とにかく書け。
はい。
二回目にして身も蓋もないサブタイトルに、『結局それかい!』と思われたかも知れません。
結局それです。
書くしかないのです。
しかし、『とにかく』といっても、何も考えずに書けということではありません。
これには、今思うと『とにかく書いていた』ことが後々役に立ったなと分析しているからなのです。ほんとです。
書く、と一口に言っても、書く人の目的や技術的な段階において、意識することが違ってくるのでは、ということも含んでおりまして。
ところで、前のページではデビュー作の二作品とも短編の投稿から始まった、と書きましたが。
これ、意外に思われるでしょうか。
それとも、納得されるでしょうか。
納得された上で、嫌な手段だと思われるでしょうか。
と言いますのも、短編からの連載化を好ましく思っていない方が一定数いらっしゃるからなんですね。
また、そのお気持ちもわかります。
短編は短編で一つのお話として完結すべき。
短編と言いながら長編の序盤でしかなく、それで様子見をしている。
こういったところが、短編からの連載化を好まない方のご意見として見たことがありましたし、そうおっしゃる気持ちもわかります。
書き手として、そういう手法を取る気持ちもわかるんですけどね。
書籍化したとして、一巻分が大体十万字から十五万字。
これ、書き上げようと思ったら、仕事をしつつ書籍化を目指してコンスタントに書いてる人でも大体一か月から三か月くらいかかる量ではないでしょうか。
参考までに、私が毎日投稿してた頃は大体一日三千字を2時間ほどで書いていました。
このペースで、大体一か月に十万字。日曜日に書き溜めとかしてましたしね。
一番書いた月で十五万字くらいでしたか。
つまり、一か月の趣味の時間を注ぎ込み、それが書籍化しなかったら丸々無駄になってしまう、と思ってしまうのも仕方のないところ。
次回かその次かくらいに書きますが、これ、決して無駄にはなってないと個人的には考えているのですが、書いてる当時に言われて納得出来るかと言われたら微妙です。
なので、短編一本一万字くらい書いて投稿して様子を見る、というのはわかります。
短編と言っても、一万字なら二日三日かかってもおかしくないですし、その労力を使って探るくらいは許して頂きたいとも思ってしまったり。
どちらのお気持ちもわかるんですよね。
で、なぜこんな話を始めたか。
実は私、短編から連載化した際に、『短編から連載化するのは好きじゃないが、これは楽しめた』的な感想を何回かいただいておりまして。
逆に、連載化するなんて興ざめ、的なことを言われたことは……確か、なかったはず。
どうしてこうなるのか……単に運が良かっただけ、ということは十分ありえますが。
一つの可能性として、『連載化に耐えられるキャラが作れていた』ということを考えております。
と言いますのも、短編を投稿した際に、『連載化希望』とか『続編が読みたい』とかのありがたい感想をいただくことがあるんですね。
残念ながら毎回ではありませんが……まあこれは仕方のないところとして。
で、よくよく読むと、『キャラがいい』とか『このキャラ達が今後どうなるのか見たい』といったお声がありまして。
そういえば以前、『キャラが舞台装置になってない』みたいなことを言っていただけたことはありましたね。
物語にとって都合のいい人物や行動になっていない、いわゆる『キャラが生きている』みたいな感じで書けているということなのかと思っているのですが。
その『生きている』と言われるキャラ作りに、『とにかく書く』ことが活きてるんじゃないかと思う次第なのです。
はい、やっと本題に戻って来れました。
つまり、キャラの造形を生きた物にするために、とにかく書くわけですね。
しかしここでお気をつけいただきたいのですが、キャラの造形を作るために書く、と言っても設定書を書くわけではないのです。
よく『キャラの履歴書を作れ』と言われますし、それが有効であることは大体の場合において事実ではないかと思います。
ですが、私はキャラの履歴書をほっとんど作りません。
キャラの好きな色とか座右の銘とか決めたことがないですし、誕生日すら、決まってるキャラ……多分いないです。
外見設定も、髪の色とか端的な情報ばかり。
手元にあるものよりも、コミカライズの際にお渡しした設定資料の方がよっぽど詳しく書いてるくらいですよ。
ただし、話に絡む設定は書き留めています。
例えば持っている特殊能力が物語の中でどんな意味を持つか、とか。
多分、私にとってキャラ造形とは『物語の中でどう動くか』であり、もう少し場面を絞れば『この場面ではどう動くか』なんだろうなと。
それを描き出すために、このキャラはこの場面でこう動く、を文章にする。
その際に『このキャラはこういう信条だからこう動く、こういう発言をする』と当てはめて書くというやり方はしていません。
むしろ逆で、『このキャラはここでこういう動きをするキャラなんだ』と決めていく感じです。
『こういうキャラです』を、設定書や箇条書きで表現するのではなく、行動で表現する。
結果、登場キャラが活き活きと動いているように見えている、のではないかなぁ、と考えるのです。
ほんとか? と言われると断言は出来ません。
どう考えても『そうです』と定量的に証明出来る書き方ではありませんし。
そもそも論として『ほんとにキャラが活き活きとしてるのか?』と言われたら、是非拙作を複数お読みになってご判断いただくしかないのですが。私が言ってもただの手前味噌ですし。
ただ、どんなキャラかを言動で示す意識は大事かな~とは思います。
例えば、設定上では『弱い者を助ける騎士の中の騎士で、国中の尊敬を集めている』なんてキャラが、実際の行動では弱い者であるモブには目もくれずヒロインをはじめとする主要人物ばかりを守っていたら。
首を傾げてしまうのは私だけではないでしょう。
これが『モブには目もくれず王子を守る騎士』だと……まだまだ三下か卑怯者くさいですね。
『モブのことは気にしつつも王子の元に駆け寄り、身を挺して守る騎士』なら、優しい心はありつつも職務を優先する、我が身を省みない忠実なキャラに見えてこないでしょうか。
ここで『身を挺して』を『瞬く間に狼藉者を組み伏せて捕らえる騎士』に変えると、華麗で腕の立つ騎士になったり。
こんな感じで、行動でキャラを立てる方が説得力があるように私は感じるのです。
で、その行動のバリエーションを増やすために『とにかく書く』が有効なのかなと。
はい、また迷子になりかけましたが、何とか戻ってきました。
これを意図せずやっていたのが、私が大学生の頃。
二次創作を含め、思いついた場面などを主に短編の形で書きまくってました。
そうそう、なりきりチャットなどもやっていましたね。
相手がこう言ってきたらこう返す、というのを短時間で繰り返していたのは、今思えば言動でキャラを描く訓練になっていたように思います。
いやもうね、設定と違うキャラになっちゃうと、すっごく寒いんですよ、自分で。
あれ違う、こんなのかっこ良くない、可愛くない、ってなりましてね。
……ええまあ。女性キャラのなりきりもよくやっておりましたが、何か?
とまあ、こんな感じで『とにかく書く』を続けて、キャラを動かせる、あるいはキャラが勝手に動くくらいまでキャラ造形してたんじゃないかな~と思うのです。
ええ、残念ながら後から振り返ると結果としてそうだったんじゃないかな、と思うだけなので、ほんとかどうかはわかりません。
でも多分、そうなんじゃないかなぁ、と。
で、これが私としては小説を書く初期のステップ。
キャラを立てられるようになる練習のために『とにかく書く』をしてたんだ、と位置づけています。
この頃は長編らしい長編、まだ書いてませんでしたしね。
でも、こうやって何人ものキャラを作っては動かし、を繰り返していたから今があるのは多分間違いないでしょう。
キャラが立てば、物語は勝手に動くし、面白くなるので。
……って、これは言い過ぎかも知れませんが。
でも、少なくとも私にとってはそうだったりします。
実は私、故・小池一夫先生のおっしゃっていた『まずキャラを立てろ』という教えに感銘を受けておりまして。
書けば書くほど「なるほどなぁ」と思うことが多いのですね。
前回出した、同じネタなのに完全に違うお話になった二作品。
あれも、主人公のキャラが違うからそうなったところが大きいです。
アークだから出来ること、言えること。
ガストンだから出来ること、言えること。
それぞれ違うから、それぞれ違った流れになるのは当然なわけですし。
後まあ俗っぽいことを言えば、同じネタでもキャラが違えばお話も違うものに出来るなら、延々お話を作ることが出来ますよね。
それで商業クオリティに仕上げられるなら、一生それで食べていけるんじゃないかと。
もちろん実際はそうそう上手くいくものではないですし、企画通すためには斬新なアイディアやストーリー構成が必要になることも多いでしょうけれども。
魅力的なキャラが作れたら、それだけで魅力的な場面を作れるっていうのはあると思うのですよね。
例えば、コブラだったらただ葉巻吸ってるだけで格好いい場面に出来ちゃうんですよ。
何故なら、コブラだから。
もう『コブラだから』が通じるキャラが作れたら勝ちだと思うんですよね、極論。
その格好良さを作るのは何か、と言われたら、彼の生き様だったりそこから来る台詞だったりなわけで。
これが100mを5秒フラットで走れるとかのスペックを書き連ねてもかっこ良くはならないとも思いますし。
だから、とにかく書く。
自分が格好いいと思う場面と行動を書く。
可愛いと思う場面を、キュンとくる場面を書く。
そうやって行動のストック、キャラのストックが私の中に溜まっていったのだと思います。
ただ、それだけでは書籍化する程の文量は書けなかったと思います。
次回はその辺り、どうやって長編を書いていったか、その意味は、などについて触れていければと思っていますので、またお付き合いいただければ幸いです。