第3話:お前を、ずっと待っていた
俺はモズの元へ駆け寄り、その鳥を庇うようにして手を広げた。 ヘビの動きが止まり、 こちらをじっと見ている。モズの右の翼を調べると、 小さな枝―といっても30cm くらいの枝 なのだが―が、 刺さっていた。
「ごめん。これ、俺が投げたから傷ついちゃったんだよな」
俺はその間をゆっくりと抜いてあげた。モズは一瞬痛そうに目を細めたが、枝が抜けるとすぐに、嬉しそうに翼を広げた。 自由になったことが嬉しいとでも言うように、バタバタと何度も 翼を確認していた。
「オノ!」
「良かったな。じゃあ仲間のとこに行けよ」
この必要はなかった。木の上から2匹の鳥が迎えに来たからだ。大きさから推測するに、俺が手渡したモズのお母さんとお父さんだろうか。2匹にエスコートをされながら、 モズは空へと旅立っていった。
「オリ、上に2匹いるって、どうして分かったんだ?」
「ん?」
「もしあの子がヘビに食べられてたら、きっと私たちも襲われていた」
「別に気づいてなかったよ。 ただ、ヘビに食わせるのも違うと思ったんだ。あの鳥の餌場に勝手に俺たちが踏み込んで、襲われただけだろ。そこに別に悪意はないよ」
「すごいな。やはり、預言通りだ……」
目を輝かせて俺を見つめてくる女の子。どうも慣れない。そもそもまだ解決していない大きな問題が残っている。
「ヘビの支払い、どうしような」
俺の財布には3000円しか入っていない。それを取り出して、ヘビに向かって差し出した。ヘビはそれをじっと見つめ、首を振った。どこか悲しげな目つきだった。
「何だ?それは」
「金だよ。円、ジャパニーズマネー。こっちでは別の通貨を使ってるのか?」
「ほお、通貨ね。ノアから聞いたことがある。昔は国ごとで違った貨幣を使っていたんだよな。オリはそんなところから来たのか?今、お金は全てウォレットに入っておる」
女の子はポケットからスマートフォンのようなデバイスを取り出し、ボタンを押した。そこには大きく『0』と書かれている。彼に金がないことは確からしい。見た目で分かるけどね。 銀行で3年間働くと、他人の資産額が分かるようになってしまう。 顔つき、話し方や歩き方、「お金に好かれる顔」というのがあるのだ。
その意味ではこの端正な顔立ちの女の子は、あいにく金運の女神からは徹底的に見放されていそうな顔つきをしていた。いるんだよな、美人だけど運がなさそうな顔の子。
「参ったな。俺にあるものといえば、これしかないんだ」
俺は内ポケットに入っている御守をヘビに見せた。そこには蛇の絵柄が書かれている。 目の前にいるヘビはその御守に向かってそろそろと顔を近づけ、ぺろりと舐めた。次の瞬間 、ヘビはまばゆい光に包まれながら、シューシューと声を上げた。
「え、本当か……」
「なんて言ってるんだ?」
「これで十分だ。今後も支払いはいらない。いつでも 好きな時に呼び出してくれ」
この御守にそんな効果があるのだろうか。 でも1つ分かったのは、ここでは俺が元いた場所の常識は通用しないということ。 そして人と話ができる生き物がいるということだ。消えていくヘビの目がどこか悲しそうなのが気がかりだが、 肩にポン、と 手が置かれた。
「本当によかった。オリが来てくれて」
「どうして?」
「まほうのくに支店の支店長から言われたんだ。 期待の新人が来る。彼がきっと何とかしてくれるって」
期待されているのは嬉しいけど、何がなんだかさっぱりわからない。
「えっと、君も同じ銀行員なのか?」
彼女はニヤリと笑った。
「いや、私は勇者だ。でも、始まりの島からずっと出ることができなくて……おい、何をしている」
「んー、何でもない」
研修所に帰る方法を調べているとは、言えなかった。言ったところで、この電波な女の子には通じないだろう。あいにくスマホの電波は圏外だ。というか画面には『∞』という記号しか表示されていない。壊れちゃったのかな。俺のスマホを勝手にのぞき込んだ女の子は、不思議そうに言った。
「妙だな。残高に数字が表示されないなんて」
俺はため息をついた。
「変なのはそっちだろ。バカデカい鳥が出て来たり、ヘビが現れては消えたり。元の世界に戻って、引き継ぎを受けてからじゃないと……」
「戻らせない」
彼女の手が、俺の腕を掴んだ。意外と力が強い。白髪という外見で年齢を勘違いしていたが、よくよく近くで見ると、妹と同じくらいの幼さだろう。そして彼女の小さな手が、今まで苦労を物語っていた。擦り傷と痣だらけで、爪は割れている。
「今、島では深刻な食糧危機が起きてる。あの鳥は普段、人を襲わない。 このまま行くと……」
彼女は口をつぐんだが、 俺はその先が理解できた。 かつて歴史で学んだことがある。人々が飢えると、まず食料を巡って争いが起こる。それでも解決されない場合は、人が人を食べることになる。人は追い詰められると何をするかわからない。だから政治は、人をそこまで追い詰めてはいけない。 もし政治が破綻している場合、誰かが世界を変えなくてはいけない。
「分かったよ。何か、俺にできることはある?」
俺は言った。引継ぎ資料を確認しに一旦戻ってる間にも、この島の飢饉は続いてしまうだろう。彼女はぱっと顔を輝かせ、言った。
「私が別の島に行くことになってるんだ。この島で収穫した果物と、あっちで取れる肉を交換してもらうことになってる」
「どうして他のやつが行かないんだ?」
「この島から出ることができる人は限られてるんだよ」
彼女は木の向こうにある海を見つめた。草原の向こうは 断崖絶壁で、下には波が押し寄せている。 波は荒く、船を使ってでも渡るのは難しそうだ。
「それが勇者ってわけか」
「ああ。そして、あとひとり」
女の子は、燃えるような瞳を俺に向けた。先ほどのような夕日を思わせる穏やかなオレンジ色ではない。何か内なるものを秘めていて、それが爆発しているような印象を受けた。彼女は静かに言葉を続けた。
「勇者を担当する、選ばれし銀行員。だから、お前をずっと待っていた」