。
レグルスの眉がぴくりと動く。目の端がかすかに震え、喉の奥で何か言いかけて飲み込んだような表情になる。
「……おじ、さん……?」
低くつぶやくレグルスの背後で、三人の隊員が即座に反応した。
「そりゃそうっすよ、隊長。八歳の子からしたら、三十代はオジサンっす」
フリッツが口元を押さえて笑いをこらえる。
「まあ、実際見た目もおじさんだしな!」
アッポロは豪快に笑う。レグルスの金の瞳がすっと細くなる。
「レグルスおじさん……ふふ、隊長よりも親しみがあっていいですねぇ」
ドクペインが満面の笑みで毒瓶を揺らす。
「…………」
レグルスは額に手を当て、深く息を吐いた。
(まぁ、元気になってよかったのか? 出会った頃よりだいぶ喋るようになったし、少しは心を開いてくれたようだが……)
うなるように悩み始めたレグルスの姿を見て、マールは首をかしげる。
「? レグルスおじさん、どうしたの?」
「……いや。昨日はよく眠れたか?」
「うん!」
安心したように頷いたレグルスだったが、マールはあることを思い出し、勢いよく手をあげた。
「ねぇ、レグルスおじさん! マール、みんなの仕事についていってもいい?」
「仕事って、魔の森での依頼ってことか?」
「うん! マール、お手伝いしたいの。果物だって、たぁ~くさん採れるよ?」
両手を上げ全身でアピールする彼女の姿に、アッポロやフリッツ達は互いに顔を見合わせた。
だが彼らの表情は、純粋に喜んでいるというよりも、戸惑いの方が大きいようだ。
レグルスはその空気の変化を敏感に察し、そっとマールの前にしゃがみ込んだ。
「……どうして魔の森に行きたいんだ? 心配しなくとも、この家にいれば飯は食えるし、安全だ。お前を傷つける奴もいない」
優しく言ったつもりなのに、その言葉を受けたマールの肩がびくっと揺れた。マールの大きな瞳が、不安に濡れたように揺らぐ。
「……っ、でも……」
小さな拳がぎゅっと握られる。喉の奥がつまったように声が震え、言葉にならない息が漏れる。
「マール……なにもしてないのに、ここに居ても、いいの……?」
絞り出すような声。
「マール、要らない子になりたくない……」
その瞬間、空気がひやりと止まった。
アッポロは丸太を肩に担いだまま固まり、フリッツは手にしていた矢を落とし、ドクペインは毒瓶の蓋を閉め忘れるほど驚いた。
マールの頬が涙でふるふると揺れる。
「だって……お手伝いできなかったら……追い出されるかもって……。もとのお家では、マール……なにもできないから、いつも……邪魔って……っ」
言葉を続けるほど、幼い胸の奥に隠していた不安がぽろぽろと零れ落ちる。
「ここにいていいなら……がんばりたいの。マール、ちゃんと役に立ちたい……! おじさんたちに、いらないって言われたくない……っ」
涙目で訴えるその表情は、あまりにも幼くて、必死で、痛いほどいじらしかった。
レグルスの喉がかすかに鳴る。
彼の金の瞳に、一瞬だけ鋼のような決意が宿った。
「……マール」
レグルスの声は、いつもより一段低かった。
「お前の気持ちは嬉しい。……だけどな、魔の森は危険だぞ?」
「え……」
マールはしゅんと肩を落とした。意地悪で言っているのではないのは分かる。分かるのだけれど――。
「隊長の言うことは正しい。森は危ねぇんだ」
アッポロが腕を組んで頷く。
「今は無理をせず、この家でお留守番するだけでも十分だ」
フリッツは淡々と、しかし優しく付け加えた。
「死んだら料理が食べられなくなりますよ。そんなのは嫌でしょう?」
ドクペインの妙に的確な言葉に、マールはむむっと頬を膨らませる。
そんなマールを見て、レグルスは小さく息をついた。
「……俺たちの指示に“必ず従う”こと。その約束が守れるのなら、一度連れて行こう」
その声音は厳しさの奥に、確かな優しさが宿っていた。
「ほんとに? マールも仲間に入れてくれる?」
「あぁ、本当だ。約束する」
マールは少しだけ元気を取り戻し、こくりとうなずいた。
「……ありがとう! マール、がんばるね!」
こうして、マールの新生活と“最初の一歩”が始まった。




