文学的クレクレ論
小説家になろうにおける「クレクレ」という言葉の意味をご存知でしょうか。これは、投稿小説のあとがきにおいて、評価を読者にせがむような行為、またはその文章のことであると私は理解しています。規約上、評価を依頼する行為は違反となりますので、あくまでも「評価してもらえたら嬉しい・喜びます」、「執筆活動の励み・後押しになります」といった表現が用いられることが多いようです。
私も小説を投稿していますので、そういったお願いをしたくなる気持ちは大いに分かりますし、実際に効果があるからこそ、そのような行為をなさるのだと思います。ただし、せめてもう少しエレガントに、文学的にクレクレしたほうが良いのではないかと感じてしまうのも事実です。
そもそも本来は作品の中身で勝負するべきであることはひとまず脇に置いておいて、文章表現で読者を楽しませるのが小説家であるとするなら、思わず読者がポイントを入れてしまうような流麗、繊細、荘厳あるいは耽美、そして独創的なクレクレ文を書くのは作家として当然と言っても過言ではありません。
ということで、いくつかの具体例をご用意してみました。
【パターンA ポエミークレクレ】
あなたがくれた星の欠片
夜の闇の中で瞬き
私とこの子を明るく照らし
進むべき道を指し示してくれる
幾条もの光は やがて重なり合い
まるで流星群のように 心をときめかせる
太陽のように神々しく 月のように優しく
私の心を温め 勇気づけてくれる
その存在に背中を押され
私は今日も 物語を紡ぐ
【パターンB 純文学風クレクレ】
我が子の幸せを願わない親など(極めて稀にしか)いないように、自分の生み出した作品が万人に受け入れられることを望まない作家など存在しないでしょう。だからこそ、少しでも自分の子供が可愛がってもらえるように、何度も額に汗かき推敲を重ねるのですが、いざ作品が完成してしまえば私にできることなど殆ど残されていません。
このあとがきというのは、我が子が読者様の前で精一杯の演技を終えた後に、舞台上にのこのこと親が現れて、いかに出来のいい、親孝行な子供であるか、唾を飛ばして力説するような、蛇足極まりない恥知らずな愚行なのかもしれません。多くの子供がそうであるように、余計なお節介などせずに早く戻ってきてくれと、袖に控えている我が子からそう思われているのでしょう。
ただ、自分の手を離れる子供に何かをしてやれる、最後の機会だと思うと、居ても立っても居られないのです。もし我が子の演技に僅かでも心を動かしていただけたならば、どうか形にして伝えていただけないでしょうか。子煩悩な親バカ作家の頼みを聞き入れて下さることを心から願っております。
【パターンC クレクレ川柳】
同情は いらぬといいつつ 二度見する
その星を 押せば喜ぶ 人がいる
星欲しい ああ星欲しい 星欲しい
いかがだったでしょうか。もし私自身がこのような文学的クレクレあとがきに遭遇したら、きっとこう思います。
(……このあとがきを書く時間と情熱を、本文に全て注ぎ込めばいいのに……)と。
一旦脇に置いていた本題を再び正面に据えますが、やはり作品の中身をなおざりにして評価を稼ぐ手段に趣向を凝らすというのは、まさに本末転倒と言えるでしょう。あとがきがなければ入らないような、ただの泡ポイントを求めるよりも、本当に中身を評価してもらえるように日々の積み重ねを大切にしていくほうが建設的なのではないかと私は思います。
ポイントがなろうの全てではないけれど
あれば嬉しい ないと寂しいです
嬉しいほうがいいなあ
たなか