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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 序鐘 ◇ どうして ――――――
88/194

◍ 椀貸し伝説

 


   *



 沢庵をつまもうとしていた箸が止まってから、どれくらい経っただろうか。茉都莉まつりは息を殺して、じっと聴覚に集中していた。


 不思議と鴨居の時計の音は、気にならなくなっていた。祖父はしばらくして、観念したように肩を落とした。



「……おじいちゃんにも、よく分からんのだよ」


 花人という種族の起こり。

 花人に科せられてきた、特殊な生き方。

 花人の正体――……。

 萌芽神社の床下に隠していた書物は、 “常葉臣ときわおみ” という語り部が書いたものだ。花人についての様々な解釈を綴っている。呼び名も、祖先も、如何(いかん)せん、あやふやと言っていい。噂レベルの民間伝承を寄せ集めたような内容だ。


「ただ、花人が人間でないことだけは確かじゃな……」


 生まれ持った能力の違いや血筋が、瞳の色に表れるという。身体に発現する花模様のあざも、それぞれのごうを示す、人外の証拠と思っていいらしい。


「ぱっと見、わしらと変わりないようだが……、皐月の目が普通じゃないことは、お前もよく知っておるだろう」


「――……」


「真実はさておき、おじいちゃんは “椀貸し伝説の一種” だと思うことにしたのだよ」


 八曽木やそぎの住民なら、知らない者はいない昔話だ。この土地には元々、桃源郷のような異郷の民との縁が言い伝えられている。


「せめて、もう一度だけでも、 “あの青年” に話を聞くことが出来ればいいのだが…」


「あの青年……?」


 茉都莉が疑問符を浮かべた時、誰かが玄関の引き戸を開けて、呼びかけてきた。


「ごめんくださ~い」


 この萌芽ほうが神社を訪れてくる者には、限りがある。一軒家の社務所付きで、そこそこ立派な施設が揃っているが、ずいぶん昔に後継ぎが絶えてしまった。災いを封じているという縁起話の通り、超常現象に見舞われたことなどから、神主が派遣されても長居できず、いつしか放置されるようになったとのことだ。

 参拝者が現れたことはない。玄静が管理を引き受けてからも、萌芽はこの町にあって無きようなものである。

 いずれにせよ、(ゆかり)のない第三者が、干渉してくることはなかったのだが……。



 玄静は弱ったな、と額を覆いたくなるのをこらえ、対面の茉都莉に目配せをした。

 茉都莉はそう来ると思って身構えていた。暗黙のうちに了解して、玄関へと向かった。



「あ! 辻村さん。おはよう! 今日もいい天気だね」


 キラキラした笑顔が、無性に憎たらしい……。ちなみに天気はそれほどでもない。


「……あのねぇ、井上くん」


「え?」


 茉都莉の背景に、俄かに湧き立ってきた黒いオーラに、井上(いのうえ)健二(けんじ)は目をパチクリさせた。


「ど…、どうしたの?」


「どうしたのじゃないでしょ!? もお!」


 なぜ、また性懲りもなくやってきたのだ。そんなにボコられたいのか!

 鍛えられた様子など、微塵もない細腕を振り上げながら、あからさまに脅してくる学校一の美少女……。

 健二は咄嗟に防御姿勢を取った。


「ごごご…、ごめんなさいッ! ぼぼぼ、僕はただ……ッ!」


「また皐月を心霊スポットに連れ出して、霊感を試そうって言うんでしょ!? 残念でした! 昨日、嘉壱さんが来て、連れて行っちゃったんだから」


「え…? “カイチさん” ってぇ……それじゃ、また例の地下世界に?」


 四ヶ月前から起こり始めたあり得ない出来事は、玄静の話から察するに、避けて通れない地雷のようなものであったらしい。

 だとしてもだ、それを踏んでおいて、平然とまた踏み入ってくるこのオカルトマニアに、まったく罪の意識がないのは許せない。

 茉都莉はがっつり腕を組むと、さらに勢いづけて健二に甲高い声を浴びせた。


「とにかく!! 妙な趣味に誘うのも、金輪際無しッ。そう約束してくれたじゃない!」


 この際、はっきり言って、皐月(あいつ)只者(ただもの)じゃないよ。霊気だか妖気だか知らないけど、確かに敏感だ。


「でも、あくまで “人間” なんだからね⁉ もし、変な雑誌とかに言いふらしたりしたらぁぁああ…っッ」


「言わないよ…ッ!」


 うつむき加減だった顔を撥ねあげ、健二は意外な声を放った。

 茉都莉は思わず気圧された。


「……言わないよ。言うわけがないし――……、言えるわけもない」


 何を思っているのか、一転して悄然しょうぜんとうなだれてしまった頭を、茉都莉はそれまでとは違った眼差しで見つめた。

 チェック柄のグリーンのシャツに半ズボンという、小学生のような相変わらずの私服センス。やや天パーのかかった健二の髪は、黒というよりも茶色に近いが、おそらく地毛だろう。彼は皐月と同様、装いに無頓着な男子だ。そして、意外と単純な理由で行動に出るらしい。


「今日はただ、遊びに来てみただけなんだ。ほら、須藤くんってあんまり外に出たがらないでしょ? だから。……でも、居ないなら仕方ないね」


 健二は力なく苦笑しながら、戸の引手に手をかけた。


「待って」


「え?」


 呼び止めてからもう一度、胸に宿ったものを確かめ、茉都莉はそこで右手を握りしめた。


「……ちょっと待ってて」


 そう低い呟きを残して、玄関の右手にある居間へと引っ込んだ。

 ガタゴトと、引き出しの中を漁る物音を聞かせながら、わけが分からないだろう健二を、その場にしばらく放置した。





   ×     ×     ×





 茉都莉が再び玄関に姿を見せるまで、健二はそれほど待たなかった。


「あの~……、辻村さん?」


 居間から戻ってきた時、彼女の手には財布が握られていた。

 商店街にある某スーパー。行こ、と強引に連れ出され、健二は人生ではじめて、女子と二人、買い物をすることになった……。


 夏休み間近の日曜。クラスメイトに遭遇でもして、変にからかわれたりしたらどうしようという想像から、健二は周囲が気になって仕方ない。

 自分は、未知の生命体やら妖怪やらの話題に目がない、いわゆるオタクである。中学以降は肩身が狭く、席が隣になった女子から、あからさまに嫌な顔をされるようになった。


 茉都莉だって、正直なところ不本意に決まってる。

 ただ、買い物に付き合ってくれる相手が必要だっただけで、猫の手が借りられるなら、猫の方がよかった、くらいに思って…


(ないのかな……。いや、僕なんか、むしろどうでもよさそう…っ!?)

 

 ケーキコーナーの前から、一向に動く気配のない彼女の真剣な横顔に、健二は苦笑の色を深めた。


「あのぉ~……、辻村さん」


「う~ん……」


 その熱心な視線の先には、二種類のスイーツが並んでいる。

 一つは南国フルーツケーキ。対するは、酸味が絶妙レアチーズケーキ。

 しかし、ここで一番重要なのは、美味しさではなくトッピングなのだとか。


「チーズケーキの上には、何も乗ってないの。甘さ控えめで、太らなそうに思えるでしょ? フルーツケーキは、一つで色々な果物が味わえる。でも、生クリームたっぷりで太りそうなの。………うぅ~ん」


 健二は、こっそりと息をついた。(どうしてこんなことに……)

 ちらりと、自分が手に持つカゴの中を見やる。実は次に選ばれるケーキで七つ目になる。

(一パックの中に同じものが二つ入ってるから、数としては、え~っと……)


 健二は、思わず身震いした。


「あのぉ……、辻村さん、どうせだったら、二つとも買っちゃえばいいんじゃないかなぁ」


 すでに、これだけ沢山のケーキのお支払いが決定してるのだ。今さら、トッピングなんかで太るの太らないのと吟味しても、結果に大した差はないだろう。


「それに辻村さん、これまでだって同じくらいの量のケーキ食べてきたんでしょ?」


「まぁ…」


「なら、安心だよ。今、目の前にいる君は少しも太ってないし、きっと女の子にしては、特異な体質をしているんだと思う」


 茉都莉は初めて健二をまじまじと見た。


「……うれしい」


「え?」


 本当は皐月に、付き合ってもらうつもりだった買い物だ。無論、荷物持ちということでだが……。

 ハッと、我に返った茉都莉は、照れくさくなって米神を掻いた。


「そんなこと、あいつだったら、絶対言ってくれない。いい加減にしろって怒られて、いつも引きずられながら帰るからさぁ~」


 健二は、乾いた笑みを浮かべた。手足をばたつかせて喚くその後ろ襟をつかみ、ぶつぶつ文句を言いながら、闊歩して店を出る背中が容易に想像できた。


「考えてみれば、これはチャンスだよね……」


 今日くらい、多めに買ったって構わないだろう。第一、あいつの言いなりにならなきゃいけない理由なんてないのだ。この財布は須藤家のものだが、皐月はただの居候(いそうろう)―――。


 と、いうわけで。




   ×     ×     ×




 自動ドアを抜けた茉都莉は、背伸びをした。

 パンっパンに膨れ上がったレジ袋をどっさり下ろして、肩越しに健二を振り返った。

 久々に、いい買い物をした。


「こんなことなら、今度から井上くんに付き合ってもらおうかな!」


 無邪気な茉都莉には敵わない。健二は今日何度目か分からない苦笑いを返した。


「でも、いつもは学校帰りに済ましちゃうことが多いんだよね?」


「うん! そのほうが効率いいし、皐月に運ばせることも出来るでしょ?」


 まだ午前中だが、軽く汗ばむような陽気の中を歩きだす。途中、戸述山の手前に建ち並ぶ住宅街の公園に立ち寄った。

 山腹にある萌芽神社まで、片道小一時間はかかる。さすがの茉都莉も、休憩を挟まなければ辿り着けない。



「皐月とも、よくここでジュース飲んだりするんだよ?」


 茉都莉は公園の一角にある自販機に行き、色違いの炭酸飲料を二つ手にして戻ってきた。


 ブランコを囲む柵に腰かけて待っていた健二は、一方を差し出され、素直に礼を言って受け取った。正直、喉がカラカラだ。七月の梅雨時でも、今日は薄日が差していて蒸し暑い。自分たちがいる葉桜の木陰には、濃密な土のにおいがこもっている。大量のドライアイスを詰め込んであるが、ケーキは大丈夫だろうか……。


「井上くんはさぁ」



「え?」


 茉都莉は、一々反応を示してくれる健二に、苦笑を漏らした。


「ううん。ただ、どうしてそのぉ……、皐月と仲良くしてくれるのかなって。もちろん、不思議な体験ができると思ってるんだろうけど――」


「あぁ…」


 健二は眉を八の字にして笑った。迷惑がられても、仕方がないかもしれない。でも、きっかけは、一種の “憧れ” のようなものを感じたからだ。


「憧れ…?」


「須藤くんは、普通とは違う価値観を持ってる気がする。執着するものが違うっていうか――……」


 これに関して説明するのは難しい。健二は誤魔化すような笑い方をした。


「やっぱり特殊な霊感があるせいかなぁ。辻村さんは、あの木のうろみたいに真っ黒な目で、須藤くんがどんな世界を見てると思う――?」


 見た目通り、本当に何にも考えてないのかなぁ。何も考えてないと見せかけて、明日の昼ご飯のことくらいは考えてるのかなぁ。


「……。」


 健二がこんなことを言っていたと教えたら、皐月はまず間違いなく「馬鹿にしてんのか」と睨み下ろしてくる。

 健二は今、直訳すると、皐月は「馬鹿なのかなぁ」と言っている。


「とにかく変わってるよねぇ」


「ぅ……。ぅヴんッ」


 正直否定しきれないと思ってしまった茉都莉は、咳ばらいをした。


「た、たまーに? ちょっと信じられないっていうか~……、私も小さい頃から変な奴だとは思ってきたよ? でもまさか、神隠しみたいなことまで体験しちゃうだなんて、びっくりだよねぇ。アハハ…」


 いや、言うほどびっくりはしていない。

 実はこの土地で、怪奇事件の発生は日常茶飯事。八曽木市はその名称通り、古木が多い山間にあって、近年はパワースポット化している。

 鍾乳洞や泉など、何かと曰くつきの場所に神社仏閣が集結するのは自然なことだが、八曽木は “古物の吹き溜まり” とされている妙な町であった。


 椀貸し伝説に関しては、健二の方がよく知っているだろう。

 古今東西、広範囲に伝搬しており、これ自体は決して珍しい民話ではない。墓や水辺、大岩、山蔭の洞などが、地下の別世界への入り口になっていて、食器など、生活に足りないものを要求すると、さりげなく向こうから貸し与えてくれるというものだ。

 相手はお地蔵様、河童、女神、龍と様々だが、話の大筋は同じ。直接取りに行ったり、川から流れてきたりして、人外の世界と貿易めいたことをするも、不心得者が返却を渋ることが続いたため、交流は途絶えてしまったと締めくくられる。


 実際には、木工職人の木地師きじしとのやり取りであったとか、物々交換など、原始的交易を元にした作り話とも考えられる。

 だが、八曽木ではそれが続いているのだ。単なる粗大ゴミの不法投棄だと笑う人もいるが、洞窟内や川縁かわべりなどに、骨董品が積もるのである。たったの一晩でそういう現象が起きると、さすがに不思議で、よくニュースになる。 



 茉都莉の脳裏に、雪が降りだした沼地で、狂い咲きしている紅蓮を見つけた時の光景がよみがえってきた。

 同い年くらいの男の子が、泥の中に横たわっていた。

 十二年前の皐月だ。おそらく彼も、骨董品と同様の原理で流れ着いたのだろう――……。 


「おかしいよね! 誰と話してるのかなぁ~、と思って覗いてみると、庭の木と喋ってたりするだよ?」


 いや、普通だ。須藤家で、皐月が人間以外と会話しているのは、いたって普通の日常風景である……。


「馬鹿は風邪ひかないって言うじゃない!? ホント、体だけは丈夫で、回復力とか人間離れしててぇ!」


 いや、治りは早いが不死身ではない。風邪をひかなかった年もない。

 皐月は人間だ――……。

 陽気に打ち明けるごとに、茉都莉はこう心中で呟いていた。

 確かに変わっているかもしれないけど、ただ、それだけの話――……。



「あれ……?」


 ふと、健二が目を瞬かせた。公園の入り口付近の植木と柵を凝視する。

 茉都莉も、そちらを振り返って小首を傾げた。


「道に迷ってるのかなぁ」


 きょろきょろしたり、考え込んでいる人のシルエットが見える。 

 カツカツカツ、と近づいてくるヒールの音に伴い、茉都莉の眉間のシワがジワジワと開けていく。

 しばらくして、シルエットの主が入り口を横切った。


(う、うそ…っ、まさか!!)


 がばりと立ち上がった茉都莉は、一目散に駆けだした。


「ちょ! 急にどうしたの!?」


 健二は足元の荷物と、茉都莉の背中とを交互に見やった。

 慌てて袋を一まとめに抱えて、後を追う。


「つ…、辻村さんっ!?」



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