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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 序鐘 ◇ どうして ――――――
86/194

◍ 紅姑娘(ホンクーニャン)傾国の救世主


 リン家を訪れてから一時間後――。


「ねぇ……、嘉壱」


「あ?」


 鼻歌交じりで、妙に機嫌のいい嘉壱に、憂鬱そうな声がかけられた。


 さらり、と衣擦(きぬず)れの音。それを聞いただけで、 “金のなる木” を待っていた一同は香り立つような印象を受けた。

 次いで、金属が触れあう繊細な音色と足音が近づいてくる。期待感と、若干の不安を煽りながら、室内に不思議な風が吹き込んでくる。

 その風は、妖しくもキラキラとしていた。金粉を吹き付けられたような幻覚を伴った。


 ぬあ…っ!!?

 美貌を見慣れている花人の中でも目が肥えている嘉壱だが、想像していた以上の出来栄えに、ビビりすぎて鼻水を噴いた。

 自分はとんでもない化け物を生み出してしまったようだ……。名付けるとしたら “紅姑娘ホンクーニャン” ―――だろうか。



「なんでこんな格好しなきゃならないんだよ……」


 立屏風ついたての裏から歩み出てきたそいつは、戸惑いとイラ立ちがあいまった、至極不機嫌な天女の顔をしていた。

 額に朱色の花鈿を施し、鮮やかな紅をくっきりと塗られている。彼は唇が薄いため、強調するくらいの化粧でちょうどいいらしい。


「わあ…っ! 皐月きれ~いっ!」


 飛びつくようにやってきたひいなが、両目を輝かせた。彼女の肩に乗っかっているしゅんと青丸も、金色の瞳いっぱいに感動をたたえている。


「兄貴、大丈夫っすか、これ……」


「いや、大丈夫じゃねぇだろ。やっちまうぞ。国傾けちまうぞこれ……」


 皐月が生まれ持った黒髪や白い肌色は、深紅の衣と被帛ひはくをまとったことで、より印象強くなっていた。貞糺ていれいと嘉壱の見立ては、確かであったようだ。


 ふんだんに施された金糸の刺繍が、秋草そのものを絡めているかのような豪華さと哀愁をかもしており、皐月の大人びた雰囲気を引き立てている。

 襟を交差させない代わりに、鎖骨近くまで引き上げた漆黒の裳に帯を締め、胸元が見えない着付けがされていた。

 長い髪を背に流したスタイルは変わらないが、頭頂部のもとどりに向かって三つ編みにした横髪をたるませ、翡翠のかんざしを挿している。

 その先端に、鬼灯ほおずきに似た意匠の金装飾が下がっている。


 鬼灯の別名が “紅姑娘ホンクーニャン” ―――。姑娘クーニャンは若い娘、という意味だ。果実に見える部分は、紙風船のように膨らんでいるだけのがくで、虫がつきやすい植物のため、花言葉は「偽り」「ごまかし」「私を誘惑して」―――。



「ホント。男の子とは思えない仕上がりねぇ」


 立屏風ついたてを畳みながら、本気で感嘆しているひいなの母親―――藺千春(リンチシュン)を皐月は辟易へきえき気味に顧みた。

 皐月は、嘉壱と貞糺ていれいが衣装一式を見立ててくれたことは分かっていたが、ひいなたちと店先の珍奇な帽子を被りあって遊びながら、おおかた、大道芸人の滑稽な格好をさせられるのだろうと思い込んでいた。

 店を出た直後、何やらひらめいた嘉壱が、千春に化粧を頼めないかと言い出した時も、半ば落書きに近いそれを施されて、大笑いされる顛末を想像していたのだ。正体が分からなくなるに越したことはなく、いっそ塗りたくってもらおうと、腹をくくって藺家を訪れたには違いないが、女装とくれば話は別だ。


「勘弁してよ、千春ちはるさん……」



 好きに呼んで欲しいと言われたため、皐月は耳馴染みのある “東扶桑ひがしふそう呼び” をすることにした。

 千春は肺の持病に悩まされてはいても、決して暗い性格ではなかった。茶色いセミロングの髪を一つに結んでいる。小豆色の前掛けをした、素朴な女性だ。ここ一時間、向き合っているうち、お互いにすっかり遠慮がなくなっていた。


 千春はひいなと同じニコニコ笑顔を、わざと意地悪っぽくして返した。


「あら、私は道化師の格好なんかするより、よっぽど素敵だと思う! ねぇ、嘉壱さん」


「いやいや! 想像以上に似合っちゃってるからスゲーよお前ッっ!!」


「うるさいお前」


 ビンタのような返答にも、嘉壱は動じない。もう慣れた。怯むどころか、グイグイとテンションを上げていく。


 千春はくすくすと笑った。


「でも、どうして急にこんなことを? 突然だったから、びっくりしたわ」


「あー……、悪いな。ホント突然で」


「いえ、お役に立てたならいいんです。萌神荘の皆さんには、お世話になりっぱなしですから」



 大旱魃だいかんばつをきっかけとする災異改元から八年、平和が戻ったように見えても、穿うがたれた穴は大きい。

 華瓊楽カヌラが滅亡の危機に瀕したのは、うてなのせいだと訴える者もいるが、それでも、自分たち親子は花人に対して、感謝してもしきれないほどの恩義を感じているのだ。


「もちろん、あなたにもね」


 と、千春は、未だソワソワとして落ち着かない様子の皐月に微笑んで見せたが、皐月は小首を傾げるだけ。


 不思議な子――……。第一印象はこれだ。

 過日の誘拐騒ぎ以来、娘を一人で外出させることに不安が拭えないでいる千春は、元気に帰ってきたひいなにほっとしたのも束の間、助安から思わぬ来客を知らされて慌てた。

 ひいながさらわれる事態になったのは、皐月と関わったためだと知っても、千春は花人と距離を置きたいとは思わなかった。

 扉を開け、とりあえず出迎えたはいいが、いざ、彼を前にすると、何から話せばいいのか分からなくなった。


 花人は自分たちの務めを、当然のことだと主張する。騒動後、病から回復してすぐ、ひいなを助けてくれたお礼の品を飛叉弥に託したのだが、逆に平謝りされたくらいだ。おそらく肝心の皐月には、この気持ちが一切伝わっていない――。

 

 自己紹介をしたところで、色々聞いてもらおうとしたのだが、



 *――その節はどうも……



 入って入ってと、強引に招じ入れるひいなに阻まれて、皐月の挨拶すら中途になった。千春は結局、思っていたことの半分も言えず、今に至る。


 しかし、皐月の髪を結いなおそうと姿見の前に座らせた時、千春は実感した。やはりこれは、大事にするべき “縁” であると。

 ひいなが手作りした髪紐を使ってくれていることが嬉しくて、とても心穏やかな時を過ごせた。



「そういえば――……、自分じゃないとはいえ、こんな本格的にお化粧したのは久しぶりね」


 調子に乗って色々と散らかしたものを片付けながら、千春はふと独り言のように漏らした。


「?」


 試しに俺もと、白粉おしろいをいたずらし始めた嘉壱に、ひいなの笑い声が弾ける。兄弟が出来たかのような(にぎ)やかさに目を細めつつ、千春は苦笑をにじませた。


「だってほら、私たちは汗水垂らして、年中泥だらけですもの。着飾っている余裕なんて…」


 伏し目がちになりかけた千春は、まつ毛を跳ねあげた。しまった! という心の声が顔に出た。


「ご…、ごめんなさいね? 農園なんてやっているものだから。今のはその…、嫌みとかじゃなくて! これでも、あなたたち花人の方が、私たちより、辛い目に遭ってきたことを、分かっているつもりなの。だから――……」


 皐月が軽く目を瞠っている。彼にとっては思ってもみない訴えなのだろう。


華瓊楽カヌラには大旱魃以来、色々な立場と主張が渦巻いてる――……。飛叉弥さんたちが置かれている状況は複雑で、今も厳しい。花連の新隊長になるなら、あなたは嫌でも思い知っていくことになるはず。だけど、覚えておいてね――?」


 少なくとも、私やひいなが、扉を閉ざすことはない。

 こういう人間もいる。



「――……」


 皐月はなんとも言えない顔をした数泊後、微苦笑をこぼした。


「俺は花人じゃないよ――……。現に、飛叉弥以外のメンバーには認められてないし」


「え…?」


 摩天で暮らしてきたから、食べるものに困った経験もない。

 農園を所有する千春たちも、貧民街の乞食よりは衣食住に恵まれていると言えば、確かにそうなのかもしれない。

 でも、と皐月は千春の気持ちをなだめるように付け足した。


「だからって “自分はまだマシな方だ” とか言い聞かせてもさ――……、辛いものは辛いでしょ。千春さんやひいなの方が、よっぽど花人らしく生きていると思うよ? 俺は今すぐにでも逃げたい」



 これから、九百六十万金瑦(クオル)もの金稼ぎをしなければならないのだから……。



「きゅ…っ、九百六十ま…っ!?」


 どうして……。他人事ながら、千春はすっかり青ざめてしまった。

 そんな反応を横目に一瞥いちべつし、皐月は自嘲っぽく少し笑った。




 〔 読み解き案内人の呟き 〕



鬼灯(ほおづき


欺瞞ぎまん(人を騙したり、誤魔化したりすること)」

「半信半疑」「自然美」「心の平安」などの花言葉もあり。

 ドライフルーツやジャムに加工されるのは食用鬼灯。

 観賞用鬼灯は食べないように注意。


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