いつも近くで
ホラー修行中。
プロトタイプ2号といったところです。
それにしても怖くないなー。
ウチのお爺ちゃんは、近所でも評判なくらい温厚で優しい人だ。
でも、とても厳しい面も持っている。
まぁ、そういうメリハリを抱えているのは人間として当然のことだと思うし、驚くようなことでもない。ただ、ウチのお爺ちゃんはその表れ方が少しばかり極端であるように感じていた。
同居している女子中学生としては、小うるさい年寄りになられるよりは、穏やかで柔和な好々爺の方がありがたいし、そういう点でウチのお爺ちゃんは申し分ない。少なくとも、躾と称して昔の習慣を押し付けてくるようなことはなかった。理解ある年寄り、そう言って差し支えないだろう。
ただし、ただ一点の例外を除いては。
三世代以上の家族が同居している家では珍しくもないと思うけど、ウチにも仏壇がある。いつもお線香の匂いに満ちていて、同じ家の中だというのに別の空間みたいな場所になっている。それもその筈で、毎朝毎晩お爺ちゃんがお参りを欠かさないからだ。線香に火を灯し、一心に拝んでいる。
いや、それだけならば良い。信心深いの一言で片付く問題だろう。
お爺ちゃんの異様とも思える厳しさが発揮されるのは、お盆と正月に行われる『お墓参り』においてだ。掃除などの雑務に懸命なのはもちろん、その作法や礼節にもうるさい。一昨年だったか、ついよろけて墓石の一部に足を掛けてしまった時などは、容赦なく殴られてしまった。この時ばかりは、子供とか孫とか男とか女とかは一切関係ない。普段なら『おねだり』を断ることが出来ないような孫相手であったとしても、である。
ここで、ご先祖に対する敬意を大切にする方なのねと思った貴方、それは違う。もちろんそういった側面もあると思う。そうでなければ仏壇に朝晩欠かさず通うことの説明が付かないし、習慣的な思考として先祖に対する敬意を払っていることも感じられる。
だけどそれだけなら、飼っていたペットの墓に鎮座していた石を倒したくらいで激昂はしないと思う。それも犬とか猫とか、家族として生活していた感覚の強い生き物じゃない。飼い始めて一年経たずに死んでしまった金魚の墓だ。飼っていたのは私で、お墓を作った時は泣いたものだ。だけどもちろん、その金魚はご先祖様ではないしお爺ちゃんが世話していたのでもない。お婆ちゃんは時折餌をあげていたみたいだけど、お爺ちゃんの方は感心なさそうだった。それが死んでお墓になった途端、この変わりようである。
何というか、極端すぎて不思議に思うことも多い。
そのギャップに奇妙な納得感を与えてくれたのが、半年前の大掃除のことだった。その時はテレビとかタンスとか、大きなゴミも出してしまおうということになって業者を呼んでいた。私も、小学生の頃に使っていた学習机を引き取ってもらった。そんな中、お爺ちゃんが自分の部屋から足踏み式のミシンを引っ張り出してきたのだ。お爺ちゃんに裁縫の趣味はない。言うまでもなくお婆ちゃんの物である。
それを見たお父さんの「もういいの?」という問い掛けに、お爺ちゃんは短く「あぁ」とだけ頷いていた。そのやり取りの雰囲気と神妙な表情が気になってお母さんに事情を聞いた私は、お婆ちゃんの失踪を知ることになる。
いや、知らなかったというのは正確じゃない。居なくなったことは、もちろん知っていた。ただ、その理由が『謎』であることを知らなかっただけだ。
あれは三年前、私は小学四年生だった。夏休みで、林間学校が企画されていた。親元から離れて初めての外泊ということで、かなり興奮していたことだけは憶えている。だけど、あった筈の楽しい思い出は、その後の騒動で消し飛んでしまっている。林間学校から戻ってきた私を出迎えてくれたのは、お婆ちゃんが居なくなったことを嘆いて沈み込む家族だった。当時のお婆ちゃんは痴呆が進んでいて、私も不意に怒鳴られたり殴られたりして戸惑った覚えがあるけど、たまにフラリと出歩くことも珍しくはなかった。ただ、それで大騒ぎになるようなことはなくて、遅くなったら家族が心配するとか、その程度でしかなかった。
でもその日、林間学校で私はおらず、お父さんお母さんもこの機会にと食事へ行ったらしいのだけど、激しい夕立の中で買い物を終わらせて戻ってきたお爺ちゃんは、お婆ちゃんがいないことに気付いたという。こんな雨の日に出て行ったことも驚きだけど、それだけじゃない。お婆ちゃんが寝ていた筈の部屋は誰かが暴れ回ったかのように荒れていて、襖には剥げ落ちたお婆ちゃんの爪も残っていたそうだ。ただ捜索の甲斐なくお婆ちゃんを発見することは出来ず、あの雨で増水した川にでも転落したのだろうと結論付けたのだそうだ。ちなみに私が帰ってきた時には、すっかり片付けられていた。子供に知らせるようなことでもないという配慮だったのだろうと思う。
当時の私も子供だったせいか、理不尽なストレスを与えてくる年寄りが居なくなった程度の感覚でしかなく、不意に死んでしまったのか施設に預けられたのか、いずれにしても当然のことがあったにすぎないという意識だった。それがまさか、陰惨な出来事を想像させるような現場を残して現在も行方不明とは、さすがに驚かされたものである。
と同時に、この瞬間からお爺ちゃんの持つギャップを少しだけ理解できるようになった。記憶を辿っても、あれだけ情緒不安定になったのはお婆ちゃんの失踪以降だ。その内面まではわからないものの、何かしら影響を与えているのは間違いない。
でも、だとしても今日の『アレ』は何だったのだろう。
「キリちゃん?」
「ん? あ、なに?」
気付けばノートに置かれた右手は止まっていて、テーブルの向かいに陣取るサヤカがこちらをジッと見ていた。その眼差しは不安に満ちている。そんな顔をされるほど、今の私はいつもと違って見えるらしい。
「……私なら、さっきのことそんなに気にしてないからね。勝手に庭へ出た私も悪いんだし」
「あー、うん、ゴメンね。いつもはもっと穏やかなお爺ちゃんなんだけどね」
「機嫌でも悪かったんじゃない?」
「かもね」
笑顔と共に話を区切り、再び教科書へと視線を走らせる。いや、走らせるフリをした。そうでもしないと、余計な話にまで発展しそうな気がしたからだ。
それくらい、あの時のお爺ちゃんは不自然に見えた。普段のお爺ちゃんを知らないサヤカですら、何か不自然なものを感じ取ったのだろう。だからこそ、このタイミングでこんなことを言ってきたのかもしれない。
ノートに数式を書きつつ、思い出してみることにした。
中学に入って初の定期テストが来週に迫っている。サヤカが家に来たのは、そんな理由からだ。私の部屋は散らかっているし狭いからと、空いている客間へ通そうと縁側を通りかかった時、彼女が庭を見て気付いた。
鮮やかなピンク色の花を咲かせているツツジに。
お爺ちゃんも一般的な年寄りらしく、盆栽という趣味を持っている。庭を埋め尽くすほど熱心ではないけど、庭という空間を利用しているのは、今のところお爺ちゃんだけだ。家庭菜園でも始めれば、なんて話が出ることもあるけど、不精なお母さんは生き物を育てること自体に無関心だし、かく言う私も金魚が死んでしまってからは何も育てていない。小学校で強制的に渡された植木鉢すら、野放し状態が基本だ。
そんな訳だから、庭にある植物はほぼ全てがお爺ちゃんの物であり、そこにとやかく言う者は誰もいない。近づく者さえ、いなかったかもしれない。
そこに今日、学校の花壇に水をやるのが日課というサヤカが訪れた。彼女は咲いているツツジを見るや否や、私が声を上げる暇すらなくツッカケを履いて庭に出る。
「ねぇねぇ知ってる? 昔はツツジの蜜を吸ってオヤツにしてたんだって。ウチのお父さんもチューチューやってたらしいんだけど、おいしいのかな?」
能天気にそんな言葉を口にしつつ、咲き誇るツツジへと歩み寄る。甘い蜜の匂いを感じ取ったのか、鼻を突き出してこんもりと繁る枝葉の元へと足を踏み込んだ、その時だった。
「そこで何をしとるかっ!」
怒声が、激しく響く。
剪定でもしようとしていたらしい黒ずんだ鋏を放り捨て、大股の荒々しい歩みでサヤカへと近付き、彼女の左腕を掴んだかと思うと強引にツツジから引き剥がした。それは何というか、注意とか警告とかっていうレベルでもなくて、食べ物にたかるハエを追い払うような、そんな無遠慮さが感じられた。いきなりのことに驚いて、投げ出されるように尻餅をついたサヤカはもちろん私も、言葉一つ発することが出来ないまま立ち尽くすしかなかった。
そんな異様とも思える雰囲気を察したのか、お爺ちゃんはすぐさま我に返り、いつもの柔和な表情で穏やかに謝罪しつつ、サヤカを助け起こしていた。その普段と変わらない、少なくとも変わらなく見えるお爺ちゃんとのギャップが、あまりにも激しかったからだろうと思う。私はどうしても、心の内に生まれたモヤモヤを払うことが出来なかった。
あのツツジは、そんなに大切なものだっただろうか。
いや、そんなことはないだろう。いつだったか、裏へと抜ける小道にそのツツジが張り出していたことがあって、お父さんから刈ってくれと頼まれていたことがある。でもいつまでも刈られなくて、結局はお父さんが刈っていた。その時、お父さんが怒られるようなことはなかった筈だ。そもそも手入れをされているような感じじゃない。伸び放題だったからこそ、邪魔になったんだし。
なら、何か想い出があるとかはどうだろう。
絶対ないとは言い切れないけど、あんなにムキになるような理由には思い当たらない。そもそもあのツツジは、お婆ちゃんが居なくなった後になって植えられた物だ。居なくなったお婆ちゃんを偲んでというのも、少し不自然な気もする。
考えれば考えるほど、お爺ちゃんがあんなに怒る理由に心当たりがない。あれはまるで、お墓を足蹴にでもしたみたいな……。
「あっ!」
ふと気付く。
「どうしたの? キリちゃん」
「あ……ううん、何でもない」
慌ててごまかしながら、思考を続ける。
お爺ちゃんが激しい怒りを見せる理由は、一つしか思い当たらない。でもあのツツジに近付いたサヤカは、間違いなく怒られた。
それってつまり。
血の気が引いて、視界が一瞬暗くなる。
確かめたくはない。でも気になって仕方がない。
聞くことは出来ない。でも無断で掘り返すのは難しい。
お爺ちゃんが家を空けることなんて、滅多にないからだ。
そういえば、お婆ちゃんが居なくなってから遠出しなくなったように思う。私が小さかった頃は、暇があるからと外泊することも珍しくなかった筈なのに。
気になるけど、今はどうしようもない。
私は待つしかなかった。
お爺ちゃんが死んで、監視を終えるその時を。




