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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 序鐘 ◇ どうして ――――――
79/194

◍ 確かに繋がっている……。



 これはまだ、そうとは知らなかった一人の愚か者の話。

 正確に言うと、すっかり忘れていたための喜劇……。



     |

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「ねぇ嘉壱……」


 手にした玉砂利を投げ入れる。ちゃぽん…、という水の音が虚しかった。

 池をふちどる奇岩にしゃがみこんだ格好で、皐月はドヨ~ンと打ち沈んでいる。

 いつにも増して覇気のない背を見下ろし、半眼の嘉壱は、無理もないかと内心同情していた。


 常時やる気ゼロとはいえ、今の皐月をそうさせているのは眠気やかったるさではなく、飛叉弥のあまりに衝撃的な一言だ。


「俺……そんなに悪いことした?」


「世の中ってのは、理不尽に出来てるもんなんだよ」


 立場上なんとも言えないので、ため息を返した。


 荒々しく舌打ちする皐月は、先ほどの請求書を指先に挟んでいる。 



 *――あらかじめ断っとくが、俺は一切責任を負うつもりはないぞ? 



 それは、四ヶ月前に突きつけられたものと同じ内容だった。

『窓ガラス、外壁、屋根、家具等、計九百六十万金瑦(クオル)の損害賠償金を請求する』――とある……。



「どうして……」


 受け取ったと見せかけ、皐月は摩天に帰る途中、この請求書を界口の闇に葬った。それが何故ここにあるのか。まさに、青天のメキメキ……。




 *――霹靂へきれきだ、バカたれ




「なんで。どうやってこれがここに……」


「だから、前に教えてやったじゃねぇか。同じ領域にある界口は、み~んな繋がってんだよ」


 界境を越えた地点で捨てれば跡形もなくなっただろうが、ようするに皐月はタイミングを間違えたのだ。裏面には抜かりなく、請求先も記されている。


「それで、ご丁寧に近所の界口を通りかかった村のお子様方が、拾って届けてくれたってわけ?」


「そういうこと」



 *――はっはっは! 残念だったなぁ、皐月



 いいから、まぁとりあえず座れ。と、飛叉弥は手近な円座をはたきながら大笑いした。


 余憤がふつふつと沸いてきて、皐月は肩を震わせた。彼の憎たらしい顔が、水鏡に映っている自分と瓜二つなのが許せず、思いっきりぶん投げた大粒の石に限って跳ね返ってくる。


「ぃ…っ~~……」


 でこに直撃した。悠々と泳ぐ亀が、心なしかわらっているように見えた。

 いや、実際に嗤っている。どうやら横断中のその甲羅に当たったらしい。


 つくづく哀れと思いながら、嘉壱は池の中心にある奇岩上の紅葉を眺めやった。



 *――つーわけでぇ、今回、お前を呼び寄せたのはだなぁ…… 



 いかにも仰々しい咳払いを一つ、飛叉弥は真顔で言った。題して――




     “死ぬ気で働けッ‼ 債務地獄からの単独脱出ミッション”  




 …………。もはや気の毒を通り越して、悲惨と言うほかない。そもそも、先日の一件は不可抗力というやつで、皐月に悪気があったわけではなく、一般庶民の九歳の少女を、身を呈して敵の手中から救い出してもいる。

 様々なことが一気に起こり過ぎて、誰もが混乱していた状況下、事態を収束に導いたのは紛れも無く、自称 “無関係の部外者” であるこいつだ―――。



「こんなことなら、意地でも八曽木やそぎを離れるんじゃなかった……」


 とうとう物に当たる気力も失せた皐月は、猛烈に様々なことを後悔しはじめた。


「俺は焼肉パーティーを……、しかも、自分のために開かれたそれを、わざわざ辞退してきたんだよ?」


「そんなに潔くはなかったけどな。俺が「ごめんください」した途端、脱兎の如く逃げ出した上に、連行中も隙を狙ってたよな。そのまま逃亡生活に持ち込む気満々だったよな」


「確かー…… “国家にかかわる緊急事態” じゃなかったっけ」


「まぁ、そんなふうに急かしたかもしれねぇけど、細かいことは気にすんじゃねぇ。観念しろ」


 お為顔でいなす嘉壱を、皐月は横目にジっと睨んだ。


「……な、なんだよ。今さら俺をぶっ飛ばしたって、どうにもならねぇぞっ⁉」


 何をやらせても言わせても最強の飛叉弥と似ているので、ファイティングポーズを取るが、嘉壱の腰は引けている。

 どれほどそうして対峙していただろう。皐月は興味を失くした黒猫のように、ふいと目を逸らした。



「でッ? …………どうすればいいわけ」


 しばらくは毛が逆立っていそうだが、何だかんだ言ってこいつは、目の前のことにちゃんと向き合う。ここ数か月、付き合ってみて分かった。嘉壱はそろそろと身構えを解いた。

 決して誠実とまでは言えなくても、当初の悪印象を霞ませる意外な一面を見る度、妙に穏やかな気持ちになれるのが、自分でもおかしい――……。


「そうだなぁ」


 嘉壱は今年の秋で十九歳。穹海山原、九天九地、各所で時間の密度が違うため、実は倍近い人生経験を積んでいたりもするのだが、だらしない生活スタイルの皐月に親近感を抱き始めていた。暇な時間を見つけては、迷惑至極な顔をされるのを承知で、ちょくちょく遊びに行ったりもした。

 以前から、服装や食べ物などは摩天産の方が好みである。その分、他のメンバーよりも打ち解けやすいのだと解釈しておくことにしている。


 皐月を邸に連れ帰ると同時に嘉壱も着替え、今はアイボリーのヘンリーネックセーターに、木賊とくさ色の細身のはかま、軍靴を履いている。

 金髪と、鮮やかな青翆玉ウォルスオクの瞳は生まれつき。花人なら、こうした七彩目に加えて何らかの華痣はなあざが発現するはずだが、皐月は普通にしている限り、ただの黒髪美少年である。その点は相変わらず。ただ、色々と秘めた才能がありそうなことが分かってきたところだ―――。



「例えば、何か特技みたいなぁ~………、そう! 一発芸とか持ってたり!」


「するわけないでしょ」


「いや、眠ってるだけなんじゃね? お前の場合」


 嘉壱は皐月の  “無い無い詐欺” ―― “違う違う詐欺” ―― “できません詐欺” ―――の前科を知っている。


 当の皐月は憂鬱には違いないだろうが、あくまでものん気だ。


「ああ、そういえば、誰より早く眠る自信ならあるよ? のびと君みたいに。あとは立ったまま寝るとか、目を開けたまま寝るとか、それから…」


「バカ野郎。つーか “のびと君” て誰ッ‼」


「え、知らないの? 黄色い服着たメガネ坊やだよ。青い猫を自分の部屋の押し入れで飼ってて、困った時はそいつが助けてくれる…」


「知るかッ! またそんなこと言って、変な世界に逃避するのはよせ! 戻ってこい! 現実を見ろッ!」


「どう考えても、現実離れしてるのはこっちの世界でしょ……」


 皐月はフンと鼻で笑って、今度は千切った草を池に放った。草ならば浮かぶだけで、跳ね返って来ない。何気に亀にも配慮している辺りは健気だが、遊び始めたと見て、嘉壱は一喝を浴びせた。


「いいかッ! そっちの金額に置き換えても百二十万だぞ⁉ 普通に働いてたら、まずもって早急には返済不可能な額だ‼」


 ましてやこの化錯界かさっかいで隆盛を極めてきた経済大国・華瓊楽カヌラも、近年は不況続き。一部の上流階級や、砂漠化の被害から持ち直してきた大店おおだなの商人は近ごろ羽目を外し始めているが、働かざるナマケ者が、たらふく焼肉を食おうなんてお前……、


「夢に見るのも図々しいわッ!」


「なんで俺が怒られなきゃならないの……」


(考えるんだ。何か……、何かないのか。こいつにぴったりの、それでいて金回りのいい仕事は…!)

 懸命に思考を活性化させる嘉壱の傍ら、皐月は草の茎で、亀を吊り上げようと試みている。ちょっかいを出されている亀は、歯を剥きながらも楽しそうだ。 


「うおぅッ!」


 手の平を打って、嘉壱は閃いたこれ以上ない妙案に、我ながら呆然とするほど驚いた。


「そうだ……、いい稼ぎ場所があるぜっ――⁉」


 ガシっと肩を押さえつけられた皐月は、良いわけがない、と嫌な予感に受け取ったらしい。


「……言っとくけど、土木作業はお断りだからね。俺、自慢じゃないけど全然体力ないから」


 違う違うと、嘉壱の妙なはしゃぎっぷりが、「違うけど、お前はいい勘してるよ」と言っている。彼の背後で、ドロドロと蕩け出したオーラが、皐月にはあきらかに不穏な色に見えていた。



「 “あそこ” なら、百二十万くらいすぐに返せる」




        ()()()()な―――。





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