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遠い夢の場所

作者: 歌歌犬犬


 ぼくはこの場所をよく知らない。


 前いたところはおっきなビルとかたくさんの人でいっぱいだった。

 お父さんとお母さんの手を握って、大好きな絵本を探しに毎日が大冒険。


「お父さん! あれ、おいしそーだよ!?」

「そうだなぁ。でも母さんの作るもっと美味しいご飯が家で食べられるぞー?」

「お母さん! あれ、おいしそーだね!」

「うふふ、そうね? お父さんに買ってもらおっか?」

「うん!」

「あれれ、こりゃ父さん分が悪いかな? 仕方ない、一個だけだぞー?」

「ありがとうお父さん! 大好き!」


 こんななんてことない毎日が、ぼくの大好きな日常で、ずっと続くと思ってた。


 ある日のこと。

 お空にいつもよりもはっきりと飛行機の音が聞こえたんだ。

 そのときはお父さんもお母さんもお外は危険だからって、ずっとお家の中で大好きな絵本を読んでた。

 でもぼくは飛行機のお空を飛ぶ姿も大好きで、ずっと同じ絵本を読んでたから見てみたくなっちゃって。

 お庭くらいならいいよねってばれないようにお外に出たんだ。


 そしたら町の中にウー、ウー、って大きな音が鳴り出して。

 ぼくがお庭に出たからきっと怒ったんだって、泣き出してお父さんとお母さんをいっぱい呼んだ。


 ひゅるるる……なにかが落ちてくると思った。

 聞いたことのない音だったけど、なんだかそれがとっても怖くて、わんわん泣いてたら後ろからお父さんたちの声がして。


 どんっ、ってお庭の奥のほうにと押し出された。


 え?って思った。

 やっぱりぼくが悪いことしたから、約束やぶってお庭に出たから二人とも怒ったのかなって、歪んだ顔で後ろを振り向いた。

 そしたらお父さんもお母さんも怒ってなんかなくて、「大好きよ」ってお母さんが笑って、「ごめんな」ってお父さんも困ったように笑ってた。


 嬉しくて二人のもとに駆け出したくて、うんしょって立ち上がった後のことは……なんでなのか覚えてない。


 ぼくはお昼寝してたみたい。

 目が覚めたら知らないところで、身体中が痛かった。

 涙目になってお父さんとお母さんを探した。

 首だけしか動かなくて、それでも二人の姿が見えなくて。

 だんだん寂しくてぽろぽろ静かに泣いていた。


 言わなくちゃいけないと思う。

 お父さんとお母さんに、約束やぶってごめんなさいって。

 ぼくも二人が大好きだよって、とっても言いたくて仕方なかった。


 だから知らないお部屋の扉がカラカラって開いたとき、二人が来てくれたんだって思って。

 けどそこにいたのは前に会ったぼくのお爺ちゃんとお婆ちゃんだった。


 お爺ちゃんたちはぼくが見てるのに気付いて、慌てたみたいに駆け寄って抱きしめてきた。

 痛い身体が痛くなくなる、優しいだっこだった。


 それからお医者さんが来たりかんごしさん?が来たりして、ぼくの身体を触っていったりもしたけれど、それが終わったらもう大丈夫だよって頭をぽんぽん撫でられた。

 知らないお部屋のお布団の上で、ぼくはずっとここにいるのかなって思うくらいずっとそこにいたんだけど、お爺ちゃんたちが「帰ろう」と言ったのを聞いて嬉しくなった。


「やっとお父さんとお母さんに会えるんだね!」

「え?」


 ぼくの言葉にお爺ちゃんたちは不思議そうな顔をする。

 なんでそんなことを言うんだろうって、そんな不思議そうな顔だった。


 ぼくはまたお爺ちゃんたちが忘れ物しちゃったんだってわかって、前にお爺ちゃんたちが言ってたことを教えてあげた。


「お父さんとお母さん、せんそーのせいで遠くに行っちゃったんでしょ? これからその遠くにぼくも帰るんでしょ?」


 言った瞬間、お爺ちゃんたちは涙を流して抱き着いてきた。

 頭を優しく撫でられて、「すまん、もっと遠く、遠くに行ってしまったんじゃ」と教えてくれた。

 まだ二人に会えないとわかって、ぼくもお爺ちゃんたちと一緒に泣いちゃった。


 知らないお部屋からお家に帰ると言われてやってきたのは、また知らないお部屋だった。

 今日からここがぼくのお家になるんだよってお爺ちゃんたちが言うけれど、ぼくのお家はここじゃないよ?

 前に来たことがあるだろうって?

 お父さんとお母さんと一緒に?

 二人の姿を思い出したら、あれはお父さんとお野菜を齧った畑で、あっちはお母さんとお花を見てたお庭だって気付いた。


 二人がいないだけで、全然違うところに思えて。

 早く会いたいなって、いつもより暗いお空を見上げてた。


 ある日の晩御飯。

 ぼくが知らないお家に来てからずいぶん経ったんじゃないかと思う。

 お爺ちゃんが「もうすぐ七夕だね」って言って、お婆ちゃんが「お願いごとはあるかしら?」って聞いて来た。

 ぼくはすぐに「お父さんとお母さんに会いたい」って言おうとしたけど、それを言うとお爺ちゃんたちは泣いて抱きしめてくるから言っちゃいけないんだと思って、「ないよ」って答えてた気がする。

 そのときのお爺ちゃんの顔は、あんまり覚えてない。

 晩御飯の味も、齧ったお野菜の味も、今日見たばかりのお花の色も。

 全部が白黒で霞んでて、いつか見上げたお空の色さえ、わからなくなっていた。


 七夕の日がやってきた。

 お爺ちゃんがお祭りに行こうって手を取って、お婆ちゃんがなんでも買ってあげるからねって微笑んで。

 ぼくは「うん」と頷いて言われるままに歩いてた。


 ぼくがやってきた新しいお家は大きなビルもたくさんの人もいない、静かなところだった。

 でも今日は特別みたいで、今まで見たことのない数のたくさんの人と、小さなお店がいっぱいに並んでた。

 ちょっとだけ、ちょっとだけお父さんとお母さんの手を握って歩いた大冒険を思い出して、ぎゅっとお爺ちゃんたちの手を握りしめた。


「……お爺ちゃん。あれ、おいしそーだよ」

「おお、あれか。すぐ買ってやるからな」

「……お婆ちゃん。帰ったらご飯だよね?」

「そんなの気にしなくていいのよ。食べたいものなんでも買ってあげるからね」


 ぎゅっと握りしめてた手から、力が抜けた。

 たくさんの人は白黒で、小さなお店にわくわくしなくて。


(あれ、なんでだろう……前はもっと楽しかったのに)


 当たり前の毎日が、遠いところへ消えていくのを感じた。


『大好きよ』

『ごめんな』


 二人の声を思い出して、すっと手が伸びる──。


「今日は七夕! 短冊にお願いごとを書いたらそこに結んでね。はいこれ」


 伸びた手の先には、一枚の短冊が差し出されていた。

 顔を上げれば、一人の女性がにっこり微笑んでぼくを見ている。


「……ありがとう」


 お礼を言って受け取った短冊とペンに視線を向ける。


(お願いごとか)


 前にお爺ちゃんたちが聞いてきたときにはとくになかったけど。

 今なら一つ思いつく。

 お父さんとお母さんに会いたいって書くと、お爺ちゃんたちが泣いちゃうからだめ。

 寂しいのはきっとぼくだけじゃないんだと思って、別のことを書くことにした。


 ゆっくり、一文字一文字ていねいに。

 大好きな絵本で見たような、ちゃんと想いが伝わるような形で。


 たっぷり五分くらいかけて、ぼくはその短冊を書き上げた。


「……ん。お爺ちゃん、これ結んで欲しいの。一番上の、高いところに」

「おぉ。いったい何を書いたのか見てもいいかの?」

「うん。いいよ」

「どれどれ……っ!」


 ぼくは短冊にこう書いた。


『せんそーがはやく終わりますように』


 せんそーのせいで遠くに行っちゃった二人と会いたくて、一生懸命に考えた。

 きっとせんそーが終われば二人は帰ってくる。

 だって、二人はせんそーのせいで遠くに行っちゃったんだから。


 お爺ちゃんはぼくの短冊を見て、静かに頷いた。


「そうじゃな……これは一番高いところに、結んでおかないとな。遠い二人に、届くように」


 それからお爺ちゃんたちのぼくへの接し方が変わった。

 ぼくが困ってたら助けてくれるけど、普段はそっと近くでぼくを暖かい目で見守っていた。

 そんなお爺ちゃんにお野菜を持っていく。


「お爺ちゃん。これおいしそーだよ」

「おぉ。確かに美味しそうに育っとる。でももう婆さんがご飯を作ってくれるでな、それは明日にしようかの」


 お婆ちゃんにはお花を持って行った。


「お婆ちゃん。このお花きれいな色してるよ」

「あら本当。せっかくこんな綺麗なんだもの、花瓶に入れて飾りましょうね」


 お父さんとお母さんにはまだ会えてない。

 けどお爺ちゃんとお婆ちゃんはぼくが楽しそうに冒険してると二人と同じように笑うから。


 きれいなお花の色をぼくは知っている。

 これは青色っていうんだって、お婆ちゃんが教えてくれた。

 この色と同じ色の空を、いつしかこの場所で見上げた思い出を、ぼくはしっかり覚えている。


 その晩、夢を見た。


 ぼくはこの場所をよく知らない。


 それでも遠くで笑って手を振るお父さんとお母さんの姿を見て、きっとここは──天国だと思った。

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