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魅了の瞳 



 純白の龍の幻に、月帝様の姿が重なる。

 月帝様はのしかかる七鬼様を弾き飛ばした。

 その手には、身長の二倍ぐらいの長さの薙刀がある。

 弾き飛ばされた七鬼様は、空中で回転すると、壁にトンと、足をついた。

 まるで、浮いているように見える。質のいいスーツに押し込まれた肉体が、窮屈そうに膨らんでいる。

 腕も首も、足も、その形がくっきり分かるほどに太い。


「おや、七鬼。お前の一番嫌う、理性を失った鬼の姿をしているな。品性も理性も失い獣と成り果てた鬼と己は違うと、お前は毛嫌いしていただろうに。そう――あれはいつぞやか。千年も、昔か」

「黙れ、月帝! 俺を屈服させたのはお前ではない、伊波(いなみ)様だ! 伊波様のような言葉で話すな!」

「伊波の魂は私と同じ。私は伊波であり、布留(ふる)だ。私の前に頭をさげよ、七鬼。頭が高いぞ」


 七鬼様の瞳が、真っ赤に輝く。それは瞳全体に赤い水晶をはめ込んだようにも見える。

 耳まで裂けた口からは涎が垂れて、荒々しい口調は狼の遠吠えのような雑音が混じる。


 これが――鬼。

 鬼とは、なんと恐ろしい姿をしているのだろう。


 私一人だったら、きっと震えあがってしまっていただろう。

 けれど――緊張と不安と恐怖をかき消すぐらいのあたたかさが、胸に広がっていく。


 月帝様と由良様から、あたたかな力を感じる。

 枝垂れ桜の枝が、風もないのに揺れる。桜の花びらが舞い落ちる。

 その中で見る月帝様は、そして、由良様は、あまりにも美しい。


 私は桜の木の前で膝をつき、両手を胸の前であわせた。

 体から力が――血液が失われるように損なわれていくのが分かる。

 神癒の力は、私が倒れることがあれば途切れてしまう。

 

 そして、月帝様や由良様が倒れるようなことがあれば、帝都を――おそろしい鬼が蹂躙するだろう。


 この身などどうなっても構わない。全ての力を使い果たして倒れるのならば、それは由良様が真白さんを倒した後だ。


「ありがとう、薫子。すぐに、終わらせる」

 

 何かに気づいたように由良様が私に背を向けて、真白さんを見据えたままそう口にした。

 伝わっている。私の、力が。

 役に立てている。少しでも、あなたの。


「――神癒の力を手に入れて、俺に簡単に勝てると思っている。そういうところが、気に入らない」

「ならば俺だけを殺しにくればいい。関係ない人間を巻き込むのはやめろ、真白」

「偽善者ぶるな、由良。――薫子、いいことを教えてやろう。かつて由良に懸想する女は多かった。玉藻の家の使用人の女たちは、自ら股を開き由良に抱いて欲しいとせがんだものだ」

「……品のない。聞くな、薫子。この男は、嘘をつくのがうまい」


 顔立ちは似ているのに、真白さんは口元ににやにやといやらしい笑みを浮かべている。

 人を小馬鹿にしたような。優しさの欠片もない笑みだ。

 由良様に伸ばした手が、人のそれではなく、鬼のそれに変わる。


 赤く、いくつもの血管が浮き出ていて、筋肉の筋が折り重なっているような捻れて不格好で巨大な手だ。

 その手には、路地裏で見た魍魎のように、いくつもの口が裂けている。

 指先には尖った爪がはえる。その異形の手は、真白さんの腕から重そうにぶら下がっていた。


「そんな女たちを、俺は由良の前で喰った。由良に助けを求めて泣き叫んでいたよ。楽しかったなぁ。だが由良はそれでも、俺を殺そうとしなかったのだ。兄だからと情をかけた。想いを寄せる女たちが目の前で無残に殺されても、兄弟の情を切り捨てられない――冷酷な男だ」

「……それは、冷酷さではありません。兄弟ですから……私と咲子さんが、姉妹であるように」

「黙れ!」

 

 真白さんの背後で咲子さんが怒鳴り声をあげる。

 由良様の刀の切っ先が、真白さんに向いた。

 驚くほどの身軽さで着物の裾をひるがえしながら、由良様は真白さんへと駆けていく。

 

「真白。一度、情はかけた。お前はそれでも、許される道を選ばなかった。――俺は帝都守護職として、お前を斬る」

「許される? 誰が? 俺が、人間にか!? 喰われるしか脳のない、守られるしか脳のない、虫けらどもに許されてなにになる? より強いものが弱いものを支配するのが自然の摂理だ」


 由良様の振り下ろした刀を、真白さんは片手で受けた。

 その手がぐにゃりと歪み、巨大な口のようになる。

 由良様の刀を飲み込もうとした肉塊に口だけがついたような手を、由良様はその口の中に腕を飲み込まれるようにしながら、真っ二つに断ち切った。


 血飛沫が、ぱたぱたと床を汚す。

 それは赤ではなく、どす黒い色をしている。血が落ちた床が、酸で溶かしたかのように煙をたてながら溶けていく。


「ぐ……っ、クソが!」

「真白。神癒により本来の力を使うことができる俺に、お前は勝てない。諦めろ。そして――死んで、償え」


 腕をおさえて額に脂汗を浮かべる真白さんに、由良様が刀を振り上げる。

 刀の周囲に炎が揺らめく。

 それはまるで、聖人の掲げる聖火のようだ。


「ふふ、あはは、調子に乗るなよ、由良」

 

 真白さんの斬られた右腕がぐにゃりと形を変えて、元の姿を取り戻す。

 その手を、真白さんは床に突き刺した。

 床に何本もの亀裂が走る。

 亀裂は由良様の足元向かっている。

 亀裂から花の芽が出るようにして、ずぶりと肉塊がいくつも飛び出した。

 それは先端に奇怪な口を有している。その口が由良様の足を、体を食いちぎろうと襲いかかる。

 

 由良様はひらりと飛んで片手の指先を組んで印を結んだ。

 輝く五芒星がいくつも由良様の周囲に現れて、そこから放たれる炎が肉塊を焼く。

 

「……っ」


 焼け焦げ弾けた肉塊の一つが、由良様の腕を掠めた。

 それは着物を焼き、腕を焼いた。爛れた傷に桜の花弁が落ちて、たちどころに修復していく。

 大丈夫だ。私の力が続く限り、由良様の怪我を癒やすことができる。


「やはり欲しいな、巫女」

「……っ、あ」


 私の前に、真白さんがいる。

 人の形をしている手で、私の顔を乱暴に掴んで、瞳を覗き込んでくる。

 その瞳の奥に、ゆらめく炎がある。

 それは、妙に淫靡に、蠱惑的に揺れている。


「由良はつまらない男だろう。俺がお前を愛してやる。由良よりもずっと、俺のほうがいい。愛情も快楽も、金も、地位も。何もかももお前にやろう」

「……嫌です、放して……っ」

「俺の物になれ。薫子。体の芯まで嬲り、犯してやろう。些少のことなど気にならないぐらいに、気持ちがいいぞ。お前は俺の傍に侍っていればいい。そうすればただ、何も考えずにいられる」


 頭の奥が、ぬかるんだ泥の中に漬けられてるようだった。

 他人に思考を委ねるような心地よさがそこにはある。

 もう自分では何も考えなくていい。

 ただ、その声に従っていれば、気持ちよくなれる。


 頭を空っぽにしていれば、もう、辛いことも苦しいことも起こらない。


「薫子!」

「私は、大丈夫です、由良様。私に、触らないでください。――無礼者」


 由良様の声がする。

 一瞬遠くなりそうだった意識が、明瞭になる。

 これが――魅了。

 自分が自分でなくなるようだった。ただ、気持ちいいことに己を委ねて、空っぽの人形になるようだった。

 私は真白さんを睨みつけた。

 咲子さんも七鬼様も、この感覚に支配されてしまったのだろう。

 

「気が弱いのかと思ったが、存外生意気だ。時間をかけてゆっくり、従わせるのも悪くはないな」

「真白様! 真白様には私がいます!」

「――黙れ、ただの食料の分際で。口ばかり達者な、出来損ないが」


 真白さんに駆け寄ろうとする咲子さんの足元から、肉塊がはえる。

 その肉塊か二つに裂けて、大きな口が開いた。

 そしてその口は、ぱっくりと咲子さんを飲み込んだ。



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