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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
 越境画師・蒐【 秘密の匂わせ裏話1 】
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◍ 師匠(せんせい)


 水音が絶えない真澹しんたんには、苔むした巨石や奇岩が、あちこちに転がっている。

 岩上にもかかわらず、大樹が育ち、花が咲き誇る。


 うてなという国の地質に似ているから、だそうだ――……。


 仁華ジンファが身を寄せた家は、個性豊かな蒐集家たちの隠れ家のうちの一軒。

 桂の木が標木となっているその玄関先にくると、砂糖を焦がしたような、独特の香りが鼻腔をくすぐる。


 桂は「香出カヅ」が語源だとか。葉を乾燥させ、粉末にすると香になるらしい。

 落葉時期を迎えると、より強く匂う。臭う……とは言わないが、仁華は少し苦手だ。僻邪の香りは嫌な記憶を呼び覚ます。


 新芽が吹いたばかりのこの時期は、嗅覚を刺激するほどの芳香はなく、それよりも気になるのは、燕の巣作りであった。

 卵が産み落とされるのは四月。また今年も、わんさか頭を突き出して餌をねだる雛鳥たちの声がうるさいに違いない。そんな春の象徴が憂鬱でしかないその家に、仁華は靴を脱ぎ捨てて上がった。


 母屋の右手――三重構造の芸閣うんかくに向かう。装飾的な窓がめぐる外観は豪商の館のようだが、規模的にはこじんまりとした古い一軒家だ。


師匠せんせい、起きれますか――?」


 仁華は屋上で、ささやかな園芸を楽しむ権利を与えられていた。ついでに、洗濯物を干す・家主を起こす、という仕事も……。


 芸閣の螺旋階段を上っていく。

 この時点ですでに、三百六十度、書架――。しかも、棚板がちぐはぐな、手作り感の半端ない壁面収納だ。

 “師匠せんせい” は不器用ではないが、整理整頓が得意ではない上に万年金欠。その辺から古材を調達してきて、適当に継ぎ足していったことがよく分かる本棚である。


 それが、いざ書斎空間となると、凄まじいことになっているのだった。

 虫除けとなる芸香うんこうを含ませた白払紗びゃくふっさと、山水画の掛け軸が数点、高い天井から垂れ下がっている。

 いや、バタバタとなびいていた。風鎮がなんの役にも立っていないほど。


「ちょちょ…っ! なんで窓開けてるんですかっ?」


 埃が舞う。仁華は慌てて、開け放たれているすべてを閉ざしに走り回った。


師匠せんせい? せん…」


 赤い天鵞絨ビロードが張られた寝椅子に、そいつが仰臥していた。

 風景蒐集家の “しゅう” だ。

 散髪をさぼっている黒髪を形の良い頭に撫でつけ、普段は首の後ろで適当に結んでいるが、今は枕上にばらけさせている。 

 さりげなく大人の色香を放つ男である反面、歩み寄っても目覚める気配がない蒐は、今のところ隙だらけの間抜け野郎で、世界三大鬼国と恐れられている国出身の鬼とは思えない。


 元、うてなの鬼人――花人はなびとだというこの男も曰くつきらしく、蒐という名前は偽名と思われる。

 だが、「蒐」とはそもそも、鬼の血の跡に生えた草を意味する字だと知り、仁華は適当に名乗ってきたわけではないのだろうという気がしていた。


 ここに居候するようになって早三年。初潮を迎える年ごろと重なったことに加え、仁華は関わったことのない他圏の種族と、衣食住を共にする難しさに悪戦苦闘してきた。


 色々な事件・事故があった。あまり感情を発露する性格ではなかったが、相手がなかなかの不審者で、何を考えているのかよく分からないため、嫌でも口を利くようになった。


 住まわせてくれている家主を不審者扱い……。それは無いだろうと思いつつ、仁華は撤回する気になれない。

 蒐は自分のことを何も語らない。それが花人なのだと言って。

 だから、彼がどんな人格であるかは、目に見える限りで探り、感じ取るしかなかった。


 眉は柳。前髪が額にかかっていないせいか、少しデコっぱちな気がするが、鼻梁が高くて男らしい。唇は形がきれいで色っぽい。東扶桑の美人画の人みたい。


(まつ毛長い――……)


 じゃなくってッ。

 仁華は、ただでさえ吊り上がっている目を逆三角にする。


師匠せんせいっ! 蒐師匠、朝ごはんはどうしますッ。ちょっと一旦起きてくださいッ」


「ん~……、なに。仁華か?」


「私以外にいないでしょう」


綾羅りょうらぁ?」


 彼の中では、その可能性もあるのか……。半眼になった仁華だったが、次の瞬間、思わず目を見開くことになった。 

 引っ張りこまれ、蒐の胸板にのめってしまった。


「な…ッ」


「ちょうどいいところに来た。寒い。暖めてくれ」


「はあッ!? この変態絵師っッ! なに寝ぼけたこと言って…っ」


 はっきりと聞こえる中低音の美声が、寝ぼけているわけではないと分かるため、逆に怖いのだった。仁華は蒼白になって必死にもがいた。


 ため息一つ、大儀そうに体の位置を入れ替え、家主の男はギャアギャア騒ぐ使用人の少女を寝椅子に磔にしたが、服を脱ぎだすなんて冗談は、さすがに不味いと心得ている。


「でも、師匠せんせいだって男なんだぞ――?」


 目を開けた蒐と、今日、初めて見つめ合った。

 葡萄酒のような、赤紫の瞳――……。

 よりも、唇に見入ってしまっている自分に気づいた仁華は、心の中で(目の毒め…ッ!!)と退魔の詠唱を放った。

 実際にはビンタを食らわせた。


「犯罪ですよ」


「……。」


「私はもう十六になりました!!」


 そう。身体的接触の強要はすべて犯罪だ。そして、彼はこの言葉に弱い。


 蒐はやれやれと、あっさりどいて、奥の衝立の陰に向かい、着替えを始める。

 綾羅によれば、これが花人だという。

 萼は、好戦的な夜叉たちの牙城が環状に集結している巨大軍事国家。鬼である彼らが “花人” と呼ばれてきたのは、神に人生を与えられながら、花のようにしか生きられない定めであるためだ。

 酒にも、女にも酔わない。たとえ欲しているとしても、水にすら手を伸ばすことはない。許されない。


 野中に暮らしていも、こうした生き様に徹しているのなら、堕ちたわけではないことを示している――。とか……?



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