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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 序鐘 ◇ どうして ――――――
94/198

◍ 救世主、謎のオッサンに見初められる…?


「おぉ! ようやく参ったか」


 案内された先で待っていた男の第一声は、知り合いを見つけたような、明るい調子だった。


 宵瑯閣には個室がない。二階部分に立屏風ついたてしょうで作られた要人ビップ席風はあるが、そもそも、密会や密談に利用される趣の店とは違う。


 三階から最上階までは大広間の宴会場だ。慌てて元宿泊部屋である寄宿舎の一室を片づけたりもしたらしいが、女将の判断で、結局、屋上の観月台に通したとのことだった。

 どれだけ偉い人物だというのか。

 身の回りを精一杯飾り立てられ、ぽつんと一人、胡坐している壮年の男は、さすらい剣士のような風情である。

 只者ただものではないだろうが、少々貧乏くさい。その割に筋骨はしっかりしている。濃色の衣を着崩しており、藻のように波打った癖毛が印象的であった。

 


 男は “武尊ほたか” と名乗ったそうだ。さも、当然のように出迎えられ、紗雲は眉をひそめていた。この人……。



 武尊は晩酌の手を止め、目をぱちくりさせた。


「どうした? 早くこちらへ来い」


「紗雲ちゃん、大丈夫よ。こちらの御仁はお酒を飲むがてら、あんたとお話がしたいだけなんだと」


 女将が背を押してくる。どうやら嘉壱と交わした契約条件について懸念していると思ったようだが、紗雲が半眼で躊躇っている理由は違う。



「―――では、武尊様。ごゆるりと」


 女将はそう気品よく言って、滑るように離れていった。

 妙に浮かれていたようだが、一体何がどうなっている。去っていくその後ろ姿を、紗雲は胡乱(うろん)げに見つめる。


 一方の武尊は変わらぬ態度で、再び酒をあおり始めた。


「紗雲ちゃんかー。すっかり気に入られているようだなぁ」


 なんと返せばいいのやら……。振り向きこそしたものの黙っていると、武尊は何を思ったのか、傍らの硯箱(すずりばこ)を引き寄せた。中には半紙と筆が納まっている。


「ほれ」


 これに返事を書いてよこせというのだろう。変な人だ。とりあえず歩み寄って腰を下ろした紗雲は、如何(いかが)わしげな面持ちで受け取った。

 受け取ろうとしたその手をつかまれた。

 紗雲が片眉をつりあげる横で、武尊は何故か、つかんだ右手の平を、じっと観察し始める。


「……うむ。見たところ、皮も薄い。肉刺(まめ)胼胝(たこ)もできてないようだな」


 マメ…? 問いたげな視線を注ぐと、武尊は顔をあげた。


「あの剣舞のことだ。幼い頃から相当、練習させられてきたのだろうと思ったのだが……、旅役者の一座にいたのだろ?」


 紗雲はムッと眉間を詰めた。筆をとる。あーッ、面倒くさい……。


 半ば突きつけるよう、紙面を鼻先に据えてやると武尊は固まった。


「……ちん?」


 ちんぷ。


 うんうん、とうなずいた紗雲だが、思わぬ吹きだし笑いを被る。


「そ…っ、それを言うなら “天賦てんぷ” ではないか?」


 おぉ、それだ。それが言いたかった。紗雲は指を弾いて見せた。


「その異常に低い国語力も “天賦の才” か――?」


 大いにうなずきかけて、半眼になった顔を横目に、武尊は喉の奥でくつくつと笑った。


「面白い奴だ―――」


 気に入った、と独り言のように付け足し、薄い笑みを浮かべている唇に杯を運ぶ。


 悠々としていて、なんだか飛叉弥みたいな男だ。そういえば年も近い。無精ひげを生やしているせいか、少し年嵩としかさのようにも思えるが。



「 “さくも” とは―――」


 ふいに放たれた、これまでとは違う真摯(しんし)な声音に、紗雲はさりげなく気を引き締める。この男は「武尊が来た」と伝えるよう、女将に頼んだそうだ。「武尊なんて男は知らない」といぶかられるのを承知の上で、故意に名乗ったと思われる。興味を抱かせるために――。



「さくも……とは、どういう字を書くんだ」



 『紗』――『雲』



「薄絹の “紗” に “雲” か。なかなか優美な名だな。それにお前の瞳は、射干玉ぬばたまのように黒くて美しい。 “さくも” という芸名に、何か意味はあるのか」


「――……」


 さくもとは、東扶桑ひがしふそう圏における五月の異名の一つだ。よく知られているのは “皐月” だが、十二か月の名称には、他にも色々とある。

 嘉壱の咄嗟の思いつきで、漢字は適当に当てた。 “月嬌げっきょう” というキャッチフレーズは、薄紗の被帛ひはくで顔を隠す仕草をするところから、女将が薄雲越しに見る月を連想して付けた。

 紗雲はしかし、首を横に振って、特に意味はないということを示した。


「そうか。ならば、お前にぴったりの “瓔珞名ようらくめい” をやろう。ちょうど今、ひらめいた」



  紫蕤賓シ・スイヒン―――。



華瓊楽カヌラの雅楽などに用いられている十二律でいう、七番目の音名だ」


 “すい” は草木の花や葉が、しなやかに垂れさがる様を表している字。 “賓” は客を接待する賓礼の “賓” ―――。


 武尊は盃を持っている指先で、かんざしについている垂れ飾りに触れてきた。そのまま横髪を一筋すくい取り、指の間に通していく。視線で撫で下ろしていく。接し方で、漂う空気を変えていく。


 枝分かれした大型燭台の灯に囲まれているため、自分たちの周りだけは、まぁまぁ明るい。雄大な山景が描かれている立屏風ついたてと羅帳、青磁の香炉、重厚な敷物により、即席で演出された個室的な雰囲気の中で、紗雲は視線をそらした。

 


「 “蕤賓すいひん” とは、この国における五月の異名でもある。まるで、風にそよぐ優美な藤の宴でもてなされているかのような――……お前には、そんな趣を感じる」


 武尊にはどうやら、この釵の垂れ飾りが藤の花房に見えているようである。丸みを帯びた逆三角形の金装飾と、翡翠で出来ているこれ――、鬼灯ほおずきと言われれば鬼灯、藤花と言われれば、確かに藤花だ。

 今宵は薄紫と白を基調とした衣をまとっているため、余計にそう見えるのかもしれない。

 実は、紗雲が予想以上に客を集めていると知った貞糺ていれいが、替えの衣装をいくつか持ってきてくれた。

 気の利く商売上手だ……。いや、商売上手な人間とは、そもそも気が利くものである。



「知ってるか――?」


 武尊はふと鼻で笑い、手を引いた。媚びるどころか愛想のない紗雲に興味をなくしたかのような態度をとったが、話は真逆の方向に進んでいく。


「藤のような紫色の花というのは総じて、植物のくせに、恐ろしいほど頭が良い」


 花弁が壺型で、誘い込むように模様が入っている場合が多く、それを読み解き、蜜を吸いに潜り込める虫を、これまた頭の良い蜂などに限定している。

 蜂は後ろ向きに這い出ることができる上、色形の好みによらず、確実に同じしゅの花へと花粉を運んでくれる。

 花からすれば、受粉を確実に成功させるために必要不可欠な上客だ。

 紫の花は、客を選別しているということだ。


「一流の妓女のようだろう? 遊ぶ相手にも、それ相応の教養を求めるところが――」 


 紗雲は淡々と酒を干す武尊の表情を上目にうかがいながら、筆を滑らせた。


「……詳しいんですね、って? あぁ、花のことか? まぁな。昔、距離を縮めたいと思っていた相手のために、少しだけ学んだ」



  あなたは? 



 文面を横目に一瞥(いちべつ)して、武尊は静かに笑った。


「ただの飲み師さ。お前は? どういう素性で李彌殷リヴィアンの、しかも、こんな所で働いているのだ」


 かわされた―――。紗雲は内心で舌打ちしつつも、紙面に身を乗りだす。

 しかし、


「年は? まだ若いのに、もうこんな世界に足を踏み入れてしまっていいのか? 親はどうした。売られたのか? どうして一座を抜けた? 喋れないのに、不安はないのか?」


 返事を書くより早く、武尊が矢継ぎ早に質問を繰り出してくる。紗雲が筆を動かせずにいると、大仰(おおぎょう)なため息がもらされた。

 見れば、武尊が呆れ返った様子で、カリカリと鼻筋を掻いていた。




「面倒だろう。いい加減に口で話したらどうだ――? “小増” ……」




 沈黙が訪れた。だが、紗雲は驚いたわけではない。ついと視線を滑らせてきた武尊の目を見つめ、少し吹いた。

 止めだ、止め。妖艶な紅唇を、下卑(げび)た笑みにつりあげる。



「……気づいてたんなら、早く言ってよね」


「お前だって気づいてたんだろ? 俺が “男” だと知っていると」


「ああ。あんたの視線は他の客と違った。それでなんとなく…」


「おいおい、妙な言い回しはよせ。言っておくが、俺は野郎なんぞに興味はない」


「分かってるよ」


「それを聞いてこちらも安心した。いつ、その眠り薬を盛られるかと、内心ドキドキしておったのだ」


 皐月は、自分の右袖に視線を落とし、何食わぬ顔でそれを懐に納めなおした。


「同僚から貰ったんだよ。仕事柄、色んな危険が付きまとうもんでね……」


 万が一ということもあると、嘉壱に持たされた通りの意味合いを込めて返したつもりだ。女の紗雲にも、男の紗雲にも興味がない相手と見抜きながら、それでも薬を盛る機会をうかがっていた理由は、一つしかない―――。

 皐月は、あからさまに声を低くした。



「…… “須藤皐月()” になんの用」



「用? 用とは」


「今更とぼけるなよ。ワザとらしく()()()とか()()のうんちく並べといて、人の正体あばきにきただけです、なんてあり得ないだろ。あんた誰? なに企んでんの……」


 研ぎ澄まされていく眼光すら気に入ったと言うのか、武尊はふっと笑みをこぼした。


「企んでなどいない。ただ一度、じっくり見てみたかっただけだ」


「見てみたかった?」


「ああ、噂の舞姫殿をな――?」

 


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     :



 もっと早く気付くべきだったと、皐月は後に、つくづく不甲斐なく思うことになる。

 酒をあおり「美味い!」と、今日一番、満足げに言って笑った武尊は少年のように無邪気で、ある “人相” に当てはまる顔をしていた。 


 だが、この時は単に、鼻筋が通った面長の男。切れ長の目をしているが、話しぶりは和やかで、仕官が叶わない貧乏剣士を装っている割に豪傑肌―――としか、思わなかったのである。




〔 読み解き案内人の呟き 〕


紅姑娘ホンクーニャン 】……鬼灯ほおずきの別名。



蕤賓(すいひん 】……作者の創作ではありません。

 実在する音名であり、五月の異称であり、鳧鐘ふしょうという音に相当。

 鳧鐘は音楽をつかさどる鳧氏が作った、古代の鐘。

 寺院で使われる鐘のことでもある。


(2021.12.05 投稿内容と同じ。長文だったため、2022.01.018 分割)


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