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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 序鐘 ◇ どうして ――――――
89/197

◍ 袖すり合うも多生の縁 


 公園前をきょろきょろしながら通り過ぎた女は、とにかく大通りに戻ろうとしていた。

 市街からだいぶ離れたせいか、地方都市らしい平凡な町並みのあちこちに “境界” を感じる。

 人間はよく知る安全な領域をこの世、未知の領域を異界と捉えてきた。村境むらざかいや坂、橋、峠、水辺などに守り神が祭られたのは、そうした空間の境界線が曖昧で、怪奇に遭いやすい場所だからだ。


 この東扶桑ひがしふそう圏では、華瓊楽カヌラのように城郭都市こそ発達しなかったものの、城隍じょうこうしんと同じく人家の集合地帯を守る “塞の神” 信仰が生じたと聞く。

 八曽木もなかなかの “界交地ラヴァイア” である。華瓊楽カヌラには及ばないが、やはり郊外には足を向けないほうがいい。化けの皮が剥がれてしまう―――。



 つと立ち止まって、女は赤いマネキュアを塗っている指を、サングラスの柄に伸ばした。


(ここなら “彼” が住んでいても、おかしくないと思うんだけど……)


 何せ、飛叉弥が摩天に出向く際の “鬼門” にしている土地であって、自分たちが初めて接した文明社会の超最先端だ。

 飛叉弥に勧められなければ、一応繋がっているとはいえ、こんなにもかけ離れた世界で、出稼ぎをしようなどとは考えなかった。

 つまり、すべてが計算されていたと考えるべきだ。飛叉弥は単に、摩天の中でも行き来しやすいという理由で、自分たちメンバーに、この八曽木市との接点を持たせてきたわけではないと思う。 “須藤皐月” と、関係があるからに違いない―――。



「それにしても、こっちは暑いのねぇ、随分……」


 ムシムシとしていて、すっかり汗をかいてしまった。

 水蒸気が、空に幕を張っているような薄曇り。しかし、摩天にいる自分にとってこのサングラスは、決して欠かせない必須アイテムのようなものだ。何故って……



「ああっ!」


 薫子は思わずビクついた。ずり落ちかけたサングラスをかけなおし、恐る恐る首を動かす。

 肩越しに見たそこには、高校生くらいの女の子が一人、薫子を指差したまま、口をぽっかりと半開きにして突っ立っていた。

 その後から、彼女と同い年くらいの男の子が、息急き切って走ってくる。


「どど、どうしたの辻村さん。……って、あれ? この人知り合い?」


 茉都莉は元々大きい目を、皿のように丸くして叫んだ。


「やっぱり! 『fleurフルール』で表紙に選ばれた薫子さんだよ! ヤダ、どうしてこんな所に⁉」


「表紙? ふるーる?」


「や……、えぇーと、その、私は~……っ」


 あれこれとポーズを変えて、顔を隠そうと努力したが無駄(むだ)だった。

 (目ざといね……)

 サングラスをしているのは、隠すためである。瞳の色ではない。地力の弱い摩天にいる間は、霊応が一時的に削がれるため、本来の色彩は必然的に抑えられる。

 心配していたのは容姿だ。


「あっ! そうだサイン、サインもらってもいいですか…っ?」


 茉都莉はデニムパンツのサイドポケット、後ろポケットを叩いて、何も入っていないことにあたふたした挙句、健二を後ろ向きに立たせた。


「ここに血文字でッ!」


「えええーーッ!? ちち血ぃっ!? 誰のおおっ!?」


 自分のシャツでよければ、サイン色紙の代わりにでもなんでもしてもらって構わないが、健二は正気かと叫びたくなった。


「安心してッ! もちろん私の…」


「よしなよ辻村さああーんッっ!!」


 缶ジュースの蓋に、自分の指を当てがって流血しようとする茉都莉に、健二は悲鳴を上げた。お願い止めてぇぇっ。


「正式なモデルさんじゃないことは分かってるんですけど、私っ、薫子さんのことがずっと気になっててぇ!」


 薫子が表紙を飾ったのは、去年の四月号一回きり。街中を行き交うおしゃれ系女子に声をかけ、その中の一人を一日限定モデルにする『fleurフルール』の特別企画だった。

 二十歳前後の女子向け雑誌だが、あまりに目を引く美貌のため、学校の男子も思わず手に取ったと、一時期ものすごい話題になったのだ。


「ね、井上くん!」


「えっ⁉ ぼ、僕っ? 僕はそういうのは、ちょっと~…」


 分からないと言わせてもらいたかったが、拳骨で背中を殴られた。 

(はぅ…っ!)


「そそ、そうそう…! 普段は妖怪にしか興味ない僕も興奮しちゃったなぁ~! お色気ムンムンの濡れ女っぽいっていうか…」


「気持ち悪ッ」


「なんでっ!? あいた…っ! え、辻村さん、濡れ女っていうのはね…っ? 川姫とか磯女とか、水辺に現れるものすごい美人の…」


 殴られながらも必死に説明する健二の背後から、その時、にぎやかな話し声が近づいてきた。

 気づいた薫子は咄嗟に茉都莉を抱え、健二を突き飛ばして、傍らの植え込みの中に隠れた。

 突然のことで驚いたが、茉都莉は大人しく、部活帰りと思われる三人の女子中学生が、自分たちの前を通り過ぎてゆくのを眼で追った。


「ねぇ、楠生(くすお)神社の夏祭り行く?」


「あ、行く行く! 今年もたくさん屋台出るみたいだし」


浴衣(ゆかた)とかは?」




 しばらくして、笑い声が聞こえなくなったのと同時に、三人そろって茂みの中から顔を突きだした。


「ぷはっ!」


「……ねぇ、今のたちが話してた神社のことだけど」


 大きく息をつく健二と茉都莉を横に、薫子は女の子たちが自転車を引いて歩いて行った道の先を眺めやった。

 町を見下ろす西の山の中腹に、赤い鳥居らしきものが見える。


「この市内には、どれくらいの神社があるのかしら……?」


 茉都莉と健二は顔を見合わせた。


「なにかお願い事があって来たんですか? ああ、縁結びとか?」


「ちょ…っ、もぉ井上くん!!」


「えっ?」


「えっ? じゃないでしょ!? そういうプライベートなことは…」


 と窘めつつ、気になる様子でチラっと見られ、薫子は少し笑った。


「いえ…、いいのよ別に。ただ聞いてみただけ。ちなみに神社が目的で来たわけじゃないの。先を急ぐから…」


「ああっ!」


 さりげなく立ち去ろうとした薫子だったが、見ればまたもや、茉都莉が自分を指差してポカンと口を開けている。


「……どうしよ」


「え?」


「ごめんなさい…っ! 私、こんな真っ白なシャツに…っ」



 言われて薫子は目線を下げた。

 そこには、紫色の炭酸ジュースの染みが広がってきていた。





   ×     ×     ×





 最初の印象は、妙に熱烈でまっしぐらなだな、と。そんなものでしかなかったが――……、なんとなく捉えていたその性格は、彼女の父親だという男を見た瞬間にはっきりした。


辻村(つじむら)文蔵(ぶんぞう)と申します―――」


 向かい側に座った四十代くらいの男は、重苦しい沈黙の果てに一言、厳かな挨拶をした。


 薫子はすでに正座の状態だったが、さらに身を硬くした。恐縮さが倍増する。文蔵はなんの仕事をしているのか、防具でも身につけたような筋肉質な体系をしていた。さすがに柴には劣るが、それでも見た目のゴツさには勝るものを感じる……。

 一文字に引き結ばれた口元。眉間に刻まれた深いシワ。上は白い半袖Tシャツ、下は赤いジャージ姿で、特に毛虫を乗せたようなゲジゲジ眉毛のインパクトは大きかった。さっきから気になって仕方ない……。



「お…、桜源おうげん薫子(かおるこ)です。突然お邪魔してしまって、その…」


「存じております。娘がそれはそれは、あなたの大ファンでして」


「いえ、ですから私はただの一般人で…」


  ことん、と



 机に置かれた盆の音に、薫子は視線を滑らせた。

 麦茶の入ったグラスを差し出だしてきた、白くしなやかな女性の右手


「ごめんなさい? 文蔵さんったら、話し出すと止まらなくて――」


 なにやら、ブツブツと熱く語っている文蔵の横に腰をおろした女性は、謝りながらも、何故か嬉しそうだった。

 茉都莉の母親――辻村叶つじむらかなえ。ロングスカートにエプロン姿で、雰囲気的にはベテランの保育士、といったところか。実際には看護師だそうだが。



 薫子は、同じような苦笑をもって返した。


「いえ…」


「できた! とれたよ薫子さん!」


 坪庭を囲む廊下の先――、浴室があると思われる突き当りの一室で、元気な声が弾けた。

 ドタバタと聞こえてきた娘の足音に、文蔵、叶夫婦がそろって困った顔をする。


「こら、茉都莉。もう少し静かに…」


「だってぇ!」


 やってくるや否や、茉都莉はとびっきりの笑顔で、薫子にシャツを広げて見せた。

 ドライヤーで、慌てて乾かしてきた。落ちなかったらどうしようと思って、ハラハラしていたのだ。


「あ~、でもよかった。染みにならなくて」


 責任を感じた茉都莉は、あれから半ば強引に薫子を自宅へと引っ張りこんだ。

 ぐるりと板塀に囲まれた、木造の一軒家。小道を挟んだ向かい側にも、同じような住宅が並んでいるが、おおよそブロック塀だ。

 辻村家は少し古い庶民的な家という印象で、座敷の前には縁側と、申し訳程度のツツジの植え込みがあった。なんとなく落ち着く――……。


「……あ…、ありがとう」


「いえいえ」


 茉都莉は腰の後ろで手を組むと、満足そうに笑い返した。


 薫子は不思議と親しみを覚えて、はじめて口元を緩めた。


「そういえば――……、さっきの男の子は…」


「なにぃッ、男の子だとぉ…っッ!? 茉都莉! 誰だそいつはッ! 何処のどいつだ言いなさいっッ!!」


 両手でローテーブルをぶっ叩き、唾を飛ばしてくる文蔵を一睨みし、茉都莉は引きつる口元を満面の笑みで誤魔化した。


「い……井上くんなら~、買い物した荷物を置きに行ってくれるって」


 せっかく買ったケーキが悪くなるといけないからと、自ら引き受けてくれた。


「井上!? 井上というのか、その小僧は! なんってこったッ。あの(けだもの)だけならいざ知らずッ!」


「獣だなんて、あなた。さっちゃんは、とてもいい子よお?」


「だが母さん! あいつは…ッ」


「さ、さっちゃんって……?」


 (にわか)にはじまった “さっちゃん” なる人物を巡る論争に、薫子はそろりと茉都莉を見やった。


 茉都莉は人差し指で、ポリポリと米神の辺りを掻く。


「ア…ハハ。えーとぉ、私の従兄で、皐月っていうんですけど…」



   須藤皐月―――。




 

 薫子は呆然と、口中で反復した。


「…… “サツキ” ………ですって?」


「そう。これがまた嫌なヤツなんです。皮肉しか言わないし、素っ気ないし」


 さっき、この市の神社について尋ねられたが……、


「実は皐月の家も、神社なんですよ? 萌芽神社って言って、私のおじいちゃんとそこで一緒にぃ……、住んでるっていうかぁ~……」


 玄静は神主という肩書で、社を管理している。元々、資格は持っていたのだ。


「お母さんが辻村家に嫁ぐことになったのを機に、おじいちゃんも近場に引っ越そうって決めて、こっそりちょうどいい物件を探したんですって。それで、管理者不在になってる萌芽のことを知ってぇ…」


「あら。何処かに、お参りするおつもりでいらしたんですか?」


「え?」


 だったら楠生くすお神社がいい。ちょうど今日は、夏祭りが開かれている日だ。朝から晩まで、いろいろな催し物が見られる。

 叶は柏手を打つように両手を合わせた。


「結構大きなお社ですから。それはもう盛大に…」


「あの…っ! ……、せっかくなんですが……」


「はい?」


 首を傾げる叶を見つめ、薫子は口元を引き締めた。


「いえ。実は――……」


 どこか思いつめた様子に、辻村親子は顔を見合わせた。




                        ◆   ◇   ◆



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