◍ ただ似ているだけの他人ではない?
「……もう一度だけ聞く。それでも同じ答えを返すようなら、その頭吹っ飛ぶと思うけど――」
いいよね。
「――――」
同意を求められた飛叉弥だが、まるで聞えていないかのように煙管をくわえ、悠然と火をつけた。
一泊して、あからさまに紫煙を吹き付けられた対面の少年はしかし、眉一つ動かさない。少し長めの前髪から爛々と覗いているその眼光は、名刀の切っ先のようで、いつ斬り合いになっても構わないというのか、すでに精神統一を終えているように見える。
瞳孔がパックリ開いていようとも、黒い瞳は常人であることの証。だが、これはいわゆる平凡な黒曜石の眼ではなく、雰囲気的にはもはや、そんじょそこらの鬼より近寄りがたい……。
(マジでヤバいぜ、こりゃ……) 正座を強いられている自分の状況を見下ろし、嘉壱はそろそろ本気で逃げ出したく思っていた。
気づいているだろうに、飛叉弥はそんな子分の心情など、まるで意に介さない調子の会話を続けるのだった。
「ぶっ殺~すとか、死ねーとか、お前が言うとシャレに聞えないからよせー。ただでさえ、何かと物騒な世の中だってのに」
「や、たぶんシャレじゃねぇよ飛叉弥……。マジで殺されるって。お前……」
顔を伏せている嘉壱の絶望じみた呟きは届かない。飛叉弥はなおも一方的にしゃべり続ける。
「最近のガキってのはこれだからな~。ちゃんと定期的にガス抜きをしないから八つ当たりが多くなるんだ。外で思いっきり遊べ。運動しろ。喧嘩してこい。朝飯抜くのも怒りっぽくなる原因と聞いたことがある。昼だってどうせ菓子パンとか、コンビニの弁当とかで適当に…、あ――」
“コンビ―ニ” だっけか?
「違うな。コンビーフ。コン…」
「だあーッっっ、もおっ、ひとをおちょくる天才かお前はあああーッ‼」
嘉壱は意を決して、首を捻っている背中に飛び蹴りを食らわせた。
卓子に額をぶちつけた飛叉弥は、跳ね起きながら「何すんだコラあっッ‼」と怒号一発、目にもとまらぬ旋風並みの上段後ろ蹴りをお返しする。
隣の部屋までぶっ飛ばされた嘉壱は、もちろん七転八倒ものだ。涙声の絶叫が上がった。
「ッたく、どいつもこいつも、話くらい落ち着いて聞けってのッ。なぁ!」
柴―――?
「ッ…⁉」
上手く忍び込んだつもりだが甘かった。最強と謳われる紫蓉晶の瞳と、急激に冷めた声を向けられて、柴はザっと血の気が引く音を聞いた。
そもそも立ち聞きするつもりではなかったのだから、この庭に踏み入った時点で、感のいい飛叉弥には察知されていたと考えるべきだった―――。
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植木の陰から飛びだした気配が、追いきれないほど遠のいたところで、飛叉弥の正面に座っている少年はため息をついた。
「随分とデカイ鼠がいたもんだね……」
「なんだ。やはり気づいてたか、お前も」
襟の合わせ目をピシッと直しながら、飛叉弥は特に驚きもせず、元のように胡坐をかきなおす。
対するは、現在思春期真っただ中で、「うるさい」「眠い」「面倒くさい」
「バカじゃないの」が口癖の少年。―― 須藤皐月は、冷めきった湯飲みの底に視線を落とした。
先ほどまでスポーツウェアのような半袖のパーカーに、ブルージーンズという格好だったが、こちらの世界の気候や文化的にはふさわしくない装いのため、無理やり着替えさせられていた。
主な着衣だけでも “着物” の類いにしなければ、長い黒髪を背に流した独特のスタイルにも馴染まない。
似たような髪型である飛叉弥も、衣櫃の中はいわゆる着物がほとんどだが、皐月には貸してやれなかった。二人は青年と少年の体格差があるだけで、顔立ちが驚くほど酷似している。そのため、皐月は飛叉弥が持っていない葡萄色の短衣に、フード付きの黒いロングカーディガンを羽織り、黒いジーンズ―――という、ちぐはぐな格好をしている。いずれも嘉壱の箪笥から引っ張りだされた古着である。
飛叉弥は皐月を召喚するようになる以前まで、普段は黒髪で過ごしていた。今は本来の白髪に戻したが、下手をすると、間違われてしまう可能性があるのだ。
「また面倒なことにならなきゃいいが……」
「あんたと俺が、同じ場所に存在してる―――それがすべての面倒事の元凶だ。ってわけで、帰っていい?」
「そうやって逃げるから、いやまして面倒なことになるんだろ……」
とにかく、お前にとって目下最優先すべき問題は “これ” だぞ――?
ずいっと、飛叉弥があらためて押し出した卓上の紙面。そこにデカデカと太字で記されている “請求書” の文字に、皐月は左目の下をヒクヒクさせた……。
―― * * * ――
悠久と謳われた神代が崩壊し、龍が人原を拓いて三千と有余年。
古より、かの地を守り継いできた民を “花人” と言うが、彼らは強大な軍事力と神政政治を背景に飛躍し、世界的権力者にも顔色を窺わせることで有名である。
そんな鬼人の国に華瓊楽が使者を遣わしたのは、未曽有の大旱魃に見舞われた八年前のこと。
若手の逸材であった飛叉弥をはじめ、七人の精鋭が派遣要請に応じた。
こうして滅亡を凌いだ王都は現在、平穏を取り戻したかに見えるが、
ここにきて “真の救世主” と銘打たれ、異界国在住の少年が、新たな仲間に加わろうとしているのだ。
悪夢の再燃を、予告するように―――。
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瀧音に、いつもより多い雀のさえずりが重なって聞こえる。柿の木の赤らんできた実をめぐって、喧嘩しているのだろう。
池の畔には、様々な生き物が集まってくる。波寄る水面。色づいた一片の紅葉が、かすかな波紋に揺られている。その下で、金の鯉がひらりと尾を返し、急いで水底へ戻った。石橋を走って渡る巨体の足音に驚いたようだ―――。
弾む息を抑えて、たどりついた扉を押した柴は、自室、兼、研鑽所として使っている黄筑楼の中に入り、ようやくほっとした。
背後で扉の閉まる音を聞きながら、薄暗い空間の中ほどまで足を進める。
この邸は一応、駐在所という体だが、以前は某貴族の所有で、過去には薬園や療養所といった使われ方もした。
黄筑楼は元薬品庫だ。梁が剥きだしの天井は高く、壁が少ない単純な構造をしていて、大柄な自分の居所には丁度よかった。
入って正面の上部には、明り取りの窓が二つ。まるで獄中のような冷たい石床に、何列にもわたって書架を並べてある。
乳鉢や木の根が漬かった遮光瓶などの小物も多いが、普段から片付けだけは徹底しているお陰で、探し物に手こずったことはない。
ある書架の前まできた柴は、一番低い膝下の棚の上部を手で探った。
本来なら、他と同様の管理をすればいいただの治療記録なのだが、とんでもないことが判明し、茶封筒に入れた状態にして、ここに貼り付けておいた。
細胞年齢、測定不能。実年齢――不詳。
霊応、微弱ながら複数色反応あり。特定しきれず――玉虫色。
血統―――陰陽両極の純血につき、華冑蓮家大旆。
「 “神代の生き残り” ……」
焦燥感のようなものが、思考に混ざって渦を巻き始める。
これは四ヶ月前、皐月の肩口の治療をおこなったとき、こっそり採取した血液に基づく資料だ。彼の種姓を最も手っ取り早く知ることができると思ったのだが、まさか、いっそう得体の知れなさが増すとは思っていなかった。
辻褄が合いそうで、実際には説明のつかない数値や反応ばかり。この検査結果が正しければ、 “あの少年” は、飛叉弥とただ似ているだけの他人ではない。
しかも―――。
皐月を背にした “サツキ” が、暗黒の脳裏にて不敵に口端をつりあげた。
「いや……、そんなことがあって堪るか」
柴は強気な自分を取り戻そうと呟いたが、心には確かに、封じ込めたはずの戸惑いがよみがえり、火種のようにくすぶり始めていた―――。
―― * * * ――
時に、この花人なる種族には、様々な異聞がある。
甘露、花神の他、月神、竜神、創造神。
悪鬼邪神、軍神、北斗星。
鏡、宝玉などの神器。
そして、
“人間” をはじめとする、他種族との関わりをめぐって―――。
◆ ◇ ◆
(2021.10.30に投稿した内容と同じです。長文だったため、2022.01.04 分割しました)




