表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 第一鐘 ◇ 務め ――――――
98/194

◍ 纏霊術をものにせよ | 借金取りと同僚



*――この前、湖に落ちるまでの間に見てて思ったんだが~……



 ここ数日、皐月は毎朝のように聞き流していた。

 霊応の使い方――纏霊術てんれいじゅつについてである。



   *   *   *



「少なくとも、お前が操る風には斑があると思うんだよ」


 嘉壱先生が、鼻上の銀縁メガネを指で押し上げながら言った。

 たぶんいさみのメガネだ……。今ごろ必死に探しているだろうその姿を想像すると、余計に話が入ってこなかった。



纏霊術てんれいじゅつは神代の霊言葉みことばで “降臨の柱(シンバドラ)” ――現形化げんぎょうかとも言う」


 森羅万象、すべての輪郭は、その要素たる〝ハク〟を結ぶことによって生まれ、保つことにより存在し続ける。つまり、結合剤が必須。これが “産霊ムスビ” と呼ばれる力だ。

 火神は厳密にいうと、火魄カハクを結ぶ火産霊ホムスビ、水神は水産霊ミナムスビ使いの強者や究極体そのもので、木、風、雷、土―――あらゆる “造現力” を持つ者は、創造神に匹敵する。


 そんな大それた存在でないとしても、自然界を形成している様々な神霊・妖魔との交渉に、これほど有効な物はないという三本指に入るほど、花人の血肉は極上の依り代――、造現力の源とされてきた。

 とりわけ、火魄に限ってまとい、現業化することに長けていれば、火霊ホダマ使い――薫子のように火将を名乗り、万能型オールマイティであれば造世神霊ツクヨミ使い――飛叉弥のように万将として恐れられるわけだ。


「なんにしろ、造力ぞうりきの質が高いほど甚大な現象を引き起こすし、そいつの技も、そいつ自体も神がかったものになって、なかなか消滅しない。とりあえず、ここまでは分るよな?」



 試験その一、三分以内で、現形化について説明しなさい。



 とりあえず合格だ――。退屈そうな生徒の顔をして、皐月は実際、〝嘉壱先生〟の採点をしていた。

 説明の仕方は思ったほど悪くなかった。だが、教え方が下手くそな奴は、総じて要領が悪い。まずは、生徒がどこまで理解し、何が、()()()()()()()()()()、正確に分析する工程を踏まなければ、優良な教官とは言えない。


「一言に “現形化させる” つっても、色々な形があり得る。中でも風は、バリエーションが利きやすい。用途によって繊細な扱いが求められるから、コントロールを(きた)えるには最適…」


「ってわけで――」



「え……。」


 嘉壱はあくまで講義中心にするつもりだったが、飛叉弥が実戦あるのみとばかり、さらりとさっそく過ぎる話に移した。



「今から嘉壱の放つ “風削カルカソ” に対し、お前は同等の技で対抗する。勝っても、押し返されてもいけない理由は言うまでもないだろう。嘉壱の攻撃威力を、お前が、同じ威力を有する風をもって相殺できるようになれば、コントロールの調整修行完了だ」


 飛叉弥先生は端折り過ぎで、言ってることがもはや、ひよこに対し、怪獣キングギズラへの進化を要求しているに等しい……。


「完了前に死ぬよそれ、俺か嘉壱が」


「たぶん俺よッ!! 手加減知らねぇぴよこ頭のヒグマ相手に、相撲教えてやれってな状況よ!? 今っ! やっぱし座学で良くねっ!? とりあえず、お座り、待てから教えようぜえっッ!?」


 そもそも、わが身を犠牲にしなければならない意味が分からない。風を使って霊応の出力を鍛えるなら、切り刻まれる対象物は、紙とか竹で十分なはずだ。


「たとえば半紙を的として前後に置く! 一枚目は破るけど、二枚目は破らないようにする! クリアできたら、次は竹を前に置いて、後ろに半紙を置く! それなりの威力で竹を斬りながらも、半紙は斬らないよう風を抑えられれば、俺はもうお役御免ッ!」


「とはならない。お前を的にしなければ意味がない」


「なんでだ~~っ。なんでなんだよお~~…っ」


「お前に意味がない」


 いつもの煙草を懐から取り出し、悠々と吸い始める飛叉弥に、嘉壱は半泣きしながら頭をかきむしる。

 ようするに、嘉壱先生には “踏み越えて行かれる屍の価値” しかないということだろう。

 そう断言してしまうのはさすがに悪い気がするが、やはり、飛叉弥の口出しは的確。 “問題の根本” を見抜いている―――。




   *




 こうして、萌神荘の一角では、しばらく嘉壱の悲鳴が絶えない日々が続いた。

 もちろん、お互いにハイリスクな特訓だった。案の定、八つ放たれた風削カルカソのうち、すべてを同じようには打ち消せず、風の刃の断片が首筋をかすめた時にはゾっとさせられた。

 だが、意図しない牙を剥いて、嘉壱に襲い掛かっていくそれを見た瞬間の方が




 自分は正直、生きた心地がしなかったのである――。






   *   *   *


  



 砂袋が落ちたような衝撃音をさせながらも、紗雲は着地してすぐに駆け出した。

 高架橋下に続く、陰気な商店街へ突入。ここはよく言えばレトロだが、所々に水漏れが見られ、瓦市がいしという実店舗を持たない、乞食のようなガラクタ売りが集うところだ。

 駆け抜けてしまえば、怪しい商売人もただの黒い人影でしかないため、声を掛けられないよう、出口まで疾走した。


 ガス灯が、点々と道を示しているが、灯りの色がやや緑がかっていて不気味だ。 


 しばらくすると、水路から階段を上がってくる客のため、角灯ランタンを下げている河房沿いの道に出た。

 夜目にも真っ赤な衣と口紅、黒髪を盛りに盛った女が、ちょうど舟から降りた痩せ気味の男を招じ入れていた。

 生気を吸う鬼女だろうか――……。


 怪しんでいた時、つと、あらぬ方から悲鳴が聞こえた。

 道の左へ顔を振り向けると、柳がなびくアーチ状の橋上に、小太りの人影が駆け上ってくるのが見えた。

 人影は後ずさって、尻餅をついた。ごろんと転がった拍子に、片方の靴が脱げて宙を舞った。


 そこに、五、六人の男の影が迫っていく―――。





   ×     ×     ×





「オラッ、おばさん。分かってんだろ!? 逃げても無駄だって」


「こっちはもう二ヶ月も待ってやったんだ。いい加減、払ってくんねぇーと困るんだよ。例の借金」


「す…、すみませんッ! 今月中には、今月中にはなんとかしますんで…、あぁっ!」


 取りすがってこようとした彼女を、一人が足先で突き返した。

 防御に手をかざされると、昔から余計に暴行したくなるタチの男どもは、鼻で笑って、ダンゴ虫になっている女の腹や尻を蹴る。


「もう聞き飽きたんだよ、その台詞」


「そうだ、娘をよこしなよ。俺らが高く売ってやるぜ? 沢山いすぎちゃ、あんたも大変だろう?」


「そんなぁ…っ!」


 髪を振り乱して跳ね起きた女は、お妙だった。

 お妙は訴える声を縮み上がらせた。どうか、どうかそれだけは……っ。堪らず目をつむった時、柳のそよぐ影の中を、静かな足音が淡々と近づいてきた。


「もういいでしょ……」


 深々とため息をつきながら、しばらくして、月明かりの下に現れ出た姿を見た男たちは、片眉をつりあげた。


「ア――? なんだ、この姉ちゃんは」


「さ…っ、紗雲……ちゃん?」


 一人、また一人と、独特の歩き方をする男たちが、彼女に詰め寄って行く。お妙は喉に力を込めたが、肝心の声が恐怖に絡んで出てこない。


「おじさんたちは、お仕事してるだけなんだよ。お姉さんみたいな女が、首を突っ込んでいいことじゃない。分かるだろ~?」


 薄笑いを浮かべて、頬から顎先に触れてきた角刈り男に、紗雲は無言で挨拶した。


「っ…ッ⁉」


 頭髪を鷲つかみにされた男は、驚いている間に、足元へ顔面を叩きつけられた。その衝撃は、後頭部に隕石でも食らったような、傍目にも凄まじいものだった。

 目を剥いた残りの五人が、慌てて身構える。

 お妙も瞠目していたが、今座り込んでいる位置からでは、おもむろに立ち上がった紗雲の黒髪が、風になびいている様子だけしかうかがえない。


「こ、このっ…、調子に乗りやがってえぇッ!」


「おい止めろ…っッ!!」


 一番後方にいる禿頭とくとうの男が叫んだが、果敢に殴り付けに行った二人目から、骨を折られたような絶叫が上がる。意味が分からないあまり、彼らの恐怖は倍増した。


「いくら?」


「あ…っ、ああ⁉」


 もはや逃げ腰の男たちに向け、紗雲が発する声は、あくまでも物静かだ。


「この人の借金、いくらだって聞いてるんだよ」


「な…、何言ってやがんだこい…」


  ぱしっ、と


 足元に投げつけられた封筒から、思いがけない札束が滑り出てきて、男たちは見下ろしたまま硬直した。


「これだけあれば十分でしょ。お仲間の治療代込み。今日はとりあえず帰ったら――?」


 もう夜も遅いし―――と、紗雲はお妙の靴を拾い上げる。

 近くで野良犬同士が喰らいあうように喧嘩をしている物音と、相対して落ち着いているその物言いが、不気味でならない。

 手首を傷めた仲間がその場にうずくまって、半分泣いている。

 末端中の末端とはいえ、黒社会に属して培った勘が、禿頭の男に警鐘を鳴らしていた。

 花街では、白とも黒ともつかない正体不明な連中が、各々の目的のために潜伏しているのが常だ。尻尾を巻いてでも、逃げなければならないと直感すること自体は珍しくないが、こいつはまさに、清とも濁とも言い切れない、厄介な奴と見た―――。


「ひ、引き上げるぞ…っ、お前ら」


 禿頭の男は努めて威厳を保ちつつ、手下たちを急かした。

 手下どもは一応不服そうな顔をして見せたが、異論があるはずもない。歯のかけた重傷者一名を引きずって後に続き、小走りに去って行った。


 お妙は、バタバタと遠のいていく足音を聞きながら、頃合を見て口を開いた。


「……さ…つき、……皐月くん…っ……」


 蚊の鳴くような声だった。皐月は体を起こそうとしているお妙に歩み寄り、手を貸した。


「立てる――?」


「あ…あんた、今のお金…っ、もしかして」


「ああ、いいよ別に。もう一週間、働けば済む話…」


「バカッ! あんな…、あんな大金をッ! あんただって、金に困ってたんだろ? それを…っ」


 お妙の膝が砕ける。バランスを崩した彼女を、皐月は咄嗟に抱えこんだが支えきれなかった。

 欄干に背中から打ちつけられたが、痛がっている場合ではなかった。


「お妙さん……? お妙さん―――ッ」



 辺りを見渡したが、自分の声が響くだけ。助けは望めなかった。



2021.12.18投稿。長文のため分割

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ