第六話 ウィンタレインシティに着いたかも!
ウィンタレインシティはとても大きな街で、ダストシティに次いで二番目の繁華街だ。いや、商業施設やレジャー産業の数を比べたら、一番の賑わいかもしれない。
マナを乗せた車が小さなスタジオの前で止まった。
駐車場にはほかにも三台のバンが止まっていて、機材のスタッフや、アシスタントスタッフなど、何人もの人が忙しくスタジオの中と行き来していた。
マナはその人たちに少し興味のある視線を向けていた。みんな何かに憑り付かれたように一生懸命働いている。初めての仕事場、初めての仕事。私にできるのかな。
不安はない。むしろ楽しみだ。女の子なら誰だってカメラの前でポーズを決めたい。
タカラは通いなれたこのスタタジオの中を足早に通っていく。
カメラや照明が並んだフロアに入ると、中にいた大柄の男が声をかけてきた。老け顔なのか歳は40くらいにみえる。男は首にタオルを巻いて、しわだらけでぶかぶかのバスローブのような上着を着ていた。暑がりで頻繁に汗を袖で拭っていた。
手にはコンパクトなカメラを持っており、レンズを回して取り付けている。
男とマナの目が合った。男はへっへと、にやにや笑ってみせた。
(この人がカメラマンか、なんだかちょっと不気味かも)
男は次にタカラを見た。だらしのない笑みは消えて、ぶっきらぼうな顔になっている。
「この子を撮ればいいのか?」
「そうです、うまくやってくださいよ。彼女の写真が会議で通れば、ギャラはうんとはずみますよ」
「任せろい」
カメラマンの男はそう言うと、後ろに向き直って、他の照明のスタッフと打ち合わせを始めた。
タカラはマナの身長に合わせて腰をかがめ、少し小さい声で耳打ちした。
「彼は女をいじめるのが好きでね、普段は辱しめるようなものばかり撮っているんです。でも腕はたしかなんだ。戸惑うかもしれないけど、テストするだけだから安心してください。私もいますから」
撮影の準備が整うと、スタッフは姿を消し、部屋にはマナとタカラとその部下の男、それとカメラマンの男の4人だけになった。
カメラマンの男は真剣な目つきで、うろうろ位置を変えながら、次々とカメラのシャッターを切る。
時折ポーズの指示が出されて、マナは言われたとおりに腕や足をクロスさせた。これが正解なのかマナには分からない。うまくできなかったらどうしようと、だんだん不安が募り緊張がしてきた。
するとカメラマンの男が首をかしげる。だらしない声で少し乱暴にマナに尋ねた。
「君、名前は?」
「マナです」
パシャリとシャッター音が鳴る。
「今何歳?」
「10歳です」
またパシャリと撮られる。
「10歳か。俺の初恋の時と同じ歳だな。へっへっへ」
カメラマンの男は自分で笑い出した。マナもぎこちなく愛想笑いした。
「俺の初恋の話聞きたい?――そいつはいい女だったぜ、猫みたいに俺になついてた。あるとき、二人だけで海にいったんだ。それも夜中の3時。周りは同じようなやつばかりでね、俺たちも服を脱いだんだ。そしたらその女が……ボロン! 俺よりいいの持ってやがった……」
スタジオがしーんと静まり返った。マナはさっぱり話が分からない。カメラマンの男は肩を落とした。
「おかしいな、この話は大抵の女に大評判だったんだがね。悲しいねぇ、ジェネレーションギャップ」
するとカメラの後ろで様子を立って見ていたタカラが二人に近寄ってきた。
「彼女はラーメンが好きなんですよ。(マナに)ねぇ?」
マナは頷いた。
「ラーメン?ラーメンか……」
カメラマンの男は小さな声でぶつぶつと独り言を言っている。
カメラマンの男はマナ笑う顔が撮りたかった。それを察したタカラが助太刀をする。少なくともマナの性格は彼より分かっていた。
「撮影が終わったら、美味しいお店に行きましょうね」
「やったー!」
マナは大きな口をあけて笑った。スタジオに来てから初めて見せた笑顔だった。
パシャリと、カメラは彼女の笑顔を撮り逃さなかった。
マナを待合室に置いて、タカラたちはスタジオに残っていた。
カメラマンの男が手に持ったカメラを見ながら、ぶつぶつと呟いている。カメラの小さな画面には先ほど撮ったマナの写真が映っていた。
タカラはねぎらいの言葉を言いながら煙草を差し出した。
「あの子、かなりの逸材だぜ。生身じゃとてもいけないが、レンズを通すとよく映える」
「そうですか」
「写真は早くて一週間かかるよ」
「ええ」
するとタカラの部下が口をはさんだ。
「締め切りまでギリギリですよ。本当に彼女だけでいいんですか?」
「ああ」
タカラは自分の煙草に火をつけながら、少しも考えるそぶりを見せない。
「自信がありますか?」
そこでタカラは身振り手振りを加えながら、その訳を話した。
「第一にアドバンスジェネレーションという個性だ。10歳にしかない輝き。新鮮だ。きっと受けるよ」
こうまではっきり言われると部下も何も言えなかった。
カメラマンの男はケッと床に唾を吐いた。
マナは待合室でタカラたちが来るのを待っていた。
ナビギアを起動してウィンタレインシティにある料理店の情報を見てみる。
タカラは美味しい店に連れてってくれると言っていていた。どこに行くのかな。
マナはふと考え込んだ。もし、写真が受けて、CMに出ることになったら……。
私はモデルとして働いていくことになるのかな……。
自分が社会で働くなんて考えたこともなかった。
会ったばかりの人たちと仕事をしている。そんな今の状況が少し怖かった。
私の人生どうなっちゃうんだろう。
とにかく今はまだ何もわからない。
しばらくするとタカラが部屋に入ってきた。
「お待たせしました。それじゃあ、行きましょうか」
タカラの部下が運転するバンがウィンタレインシティの夜の街を走っていく。もう夕食は済ませた。タカラが連れて行ってくれたお店はたしかに美味しかった。昼飯をたくさん食べていたマナに気を利かして、少ない量のコース料理を出す洒落た店だった。
マナは後部座席で満足そうな笑みを浮かべながらうとうとしていた。
隣りにいるタカラが優しくマナに言う。
「もうすぐ、ホテルに着きますからね」
「んん……ホテル……?」
マナは眠たそうに目をこすった。声もふにゃふにゃだ。
「そうです。あのナショナルホテルですよ。しばらくそこに泊まってもらいます。ほかの時間は自由にしていいですからね」
「んん……ナショナルホテル……ええ!?あの!?」
マナは一気に目がさえた。ナショナルホテルは誰もが知る立派なホテルだ。庶民が行くようなところではない。
マナの反応を見て、タカラは笑った。
「これからスターになる子をボロに置いておくわけにはいかないでしょ?」
「で、でもそんな高いところ、なんか申し訳ないかも……」
「心配しなくていい、僕じゃなくて会社が払うんです」
しばらくして、車はナショナルホテルの前に着いた。車を降りたマナにタカラの部下が荷台から自転車を持ってきた。
タカラが車の中からマナに言う。
「僕らは会社にいるから何かあったら連絡ください。次に会うのは、そうだな、一週間ってところかな」
マナは礼を言って車を見送った。
一週間が経って、本社にいるタカラのもとにマナの写真が届いた。タカラは一枚一枚確認して、手ごたえを確信した。
(どれもよく撮れてる)
写真はタカラの部下にも見せた。
最初は懐疑的だったタカラの部下もマナの映りの良さに驚いた。
「驚きました。まさかあんな砂利がこうも変わるなんて。さすが課長です。尊敬します」
「あとは重役会議に出すだけだ」
重役会議は専務とほか各部署の役員で行われる。CMのモデルの件は至急決めなければいけない件だったので、皆焦っていた。しかしなかなか決まらない。今日の会議も彼らがいつも使う大きな会議室ではなく、平社員も使う小さな会議室に緊急で集まっていた。
円いテーブルの上には様々な出版社のモデル雑誌が散乱している。彼らはそれらを手に取りながら、各々愚痴に等しい意見を述べていた。
「この子なんかどうかな?」
「その子は他社が先に手を付けてるよ」
「わしにはどれも同じ顔に見えるわ」
やがて皆、口を閉じ、煙草の紫煙が室内に漂う。
しびれを切らした一人がいら立ち気味に言う。
「タカラ君はまだ来ないのかね。今日は彼が言った期限の日だがね」
するとドアのノックが響き、タカラが入ってきた。手にはマナの写真が入った封筒を持っている。
「失礼します」
タカラは一礼した。
「おお、やっときたかね」
「CMモデルの件ですが」
「おお、まだ決まらんよ。早く君の意見を出してくれい」
タカラは封筒の閉じた紐をほどき中の写真をそれぞれ重役たちに回した。
皆、興味津々に眺めて、感嘆の声をだす。
「かわいい子だね」
「この子はまだ誰も手を付けてないのかい?」
「私が発掘したニューフェイスです」
タカラは質問をしてくる重役たちに一人一人丁寧に答えて回った。
専務も納得したようで、最後に周囲へ確認をする。
「どうですかな、皆さんのご意見は?」
「良いも悪いもないよ。第一、もう期限がないじゃないか」
「ほな、決めまひょ」
専務の一声で皆、安堵のため息を漏らした。
「ナビギアは色んなメーカーが出してる。機能はほぼ同じ。だからインパクトのある宣伝が必要なんや。タカラはん、頼むで!」
タカラは引き締めたポーカーフェイスを崩さず、黙って一礼した。
タカラの部下の迎えで、マナを乗せた車は本社に向かっていた。
10階建てのビルがそびえ立っている。宣伝課は6階にある。エレベータを上がり、フロアに出た。オフィスは騒がしかった。デスクは資料の紙が積んであり、煙草をふかしながら電話を怒鳴り声で応対する者、忙しく歩き回っている者、静かに座って仕事をしている者はほとんどいなかった。
(みんな一生懸命働いてる。これが仕事をするってことなのかも)
マナは純粋に感心していた。
案内された応接間はオフィスの端にある小さいテーブルと椅子が置かれた簡単なものだった。
タカラがやって来た。手にはタブレット端末を持っている。
マナはタカラの顔を見て、少し驚いた。会ったのは約一週間ぶりだが、頬はやせこけ、目の下にクマができ、ひどく疲れているように見えた。
けれども、タカラは初めて会った時と変わらない元気な素振りで、マナの懸念は軽く吹き飛んだ。
タカラはタブレット端末に表示された契約書を見せた。
「契約期間は1年間。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、その他メディアには出ていいですが、他社の広告には一切出ないという契約です。よろしかったらサインを」
そう言ってマナにペンを渡す。サインもタブレット端末に直接記入する。
マナはここに来たのだから悩むことはなかった。ペンが滑らないようにゆっくりとサインをした。
「はい、書きました」
タカラはサインを確認した。
「では、契約料として500万円振り込みました。確認してください」
マナは自分のナビギアを起動した。ナビギアは財布にもなるし、口座残高も確認できる。
マナの口座残高の表示画面には0が何個も並んでいた。確かに振り込まれている。
マナは素直に喜んだ。最初に頭に思い浮かんだのはやっぱり……
「私、ピザ頼みたいかも!」
それからというもの、マナの毎日は忙しかった。ことの発端はとある雑誌の表紙を飾った時。アドバンスジェネレーションの大人という新しさ、それに写真で活かされたマナ自身の魅力。その雑誌は売れに売れ、稀に見る記録がついた。これに他メディアは黙っていなかった。マナの顔と名前は若者を中心に瞬く間に広まった。
全て、タカラの思い描いていた通りだった。
満を持して、元の目的であるナビギアのコマーシャルにもマナは出た。
みんな、こんにちは!私はマナ。今日も元気いっぱいで新しい冒険に出発するかも!
今日はスポンサーさんからいただいた新しいガジェットを使って、とっても面白い挑戦をしてみたいと思うかも。ワクワクするかも?それじゃあ、冒険の始まり始まり~!
まずは、冒険に欠かせない便利アイテム、ナビギアを紹介するかも。このスーパーツールのおかげで、どんな困難にも立ち向かえそうかも!それに、見て見て!これ、新しいピカピカのナビギアなんです。光るし、カッコいいし、もう手放せないかも!
みんなも一緒に、アドベンチャーを楽しんでね!
マナの笑顔が画面いっぱいに映る。
タカラは会社のデスクのモニターからその映像を見ていた。
目を閉じると自分が社長室の椅子に座る光景が浮かび上がる。分厚い革の感触。タカラはそれを思い浮かべるのが日課だった。
一方、マナは近頃思い悩んでいた。そのきっかけは、とあるインタビューを受けた時だった。
インタビューアーがマナに尋ねる。
「マナさんの夢は何ですか?」
「夢?」
貯金は日に日に増え、美味しいものは食べ放題。移動は全て専用車で、自転車を忘れた。
「夢は……よく分からないかも……」
ふと、友人たちと壮行会をしたあの日のことを思いだす。シマ、イケ。そしてヤスミ、みんな将来の強い決意を話して別れた。夢というのは、永遠を形づけるものだと思う。
食べ歩きの旅なんて一時のしのぎに過ぎなかった。
思えばあの時から……自分には夢がなかったと思う。
ある日マナはタカラに仕事の相談があると呼ばれた。本当はタカラの方から迎えに行きたいが、どうしても仕事が忙しく、頼んできたのだ。
マナは本社に向かった。夜の七時過ぎだった。宣伝課のオフィスは薄暗かった。皆既に退勤していたが、タカラはまだ残って仕事していた。彼のデスクだけがぽつんと電灯に照れされていた。
「ああ、来てくれたね。ありがとう。こんな時間で悪いが、どうしても暇がなくてね」
マナは明かりに照らされているタカラの顔を見て、少し怖くなった。前にあった時よりさらにげっそりしている。
マナは心配になって聞いた。
「大丈夫ですか?だいぶ疲れてるんじゃ……」
「ハハハ、三日寝てないんだ……俺も君みたいに若かったらな。君がうらやましい」
タカラは席を立って、マナのそばに寄った。手に持ったスケジュールが載った書類の束をを見せる。
「君にマネージャーをつけることになったよ」
「マネージャー?」
「これからさらに忙しくなるぞ。さぁいこう、未来のスターよ」
そう言ってタカラはマナの肩に手を置いた。
マナはもやもやしていた。タカラの今の姿を見て、問わずにはいられなかった。
「どうしてこんなに尽くしてくれるの?」
タカラはマナの意図が分からず眉をひそめたがすぐに笑って答えた。
「君は売れる、ナビギアも売れる。会社は俺を評価し、ゆくゆくは社長だ」
「体を壊してもですか?」
「そうさ、それが俺のすべてさ」
タカラはマナの問いが気に入らず、少し投げやりに言った。それでもすぐに態度を改め、マナに向き直ると書類の束を渡そうとした。
「今日来てもらいたかったのは、これを見てほしかったんだ。目を通しておいてね」
しかし、マナは受け取らなかった。強い意志的な目でタカラを見つめ、はっきりと言った。
「私、辞めます」
タカラの顔は戸惑いの表情で固まった。理解が追い付かず、しばらく黙っていたが、我に返ったように急にマナの両肩をつかんだ。
「気は確かかい!?君はただカメラの前で笑っているだけで何百万、何千万という金を手にできるんだぜ!?」
「それが嫌なんです!私がしたいのは、もっと他にあるんと思うんです!お金じゃないんです!」
「お金が……欲しくない……!?」
「私を見つけて、ここまで助けてくれたことは感謝します。ありがとうございます。だけど、私は自分の夢を叶えたいんです。……それが何かはまだ分からないけど、きっと他にあるんです」
マナは初めて年上の大人に歯向かった。胸が熱くなる、喉がきゅうきゅう締まる。涙が出そうだ。でも意地で踏ん張った。
タカラは戸惑いの表情を隠さなかった。まだ言おうとしたこともあったがマナの意思は変わらないと悟った。彼は額の汗を拭くと、いつものポーカーフェイスに戻った。
「……分かった。僕も君には感謝してる。僕の無理に応えてくれた。せめて今日の言い合いっこは美味しいものを食べてさっぱりしよう」
マナはにっこりと笑った。
「私もそれがいいかも!」
タカラは仕事を片付けると、マナと一緒に会社を出た。少し遅い時間だが、夜に開いてるお店はたくさんある。マナたちが寄ったのは少し高級な料亭だった。個室制で二人は座敷に座った。
「ここのお得意は、生きた貝やエビなどを、バーベキューにして出すんだ」
「それ、おいしそうかも!それにする!」
二人はビールを開けて乾杯した。
もうお互いに吹っ切れたらしい。仕事の話はなく、身の上話で盛り上がった。意外にもタカラは結婚しているという。マナも友人たちの話をした。
タカラは時々陽気に笑ってみせた。
目元の深いしわがマナにはひどく疲れているようにみえた。
料理は文句なしに美味しかった。