プロローグ
ひび割れた鎧からむき出しになった横腹に、粗く巻いた包帯。内側から血が浸透して流れ落ちている。
回復薬はもう無く、マトモに止血もできていないので、傷口は広がる一方だ。
絶対今夜で死ぬよな、俺。
痛みだけで言えば、頭のてっぺんから爪先までを襲っていて、身体の限界などとっくに迎えている。
ようやく訪れた最終局面。ここで足を止めて、くたばるわけにはいかない——という根性論で、身体を奮起させているだけだ。
焦燥的な心臓を落ち着かせようと、深く息を吸う。が、同時に腹部の痛みが激しくなる。
なんとか気を紛らわせるために、俺は少しの間、思考を過去に馳せる。
——国に降り注ぐ災厄の根源であるこの城は、文字通り『魔物の塒』であった。
年月をかけ、技も力も磨いてレベル99揃いとなった俺たちのパーティは、『史上最強』と巷で言わしめている。
しかし、たった一日の間に、俺を除く全員がこの城に巣喰う魔物たちに葬られてしまった。
唾のように飄々と氷を吐くグリフォンに、白魔導士のエラリィが倒れてから、事態は暗転の一方を辿り始める。
ヒーラーがいない状態で、毒牙を持ち合わせた巨大サーペントと対峙したのはまさに自殺案件で、武闘家のディクが毒によって臥せた。
残った俺と剣士のアーサーも、案の定身体を蝕まれており、アーサーはつい先刻のバーサーカーとの死闘を終え、「後は任せた」と言い遺して、一足先にあちらへ逝ってしまった。
ふぅぅ、と長く重い息を吐きながら、俺は追憶を終える——。
というか、任されても困るんですけど!?
いや、まぁ?
国を背負って立つパーティの勇者ですから?
臆病なんかじゃ、やってられないわけですよ——やってられないんだけどさ?
流石に俺1人はキツいってぇ。
別にあれよ?
今までみたいな魔物を相手にするなら、仕方ないって思えるよ?
でもさ? これから闘う相手ってさ?
この城の主だぞ?
魔王だぞ! ま・お・う!
気乗りするわけないだろ、9割9分の確率で負けるじゃねぇか。
今度は深呼吸ではなく、ため息が俺の口から漏れ出る。
でも、やるしかないんだよなぁ。
腰の鞘から抜いた剣を片手に、所々ひび割れた階段を上り始める。
最上階が近い、そう思ったのと同時に、空気中を漂う魔力の濃度が変わった。
皮膚が痺れる。これほど凄まじい魔力を感じたのは初めてだ。
「よく来たな、勇者よ」
俺が驚いたのは、『完全版! 魔王の言葉遣いマニュアルブック』(そんなふざけた本があればの話だが)に太字で載ってそうな台詞を、開口一番に告げられたからではない。
その声色が、"女性"特有のものだったからだ。
「え……お、女?」
思わず俺の口から本音が飛び出す。
階段を上り終えると、だだっ広く空虚な空間が広がっている。
向かいに目をやると、これまた、いかにもな玉座が設えてある。
そこに腰かけていたのは、やはり女だった。
「まさか、女の魔王だったとは——」
「なんだ? そんなに意外か?」
魔王は決して温かくない微笑を浮かべて、俺に訊ねる。
遠くからでも、宝石のように輝いて見える深紅の瞳。
腰付近まで伸びた銀髪を貫いて生えた額辺りの角が無ければ、大国の姫君と言われても信じてしまうかもしれない。
そんな馬鹿げた想像をしてしまうほど、この魔王、顔立ちがもはや造形美の域に達している。
言われてみれば、魔王に会った者はいないはずだ。故に当然、男の姿をしているという確証などあるはずが無かった。
しかし、俺はたった今、人生で最大の衝撃を受けている。
こういうのを、先入観と呼ぶのだとすれば、先入観とは想像以上に恐ろしいものだ。
新たな勉強になった——いや待て、そんなことはどうでもいい。
とてつもない美女だろうが、肌中の水分が蒸発しきった老婆だろうが、魔王であることに変わりはない。
俺は空いている左手の甲に、剣先を乗せながら奴の方に向け、柄を握った右手に頬を預ける。
「俺は——貴様を殺す」
睥睨しながら告げると、魔王は表情を崩さないまま立ち上がる。
「威勢のわりに、随分と満身創痍な気もするが?」
えぇ、おっしゃる通り。
時間が経てば死ぬ、って分かりきってるくらいにボロボロのボロですからね。
でもまぁ別にね、俺が死ぬのはいいんですよ。
そんなこと、勇者やってたら覚悟はしてるから。
みんなには——みんなには、できれば生きてほしかったけど、それはもう叶わない望みだし。
だけど、今ここで魔王を討たなきゃ、みんなが命を賭して倒して来た魔物たちも、こいつの手によって再び復活してしまう。
そうなったらさ、俺たちはなんのために生きて、なんのために死んだのか、分からないじゃないか。
「行くぞ」という自らの声を合図に、俺は相変わらず根性だけで、跳ねるように足を動かす。
刹那も無い。俺は魔王の首元に迫り、剣を振り下ろす。が、さすがは魔王。即座に左手でそれを受け止める。
気付けば、俺は払い飛ばされて、冷たい床と対面していた。
『レイナード、焦りは禁物です。ほら、回復魔法をかけますから』
エラリィ——。
パーティで意見が対立した時、なだめて仲裁してくれたのは、いつも君だった。
最初はおっちょこちょいすぎて、罠でもないところで転んだりしてたけど、君がいたから俺たちはここまで来れた。
白魔法だけじゃない。君の笑顔で俺たちは救われていたんだ。
「〈フレイム〉!」俺は即座に立ち上がり、刃に炎を纏わせた。
それを視認してから、再度斬りかかる。
躱されようと、関係ない。
何度でも、何度でも、ひたすらに連撃、連撃、連撃。
『俺を脳筋ヤローって言う奴は多いが、お前の方がよっぽど脳筋だな』
ディク——。
俺たちと違って、武器も鎧も持たない君を、戦場へ帯同させていいものかと、昔はよく悩んだものだ。
でも君の闘いは、そんな杞憂など軽く吹き飛ばすほど、清々しく美しかった。
同じ男として尊敬しているよ。感情任せになるのが玉に瑕だけどね。
攻撃を繰り返す度に内臓が軋んで、素晴らしく耳心地の悪い音が鳴る。
それでも、動きを止めるわけにはいかない。
魔王よ、貴様は俺が「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」理論のもと、間髪入れずに攻め込んでいると思ってるだろうが、それは大きな間違いだ。
この剣に追加付与されているスキルは、自己増強。
つまるところ、モーションを重ねれば重ねるほど、剣が元々保有しているスキルが研ぎ磨かれるという仕組みだ。
この剣の初期スキル。
それは、水沫。
刀身に雫を纏わせることができ、水攻撃を弱点とする相手に効果的——というだけ。
言っても、結構昔に手に入れたアイテムだ。
これ自体が優れているか、って訊かれたら俺だって首を横に振る。
ただ、真骨頂は、ここから。
『天才を信じるかって? 変なことを訊くね、レイナードも。まぁ信じるよ。なぜって? 今僕と喋っているのが、努力の天才だからだよ』
アーサー——。
強くて、優しくて、いつだって冷静で、同い年とは思えないほど、全てが俺の数倍洗練されていた。
お前はいつだって俺を信じてくれた。
でも俺は、幼い頃から嫉妬と羨望に満ちた醜い憧れを、お前に抱き続けた。
勇者の2文字が似合うのは、明らかにアーサーの方。どうして俺にその座を渡したのかは未だに理解できないが。
まぁ、必ず餞を携えてそっちに逝くから、見捨てずに待っていてくれると嬉しいよ。
繰り返した冗長的な攻撃のおかげで、魔王にほんの一瞬、隙が生じた。
「ここだっ——、〈水沫〉!」
叫ぶのと同時に魔王との距離を一気に詰める。
炎の渦が囲む中に、水が湧出する。
そうなれば、起こる事態は想像に容易い。
水蒸気爆発。
死を察する暇もなく、俺と魔王は対極の方向へ吹き飛ぶ。鼓膜につんざく轟音と共に。
自爆のようなものだとは分かっていたが、想定外にもほどがある威力だった。
今まで試さなくてよかったな、これ。
鉄くせぇ——げっ、腕が千切れかけてやんの。
かろうじて残った意識のせいで、先ほどまでの比ではない激痛が全身を駆け巡り始める。
正直、もう戦闘不能だが、魔王より先に死ぬわけにはいかない。
馬鹿ほど血が口から噴き出すが、関係ない。
俺はやっとの思いで上半身を起こす。
俺も俺なら、魔王も魔王で、結構悲惨な状態だった。
肉片があちらこちらに散らばっていて、あの美しい顔も爛れている。
まだ息はあるらしい。
俺と目が合い、再び浮かべた微笑は、澄みきって、それでいてどこか切なさを感じるものだった。
軈て、奴から発している魔力が弱まって行く。
そして俺も、視界が霞み出した。
どうやら、終わりの時は近いらしい——ん?
やばい、今、魔王の傍に人影が見えた気がする。それも2つ。
えぇぇぇぇ…………。
残党いるのかよ、くそぉ……。
魔王倒したんだから勘弁してくれ。マジで。
まぁ、特にオーラも魔力も感じないから、雑魚系だろ。
あーもう、国でなんとかしろ。俺は知らん。
見ないフリ。見ないフリ。目を閉じてしまえ。
そうすればあとは死ぬだけだ。
読んで頂き、ありがとうございます!
作者の冨知夜章汰です!
異世界ファンタジーに挑戦!
ただし超絶不定期更新……というかこの話を公開してる時点では、プロローグ以外まだ書けてません(構想はありますが)読者様の反応があれば、モチベ上がって執筆して行く……はず……多分……うん。
そんなこんなですが、感想や☆☆☆☆☆の評価をもらえると、端末の向こう側で喜びの舞いを踊りますので、お手数ですがよろしくお願いします!