表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/46

お叱り



 鳴神様が帰った後、シロとクロが応接室にひょっこりと顔を出した。

 

「お片付けにきました」

「きました!」

「鳴神様は帰りましたよ」

「まったくあの、きゅうき、というやつ。いつも我らを食おうとするのです! あぁ、嫌だ、嫌だ」


 シロが茶器やお皿などをふわふわと浮かせてお盆にあつめて、クロは身震いしながら頭からはえる三角形の耳を両手でおさえた。


「きゅうきは獣の本性が抜けないのです」

「我ら品性のある立派なシキとは違うのです」

「ね、薫子様」

「薫子様はクロたちのほうが可愛いですよね」


 二人にずいっと顔を寄せられて尋ねられたので、私は思わず頷いた。

 シロとクロは顔を見合わせて「ね!」「やっぱり!」と言い合った。


「あれ、由良様。何かご機嫌が悪いですか?」

「鳴神様と喧嘩をしましたか?」

「まさか。鳴神様は真面目が服を着ているような立派なお方ですよ。吠王様や、皆神様とは違います」

「それもそうです」


 やはり、そうなのだろう。

 由良様は、鳴神様がお帰りになってからむっつりと押し黙っている。

 いつも口元に笑みが浮かんでいるけれど、それも消えてしまった。


 秀麗な唇は厳しく引き結ばれて、軽く眉根を寄せている。


「シロ、クロ。退室を。俺は薫子と話がある」

「薫子様を怒らないでください」

「由良様であっても、薫子様をいじめたらいけません」

「いけません」


 クロが私の腕をぎゅっと掴んで、シロが私と由良様の前に腕を腰に当ててすくっと立ちはだかった。


「怒っているわけじゃないよ。話がしたいだけ」

「そうですか……」

「そうなのですね……」


 しぶしぶといった様子で、シロとクロはお皿や茶器を乗せたお盆を手にして、部屋からいなくなった。

 由良様と二人きりになった客間に、一瞬しんと静寂が訪れる。


 私は落ち着かない気持ちで、膝の上の手をぎゅっと握りしめる。


 怒りの感情は、苦手だ。

 八十神家では、私はこういった静寂を敏感に感じて、お父様やお母様、咲子さんに阿るように、愛想笑いを浮かべていた。


 そのあとの罵倒や、暴力の痛みを体が覚えてしまっていて――大丈夫だと自分に言い聞かせても、この瞬間は、怖かった。


「すまない。……そう、怯えた顔をしないでほしい」

「ごめんなさい。私、余計なことを言いましたよね」


 囮に――といったのが、いけなかったのだろう。

 由良様の仕事の内容も、きちんと知っているわけでもないのに。


 由良様は私の手を取ると、軽く引いた。

 隣に座っていた私は、由良様の腕の中に簡単に抱き込まれる。

 

 頭の中では理解している。由良様が私を理不尽に叱ることなどないのだと。

 優しく抱きしめてもらうと少し緊張して、同時に安堵することができる。


「こうしているだけで――俺は君から溢れ出る、神癒の力を感じることができる。けれど、俺から君に渡せるものはなにもない。申し訳なくも、思う」

「……そんな。そんなことは、なにひとつなくて」

「君も同じ気持ちだと、理解している。俺は君に渡せるものがなくて、苦しい。君からは貰ってばかりだ」


 そんなことはないのに。

 それは、私のほうだ。

 私は由良様に助けられている。ずっと、救われているのに。


「家族を失い、信じるものを失い、足元が崩れていくような感覚を味わっていた。まるで、寄る辺のない小舟のように、おぼつかない気持ちだった」

 

 由良様のような立派な方が――と、ふと考えそうになって、私はその思いを打ち消した。

 鳴神様は想い人と立場の間で悩んでいた。

 

 鎮守の神様たちは、人ならざる力を持っているけれど、人間だ。

 皆、同じように悩み、同じように苦しむ。

 きっと特別、なんかじゃない。


「自分の――顔の傷を見るたびに、真白のことが思い出された。何をしたら、どうしたら、あのようなことにならなかったのだろう。俺などうまれてこなければと、何もかもが嫌になる夜も多かった」


「由良様……」


 私は由良様の広い背中に手を回すと、ぎゅっと抱きしめる。

 その気持ちは、よくわかる。

 私も同じだ。

 何かをしているときは忘れていられるけれど、一人の夜は――考えてしまう。


 何のために生まれたのだろう。

 何のために、生きているのだろう。


 ――このまま眠りについて。もう、目が開くことがなければいいのに。

 そんなことを、何度も繰り返し考えていた。


「でも、君が俺の元に来てくれた。傷を癒やしてくれたことは、重要じゃない。不安を抱えて俺の元に来て、勇気をだしてすべて打ち明けてくれた君のその清廉さが、美しさが、俺の心を救った」

「私は、何も……」

「この子は、俺が守らなくてはと思ったんだ。薫子を守ることができるのは、俺しかいない。何もかもを失って、かろうじて生きていたような俺にとって、その強い気持ちは、生きる標となった」

「……由良様は、私にずっと優しくて。強くて、立派で。そんな苦しさを抱えているなんて、気づかなくて。……ごめんなさい」


 ご家族のこと。お兄様のこと。

 全て辛いだろうとは想像していたけれど――。


「女性の前では格好をつけたいと思うぐらいには、俺も低俗な男でね」

「……由良様は、いつでも素敵です」

「ありがとう。俺もそう思う」


 冗談めかしてそう言って、由良様は私の髪を撫でた。

 摺り寄せられる体に、硬いその感触に、胸を締め付けられるような気持ちになる。


「薫子。……俺は君が大切だ。だから、君も君自身を大切にして欲しい」

「……はい」

「俺が君から貰ってばかりで、何も返せないことがつらいと言った時、君は否定をしただろう? それは俺も同じ気持ちなんだ」

「同じ……」

「そう。君は十分なほど俺に与えてくれている。それなのに、役に立とうと頑張ろうとしてくれる。自分の身を危険にさらすことも、ためらわずに。それが、俺にはとても苦しい」


 私は由良様の腕の中で、頷いた。

 役に立ちたい。自分の身など、どうなってもいい。

 この体が役に立つのなら、それで――。


 なんて、由良様が考えていたら、私も苦しい。


「ごめんなさい。……由良様。私は、自分の命に価値などないと、心のどこかでいつも、思っていて。どうしてもその癖が、抜けなくて。間違えた時はまた、叱ってください」

「俺も同じだよ。薫子、俺が感情に飲まれそうになった時。道を違えそうになった時は、叱って欲しい」


 そっと体が離れると、視線が絡み合う。

 美しい深紅の瞳が私の奥底までを見透かすように、私を見つめて。

 それから、優しく唇が重なった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ