八十神咲子 2
◇
八十神家に戻った私は、お父様の元へと駆けこんだ。
お父様――八十神源治はこの家の当主ではあるが、神巫女の力を継いでいるのはお母様で、八十神の血はお母様に流れている。
お父様は入り婿である。
神癒の巫女の家系は、帝都には今は四家。その分家から婿や嫁を貰い血を薄めずに繋げていくのが、神癒の巫女の家系の義務である。
お父様は分家に生まれた。お母様の結婚相手に選ばれて、八十神家の当主となった。
一人目の娘薫子お姉様は力がなく、お母様は「あなたのせいだ」と言ってお父様をせめたらしい。
巫女として強い力を持つ私が生まれるとお母様は満足し、お父様は安堵したようだ。
その安堵からか――深い理由は知らないし、知りたいとも思わないけれど。
お父様は女中に手を出した。
私が物心ついて少ししてからの話だ。
それを知ったお母様は怒り、女中を家から全て追い出してしまった。
そして、薫子お姉様は、女中の代わりになった。
幼い頃の私は何が起こっているのかわからなかったけれど、お母様がお父様を怒鳴る大きな声や、お皿の割れる音や、お母様に髪を掴まれて引きずりまわされる女中の泣き声はよく覚えている。
何が起こっていたのかを理解してからは――ただただ、お父様のことを汚らわしいと思った。
八十神家に婿入りするなど名誉なことなのに、他の女に現を抜かすなど。
――汚い。
それ以来、お父様はお母様の言いなりである。
私の言うことも、よく聞いてくれる。
だから、私は玉藻様に嫁がずにすんだ。お姉様が代わりに嫁いだ。
代わりに嫁いで、不幸になるはずだったのに――。
「なんて、つまらないのかしら……」
お姉様の分際で私に歯向かうなんて、あってはならないことなのに。
あれは、女中だ。
身分の低い、卑屈な役立たず。
それなのに。それなのに。それなのに……!
玉藻様の美しい姿が、お姉様に手を差し伸べる姿が思い浮ぶ。
あの場所には、私がいるはずだった。
身分も名誉もある見目麗しい鎮守様の元に嫁ぎ、私は幸せになることができるはずだったのに。
「お父様!」
「どうした、咲子」
お父様はお母様から逃げるようにして、一日の内の大半を書斎で過ごしている。
特に仕事をするわけでもなく、何もしないお父様の体には、醜い肉がつきはじめている。
ただの人。
醜い人間。
私が嫁ぐべき鎮守様とは、何もかもが違う。
「玉藻様の顔は醜く、面をつけているとお聞きしました。全部嘘だったのですか!?」
「いや、そんなことはない。怪我をしてからは顔に面をつけて、療養のために家からほとんど出ていないと聞いていたが」
「そんなことはありませんでした。美しい顔立ちをしていらっしゃいました」
「何故、知っている?」
書斎のソファに座って新聞に目を通していたお父様は、手に持っていた新聞をテーブルの上に置いた。
大きな見出しには『切り裂き魔の三人目の被害者』と、四角張った文字で印刷されている。
「今日、街で会ったのです。女学院の帰りに」
「玉藻様にか」
「薫子お姉様と、玉藻様に。顔に傷などありませんでした。お姉様は玉藻様と結婚できたからと、調子に乗って……!」
「薫子には力がないだろう。気づかれていなかったのか?」
「それは、わかりませんけれど……」
そんなことは、どうだっていい。
お父様は口では大きなことを言うけれど、小心者だ。
玉藻様に嘘がばれたのではないかと、内心ではびくついている。
「ともかく、玉藻様と結婚するべきは私であったはずなのに! お父様、私も鎮守様に嫁ぎます。白虎様に連絡をしてください。それができなければ、お姉様を呼び戻してください。婚礼は、間違いだったと」
「今更、そんなことはできない」
「あのような女が鎮守様に嫁いだなど、八十神家の恥です。私が玉藻様に嫁いであげてもいいのですよ」
「しかし」
「お母様にも伝えます」
「……分かった」
お父様はしぶしぶといった様子で頷いた。
「それなら、白虎様に手紙を出そう。お前を貰ってくれるように」
「貰って、もらう? 違います。私が、嫁いであげるのです。喜んで受け入れるのは、当然のこと」
「そうだな、咲子。お前は若く、愛らしい。きっといい返事がもらえるだろう」
私はようやく、留飲を下げた。
心の中にうずまいていた怒りや憎しみが、落ち着いていく。
白虎様のほうが、玉藻様よりもずっと優れている。
私はお姉様よりも、上の立場でいなくてはいけないのだ。
八十神の巫女とは私なのだから。
お姉様と私は違う。
玉藻様は――お姉様が私の姉妹であることに感謝をしろなどと言っていたけれど。
感謝など、するわけがないじゃない。
あれはただの女中。卑屈な下女。
姉妹、なんかじゃない。




