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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 序鐘 ◇ 月下の対峙 ――――――
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◍ あいつのクソ分厚い化けの皮、剥ぎ取って見せろ


                  :

                  :

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                  *


              

            ――――【 命令こえ 】――――



 過日―― “その男” は、呼びだされて警戒している嘉壱をしり目に、形の良い唇をつり上げて言った。



*――分かる奴には分かる。ひとってのは、見てくれで決まるもんじゃないだろ?


*――そ…、そんなこと言ったってよぉ……



 石蕗(つわぶき)の黄色い小花が、中庭のさりげないところを飾っていた。

 夕闇が迫る自室前の広縁(ひろえん)胡坐(あぐら)し、その素朴な趣きを愛でながら、愛用の煙管(キセル)片手に、悠々と紫煙を漂わせて




*――じゃあ、試してみればいい




 男は鼻で笑った。


 今思えば、それはあきらかな “徴発” だった―――。



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「簡単なことだろ――? 白花(びゃっか)を忘れたとでも言って、傍観せざるを得ない状況をつくれ」


「白花を?」


「少なくともあれがなければ、高度な呪術を駆使する戦闘は不可能だからな。さすがのタヌキ小僧も、 “本性” を(さら)さずにはいられなくなるだろ」


 嘉壱は正座をしている自分の膝頭に、のろのろと視線を落としていった。


「どうだかな……。そんな簡単に行くもんじゃねぇ気もするけど? 俺は…」


 灰吹きに雁首(がんくび)を叩きつける音がした。


「とにかく、悠長にご機嫌とりをしている暇はない」


 男の背中を流れる髪は、白獅子の(たてがみ)のように美しくうねり、厳かな雰囲気をまとっている。

 東天に昇りはじめた雲間の月に似て、風流な気配も併せ持ちながら、言うことは相変わらず、正真正銘の鬼畜である。


「ここへたどり着くまでに、あの猫目タヌキ小僧のクソ分厚い化けの皮、なんとかして剥ぎ取って見せろ」


「マジでかー……」


 強引なのは毎度のことなので、無駄にしのごの言いたくはなかったが、そもそも白花とは霊応の増強剤のようなものだ。風霊(カザミ)使いはとりわけ感度が良く、見習いですら繊細な扱いに長けているのが普通であり――


 嘉壱は大仰(おおぎょう)な咳ばらいをした。ようするに、よ。



「俺ってさ? 一応、お前が率いる精鋭部隊の一員なわけだし――?」



 白花がないと飛行もできないなんて、さすがに信じてもらえない気が…


「あいつは信じるかもしれない。お前をバカにしてる。というか、お前以外に演技だと見抜かれないで済みそうな部下に、如何(いかん)せん心当たりが()…」


「お前じゃねぇかッ、一番バカにしてる奴ッ!!」


「気づいたか」


「気づくわッ」


「もちろん? 上手くいく保障はできないが――」


 勇猛かつ、神聖な白獅子の背中を誇る男は、つり上げた口端(くちはし)を肩越しにのぞかせた。


「こっちでも、ちょうどいい場所に出られるよう、工夫はしてやる。まあ見てろ」


 嘉壱はあきれていたが、虎視眈々と獲物を狙っているかのような、うすら寒い感じのする笑みを見せられては、やはりため息しか口にできなかった。


「~~~……、しゃあねぇ。できるだけのことはしてみっけどよぉ…」


「そう嫌な顔をするな。あいつが現時点でどれくらいやれるのか、確かめてからでないと何も始まらないんだ」



     :

     :

     :

     *



*――それに、お前も興味があるんだろ? なんだかんだ言って……

 

 淡い香気のようなその声の余韻が、無酸素の闇を勢いよく突き破る音にかき消された。








           ――――【 鬼畜野郎 】――――



「ぶはっ…ッ!」


 次に水上に顔を出した時、嘉壱は呼吸を整える間もなく、息を呑むことになった。

 少年の反り返った身体が、高々と夜の虚空を舞っている。

 攻撃を食らって、吹っ飛ばされたわけではないことは一目で分かった。

 鮮やかな身のこなしだ。


 瞬間的であるはずのその光景が、何故かゆっくりと見えた。感嘆している自分がいたが――、嘉壱は頭を一振りして耳から水を抜き、引きつった叫び声をあげた。



「皐月…ッ!!」


 いったん距離を置けという指示と受け取ったらしい皐月は舌打ちし、派手な水しぶきをあげながらも着地を決めると、すぐさまその場から飛び退った。


 刹那



《 …ォォォォオオオオオオオォォォ――――……ッッッ‼ 》



 中心部の水面が大きく盛り上がって真っ二つに割れ、湖畔に起こるはずのない白波が押しよせた。


「おいおいおいっ…!!」


(なんか、とんでもねぇの出てきちゃったぞ――…ッ!?)

 嘉壱はしがみついている岩場から思わず身を乗りだしたが、右足を引きずり戻され、捕らわれの身であったことを思い出した。


 見ると、目鼻のない蛇に似た触手が膝上まで巻きつき、大きく裂けた口で(わら)っている。


《 ……アシシシィィ――…… 》


「なんだッ、その可愛くねぇ笑い方ッ。とっびきりイイ女に(すが)りつかれるんだったら、まだ悪い気はしねぇけどッ!?」


 左足の靴裏で、地団太を踏むように蹴りまくってやっていると、手前の浮石の上に着地した皐月から、気色悪げに問われた。


「 “あれ” って……?」


 彼の視線の先にいる化け物は、低音と高音の差が極端な多重の咆哮(ほうこう)を上げている。

 表皮は色も質感も蝦蟇(がま)に似ていているが、ごつごつした岩礁のようなものを背負っている姿は蓑亀(みのがめ)のようで、大蛇の頭部に、魚の丸い目玉が六つ。十メートル以上間合いを取った今は石ころのようにしか見えないが、それぞれまったく見当違いのところを向いている。


 嘉壱はげっそりとして肩息をつきつつも、不敵な笑みを浮かべた。


「……湖虞霊(コグリョウ)だろ。普通より、だいぶデケぇ気がするけど……」


 今、自分の右足を捕えてるのは、尻から生えているその触手の一本らしい。


「気をつけろよ? こういうタイプの “鬼魅(きみ)の民” ってのは、俺たちの言葉が理解できたところで、話し合いに応じるような性格じゃねぇ……」


 天柱が傾き、地維が断たれ、すべての均衡と秩序が失われた神代(じんだい)崩壊――その当時から、こいつらは変わっていない。

 各地で(ぬし)と恐れられてきた神や化け物たちが、さらに著しく変化することを強いられていく様を、湖虞霊(コグリョウ)は井の中の蛙よろしく、水鏡越しに傍観してきたのだ。

 しかし、彼らの絶対的な小天地も、今や存亡の危機に直面している。


「元凶は例の “蝕害(しょくがい)” って噂だ。暗婁森(アンファール)は今のところ免れてるようだが……、八年前――華瓊楽カヌラ全土を、未曾有(みぞう)の大天変地異が襲った話はしたよな」


 突然、砂漠化という病に蝕まれ始め、各地が深刻な飢饉(ききん)に悩まされた。

 すぐに原因は突きとめたものの、解決には至っておらず、近年は生態系の乱れから、思わぬ捕食関係まで成り立ちはじめる始末。



「ふーん」


 藪蚊(やぶか)でも飛んできたのか、皐月はパシっ! と両手を叩き合わせた。


「ひとがせっかく説明してやってんのに……、ちゃんと聞いてんのか? お前」


「必要なところだけね」


「…………。」


 皐月は、嘉壱のもの言いたげな眼差しに気づかない振りをしているのか、それとも単に鈍感なのか、先ほどから妙に落ち着き腐っている。

 鬼魅(きみ)との対決は前回の召喚時に経験済みだが、普通はもっと動揺していいはずなのに、その背は、どこか不気味と感じるくらい冷静に見えなくもない。



「ねぇ、あいつの弱点とか急所とか、そういうのは知らないの――?」


 嘉壱は徐々に高まってくる皐月への “ある疑い” を心のうちに潜め、彼の足元に視線を落とした。


「そういやー……あいつの触手は、水に伝わる振動を感知するみてぇだぜ? お前が浮石の上に乗っかってから、いなくなったと勘違いして探してるように見えねぇか?」


 化け物は確かにそれらしい行動をとっているが、いずれの目玉もギョロ、ギョロっと音がしそうなほどよく動く割に、大して役には立っていない様子だ。


「なるほどね」


 質問からして、なんとなく湖虞霊(コグリョウ)を見ているわけではなさそうだったが、案の定、皐月の思考は、嘉壱の想像の範疇を遥かに超えていたことが判明する。



「帰るわ。じゃあ」




「………………。」


「ようは、水辺から離れちゃえば、あいつは追ってこられないわけでしょ? ちょうどここに、いいオトリもいるし」


「オトリじゃねぇッ、要救助者ぁッ!! 一応 “仲間” でもあるんだだぞっッ!? 見殺しにする気かっッ!」


「仲間――?」


「っ…、あー……」

 

(ええいっ、面倒くせぇ……っ!!) この状況で、言い回しに繊細な気遣いを求められた嘉壱は、半ばやけくそで喚き散らした。


「あくまでお前は “人間” なんだろっ!? だったら、少しくらい情けってもんを…っ」


「お前らは俺を “鬼の仲間” に入れたいんだろ――? なら、今こそ勧誘に応じてやる。感謝して死ね」


「心だけ鬼と化してどうすんだコラッ。人として踏み留まるなら今だぞっッ!? 今しかないッ、むしろ今だからっッ!!」


「あんな化け物、なんで俺が相手にしなきゃならないの」


「愚問じゃボケぇッ!! さっきも言ったけど、俺は白花(びゃっか)を持ってない! 頼むから手ぇ貸してくれって…!」


「短い付き合いだったけど、最後は楽しかったよ」


「ひとの最期かもしれない姿を鼻で笑うなああぁ…っっッ!! 嗚呼~~ッ、もうヤダ。お前ならできんだろ!? さっきみたいに…、ほらっ!」


 あくまで鼓舞したつもりだが、実際にはいらだちがこもり、叱咤(しった)したようになってしまった。


 嘉壱は黙っている皐月に、これまでとは違う雰囲気を感じ取って歯噛みした。だが、この心境を別の場面でも味わうとしたら、ここ一番の勝負どころで放られたコインが、手の平の下から




 賭けた方の面を、覗かせそうな予感がする時―――。




 直視していなくても、皐月にはおそらく、天を仰いで(たけ)るくやしげな湖虞霊(コグリョウ)の形相や、なぎ倒される木々――、鞭のごとく振り上げられた触手が、今まさに、自分に狙いを定めた様子まで()()()()()


 そもそも、すべて見抜かれている気がする。臭い芝居も、こちらの目論見も――。

 現に、最大出力と思われる凄まじい殺気が湖虞霊の触手に込められ、皐月はあきらめたように両肩を落とした。

 もちろん、やられるのを覚悟したわけじゃないだろう。ここにきて、ようやく目的を果たせそうな気配がうかがえ、嘉壱は急激に気が抜けた。


「ほら~…。来るぞー、後ろぉ~……」


 笑みをこぼし、だらけきる。嘉壱は知らなかった。

 皐月はまだ向き直ろうとしないものの、別人のような顔つきになっていた。


 嘉壱は知らなかった。



*――なぁ……



 いつぞや、薄暗い視界の隅に、まぶしく光る涙を見た記憶が



*――………だ、…… “り……が” …っ――……



 風圧とともに迫ってくるのを、受け止めなければならない瞬間を、彼に強要しているとは。



 刹那



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