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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 序鐘 ◇ どうして ――――――
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◍ 連理の枝が見える少女


 物心ついた時にはすでに、見えていたと思う。


 “それ” が何を意味するのかは、未だによく分からないけど――……。







           ――――【 幼馴染 】――――



 生まれ育ったのは、八曽木やそぎ市という、ちょっと不思議な地方都市だ。

 四方を山に囲まれた盆地にあり、北東の中腹に、化け物じみた木が生えている。



 *――おっきい木だねえ!



 確かに立派な巨樹なのだが、どうも自分の目には、ひとの二倍、いや、三倍の大きさに見えているらしいのだ。



*――そうじゃろう。緑の入道雲みたいじゃろぉ


*――ううん。もっとおっきい。お空に、わーって広がってて


*――……?



 そのことに気づかされてからは、あえて無関心を装ってきた。


 皆には見えないものが見えると言えば、おおよそ気味悪がられる。寄り添いあった末に、一つとなっているこの木と知り合わせてくれた祖父にも、怪訝けげんな顔をされた。

 だが、自分は霊感を持っているわけではないと思う。お化けの類とは縁がない。他の幻覚症状もない。 “連理の枝” のみ見えるのだ。しかも、この木にだけ。

 それを打ち明けたところ、案の定、驚かれたが、一人だけ周囲とは違う反応を示した奴がいた―――。




 *――俺も見える……





   *   *   *





 ジュウ、と。威勢のいい音を立てて、フライパンの上のウインナーが踊る。焦げないよう適当にかきまぜながら、一方で味噌汁の味をみる。


「うん、今日も上出来ッ!」


 七月……。といえば、朝も早よから暑い。しかし、味噌汁は毎日欠かさず作ることにしている。



 八曽木市の北、戸述町とのべちょうの山中にある萌芽ほうが神社を訪れた辻村茉都莉(つじむらまつり)は、いつも通り家事をこなしていた。

 長いくせ毛をつむじの上でまとめ上げ、白い半袖Tシャツを肩までたくし上げ、アイスブルーのデニムパンツに、愛用のカフェ店員っぽいエプロンで、気分まで上げに上げて。


 母親のかなえが病院勤めということもあり、小さい頃から家事を代行してきたのだから、非常に手際がいいのは当然だ。



「のぉ、茉都莉……」


 ふと感慨深げな呼びかけに、せかせかと手を動かしながら茉都莉は応えた。


「なぁにー? おじいちゃん」


 朝食が出来上がるのを、茶の間で行儀よく待っている祖父の須藤玄静(すどうげんせい)は、なぜか難しい顔をしていた。食卓の上に並べられた皿を、じっと見つめている。


「確か皐月は、昨日から華瓊楽(カヌラ)に行っておるんだったなぁ」


「あぁ、うん。そうなの。夕べ、せっかくお母さんが皐月に食べさせるってお肉たくさん焼いたのに、お陰で余っちゃったよ」


「うむ。それはよいのだが……」


 暖簾をくぐった茉都莉は小首をかしげた。


「え? そのだし巻き卵がどうか…、ぬぁ…っ」


(しまったああ…ッ! つい、いつものクセで皐月の分まで…ッ‼) 茉都莉は白目を剥いた。盆に乗せて運んできた味噌汁も、一つ余計だ。


「あ…、あははは! そーだった、そーだった。ゴメンおじいちゃん。こっちのは、またお昼にでも食べて」


「なんじゃい。あいつはそんなに遅くなるとゆーておったのか?」


 呆れながら、さっそく箸を伸ばす祖父に、茉都莉はただ苦笑を返すしかない。


 皐月が “華瓊楽カヌラ” とやらに招かれるのは、これで二回目。一回目は四ヶ月前。帰ってきたのは、ちょうど痺れを切らした茉都莉が、警察に増員を頼もうとした時だった。心霊スポットとして有名な市内の鍾乳洞巡りに行くという友人に付き合い、崩落事故にあって行方が分からなくなっていた彼は、夕暮れ時になって、何事もなかったかのように、萌芽神社の境内にある洞窟から出てきて一言。



 *――晩ご飯なに?



 これだから、あれほど心配していた自分が、バカらしくてしかたなかった。




 *――ちょ…ッ、ちょっと待ってよ! 一体、何があったの…っ⁉



 追いすがったが、はたして皐月はろくに答えなかった。子供の頃からそう。心配されるのが大嫌い。



「……ねぇ、おじいちゃん……?」


 ウインナーを盛った皿を置きながら腰を下ろした茉都莉は、一転して真摯な声を発した。

 自分はいつも、自宅で食事を済ませてきてしまうため、この座卓で朝食を取るのは実質的に玄静と皐月だけだ。

 普段は二人が食べ終えるまでの時間を利用して、洗濯をしたり掃除をしたりと、時間をなるべく有効的に使うよう心がけている。

 しかし、今日の茉都莉は、玄静の前に正座したまま動こうとしなかった。鴨居の時計が一秒を刻む音が、互いの沈黙を繋ぐ。


「 “あの書物” のことなんだけど…………」


「あれがどうした」


 味噌汁をすすりながら、平静を装っているのが明らかな祖父を、茉都莉は上目に見つめ続けた。


 もう、何がなんだか分からない。大騒ぎするなと玄静が言ったとおり、皐月は無事に帰ってきた。帰ってはきたが、その直後からどこか様子がおかしかったのも事実だ。

 萌芽神社の崖下を流れる川岸に、注連縄(しめなわ)が巻かれたなぎの巨木がある。連理の枝が見える木はこれ。

 洞窟内での崩落事故直後、夢の世界で妙な体験をしたらしい皐月は、以来、このご神木を頻繁に仰ぎ見ている。やしろの中を、泥棒のように漁ったりもしていた。



 *――左から二番目の、床板をはずしてみぃ……



 彼の様子をこっそりうかがっていた茉都莉は、振り返ったそこに、鋭い眼光の玄静を見て硬直した。ただならぬ雰囲気になった。



 *――探しているのだろう? あの “書物” を……



 暗がりから歩み出てきた皐月は、その言葉だけで何かしらの確信を得たようだったが、自分はまだ、漠然とした不安を引きずったままでいる――……。




「 “花人” って何者? おじいちゃんが作ったおとぎ話の中だけに出てくる、架空の存在だと思ってた。でも、本当は違うの?」


 彼らを手助けするために、皐月が地下の異界国間を行き来するようになる。こんな非現実的な未来を、玄静は予期していた。一体何故―――。



「そういえば……皐月を見つけたのって、真冬の蓮池だったよね」



 雪が降り始めた、十二年前のこの山中。洞窟前の枯れ葦の中に、鮮やかな翡翠色の葉が見えて、不思議に思った幼い茉都莉は、祖父を呼び寄せた。


 曇天の下、金の蕊がこぼれ落ちる、美しい紅蓮が咲き開いていた―――。




―― * * * ――



 



《 ――……それは限りなき、暗黒の果てにあり……―― 》

 


 “星” がまた、動きはじめる。そう遠くない未来。

 どんなに海が果てしなく広大であったとしても、世界を巡る流れの前には、捨てきれるものなどないように。


 いずれにしても訪れる時。避けられない結果である。

 




         所詮、世界は繋がっているのだから―――。





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