◍ かの人は何処へ
仁華を使いに出してから、蒐は再び寝椅子に向かい、腕を枕にして仰臥していた。
傍らの花台には、大樹に見立てて、真柏の盆栽が置いてある。その枝葉の広がりと、高い天井を所在なく眺めていると、白払紗が天女の羽衣のように見えてきた。
提燈とともに、吊り下がっている四季折々の山水画や花鳥画―――、低いところにあるその一つに、ふと鳥が過った。画の中でだ。燕と思われる。
「燕……か」
燕は便りを司る鳥。時化霊の影響を受けず、界境間を自由に行き来できるため、越境を司る霊鳥であり、導きを担う守蟲と見なされている。
蒐は小上がり風に設えてある作業場へ移った。書架や鉢植えの植物で囲み、画材と資料を山積みにしている一角だ。
座卓上に絵皿が散らかっている牀榻に腰掛け、画集の山から、はみ出していたあるものを摘み取った。
芸香草のしおり――……。
*――そんなに心配なら、お前にこれをやるよ。
魔が差すことがないように……
蔵書の高殿や、書斎を “芸閣” と称するのは、これが必須とされてきたことに由来する。
夏に蛇イチゴのような花と、レース状の葉を茂らせ、牝闌ではこの強臭が魔除けになると言われている。
眼病や弱視に効果があると信じられており、昔の彫刻家や画家が愛用してきた。携帯していると魔物を見破り、蛇や蠍の毒から身を守れるという。
娘に身に着けさせれば、悪い男の誘惑に乗ることもないのだとか。
*――まぁ、俺の目のほうが、
お前は強力だと思ってるみたいだけど……
*――そうですよ。もう少し確実に
使いこなせるようになってくれませんか
俺を道具扱いするんじゃないと、 “あの人” は苦笑した。そこまで便利なものでもない。だから、また直接様子を見に、会いに来ると――……。
「嘘つきですね、筆頭……」
でも、約束を守れない人だと昔から承知の上で、大樹大花と見込み、頼ってきた。
嘘を見抜かれている嘘つきは、結局、嘘つきになりきれていない。
つき通せない嘘に、意味はあるのか―――?
嘘は――……罪にならないのか。
あんたまで。
「どこ彷徨ってんだよ――……」
この呟きも、もう幾度となく彷徨ってきた。
こちらには、また春が来ましたよ。桃の色香が深まっている。
今どこで、どんな季節を味わっていますか。寒さに凍えてはいませんか。
せめて、花便りが欲しい――……。
【 つづく 】
〔 読み解き案内人の呟き 〕
【 芸香草 】とは……
おおよそ書いた通りの効能が信じられてきた、実在の植物です。




