◍ 貧乏子だくさん?
京城外の田園地帯だけでなく、森の中にも村落があることは知っていたが、たどり着いたそこには、家々の区画がなかった。
木立の合間に鶏小屋とも、人家ともつかない粗末な個々のテリトリーがあって、半ば野営地といった様子だ。
紗雲が男だと知って以来、お妙は何かとフォローしてくれながら、子ども六人を抱える生活環境を、会話の端々にうかがわせていた。
都会の家賃が高いのと一緒で、李彌殷の南一帯に広がる耕作地にも地価があり、いざという時、京城にすぐさま逃げ込める範囲内は富裕層の所有。逃げ切れないだろう遠方ほど安く、ここはその末端よりも外側。
第五外周地・五奔と言うらしい。
顔をあげた先―――、聞き及んでいた家は、想像していた以上にボロかった。いつ虎が出てきてもおかしくないような森の闇を背に、拾い集めてきたと思われる種々雑多なもので補強され、どうにかこうにか佇んでいる。
だが、幼子しかいないはずのその家が、表にこぼれ出るほど、たくましい明かりと温かみを放っていたのには感嘆した。
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「ねぇねぇ、兄ちゃん。母ちゃんは?」
「なつみ、おなかすいたよ。ごはんまだあ?」
「まーだ。もう少し待ってろ。いま、兄ちゃんが鼈甲飴作ってやるから」
竈の前に立って、中を覗き込んだり、叩いてみたりしているのだが、さっきから火がつかない原因が分からないでいた。
ド…、ドンドン
ふいに、戸を叩く音がした。こんな時間に誰だろう。あって無きような薄っぺらな戸板でも、無闇に開けるなと母ちゃんにきつく言われている。
警戒心を保ちつつ、戸の前までやってきた少年は、その場に這いつくばった。
「だ…、誰だ?」
「……お妙さん家の…、子どもか?」
「オタエ? うちの母ちゃんは妙季だけど…」
「あー…、そうだっけ?」
くぐもった声―――まだ若い。だが、何故か苦しそうな息遣いをしている。
どうにかして飢えをしのぎたい落ちぶれ妖魔が、よく使う手だ。人間の着物を羽織り、化粧をして、紅を差した唇から艶かしい女の悲嘆をもらす。
今晩泊めてくれないかとか、急に差し込みがして、とか。
足までは誤魔化せないと聞いたため、のぞき穴のように欠けている引き戸の下部から確かめてみた。
枯れ葉を巻き上げる風に、時おり裳裾がめくれ上がるのが見えた。地面を踏みしめている彼女は、どうやら人間のようだ。ちょっとだけならいいだろう。
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「……なにか用?」
明かりを背に、戸の隙間から顔をのぞかせた少年のあどけない眼差しに、皐月は準備していた言葉を、思わず呑み込んでしまった。
「あ…、ああ。その――……」
まさか、こんなに小さかったとは。確か話には、九歳と聞いたはずだが……。
戸惑っている場合ではないと、先に我に返ったのは少年だった。ハッと目を瞠るや、戸を開け放つ。
「うおッ!?」
予想していなかった皐月の体がつんのめった。
「母ちゃんッ!」
「かあちゃん――? あっ! かあちゃん、かあちゃん!」
奥からヒヨコのような騒ぎ声が湧き出てくる。
痛い……。派手に倒れ込んだ皐月は、したたか顔面を打ちつけた上に、お妙の体重を全身で引き受ける形となった。背丈は自分の方が高いが、横幅にいたっては敵わず、半ば戸に寄りかかっていたのがいけなかった。
「お前は誰だッ! 母ちゃんに何をしたッ!」
鼻先に突きつけられてきた火吹き竹―――見れば、弟妹たちを背に回した少年が、口を引き結んで自分を睨めつけている。
「ちょ…、落ち着けって。お前、名前は?」
「そんなことはどうだって…っ」
「イツトにーちゃんだよお?」
逸人の腕と胴の間から、ひょっこり顔を出した女の子が屈託なく笑った。
「捺己っ!」
ゲッと目を剥いた逸人の腕を掻い潜って、捺己は皐月の顔の前にしゃがみ込んだ。
「おねえちゃんは?」
「え? ……あぁ、えーと…」
「捺己っ、そいつから離れろッ! 今に口が裂けて、丸呑みにされるぞお前…!!」
「……。」
皐月は半眼になった。とりあえずお妙の身体を、どうにかしよう。
腕を突っ張り、四つん這いの状態で背負いなおしながら、皐月は尻込みする逸人を見下ろした。
「おい」
「な…っ、なんだ! やる気かこの…ッ!」
「なんか焦げ臭いぞ?」
「え?」
「わー、おなべがもえてるよぉ~? イツトにーちゃん」
捺己の場違いなはしゃぎ声に、逸人は目を丸くして振りかえった。
「うそぉッ!?」
嘘でも、夢でも、幻でもない。
次の瞬間、火柱を上げた竈に仰天した子どもたちは、蜘蛛の子を散らしたかの如く四散した。
× × ×
……幸い、大きな火災にはならずに済んだが、次の時、皐月はどう見ても隠し切れない失態の痕跡と、睨めっこしていた。
いくら火がつかないからって、油注ぐ? 普通……。
大惨事にならなかったのが、不思議なくらいだ。なんと言って弁解する気なのだろうか。
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小火騒ぎから一転、家の中は重苦しいほどの沈黙に満ちていた。
横たわったお妙の両脇を固める子どもたちを見やる。枕元には長男の逸人がいて、固く握りしめた拳を膝に、じっと息を詰めていた。
玄静だったらとっくに就寝している時間帯だが、報せを受けて駆けつけた白髪頭の医者は、文句一つ言わずに診察を始めてくれた。
「……疲れが溜まっていたのだろう。ただの過労じゃよ」
「本当に?」
「ああ、心配ない。じきに良くなるさ」
子どもたちは、肺が空っぽになるほど息を吐き出した。
聴診器をはずし、医者はふと、全体を眺めるように腕を組んで、竈の横の壁に寄りかかっている皐月を見た。
先刻から、当然のように構えているが……、
「あんたが、この人を運んできたのかい――?」
皐月はまつ毛を跳ね上げた。
「え? ……ああ、まぁ。偶然通りかかったっていうか」
「そうか。そんな華奢な体つきでよくここまで。ところで、お前さん風邪でもひいとるのか?」
「は?」
「いやな? 妙に声が低いなぁと。調子が悪い時は、いつでも私の診療所にくるといい」
医者は、言い終わらないうちに背を向けると、道具を片付け始めた。
やっぱり気づかれてない。声を聞いてもなお、紗雲に扮した見た目のほうが、性別を物語っていると言うのか……。
ショックに思った皐月は、ひっそりと背を向けて落ち込んだ。
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「――ああ、そうそう。ついでと言っちゃなんだが、一つ忠告しておいてやろう」
医者は帰り際、ふと足を止めた。
木々の揺れる気配が、白衣の背後でうごめいていた。ただならぬ面持ちだった。何を言いだすかと思えば、
「…… “智津香” という医者の所へだけは、行ってはならんよ。あやつは謂わばヤブ医者じゃ。なんでも、かの花人の一人が薬草関係で繋がりをもっておるらしいが、あいつらとて信用ならんからな」
皐月は耳を疑ったわけではないが、ぴくりと反応し、沈黙を置いた。素知らぬ振りをして尋ねる。
「なんで……?」
「あんた、知らんのか?」
医者は目を丸くしたが、すぐに納得といった風情でうなずいた。腰に右手を当て、筆先のように整った顎鬚を撫でながら。
「……まぁ、今となっては奴らを受け入れ、頼りとする人のほうが増えたがの。元はといえば花人のせいで、この国は滅びかけたも同然なんじゃよ。それを……」
奎王様もお人がよろしすぎる。あろうことか、花連の隊首には、ひいき的な扱いまでしていなさるとか。
自分たちが招いたとも言える事態にも拘らず、頭一つ下げることなく、今の今までのうのうと過ごしてきおった異界国の兵を、よりにもよって。
「そんなことだから、この間のような襲撃に遭うんじゃ。なんでも、都の中心部が火の海と化したと聞く」
「ぐふ…ッ」
「……ぅん? なんじゃ。どうした?」
振り向いてきた医者に、皐月は軽く咳払いした。
「いえ別に…」
「では、私はこれで失礼するが、あんたも帰りは気をつけなさい。女子一人ではいささか不安もあるからな」
「はい」
皐月は愛想笑いを浮かべて、歩き出した医者の背を見送った。
*――この国の人たちのために戦ってる。
戦ってやってるなんてことは、絶対に言えねぇ……
少なくとも、過日の記憶として残っている嘉壱の声色には、自責の念がにじんでいたようだが―――。
*――あいつらとて、信用ならんからな
「信用……――、ねぇ」
鼻から息をついた時、皐月の背中を、甲高い泣き声がど突いた。




