◍ 椀貸し伝説
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沢庵をつまもうとしていた箸が止まってから、どれくらい経っただろうか。茉都莉は息を殺して、じっと聴覚に集中していた。
不思議と鴨居の時計の音は、気にならなくなっていた。祖父はしばらくして、観念したように肩を落とした。
「……おじいちゃんにも、よく分からんのだよ」
花人という種族の起こり。
花人に科せられてきた、特殊な生き方。
花人の正体――……。
萌芽神社の床下に隠していた書物は、 “常葉臣” という語り部が書いたものだ。花人についての様々な解釈を綴っている。呼び名も、祖先も、如何せん、あやふやと言っていい。噂レベルの民間伝承を寄せ集めたような内容だ。
「ただ、花人が人間でないことだけは確かじゃな……」
生まれ持った能力の違いや血筋が、瞳の色に表れるという。身体に発現する花模様の痣も、それぞれの業を示す、人外の証拠と思っていいらしい。
「ぱっと見、わしらと変わりないようだが……、皐月の目が普通じゃないことは、お前もよく知っておるだろう」
「――……」
「真実はさておき、おじいちゃんは “椀貸し伝説の一種” だと思うことにしたのだよ」
八曽木の住民なら、知らない者はいない昔話だ。この土地には元々、桃源郷のような異郷の民との縁が言い伝えられている。
「せめて、もう一度だけでも、 “あの青年” に話を聞くことが出来ればいいのだが…」
「あの青年……?」
茉都莉が疑問符を浮かべた時、誰かが玄関の引き戸を開けて、呼びかけてきた。
「ごめんくださ~い」
この萌芽神社を訪れてくる者には、限りがある。一軒家の社務所付きで、そこそこ立派な施設が揃っているが、ずいぶん昔に後継ぎが絶えてしまった。災いを封じているという縁起話の通り、超常現象に見舞われたことなどから、神主が派遣されても長居できず、いつしか放置されるようになったとのことだ。
参拝者が現れたことはない。玄静が管理を引き受けてからも、萌芽はこの町にあって無きようなものである。
いずれにせよ、縁のない第三者が、干渉してくることはなかったのだが……。
玄静は弱ったな、と額を覆いたくなるのをこらえ、対面の茉都莉に目配せをした。
茉都莉はそう来ると思って身構えていた。暗黙のうちに了解して、玄関へと向かった。
「あ! 辻村さん。おはよう! 今日もいい天気だね」
キラキラした笑顔が、無性に憎たらしい……。ちなみに天気はそれほどでもない。
「……あのねぇ、井上くん」
「え?」
茉都莉の背景に、俄かに湧き立ってきた黒いオーラに、井上健二は目をパチクリさせた。
「ど…、どうしたの?」
「どうしたのじゃないでしょ!? もお!」
なぜ、また性懲りもなくやってきたのだ。そんなにボコられたいのか!
鍛えられた様子など、微塵もない細腕を振り上げながら、あからさまに脅してくる学校一の美少女……。
健二は咄嗟に防御姿勢を取った。
「ごごご…、ごめんなさいッ! ぼぼぼ、僕はただ……ッ!」
「また皐月を心霊スポットに連れ出して、霊感を試そうって言うんでしょ!? 残念でした! 昨日、嘉壱さんが来て、連れて行っちゃったんだから」
「え…? “カイチさん” ってぇ……それじゃ、また例の地下世界に?」
四ヶ月前から起こり始めたあり得ない出来事は、玄静の話から察するに、避けて通れない地雷のようなものであったらしい。
だとしてもだ、それを踏んでおいて、平然とまた踏み入ってくるこのオカルトマニアに、まったく罪の意識がないのは許せない。
茉都莉はがっつり腕を組むと、さらに勢いづけて健二に甲高い声を浴びせた。
「とにかく!! 妙な趣味に誘うのも、金輪際無しッ。そう約束してくれたじゃない!」
この際、はっきり言って、皐月は只者じゃないよ。霊気だか妖気だか知らないけど、確かに敏感だ。
「でも、あくまで “人間” なんだからね⁉ もし、変な雑誌とかに言いふらしたりしたらぁぁああ…っッ」
「言わないよ…ッ!」
うつむき加減だった顔を撥ねあげ、健二は意外な声を放った。
茉都莉は思わず気圧された。
「……言わないよ。言うわけがないし――……、言えるわけもない」
何を思っているのか、一転して悄然とうなだれてしまった頭を、茉都莉はそれまでとは違った眼差しで見つめた。
チェック柄のグリーンのシャツに半ズボンという、小学生のような相変わらずの私服センス。やや天パーのかかった健二の髪は、黒というよりも茶色に近いが、おそらく地毛だろう。彼は皐月と同様、装いに無頓着な男子だ。そして、意外と単純な理由で行動に出るらしい。
「今日はただ、遊びに来てみただけなんだ。ほら、須藤くんってあんまり外に出たがらないでしょ? だから。……でも、居ないなら仕方ないね」
健二は力なく苦笑しながら、戸の引手に手をかけた。
「待って」
「え?」
呼び止めてからもう一度、胸に宿ったものを確かめ、茉都莉はそこで右手を握りしめた。
「……ちょっと待ってて」
そう低い呟きを残して、玄関の右手にある居間へと引っ込んだ。
ガタゴトと、引き出しの中を漁る物音を聞かせながら、わけが分からないだろう健二を、その場にしばらく放置した。
× × ×
茉都莉が再び玄関に姿を見せるまで、健二はそれほど待たなかった。
「あの~……、辻村さん?」
居間から戻ってきた時、彼女の手には財布が握られていた。
商店街にある某スーパー。行こ、と強引に連れ出され、健二は人生ではじめて、女子と二人、買い物をすることになった……。
夏休み間近の日曜。クラスメイトに遭遇でもして、変にからかわれたりしたらどうしようという想像から、健二は周囲が気になって仕方ない。
自分は、未知の生命体やら妖怪やらの話題に目がない、いわゆるオタクである。中学以降は肩身が狭く、席が隣になった女子から、あからさまに嫌な顔をされるようになった。
茉都莉だって、正直なところ不本意に決まってる。
ただ、買い物に付き合ってくれる相手が必要だっただけで、猫の手が借りられるなら、猫の方がよかった、くらいに思って…
(ないのかな……。いや、僕なんか、むしろどうでもよさそう…っ!?)
ケーキコーナーの前から、一向に動く気配のない彼女の真剣な横顔に、健二は苦笑の色を深めた。
「あのぉ~……、辻村さん」
「う~ん……」
その熱心な視線の先には、二種類のスイーツが並んでいる。
一つは南国フルーツケーキ。対するは、酸味が絶妙レアチーズケーキ。
しかし、ここで一番重要なのは、美味しさではなくトッピングなのだとか。
「チーズケーキの上には、何も乗ってないの。甘さ控えめで、太らなそうに思えるでしょ? フルーツケーキは、一つで色々な果物が味わえる。でも、生クリームたっぷりで太りそうなの。………うぅ~ん」
健二は、こっそりと息をついた。(どうしてこんなことに……)
ちらりと、自分が手に持つカゴの中を見やる。実は次に選ばれるケーキで七つ目になる。
(一パックの中に同じものが二つ入ってるから、数としては、え~っと……)
健二は、思わず身震いした。
「あのぉ……、辻村さん、どうせだったら、二つとも買っちゃえばいいんじゃないかなぁ」
すでに、これだけ沢山のケーキのお支払いが決定してるのだ。今さら、トッピングなんかで太るの太らないのと吟味しても、結果に大した差はないだろう。
「それに辻村さん、これまでだって同じくらいの量のケーキ食べてきたんでしょ?」
「まぁ…」
「なら、安心だよ。今、目の前にいる君は少しも太ってないし、きっと女の子にしては、特異な体質をしているんだと思う」
茉都莉は初めて健二をまじまじと見た。
「……うれしい」
「え?」
本当は皐月に、付き合ってもらうつもりだった買い物だ。無論、荷物持ちということでだが……。
ハッと、我に返った茉都莉は、照れくさくなって米神を掻いた。
「そんなこと、あいつだったら、絶対言ってくれない。いい加減にしろって怒られて、いつも引きずられながら帰るからさぁ~」
健二は、乾いた笑みを浮かべた。手足をばたつかせて喚くその後ろ襟をつかみ、ぶつぶつ文句を言いながら、闊歩して店を出る背中が容易に想像できた。
「考えてみれば、これはチャンスだよね……」
今日くらい、多めに買ったって構わないだろう。第一、あいつの言いなりにならなきゃいけない理由なんてないのだ。この財布は須藤家のものだが、皐月はただの居候―――。
と、いうわけで。
× × ×
自動ドアを抜けた茉都莉は、背伸びをした。
パンっパンに膨れ上がったレジ袋をどっさり下ろして、肩越しに健二を振り返った。
久々に、いい買い物をした。
「こんなことなら、今度から井上くんに付き合ってもらおうかな!」
無邪気な茉都莉には敵わない。健二は今日何度目か分からない苦笑いを返した。
「でも、いつもは学校帰りに済ましちゃうことが多いんだよね?」
「うん! そのほうが効率いいし、皐月に運ばせることも出来るでしょ?」
まだ午前中だが、軽く汗ばむような陽気の中を歩きだす。途中、戸述山の手前に建ち並ぶ住宅街の公園に立ち寄った。
山腹にある萌芽神社まで、片道小一時間はかかる。さすがの茉都莉も、休憩を挟まなければ辿り着けない。
「皐月とも、よくここでジュース飲んだりするんだよ?」
茉都莉は公園の一角にある自販機に行き、色違いの炭酸飲料を二つ手にして戻ってきた。
ブランコを囲む柵に腰かけて待っていた健二は、一方を差し出され、素直に礼を言って受け取った。正直、喉がカラカラだ。七月の梅雨時でも、今日は薄日が差していて蒸し暑い。自分たちがいる葉桜の木陰には、濃密な土のにおいがこもっている。大量のドライアイスを詰め込んであるが、ケーキは大丈夫だろうか……。
「井上くんはさぁ」
「え?」
茉都莉は、一々反応を示してくれる健二に、苦笑を漏らした。
「ううん。ただ、どうしてそのぉ……、皐月と仲良くしてくれるのかなって。もちろん、不思議な体験ができると思ってるんだろうけど――」
「あぁ…」
健二は眉を八の字にして笑った。迷惑がられても、仕方がないかもしれない。でも、きっかけは、一種の “憧れ” のようなものを感じたからだ。
「憧れ…?」
「須藤くんは、普通とは違う価値観を持ってる気がする。執着するものが違うっていうか――……」
これに関して説明するのは難しい。健二は誤魔化すような笑い方をした。
「やっぱり特殊な霊感があるせいかなぁ。辻村さんは、あの木の洞みたいに真っ黒な目で、須藤くんがどんな世界を見てると思う――?」
見た目通り、本当に何にも考えてないのかなぁ。何も考えてないと見せかけて、明日の昼ご飯のことくらいは考えてるのかなぁ。
「……。」
健二がこんなことを言っていたと教えたら、皐月はまず間違いなく「馬鹿にしてんのか」と睨み下ろしてくる。
健二は今、直訳すると、皐月は「馬鹿なのかなぁ」と言っている。
「とにかく変わってるよねぇ」
「ぅ……。ぅヴんッ」
正直否定しきれないと思ってしまった茉都莉は、咳ばらいをした。
「た、たまーに? ちょっと信じられないっていうか~……、私も小さい頃から変な奴だとは思ってきたよ? でもまさか、神隠しみたいなことまで体験しちゃうだなんて、びっくりだよねぇ。アハハ…」
いや、言うほどびっくりはしていない。
実はこの土地で、怪奇事件の発生は日常茶飯事。八曽木市はその名称通り、古木が多い山間にあって、近年はパワースポット化している。
鍾乳洞や泉など、何かと曰くつきの場所に神社仏閣が集結するのは自然なことだが、八曽木は “古物の吹き溜まり” とされている妙な町であった。
椀貸し伝説に関しては、健二の方がよく知っているだろう。
古今東西、広範囲に伝搬しており、これ自体は決して珍しい民話ではない。墓や水辺、大岩、山蔭の洞などが、地下の別世界への入り口になっていて、食器など、生活に足りないものを要求すると、さりげなく向こうから貸し与えてくれるというものだ。
相手はお地蔵様、河童、女神、龍と様々だが、話の大筋は同じ。直接取りに行ったり、川から流れてきたりして、人外の世界と貿易めいたことをするも、不心得者が返却を渋ることが続いたため、交流は途絶えてしまったと締めくくられる。
実際には、木工職人の木地師とのやり取りであったとか、物々交換など、原始的交易を元にした作り話とも考えられる。
だが、八曽木ではそれが続いているのだ。単なる粗大ゴミの不法投棄だと笑う人もいるが、洞窟内や川縁などに、骨董品が積もるのである。たったの一晩でそういう現象が起きると、さすがに不思議で、よくニュースになる。
茉都莉の脳裏に、雪が降りだした沼地で、狂い咲きしている紅蓮を見つけた時の光景がよみがえってきた。
同い年くらいの男の子が、泥の中に横たわっていた。
十二年前の皐月だ。おそらく彼も、骨董品と同様の原理で流れ着いたのだろう――……。
「おかしいよね! 誰と話してるのかなぁ~、と思って覗いてみると、庭の木と喋ってたりするだよ?」
いや、普通だ。須藤家で、皐月が人間以外と会話しているのは、いたって普通の日常風景である……。
「馬鹿は風邪ひかないって言うじゃない!? ホント、体だけは丈夫で、回復力とか人間離れしててぇ!」
いや、治りは早いが不死身ではない。風邪をひかなかった年もない。
皐月は人間だ――……。
陽気に打ち明けるごとに、茉都莉はこう心中で呟いていた。
確かに変わっているかもしれないけど、ただ、それだけの話――……。
「あれ……?」
ふと、健二が目を瞬かせた。公園の入り口付近の植木と柵を凝視する。
茉都莉も、そちらを振り返って小首を傾げた。
「道に迷ってるのかなぁ」
きょろきょろしたり、考え込んでいる人のシルエットが見える。
カツカツカツ、と近づいてくるヒールの音に伴い、茉都莉の眉間のシワがジワジワと開けていく。
しばらくして、シルエットの主が入り口を横切った。
(う、うそ…っ、まさか!!)
がばりと立ち上がった茉都莉は、一目散に駆けだした。
「ちょ! 急にどうしたの!?」
健二は足元の荷物と、茉都莉の背中とを交互に見やった。
慌てて袋を一まとめに抱えて、後を追う。
「つ…、辻村さんっ!?」




