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第2話 初めて知る温かさ


 「グルルルッ……!!」


(……いや……)


 地面は冷たく、体は思うように動かなかった。赤い目をした“狼型の魔獣”が涎を垂らしながらマールを覗き込んでくる。


(……うごけない……)


 声は出ない。ただ、胸の奥が必死に早く打っていた。


 魔獣の影が覆いかぶさり──牙が光った、その瞬間。



 ――ズドォンッッ!!


 大きな衝撃音がして、魔獣の体が横に弾き飛んだ。土煙の向こうに、大きな斧を振り下ろした“巨体の男”が立っていた。


 丸太のような腕を持つその男は、何が起きたか説明もしないまま、魔獣の位置を確認して構えをとる。


「こっち、片付いた」


 落ち着いた声が森に響いた。



 ヒュンッ──。

 鋭い音とともに、別の魔獣の脚へ矢が突き刺さる。矢を放ったのは細身の男。表情は静かで、矢を番える動作も無駄がない。


「まだまだ居ますよってば……矢の無駄打ちになるんで、しっかり倒してくださいよ!」


 淡々とした声で文句を言いながらも、視線は敵から外さない。



 さらに奥から毒霧をまき散らす魔獣が現れた。黒衣の青年が小瓶を軽く放ると、紫色の煙が広がり、毒霧が触れた瞬間に消えていく。


「あ、よかった。試作の解毒薬でしたが、成功したようです」



 そして──最後に、ゆっくりと一歩踏み出す気配があった。


 日焼けした肌。全身のところどころには、龍人族特有の黒い鱗がある。神々しさすら感じられる金色の瞳が、静かに光っている。


 その男が現れただけで、空気が変わるのがわかった。


(すごい……)


 男が剣を抜くと、一瞬で数体の魔獣が倒れていく。音が消え、森から気配が一気に薄れた。



 静かになった後で、彼らは倒れているマールに気づいた。


「……子ども?」


 驚いた声が落ちる。

 金の瞳の男が歩み寄り、マールをそっと抱き上げた。その体温の低さに、彼は眉を寄せる。


「っ……マズイな、かなり弱っている……!」


 呼吸は浅く弱い。声もほとんど出ていない。男は言葉を発することなく、背後にいた仲間たちに視線を送る。


「周囲、もう一度確認する」

「毛布持ってきます!」

「私は薬の準備を」


 短い言葉に、全員がすぐ反応し動き始める。慣れた連携だった。視界が暗くにじむ中で、マールは思った。


(……たすかった……の……?)



 ◆


 ぱち、ぱち。


 焚き火の小さな音が、静かな森に広がっていた。冷えた朝の空気の中で、火のそばだけがほっとするように暖かい。


 マールは浅い眠りからゆっくりと目を開けた。体のだるさはまだ残っている。それでも、先ほどまで感じていた息苦しさは薄れていた。


(……あったかい……)


 視界に入ったのは、焚き火と、その前でしゃがんでいる男の背中だった。大きな体に似合わず、鍋を扱う手は驚くほど静かで丁寧だった。


 男は木のスプーンでお粥を混ぜ、器によそい、マールの様子を一度だけ見てから歩み寄ってきた。



「……起きたか」


 低い声だったが、責めるような響きはない。


 マールは返事をしようとしたが、喉がまだうまく動かず息が漏れるだけだった。男は気にした様子もなく、器を差し出す。


「無理に話さなくていい。……薬が入った粥だ。少しでも食べられるか?」


 震える指でスプーンを受け取り、そっと口へ運ぶ。


 ──とろり。


 温かいお粥が舌に触れた瞬間、胸の奥がじんわりとほぐれる。


 味は薄いのに、どうしてかとてもおいしかった。胃に落ちていくたびに、寒さで固まっていた身体がゆっくり温まっていくのがわかる。



(……おいしい……)


 視界がにじみ、涙がぽたりと落ちた。


「……あったかい……」


 小さくこぼれたその声に、近くで見ていた男たちの動きが止まる。大柄な男は眉をひそめ、細身の男は静かに目を伏せ、黒衣の青年は表情を曇らせた。


 その一言だけで、彼らには十分だった。

 この子が、どれほど過酷な環境にいたのか。


 スプーンを握るマールの手はまだ震えている。それでも必死にお粥を口へ運ぼうとする様子が、いじらしいほどだった。



「元気になったか?」


 気づけば大柄な男が隣にいた。強面なのに、目つきはどこか心配そうだ。

 

「アッポロ。近い。その子が怖がるだろ……で、薬師としての見立てはどうなんだドクペイン」


 細身の弓使いの男が小声で注意した。落ち着いた口調だが、こちらは少し不器用な優しさがにじんでいる。


 黒衣の青年はマールの脈を確認しながら、淡々とした声で言った。


「フリッツは心配性ですね。大丈夫、私が作った薬粥を食べれば、すぐに歩けるようになりますよ」


 その言葉にマールはほんの少しだけ安心した。まだ怖くて体を強張らせているが、敵意は感じなかった。


 そして、最後に。

 マールを助けた中心人物──金の瞳の男が静かに歩み寄り、膝をついて目線を合わせる。



「……大丈夫だ。俺たちは敵じゃない」


 低く落ち着いた声。その目は鋭いのに、不思議と怖くなかった。マールは返事ができず、わずかに瞬きで応えた。


 それを確認すると、男は簡潔に名乗った。


「俺はレグルス。こいつらは俺の仲間だ」


 大柄な男が胸を張る。


「アッポロだ」


 弓使いは軽く手を上げる。


「フリッツ」


 黒衣の青年は控えめに頷いた。


「ドクペイン。薬と毒、どっちも扱えます」


 「いや、毒の部分は今言わなくてもいいでしょ……」とフリッツが小声で突っ込むと、ドクペインは「事実なので」と真顔で返す。そのやり取りに、マールの緊張がほんの少しだけゆるんだ。


 会話の流れの中で、自然に「レグルス隊長」という呼び名が聞こえ、マールはこの人たちが何かの“部隊”なのだと理解する。



 レグルスは焚き火の影を背に、状況を簡潔に説明した。


「俺たちは、リヴィア龍帝国で魔物狩りの傭兵をやっている。その最中に、魔の森で蛇神ヒュドラと遭遇してな」


「あやうく全滅するところでしたよね!? 逃げているうちに王国領に迷い込んじゃうし……まったく、アッポロがうっかり巣に踏み入れるから!!」


 フリッツがアッポロの丸刈り頭をペシンと叩く。だが当のアッポロはポリポリと後頭部を掻くだけで、いまいち反省の様子は見られない。


「それで、お前の名前は? 近くに親はいるのか?」


 レグルスが少しだけ声を和らげて尋ねた。急かすでもなく、ただ待ってくれている空気があった。


 マールは胸元をぎゅっと握ったまま、小さく息を吸う。焚き火の音が心臓の鼓動と重なるように響く。


「……マール」


 かすれた声が、やっとの思いでこぼれた。

 レグルスは短くうなずく。


「一刻も早くマールを家に返すべきだ。子どもをこんな危険な場所に置いておくわけにはいかない……おい、家はどこなんだ?」

「え、う……おうちは、えっと……」


 ただ、当然のことを確認しているだけ。

 けれどマールは返事をすることができなかった。

拙作をお読みいただき、本当にありがとうございます。

皆さまからの応援が、日々筆を取る力になっています。

もしお気に召しましたら、★評価などいただけましたら嬉しく、今後の創作の励みになります。

これからも少しでも楽しんでいただける物語を紡いでいければと思っております。

心より感謝をこめて──今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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