◍ 酒楼・宵瑯閣 | 手合わせ
と――いうわけで、早速、足を運んでみることにした。
大通りには、翠天平珞街という巨大な歓楽街の様相が広がっている。
あちらからも、こちらからも客引きの声がして、弦楽器の音色が絶えない。
紅灯がにじむ川面の上に急勾配の反り橋が掛かっており、同じ景観が鏡合わせのように続く。
各楼閣は至近距離で隣り合っていて、出入りする男女が身を寄せ合い、橋を行き来している。
教わった酒楼はこれら大店の並びにはないが、確かに繁盛しているようだった。裏通りにもかかわらず、吸い込まれて行く人の姿自体が客引きになっていた。
お役所帰りの高官風情から、福耳の豪商、鬼女房がいそうなどこぞの亭主まで、次から次へ。
「 “宵瑯閣” ……」
見上げた扁額の金字を読み上げ、いざ踏み出す。
宵瑯閣の客層は、旅客や常連に限られていたはずだが、たったの三日で様変わりしたようである。
一体どうしたことか。
廊下の頭上に幾重にも連なってきた最後の羅帳を潜ると、吹き抜けの中心部に出て視界が開けた。
万華鏡を思わせる色調の提燈が、浮遊しているかのように沢山――、そして
「ほぉ」
男は口端をつりあげた。想像していた以上の賑わいだ。
透かし彫りがされた木製の腰壁が、各階に巡っている。一階から流水紋、雲紋、花枝紋と意匠が異なり、天女のような格好をした給仕兼酌婦が、忙しなくも愛想よく行き交っている。
食器の触れ合う音。ざわざわと嵩張りあう客の話し声がうるさいくらいだった。
歓楽街の嫉妬深い酌婦らが、何故か惜しむことなく教えてくれた噂の舞姫。はてさて、彼女は一体どこに……。
店内を見回していると、円卓についていた初老の福耳客が、ちょうど手を上げて女将を呼びつけた。
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「なあ、今日は彼女、踊らないのかい?」
「はいはい、踊りますよ。ちょっとお待ちになって下さい。もうすぐですから」
愛想笑いを打ち消すや、女将は正面にある舞台に猛ダッシュした。
「ちょいとっ! 紗雲ちゃん!? まだ準備できないのかい!?」
舞台袖の暗がりから白い手が出る。 “ちょっと待って” という意味だろう。彼女はどういうわけか、声が出ないのだという。
*――声は出ないが、金の生る木に育つことは保証してやる……
連れてきた金髪青年がそう太鼓判を押した通り、申し分ない上玉の娘だったが、店の切り盛りを考えると、女将としては難しいところだった。
迷っていると、青年が―――「こいつは珍しい舞を会得している」と言って娘を押し出し、その手に、あるものを握らせた。
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なにこれ……。
そう問いたげな娘の上目遣いに、金髪青年が胸を張った。
三日前である。
――――【 最強の猫パンチ? 】――――
「俺の愛剣、風越だ。華瓊楽に派遣が決まった時、菊嶋家当主からお守り代わりに持たされた名刀よ」
青年が手渡したのは、二つで一つの双剣の一方で、鮫肌の茶色い鞘に収まっていた。柄頭から鬱金色の剣緒を絡めてある、東扶桑式のなかなか重厚な拵えだ。
「二刀流なんだよ、俺。こっちは乱景」
だからなんだ……、と娘は片眉をつり上げた。
「ちょっと抜いてみろ」
なんで……、と重ねて問いたげだったが、声が出せない娘は渋々、束の方を上にスライドさせた。
怪しい彩光があふれ出るにつれて、刀身が両刃だと分かった。
「珍しいだろ。扶桑式で両刃と言えばおおよそ神器級の骨董品。今は短刀にしか見られないからな。これでいっちょ手合わせついでに、女将へのアピールタイムと行こうぜ」
「っ?」
娘は顔を跳ね上げ、咄嗟に風越を抜き切った。
「おお、思った通り。なかなか良い反応」
「ちょ…っ、ちょっと!」
蒼白になって制止を叫んだのは、女将であった。
娘はしばらく青年の了見をうかがうように鬩ぎ合っていたが、馬鹿らしいとばかり跳ね返した。
青年は鼻で笑って、今度は剣先を当て、蠅のようにしつこく、速く、軽い衝撃を続けざまに与える。
鋼が弾き合う音が、やかましいくらい連続した。昼日中の小さな裏庭で、にわかに真剣勝負が始まってしまった。
剣を弄玉のように操りながら、足掛けをくらわそうとしたり、回し蹴りを放ったりする青年に、娘は後退を強いられる。
だが、反り身となって躱し、翻って攻撃を弾き、文字通り掠りもしない。
早い―――。女将は舌を巻いた。
青年は娘に余裕があると見たのか、徐々にスピードアップしていった。
いつの間にか、旋風を巻き起こすほどの回転を加えた打ち合いになった。
何者か知らないが、本来二刀流と言うことは、これが青年の十八番なのかもしれない。
傍からしても目が回るような、全方位に隙を与えない攻撃。今は手数が半減している分、倍の回転をかけているだろう。
しかし、娘に焦りの色が浮かぶ様子は一向にない。むしろ、舞っているような身のこなしで、青年の方が精神的に追い込まれてきたと見える。
歯噛みした彼が、思い切って踏み込もうとした瞬間、娘がまとう深紅の大袖が、その視界を覆うように広がった。
女将が見開いた目の中でも、息を呑んだ感覚と一緒に、それがひどくゆっくりと花開いた。
思わず強張ったその一瞬の隙に、乱景が
「っッ…!?」
ヒンヒン…と金属のたわむ音を発し、青空にはね上げられた。
「……嘘だろ」
青年は空になった手の中に視線を飛来させ、呆然と呟いた。
娘も同じような顔をして固まっていた。目くらましの猫パンチを放ち、その隙に逃げた体で、庭を取り囲む雲牆の上に飛び乗っていた。
その目が「……お前、どんだけ弱いの」と青年に訴える。
「いややや…っッ、俺は弱くねぇっッ! 今のはお前がおかしいッ!! 何が起こったっ!?」
娘は塀を乗り越えて入ってきた黒猫のように、言い訳をまき散らす青年の前を飄々と通り過ぎる。
「すごいじゃなあーい…っ!」
女将は娘が只者でないと確信した。
精彩に欠けていた心の中に、キラキラとした生気が蘇ってくるような喜びが溢れた。
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―――実は、宵瑯閣は元旅館で、先々代は客を引き入れるために、店先で持ち前の芸を披露し、一代で大繁盛させたやり手であったのだ。
増設した楼閣は宿泊客の娯楽場とし、毎夜のこと、踊り子たちが華やかな衣装を翻していた。
現在は、その名残にすがって、ようよう経営を続けている状態であった。軽業や歌などを披露する特色を継いではいるものの、どれも三流で客足は激減。茶館として昼間も営業し、楽器を演奏するなどしているが、盛り返すことができず。
別館の宿は、今や地方から働きに上京した従業員の寄宿舎と化している。こんな店だからこそ、あの金髪青年は目をつけたのかもしれない――。
「じゃあ紗雲ちゃん、頼むわよ?」
舞台袖に潜んでいる化け物は準備を整え、深呼吸のような……? 長大息をついた。
とりあえずうなずく気配を受け、女将は前夜以上の期待を抱いた。胸の前で右拳を握りしめる。
店内は、異様なざわめきに揺れていた。不安、興奮、期待、疑心の綯い交ぜになった空気が、逆に女将の心をワクワクさせるようになっていた。
声も出ない。酒も飲めない。おまけにまだ十代だと聞かされた時には、正直使い物にならないと思ったが、今はとんでもない “金の生る木” を得た気分だ―――。




