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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
 越境画師・蒐【 秘密の匂わせ裏話1 】
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◍ 師匠と “筆頭様” 



「いいか――? 勘違い女」


 しゅうは濃紺の袖の中で腕組をした。


 言い方がひどい……。

 だが、仁華ジンファはこの男に頬を赤らめた自分が馬鹿であったと、仏の境地を切り開いて堪えた。


 蒐は身だしなみをきちんと整える性質たちだが、仕上がった格好は若干不良に見える。

 右耳の金耳墜きんじすいが目につくからかもしれない。左腕には刺青いれずみ状のあざがある。いずれも呪術的な意味合いを持つ、花人の象徴シンボルらしく、確かに近寄りがたい雰囲気はあるが、彼は無頼漢ではなかった。


 未だに山姥やまうばと変わらない髪型、服装の仁華から言わせれば、なんの変哲もない部屋着姿でも、蒐は十分な清潔感を持っている。

 他人を寄せ付けないため、あえて小汚い格好にこだわってきた仁華は、人は見た目が九割―――そう思うと同時に、内面が表れているとは限らないことをよく分かっている。


 ただ、蒐の場合はどこまでが見せかけか、今ひとつ――……


 

「俺は十六にもなる猫生娘ねこきむすめが、こう易々と男に捕獲されるようであっては、先が思いやられる。ということを、教えてやろうとしたまで」


 嘘つけ。

 

 仁華は考えを改めた。蒐は見せかけが下手クソだ。早口で突っ込む。


「西原から、一瞬でここに連れてこられたんです。金目のものを盗んで逃げようとした時も、一瞬で捕獲されました。むしろ、どうやったら逃げられるか教えてください。誘拐犯や、痴漢まがいなことをしてくるあなたから」


「それより、なぜ窓を全開にしていたのか知りたくないか? 風邪っぴきのくせに」


 仁華は目を据えた。別に知りたくないと言っても、どうせ、あの手この手で話を逸らすのだろう。まぁいい。


「空気の入れ替え?」


「まぁ、そんなところだ」


 蒐は鼻をすすりながら答えた。


 彼が背にしている窓の外には、桃の花枝が差し掛かっている。

 その向こうには、頭頂に木々を蓄えた巨大な奇岩――月来山ユエライざんが拝める。ここに居を構えたところは、やはり風景蒐集家なだけあると思う。窓枠すらも額縁に見えてくるのだった。



「昔、 “あの人” がよくやってたことを真似してみたんだよ」


「え?」


「春になると、でっかい窓、全部開け放って、花吹雪とか蝶とか、部屋に舞い込ませてたんだ――……」


 変わった人だなぁ……と、仁華はあらためて思った。蒐の元上司。時おり思い出話をされるたび、その変人ぶりに呆れる。


「なんのためにそんな…」


「知らない。春って何気に気分が塞ぎがちになるだろ。いい気分転換になるのかなぁと思ったら、ただ寒いだけだった」


 仁華は二重に呆れた。


「そういえば……、筆頭様は見つかったんですか?」


 “筆頭様” ―――。名前を教えてくれないため、仁華もそう呼ぶしかない。


 蒐が扱う瞬間移動の術は、花人が花旋風はなつむじに姿をくらますのとは別系統に当たる。

 筆頭様が授けてくれた、神器があってこその秘術であった。 “鏡竹紙かがみちくし” と “白瑪瑙しろめのう玉筆たまふで” ―――これが風景蒐集家・蒐を商売人として成り立たせている。


 筆頭様は蒐の元上司であり、お得意様でもあった。以前までは、直接、画を買い取りにきていた。 

 だが、二年ほど前に失踪してしまった。仁華はそれを知った時、衝撃的には思わなかった。

 一瞬で逃走者を捕縛する術は、蒐だけではなく、花人の大概が扱える。筆頭様は、その専門家プロだと、ただ者ではない気配が語っているような人だったのだ。


 痩身そうしんに墨染の衣をまとい、薄紗をめぐらせた帷笠をかぶっていて、ついぞと素顔を拝ませてくれなかった。

 よからぬ事件の犯人でもおかしくなさそうだし、血まみれの衣だけ残して忽然と消え失せても、生死が分からなくても、当然な相手である気がしていた。


 それだけ深い闇を持つ人種は、そんじょそこらの刺客とは比較にならないくらい強いはず――……。しかし、仁華よりよほど彼のことを知っているだろう蒐が、帰還を確信しているように見えないから気になる。


 ある日、謎の黒服お供をつけた黒飛布くろマントの少女が玄関扉の向こうに現れ、そこで何やら打ち明けられた蒐は、愕然とした。

 思わず、手に持っていた白瑪瑙の筆を取り落としたほどだった。

 ちょうど赤い蓮華の花を描いている途中だったため、地面と彼の裾に、血痕のような顔料の跡が飛び散った―――。



 仁華と同じく、その時のことを思い出したのか、蒐は東の窓に物憂げな目をやる。




 *―― “蒐” ……ってのはどう? 名前――……




 漆黒の長い髪を背に流した筆頭様の後ろ姿――、肩越しに向けられる口元の笑みが仁華にも見えてきそうな気がした。

 どうしてずっと、そこにあり続けるものだと信じて疑わなかったのか、蒐が悔やんでいることを知っているから。



 *――足抜きなんじゃねぇの……?


 *――いや、そんなまさか……



 囁く声を耳にしては拳を握りしめ、誰に対してなのか分からない怒りをやり過ごすしかない日々。

 何もかもぶちまけてしまわぬうちに、その場から闊歩して立ち去る。今もそんな口惜しさに耐えている同胞たちがいることは、祖国を離れていても、想像に難くないのだろう――……。



「あ、そうだ洗濯物…」


 仁華はわざと思い出したように言いながら、部屋を出た。


「――……」


 螺旋階段を駆け上がり、屋上に出たそこで、あらためて蒐の気配に五感を研ぎ澄ませる。


 彼の心を読み取りたい。そのために、これほどさとくなろうとする自分など、三年前までは想像もしていなかった。

 筆頭様や蒐がどんな人物なのか、何があったのか――……。

 今の自分には知りたいと思っても、黙って洗濯物を干しに取り掛かる以外に能がないのが悔しい。



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