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癇癪



 咲子さんは、ご友人たちを引き連れて私の前までやってきた。

 シロとクロが警戒心をむき出しにして前に出ようとするのを、私は制した。


 咲子さんは私の持っている食材の入ったカゴバッグとシロとクロ、それから私にぶしつけな視線を向ける。

 まるで値踏みでもするようにじろじろ見られて、私は八十神家でのことを思い出した。


 咲子さんは、私よりも一つ年下だ。お母様に似た色素のやや薄い茶色い髪と、鳶色の瞳をしている。

 長い睫毛に、白い肌。可愛らしい見た目をしている――けれど。


 一日の内に、一度か二度か、癇癪を起すことがある。

 髪型が気に入らないだとか、肌に吹き出物ができたとか、寝つきが悪かったとか。

 理由は、色々だけれど。


 そんな時は、よく物を投げつけられた。

 汁物の入ったお椀や、お魚の乗ったお皿。箸や、スプーン。 

 何か物にあたるときもあれば、直接私の背中を蹴ったり、叩いたりすることもある。


 それは咲子さんが私のことを嫌いだからで――まさか、シロやクロには手出ししないとは思うけれど。


 でも、もしも、ということもある。

 

 シロとクロを背後に庇うようにすると、小さな声で「シロはシキですよ」「クロもシキです」と二人が囁いた。

 守ろうとしてくれているのだろう。

 けれど――これは、私と私の家族の問題だ。

 魔性のものに襲われているわけではないのだから、二人に頼るのは間違っている。


 私は、由良様の妻になった。

 できることは、したい。

 玉藻家を玉藻家を由良様と共に、守りたい。

 だから、妹におびえているようでは、いけない。


「お姉様! 奇遇ですね、こんなところで会うなんて!」

「咲子さん。女学校の帰りですか?」

「えぇ。お姉様と違って私はきちんと学校に通っていますから。友人も沢山いますし、色々と予定がありますので」

「そうなのですね。それは、楽しそうで何よりです」


 咲子さんとは、会話らしい会話を交わしたことがない。

 こんなに話しかけられたのははじめてだ。

 ――私が嫁いだことで、咲子さんの中で何かが変わったのだろうか。


 それとも、もしかしたら。ご友人たちの手前、姉として扱おうとしてくれているのかもしれない。


「……軽々しく、私に言葉を返せる立場になったとでも思っているのですか?」


「え……」


 僅かに心に芽生えた期待は、すぐに打ち砕かれた。

 路傍の石を――いえ、烏に散らかされたごみ置き場のごみを見るような目で、咲子さんは私を睨んだ。


「玉藻様の元に嫁いだからといって、調子に乗らないでくださいます? 玉藻様は、面をかぶりその顔はぐちゃぐちゃなのでしょう。見ましたか、お姉様」


「咲子さん、鎮守様のことをそのように言うのは、許されることではありません」


「顔に怪我を負うような弱い鎮守様など、何の役にも立たないでしょう? 白虎様や犬神様、蛟様にはそのような話、聞きませんもの。醜い顔をした玉藻様と、役立たずの寄生虫であるお姉様はお似合いかと思っていたのですが……」


 咲子さんは一歩踏み出すと、私の顔を覗き込むようにした。


「妻として扱われてもいないなんて。噂によれば、玉藻様は女好きだとか。手つきにされた女中もいるらしいですね。玉藻様にはすでにいい仲の女性がいたのでしょう?」


 咲子さんの背後にいる女学生たちが「まぁ」「まぁ、けがらわしい」「嫌だわ」と言いながら、くすくす笑い出した。


 ここは――帝都の中でも玉藻家が守っている地区である。

 東西南北に別れた帝都の、西側。

 ここに住む人々は、玉藻様に敬意を払っているはずだけれど――。


 女学校の生徒たちは、西地区以外の各地からも多く通っている。

 そのため、その敬意も薄いのだろうか。

 それにしても、なんてひどいことを言うのだろう。

 その噂はおそらく、由良様ではなく、真白さんのものだ。

 

 真偽の確かではない噂を声高に吹聴して笑うというのは――おかしいのではないか。

 胸に、疑問が浮かぶ。

 今までの私ならば、そんなことは考えなかった。

 愛想笑いを浮かべながら、ただひたすらに頷いていた。

 でも、今は違う。


「由良様はそんな方ではありません。優しく、真っ直ぐな方です。咲子さん、私のことはなんと言おうと構いませんが、由良様のことを悪く言うのはやめてください」


「口答えをするの? 寄生虫の分際で?」


「……咲子さん。私はもう、八十神家の召使いではありません」


「あはは! 何を言っているの? 同じじゃない。どこにいっても、お姉様は同じ。買い物をさせられているなんて、お姉様は玉藻家でも女中扱いをされているのだわ!」


「違います……!」


「否定しても無駄よ、これがその証拠じゃない」


「やめてください!」


 咲子さんは、私の持っているカゴバッグを掴むと、道端に叩きつける。

 こんな――往来でそこまでするとは思わずに、簡単にカゴバッグを奪われてしまった。

 中身が往来にぶちまけられて、商店街を行きかう人々が、何事かと周囲に集まりはじめた。


「咲子さん、もう、やめてください。こんなことをして、一体何になるのですか……?」

 

「黙りなさい! この私に歯向かうなんて、身の程を知りなさい……!」


 思わず声を張り上げると、咲子さんの手が振り上げられる。

 叩かれるのだと理解した瞬間、シロとクロが私の背後から飛び出そうとする。

 私は両手を広げて二人を止めた。

 二人の力がどれほどのものかは分からないが、咲子さんはただの人間だ。

 

 神癒の力があるだけの、十七歳の少女である。

 シロとクロが咲子さんに危害を加えるのは、いけない。

 私なら大丈夫。頬を叩かれることぐらい、慣れている。

 だから――。


「……っ」


 咲子さんの手が、振り下ろされることはなかった。

 いつの間にか、その腕を背後から、由良様が掴んでいた。



 

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