人の為≒自分の為
物心のついた頃、両親を病気で亡くした。
その後、親戚に引き取られた。
「自分の事よりも人の事を常に考えなさい。」
両親にも、親戚にも、そう教えられながら育てられた。
だが、その親戚も、事故で亡くなった。
そのせいで死神と言われ、引き取り先の押し付け合いが続いた。
もう嫌になった。
人の為に生きていたのに、何も報われない。
不幸の連鎖が永遠と続く。
その日から、人の為に生きるのを罷めた
人の為≒自分の為
「なぁ、消しゴム貸してくんない?」
後ろの席の男子生徒が、僕に言った。
「見返りは?」
そう返すと、暫く黙った後。
「………………やっぱいい。」
そう言った。
このやり取り、今までに何回やったことか。
只消しゴムを貸すだけだと、僕に利は無い。
なら、見返りを求めるのが普通じゃないのか。
そう思って「見返りは?」と聞くのだが、いつも拒否されてしまう。
小学生の頃、先生に、「いい人って何?」と聞いたことがあった。
そして先生は、「人を思いやって、少しでも人のために動く人だよ」と答えた。
それに僕は、「人のことを考える人が、良い人なの?」と返した。
「そうだよ。」先生は、それに続けていった。
「人のことを思いやっていると、いつかは自分も助けられて、みんなが、幸せになっていくんだ。そしていつしか、人を助けるのが生き甲斐になっていく。君も、そうなれるように頑張ろうね。」
そして、僕の頭を撫でたのだ。
僕もそうした、幼いころ。
でも、誰も自分を信じてはくれなかった。
僕は幸せではなかった。思いやったのに。
この時の僕は、この時の先生の言葉の意味が分からなかった。
年が経つにつれ、その利己的な考え方が、僕の身に定着していった。
何かを頼まれたら、見返りを求める。
それが当たり前になっていた。
それが正しいのだと、自分の中で勝手にそう思い、そう、自分に暗示した。
仕方がない。自分の経験で学んだことは、他人の言葉で、そう易々と変わるものではないのだから。
そして人は、僕の周りに集まらないようになった。
僕はそれに、あまり孤独を感じなかった。
昔からそうだったから。
自分のことについてとやかく言われるよりも、何も言われずに一人でいた方が、断然快適なのだ。
そうして過ごしていた、ある日のことだった。
「うぅわぁぁぁぁぁああ!!」
廊下でそう叫び声が聞こえた後、誰かが倒れる音と、大量の本が地面に落ちる音が聞こえた。
視線を廊下に向けると、一人の女子生徒が、大量の本の中に埋もれていた。
そして、さっさと起き上がり、手際よく、落ちて本を拾い上げていく。
よく見るとその本は全て、誰かのノートだった。
恐らく全部で、四十冊は超えているだろう。
二人で持って丁度の良い冊数だった。
それをその女子生徒は、一人で持っていたのだ。
そりゃ、ノートを落としても無理はない。
疑問に思うのは、何故分担しなかったのか。
僕は絶対参加しないが、一般中学生なら、係で分担作業が常識ではないのか。
だが、周りの生徒の、その女子生徒を見る目を見て、確信した。
恐らくこの女子生徒は、誰かに仕事を押し付けられているのだ。
この学校の教師は、あまり生徒のことを見ず、問題ごとは、生徒が報告するまで放っているので、この女子生徒のことを、問題視していない。
だがその女子生徒の表情を見ると、うれしそうな笑みを浮かべながら、そのノートを拾っていた。
僕にその女子生徒の感性は、理解できなかった。
暫くして、ノートを拾い終えたその女子生徒は、職員室に向かって、さっさと歩いて行った。
僕は、その女子生徒を、あまり気にかけなかった。
それから連日、彼女は、教科書やらノートやらを運ぶ為、僕のクラスの教室の前を何度も往復していた。
最初の方はあまり意識していなかったが、段々と意識し始めていた。
毎日毎日、他人に押し付けられたノートを、嬉しそうに職員室まで運ぶ彼女。
何故、自分に一切利がない作業なのにも関わらず、毎日続けられるのか。
僕は彼女に、苛立ちさえ覚えていた。
ある日、僕は決心した。
彼女に話を聞いてみる。
それをしたからと言って何かが変わるわけでもないが、何故か、「聞いてみたい」と思った。
それが、只の気まぐれなのか、興味なのかは、自分にも分からない、
だが、聞いてみたかった。
放課後。
彼女が、教室の前を通る時間だ。
意を決して廊下に出て、声をかけた。
「あ……あの!」
「はいぃ!」
いきなり声をかけたからか、彼女は戸惑った。
「な、なんでしょうか………………?」
彼女が僕に、恐る恐る要件を聞く。
「なんでそんなに、毎日毎日人のために動けるの? 自分に何か利があるわけでもないのに、それをしたからって、何か変わるわけでもないのに。」
思い返してみれば、この時の言い方は、少しきつかったかもしれない。
だが彼女は、優しい笑みを浮かべながら言った。
「私、人ために何かをするのが好きなんです、昔から。母にもそう教わってきましたし。私もそれが良いと思ってますし。」
「でも今やっている仕事って、他人に押し付けられてやっているんじゃ………………」
恐る恐る僕は言った。
「……分かってます。そんなこと、私が一番わかってるんです。」
彼女の顔は、だんだん暗くなっていった。
「でも気付いたら、それが日常化していて。『今手伝うのをやめたら、嫌われちゃうんじゃないか』って。つい、そう連想してしまうんです。もう、自分が嫌なんです。嫌いなんです。でも、自分は自分だったんです。嫌でも、自分をやめれないんです。」
彼女は、何か吹っ切れたように、そう言った。
「…………すいません。」
彼女はそう言い残し、その場を去ろうとした。
「僕は!」
気付くと僕は、そう叫んでいた。
彼女の足が止まる。
「僕は、人の為に生きた。人を見て、人を想って、困っていたら助けて。でもそれは報われなかった。人の為に良いことをしても、決してそれは、自分に返ってくるわけじゃない。因果応報なんて、只の理想に過ぎない。だから僕は、人の為に生きるのを罷めた。自分の為だけに、利己的に生きた。」
彼女は、僕の話を、はっとした顔で聞いていた。
「でも君は違う。君は、人の為に生きるのを罷めずに生きている。僕が出来なかったことを、君はやっている。僕も過去に、自分が嫌になってそれで終わりだったが、君は終わらなかった。君は凄いんだ。頑張った。だから、罷めたって良いんだ。自分のことも考えていいんだ。これ以上、自分を嫌わなくていいんだ。そうだよ。君は凄いんだ。僕のようにまで利己的になれとは言わないが、少しは、自分の好きに生きたって、良いんじゃないか?」
つい、彼女の事を何も知らないのにも関わらず、ペラペラと喋ってしまった。
「ご、ごめん。色々喋っちゃって…………忘れて………………」
思わずそう言った。
そしてパッと彼女の顔を見ると、彼女の瞳から、一滴の涙が流れ落ちていた。
それに気付いた彼女は、急いで涙を拭う。
「ご、ごめんね。泣いちゃって。そんな風に言われたことが無かったから。『そのままでいいよ』としか言われたことが無くて。」
彼女は、すすり泣きをしながら、弱弱しい声でそう言った。
「ありがとう、ちょっと勇気が出たよ。」
彼女は必死に涙を止め、真っ赤な目を少し隠しながら、僕の下から去った。
横にあった窓を見ると、地平線から洩れる斜陽が、僕の目に向かって一直線に出ていた。
彼女との話は、僕が『利己的に生きる』と決めてから初めて、『人の為に』と起こした行動だった。
次の日の放課後。
彼女はまた、ノートを持って職員室に向かっていた。
だが、その時の彼女は、昨日の彼女とは違った。
ほかの生徒と二人で、ノートを運んでいたのだ。
彼女自ら、他の生徒に、分担作業をするよう、促したのだろう。
昨日の自分の言葉が響いたのか、只の気まぐれなのかよくわからない。
だが、これだけは確信できた。
『昨日の僕の行動は間違っていなかった。』
彼女が僕に向かって振った手を見ながら、そう思った。
今になると、あの時の先生の言葉が、少し理解できる気がした。
『みんなが幸せになっていく。』
僕もこれから、少し、利他的に考えてもいいのかな。
そう思った。
外を見ると、真っ青な空が、燦燦と輝く太陽を、引き立てていた。
彼女は、これまでで一番の笑みを浮かべていた。




