◍ たとえ国を救っても、一銭にもなりません…。なぜッ?
実に、四ヶ月ぶりに歩く李彌殷の観光地は、幸いなことに修繕が早く済み、客足が戻ってきていた。
四方八方に、弁柄色の大廈高楼がそびえている。滝が吹き出す奇岩群はそれ以上に見上げるほど巨大で、街中のいたるところに種々の大木が祀られ、人間や動物だけでなく、小妖種にとっても憩いの場となっている。
川沿いにびっちりと立ち並ぶ家々は、エリアによって舟屋だったり、河房という妓館だったり、集合住宅だったり。
階段で水路と住居とを行き来し、渡し船を拾う老人、洗い物をしている主婦の姿など、以前と大差なくなったそれぞれの日常風景が見られた。
「……ねぇ、さっきから何探してんの?」
「ぁあ? 何って決まってんだろ。お前の仕事道具だよ」
「……。」
――――【 “救世主” は金にならない 】――――
柳並木に紅灯を連ねる餐館や、日陰棚を設けた喫茶店が、水路沿いに装飾的な格子窓を開け放ち、弦楽器の音色で客を誘っている。だが、皐月は食事に連れてこられたわけではなかった。
しばらく黙って見ていたが、探索犬のようなことをしている嘉壱の目当てがわからず、ついに口を開いた。
「仕事道具ねぇ……」
親身になってくれるのはありがたいが、正直、いつ誰が飛び掛ってきてもおかしくない状況を思うと、気が気ではない。皐月は障子の隙間から、内をのぞき見るような眼で、先を行く嘉壱の背を凝視する。
現在地は西廓・南城市の花街に通じる脇道。妓女への貢物を売る宝淵街の周辺とあって、若い女が好む嗜好品や、おめかしに欠かせない流行り物が取り揃えられている。
色柄ともに豊富な刺繍入りの雲舃、画才が光る油紙傘を軒先や庇上に並べている老舗……。
嘉壱が立ち寄る店はどれも、あまり目的にはそぐっていないように思えるのだが気のせいか。そんでもって “妙な視線” を感じるのは気のせいか。
「……それは、気のせいじゃねぇよ」
振り向いてきた嘉壱の片眉がヒクヒクしている。
「確かにお前は、この都を壊滅の危機に追いやったかもしれない。その自覚もある。だからって……」
どんだけビビッてんだっッ‼
「?」
鼻の下で、自分の両サイドの髪を結んだ頬被小僧は目を瞬かせた。
その反応……何がダメなの? とか抜かしやがったらマジで殴る。額に青筋を浮かべならがも、嘉壱は別のことを口にしてイラ立ちを逸らした。
「はぁ~……、こういう時に、薫子がいてくれればなぁ~」
「そういえば、今日は見かけないね、あの人たち。…… “柴” っていう人なら、邸にいたみたいだけど」
「あぁ。勇と満帆は何日か前から出張で、李彌殷を離れてるんだよ。今日で啓と交代の予定だったから、入れ違いに、もうそろそろ二人は帰ってきてる頃じゃねぇか?」
飛叉弥と俺は邸で通常任務。まぁ、交番のお巡りさんだわな。
「そんでもって薫子の奴は、非番を利用して摩天に仕事しに行ってる」
「仕事? あっちの世界に――?」
想像もしていなかったらしい皐月がおかしくて、嘉壱は苦笑を見せた。
「そ。俺たちは花人としての役目の他に、それぞれ違う仕事を持ってんだよ」
すでに承知の通り、軍事援助はあくまで奉仕活動のようなものだ。萼国という花人の本拠地自体が、そういうスタンスなのである。
功徳を積む行いは、自分たちのためでもあるから、報酬を要求することはない。
そう、 “罪滅ぼし” と言えばいいのだろうか――……。眉を下げた嘉壱は、自嘲気味に頬を緩めた。
「この国の人たちのために戦ってる――、戦ってやってるなんてことは、絶対に言えねぇ。花人は――……特に飛叉弥は、華瓊楽に対して大きな負い目を感じてる。まぁ、例え無条件だったとしても、あいつは金なんてせびらねぇだろうけど……?」
豊穣神の脈持は、まず飢え死にとは縁がない。よって、飛叉弥の体は仙人のように露と霞でこそないものの、酒と煙草の紫煙を最大のエネルギー源として欲し、それさえあれば凌げるようにできている。くれてやるなら安物でも、そっちの方が間違いなく喜ぶ。
「とはいえ、やっぱり無一文じゃ暮らせねぇし、花人が野菜や薬を売って稼ぐのは簡単だけど、そういうものに高値はつけたくないわけよ。魁花の術を使って畑一面に青菜生やして、いざって時に霊力がすっからかんです、じゃ肝心の傭兵集団としても成り立たねぇ」
つまるところ、花人は、個人に見合った別の “天職” を見つけなければならない。現に、萼を構成している十の城邑の主ですら、鎮樹王将と呼ばれながら、常葉臣を中心とする各々の領民と、特産を生み出して商いをしているのだ。
「それって結局、真の救世主とか言われてる俺でさえ、この国を救ったところで一銭にもならないってこと?」
「そう」
「傭兵なのに、花人である以上は、どんなに出世しても、どのみちバイトしなきゃ食っていけないってこと? 火矢が飛び交う戦場で切った張ったしながら、冷たいアイスコーヒー売りさばけって?」
「面白れぇなそれ。できるもんならやってみろ」
「……。そんな血も涙もないシステムだったっけ…」
「あ?」
「いや、なんでもない……」と返し、皐月はここで、ハッと暗くしていた顔を跳ね上げた。
四ヶ月前、初めて向き合った際の花連メンバーは皆、洋服に近い服装だった。
華瓊楽の都民は、おおそが質素なそれか、着飾っているとしても袖や裾の広い着物の類であるが、あの薫子という羅刹女のような美貌の女傑は、黒いサマーニットに、ミント色のプリーツスカートを合わせ、ルビーのピアスをつけていた。
「ねぇ、あの薫子って人さ、もしかして、摩天でモデルかなんかやってない?」
「なんだ。見たことあったのか」
「や……、見たっていうか、あいつがよく騒いでたの思い出した……」
あいつ……? 急に歯切れが悪くなった皐月に不信感を抱いた嘉壱は、彼の中の “あいつ” に該当する人物に思い当たって笑った。
「ああ! 茉都莉ちゃんかぁ!」
少し癖のある赤毛を、つむじの天辺でポニーテールにしていて、終始、溌剌とした笑顔で話す、天真爛漫な少女だった。その姿を脳裏に描くだけで、心が弾んでくる気がする。ここ数ヶ月、皐月の元へとちょくちょく足を運んでいた嘉壱だ。もう、すっかり仲良しになった。
「カワイイ娘だよなぁ~。なんつーか~……、ほら!」
「じゃじゃ馬」
「そんなふうにいなしてると、誰かに取られちまうぜ~?」
皐月の首に腕を掛け、引き寄せた嘉壱は、その耳元をくすぐるように囁く。
「花も恥じらう十六歳だろ? あっちの世界じゃ貴重な存在だろ~。お前みたいな奴と十年以上も付き合ってるなんて、俺、信じらんねぇ。尊敬する」
「あいつとは、ただ成り行きで従兄妹を演じ合ってるだけで、実際は赤の他人だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「茉都莉ちゃんにとっては、特別かもしんねぇだろ~? 俺が探り入れてやろうか」
「お前は、なんでそんなに余裕面なわけ?」
鼻で嗤われた。 “自分の女” と言える女がいないのは、嘉壱も一緒だった。
「だ…っ、だからッ! 俺のことはいいんだよっ。彼女出来ないんじゃなくて、つつ…、つくらねぇもんなんだよっ、プレイボーイってのは」
「自称だろどうせ」
「ぎく…ッ」
「図星だよ。かわいそうに」
「かわいそうとか言うなっッ‼ …ったく、茉都莉ちゃんの心中お察しするぜッ。こんな奴の世話なんか焼いてやることねぇのによぉーッ」
ぶうぶうと唇を尖らせるも、今一つ決まりが悪い。自分は今、皐月のために買い物をしようとしているのだ。口から出る言葉とは裏腹なその事実が、嘉壱は急に気恥ずかしくなった。
どうして俺は、皐月のことが、放っておけないんだろう――……。
「ぅ…っくしゅ!」
思案顔になりかけていた嘉壱は、つと、盛大なくしゃみを聞いて我に返った。




