八十神咲子 3
◇
お父様が青ざめた顔をして、お母様と私に頭をさげている。
お姉様には偉そうにする癖に、所詮は入り婿だ。
浮気をしたという引け目もあるのだろう。
お母様には頭があがらない、矮小な男だ。
私とお母様はお父様に呼ばれて、お父様の書斎に来ていた。
書斎などというけれど、おそらくは何かをしているわけではない。
他に居場所がなくて、ここにいるだけなのだ。この男は。
ソファに私と並んで座っているお母様は、苛々と指で机を叩いている。
「……それで、一体なんだと言うのです。呼び出して、頭を下げて。頭を下げる前に、下げる理由を言ってください」
「先日、咲子から鳴神に結婚の申し込みをして欲しいと頼まれたのだが」
「ええ、知っていますとも。相手が鳴神様なら問題ありません。咲子さんの旦那様にぴったり!」
そうでしょう――と、私も頷く。
私に恥をかかせた玉藻由良よりも、鳴神様のほうが優れている。
私は、幸せになるのだ。
お姉様なんかよりも。お母様なんかよりも。ずっと、ずっと。
「その鳴神から、手紙の返事が来た。……結婚は承諾しかねる、と。玉藻に嫁いだ薫子に対する非道を、聞いている。そのような家と縁を結ぶことはできない、と」
お父様が、吐き出すように、振り絞るような声音で言った。
ざわりと、全身に鳥肌が立つような心持ちだった。
私は――何も、していないのに……!
「どういうこと!? 薫子に対する非道ですって!? 私たちはなんの力もないあれを、育ててやったのに! 八十神の恥になるから、私の子だと偽って、ずっと育ててやったのに……!」
「偽って……?」
お母様の金切り声に、私は目を見開いた。
偽る?
どういうことなの――?
「そうよ。咲子さんには言っていなかったわね。あれは、あなたの姉などではない。この最低な男が、私の妹を無理やり襲って生ませた子。私は妹のことなんて大嫌いだったけれど……あの子は、薫子を産んですぐに死んだわ」
「お父様が……?」
「違う! あれは、違う。俺は誘われたのだ、あちらから誘ってきたから」
「その後も、何人もの女中に手を出したでしょう? 私が知らないとでも思っているの? あぁ、汚らわしい! 咲子さんの縁談が断られたのは、全部あなたと、薫子のせいだわ……!」
「……っ、最低……気持ち悪い……っ」
私は、書斎を飛び出した。
何もかもが、薄汚く見えた。
お父様とお母様が不仲なのは、お姉様のせいだ。私の家族が、家族ではなかったのは、お姉様のような寄生虫が家にいたせいだ。
その上――顔も知らない女の子供だったなんて。
お姉様の体には、薄汚い血が流れている。あんな人、幸せになる権利なんてない。
私の手に入れられるはずだったものを、お姉様は全部奪っていく。
玉藻様に――あることないこと告げ口したのだ。
八十神の家に住まわせてもらって、育ててもらっていた分際で。
私は何もしていないのに、女学校の友人たちの前で恥をかかされた。
鳴神様に、拒絶をされた。
全部、全部お姉様のせいだ……!
家から出て、あてどもなくひたすら走った。
次第に息がきれて、足が重くなってくる。
徐々に足を止めていき、壁に手をついて、はぁはぁと息を継いだ。
苦しい。どうして私が、こんな思いをしなくてはいけないの。
私は、生まれた時から選ばれていた。他の人間たちとは違う。
特別な、力があるのに。
「迷子かな、お嬢さん」
涼し気な声に顔をあげると、そこには白い髪に赤い目をした、美しい青年が立っていた。
青年は、髪と同じ白い着物を着ている。
夕日がその白を橙色に染め上げている。茜色の空に、黒い染みのように烏が飛んでいた。
「誰……っ」
「煬帝の四神と言えば分かる?」
「……煬帝様の?」
私の住む帝都にいるのは、月帝様。
日の元には、四人の帝様がいる。
煬帝様は、ここからさらに西の地方を治めている帝だ。
月帝帝都に四神様たちがいるように、煬帝帝都にも四神様がいるらしいのだけれど、詳しいことは知らない。
「そう。僕は、白澤の血を受けている――沢城翠明。はじめまして」
「沢城、様……」
「翠明でいいよ。月帝の民たちには、馴染みがないだろうし。ところで君の名前は?」
「……咲子。八十神、咲子」
「うん。……君は、巫女だね。とても強い、神癒の力を感じる」
沢城様――翠明は、私の首筋に指をあてる。
そこには、桜の痣がある。
私は、胸が大きく高鳴るのを感じた。
これはもしかしたら、運命の出会いなのかもしれない。
私が幸せになるための、運命の出会い――。
「ところで、僕も迷子なんだ。月帝神宮に行きたいのだけど、道が分からなくなってしまって」
「そ、それなら、私が案内してあげる!」
「そう?」
「はい! 巫女として、四神様に尽くすのは当たり前のことですから」
「それなら、お願いしようかな」
翠明が私に手を差し出した。
私は、差し出された手にためらいなく、自分の手を重ねた。




