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空に還す



 断末魔の声をあげながら、瀬尾の体からはえた不気味な魍魎が炎にまかれて掻き消えていく。


 そして、少女――瀬尾さんの体も、灰のように塵のように消えていく。

 涙が一筋、頬を伝い落ちる。

 掻き消える間際に、少女を守るように抱きしめる青年の姿が見えたような気がした。


 捕らえられていた人々は腰から力が抜けたように座り込んでいる。

 五頭さんは俯いて「瀬尾は、死んだのか」と呟いた。

 

 ハチさんの肩に、小さい猫の姿になったシロとクロが乗っている。


「薫子。神癒の巫女には、報われない魂を慰め空に還す力がある」


 由良様は、私の手を取るといつもの穏やかな口調で言った。


「はい。……やってみます」


 自分の体に流れる力が、少しだけ分かったような気がする。

 目を伏せると、大きな枝垂桜の古木の下に、女性の姿がある。


 それは、私に瀬尾さんの姿を示してくれた、女性の姿だ。

 近づいていきその手を握ると、女性は「ありがとう」と言って微笑んだ。


 苦しみはない。悲しみも、憎しみもない。そこにはただ、肩の荷が降りたような安堵感だけがある。

 桜の花弁に溶けるようにして、女性の姿が消えていく。


 私の前に次に現れたのは、女学生だった。


『――ごめんなさい』


 女学生は、私に謝った。


『咲子様と一緒に、あなたを笑った。だから、ばちがあたった』


 女学生の姿に見覚えはない。もしかしたらあの時、繁華街で咲子さんと一緒にいた女学生のうちの一人なのだろうか。


『私は嫌な子だった。……由奈のことも、馬鹿にして笑った。友達だったのに。だから、ばちがあたった』


「……由奈?」


『そう。瀬尾由奈。私を、殺した。お前など死ねばいいと、言っていた』


 ごめんなさい、ごめんなさい。

 啜り泣きのような謝罪の声が桜吹雪の中に満ちる。


「もう、眠りましょう。大丈夫、もう、怖いことは終わりました。その謝罪は、きっと届く」


 女学生の姿が、消えていく。

 魂の還る場所は穏やかで、静かだ。犯した罪が許される日がくるだろうか。

 けれどあの子は十分な罰を受けている。


 命を奪われるような罰を。

 重すぎる罰だ。


 化け物さえ、彼女たちの前に現れなければ。きっと、こんなことにはならなかった。


「瀬尾由奈さん……」


 桜の大樹の陰に、膝を抱えて座っている少女の姿がある。

 私は少女の前に膝をつくと、その体を抱き寄せた。


 多くの罪を犯した。人の命を奪った。

 けれど彼女に対して感じるのは、胸が苦しくなるほどの寂寥だ。


 由奈さんの体に触れた途端に、景色が変化した。

 それは、おなじ形の机が整然と並んだ教室だった。

 西日が橙色に教室を染めあげている。


 由奈さんは教室の片隅に座り込んでいる。由奈さんを幾人かの女生徒が取り囲んでいる。

 その中に、先程謝罪の言葉を口にしていた女生徒の姿もある。


 興奮に輝く瞳。嘲るように歪んだ唇。その顔はまるで――ばけもの。


『咲子様に逆らうなんて、身の程知らず。自分が正しいとでも思っているの? 嫌な子』

『咲子様はご苦労をされているの。咲子様のお姉さんは咲子様を虐めているそうよ』


 咲子さんという名前が、ここでもあがる。

 私の話をしている。私の知らないところで、私の話を――。


『……私は、姉妹は仲良くしたほうがいいと言っただけです』


 由奈さんは、強い人だった。

 突き飛ばされて、体をうって、囲まれて罵られても、自分の意見を口にした。

 一瞬、教室に緊張が満ちる。

 誰かが『罰が必要だわ』と言った。


 チョークの滓が、バケツの水が、花瓶の水が、由奈さんの頭からかけられる。

 けたたましい笑い声が響く。いい気味だと、皆が笑っている。


 その中に、あの女学生もいる。


 ――美恵子。友達だったのに。


 由奈さんが、小さな声で呟いた。心が黒く染まる。悲しみが透明な水に落ちて、黒く染めていく。


『……由奈。どうして』


 ――負けてたまるかと思った。

 けれど、誰一人として話す人がいなくなり、教室の片隅で静かにしているだけで陰口を言われる。

 警邏官のお兄様の少ない給金を食いつぶして、良家の子女が通う学園に無理に通っているのだと。

 だから、素行が悪い。

 態度が悪い。

 巫女様である咲子様に敬意を払わない。品性がないからだと、聞こえよがしにこそこそと言われる。

 

 まるで自分が悪いみたいに思えてきて。

 寂しさと悲しさと虚しさと、ただこの世から消え去りたいという思いばかりが募り、一度――手首を切った。


 お兄ちゃんに見つかって、そんなことはしてはいけないと怒られた。

 何があったのかと聞かれたけれど、事情は説明できなかった。


 お兄ちゃんは一生懸命、私のために働いてくれている。迷惑は、かけられない。


『由奈、何があったんだ』


 人が憎いか。人を憎むか。人など所詮家畜と同じ。動物だ。だから、他者を貶める。他者を害する。

 そんな者たちに敬意を払う必要はない。


 ――殺してしまえばいい。


 そんな声が聞こえてきて、気づけば私の両手は血に染まり、青ざめたお兄ちゃんが目の前に立っていた。


『人喰いなのか、お前は……? どうか、もうやめてくれ。俺を食っていい。だから、もう罪を犯さないでくれ!』


 どうして? 最初に私にひどいことをしたのは、人なのに。

 その他人をどうしようが、私は咎められない――。


 ――私の心は、由奈さんの感情でいっぱいになる。

 苦しかった記憶の底に、お兄さんと二人きりで生きてきた、幸せに満ちた楽しい記憶がある。


 由奈さんは、私の腕の中で肩を震わせて泣いていた。


『……ごめんなさい。ごめんなさい。私は、お兄ちゃんを』


「もう、大丈夫。大丈夫ですから。ゆっくり、眠ってください」


 私の腕の中で、由奈さんの体が桜の花弁へと変わる。

 それは風に吹かれて、空に舞いあがっていった。



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