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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 終鐘 ◇ 本性 ――――――
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◍ 夢現、秘密の日向話


 うぐいすが鳴いている――。





          ――――【 初夏の越境 】――――



 春告げ鳥には違いないが、繁殖期は二月から五月まで。

 よく聞く「ホーホケキョっ」が、嘉壱には「起~~きろッ」に聞こえてしまい、皆が “暁を覚えず” の頃でも早起きせざるを得ないという、地味な苦悩を抱えている。 


 だが、今聞こえているのは “谷渡り” と言って、子育て期間に入った証のさえずりだ。山中、一方から一方へ飛び移りながら、「ケキョケキョ」と続けざまに鳴く。

 ケケケ、ケキョケキョケキョ……と、何処からか飛び立ち、またこちら側に戻ってきた。

 鶯が最も激しく盛んに囀るのは、五月なのである――。

 



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 李彌殷リヴィアン襲撃から二晩が開け、嘉壱は後ろ手に障子を閉めた飛叉弥から、麓の参道沿いで評判のせんべいを恵まれた。


 飛叉弥は正確に言うと買ってきたのではなく、押し売りされたのだった。

 被害が及ばなかった地域の商売は、いつにも増して活気づいている。そうでなければ無くした部分を補えない。井戸端で大変な目にあった他人を想い、話し込んでいる人々も、昨日に引き続き多く見受けられた。



「ほれ。朝一番の焼きたてだとよ」


「おう…」


 新救世主殿の来訪からはじまり、信じられないことばかりに見舞われた記憶は、もう一昨日のものとなったのだ。それにしても強烈すぎて、ほんの数時間前の出来事のような余韻を残している。


 皐月の瞼も、まだ閉じたまま――。肩口の傷は命に関わるものではないが、腕のいい軍医である柴の治療が、珍しく長丁場となったたため、最初の一晩は、まさかの想像が頭から離れなかった。嘉壱は、皐月が天壇按主てんだんアヌスであることを実感した。


 夢の中でも彼方此方あちこちを無駄に歩き、結局、狭間から抜け出せず、迷子になっているのかもしれない。

 自分たちも、夢を見ていたのではないだろうか。こいつの憎たらしいほど健やかな寝息を聞いていると、そう思えてならなかった。



 嘉壱は障子越しの柔らかな朝日を背に、ぐすーっと寝ている皐月を見据え、あらためて振り返ってみた。

 未だに衝撃を受けている気分が続いている。

 死ぬかと思ったが、なんとも幻想的で、まさに、この世とは思えない体験をしたのは間違いない――。




*――花の雨を降らせたんだ。天と地が混ざり合う――

   それはこの世界の歴史上、

   ほんの一瞬の出来事だったかもしれないが………、

   恐ろしくも美しい光景だったと聞く……




 この二日間、様々なことに思考を費やしたが、神代終焉について語った飛叉弥の言葉を裏付ける現象が起きたと考えるべきだろう。

 だが、これまでにない異常な同時出現の仕方をした穹海山原の四大巉しだいざんは、その直後、沸き立ってきた八雲によってあっという間に隠れてしまい、次に空が晴れた時には忽然と消えていた。

 興奮気味に見たと訴える人間もいれば、狐にでもつままれたのだろうといなす人間もいるらしく、巷の話題の混沌ぶりには、嘉壱らも正直、困惑している。


 炎の海と風雨の大嵐も嘘のように鎮まり、瓦礫に埋もれていた嘉壱ら六人は、突然訪れた静寂の中、星空に昇る幾筋もの黒い煙を、しばらく茫然と眺めていた。

 あとに残ったのは、鎮火した各地から、黒龍が飛翔しているような光景だけだったのだ。

 そして、瓦礫が崩れる音に振り返ると、飛叉弥が信じられないくらいゲッソリと疲れ切った顔で、ひいなを抱え、



 のびて、一反木綿のようになっている救世主を、肩からしな垂れさせていた。




―― * * * ――







 ぐるきゅぅ~。……と、派手に腹の虫が鳴いている。

 が、やはり飼い主の皐月自体はまだ目覚めそうにないため、嘉壱は受け取った醤油せんべいを、遠慮なく齧り始めた。

 バリぼり、バリぼり。


 飛叉弥はせんべいを団扇にして、皐月の鼻先に匂いを送る。


 ぐるきゅうっッ。……と、少し怒った反応があった。腹の虫から。


 嘉壱は思わず租借音を止めた。

 飛叉弥も半眼で固まったが、あきらめた風情でため息をつくと、嫌がらせに使っていたそのせんべいに歯を立てた。


「隙だらけだな。ホント……。今だったら、敵も鼻に栓するだけで事足りるってもんだぜ」


「ハハ。そりゃ言えてる。まぁ……、だからこの国にいる間は、俺たちが看ていてやらないといけないんだが――……」


 軽い笑みを口元に、飛叉弥は何てことない態度だが、嘉壱は一言の反省も述べず、やり過ごすつもりはなかった。

 柴が治療を施し終え、この部屋に入れるようになってからずっと、嘉壱は胸のつかえを吐き出せる時を待っていた。皐月の目が覚めるのを。

 だが、自分はあまり辛抱強い方ではない。花人なのに――……。



「……俺の失態だ」


 嘉壱は沈黙に促されているようにも感じ、丸二日間、ため込んできた自責の念を、ここで溢れ出させた。


 伴福街からひいなを付け狙っていたというやづさの気配に、まったく気づけなかった。対して、その不審な姿を捉えていた皐月は、念のため、ひいなの無事を確かめに行こうとしたのだ。

 


*――ちなみにですけどねぇ、

   屋敷に居づらかったのも切っ掛け、みたいに言ってやしやよ?

   脱走したからって、

   あんまし腹立てねぇでやった方がいいですぜ? 旦那……



 木鼠風情がよく働いてくれた様子だったため、一応労ってやると、青い方にこう漏らされた。思い起こしつつ、飛叉弥は本気で落ち込んでいるらしい嘉壱の様子に、そっと息をついて励ましの言葉を選ぶ。

 左蓮――こと、蓮尉晏やづさは元花人。しかも、夜覇王樹壺セレンディアでも一流の貴衛兵しか所属できない、花神子はなみこの親衛に当たる武装神獣軍部・白騎に咲き誇った大花であった。

 彼女の気配を察知するのは、容易ではない。

 皐月の単独行動を責めるつもりもない。居たたまれない思いをさせるほど、薫子を相手に、自分たちが大声で揉めていたのは事実なのだから。


「一昨日――……」


 そっぽを向いて眠り続けている皐月を見つめ、飛叉弥は思い出し笑いのような微苦笑をもらした。


「襲撃を受けた畝潤セジュンに、お前たちが行っている間、こいつ、摩天に帰るなんて言い出してなぁ……」


 六人が邸を出て行った後、残された飛叉弥と皐月は、しばらく口を利かなかった。そして、帰ると言い出し、立ち去ろうとする皐月の後頭部に向けて、飛叉弥は懐から引き抜いた匕首(ひしゅ)を放った。


「はっ…!?」


「あ~。思い出したら、またおかしくなってきやがった」


 飛叉弥は喉の奥でくつくつと笑った。





   *   *   *





  しゅたっ、と


 確かに匕首は突き刺さった。突き当たりの壁に――。



「お前はさっき、自分には戦う能力は一つもないと言ったな」


 だが。


「十分戦場で生きていけるだけの才能を持っている。現にこうして……」



 左に傾けた首を元の位置に据えながら、ゆったりと厳かな動作をもって少年は再び向き合ってくれた。その満面から、表情が流れ落ちていくのが見て取れた。恐ろしく、はっきりと。


「あんた、俺を殺す気――?」


「仮に殺そうとしたとしよう。だが、俺はお前を殺せなかった」


 小鳥のさえずりが、沈黙をつないだ。そこからは、一種の我慢大会のようなものだった。時間と引き離され、取り残される状態が延々と続いた。どれほどそうしていただろう。いかにも憂鬱なため息一つ、先に諸手を挙げたのは皐月だった。


「分かった。帰らないよ……」


 昼下がりの長閑(のどか)な雰囲気にそぐわぬ緊張感を保ったまま、飛叉弥は、何気なく中庭へと視線を移した。

 互いに、顔を突き合わすことはなかった。


「一つ、確認させてもらいたい。お前、本当は纏霊術シンバドラも扱えるだろう」


 少なくとも、あの蛞茄蝓(カナム)など目ではなかったはずだ。並外れた身体能力だって有している。今はただ戦闘を避けたいだけであって、花人についても、まったく知らずに育ったわけじゃない。 


「どうなんだ――?」


 追及を受けても何のその。平気な顔で数歩引き返してくると、皐月は縁先に片胡坐をかいて座った。

 三泊ほど数えたか。ふと、薄い唇の片端から白い歯がのぞいた。

 決して、品の良い笑い方ではなかった。




   *   *   *




「その時のこいつときたら……」


 飛叉弥は、本気で舌打ちしたい気分になった。

 普段はぼへ~としていて、今にも眠ってしまいそうな目をして、いかにもあらゆる動きが鈍そうな少年の本性は、 “摩天でのうのうと暮らしてきた十七歳学生” ――ではなかったのだ。

 挑発するかのような冷笑に加え、声色(こわいろ)まで別人のように変わったのだから、予想していたにもかかわらず、騙された感が否めなかった。




   *   *   *




「……で?」


 吹っ切れたような、気の抜けた声だった。皐月は床に両手を突っ張って、後ろに体重をかけた。


「何から話す――?」


 飛叉弥は腕組をして、柱によりかかった。


「話すことなどほとんどない――……。ただ、お前にどうしても、頷いてもらわなければならない頼みがある。あいつらの…」


「ヤダ」


 早っッ。飛叉弥はしかめっ面を作った。


「即答かよッ!! あいつらの大黒柱を担ってきた俺の務めを、少し代わってほしいだけだと言ってるだろうっ」


「ムリ。俺はあくまで人間だから」


「その主張は、何を意味していると受け取ればいい?」


 “鬼” だと自覚しているからこそ、人間だと思い込みたいのか? それとも、ただ超人的なだけだと、本気で思っているのか。

 自分には関係ないと――。


「さぁ」


「さぁ。って…」


「ただ一つ確かなのは、 “俺にあんたの代わりが務まるわけない” ってことだよ」



 何より……





   *   *   *





 *――あの六人が、認めないだろ……



 皐月は最後に、言い募ろうとした飛叉弥を、孤独感のような余韻が残る一言で黙らせた――……。



 聞き終えた嘉壱は、なんとなく手の中のせんべいを見つめ、再び齧りだした。何も言わないが、何も感じていないわけではない。皐月と飛叉弥が人知れず交わしたやり取りに対して、戸惑いも驚きも抱かない自分が、強いて言うなら、少し笑えるかもしれない。


 飛叉弥はそんな薄い反応の嘉壱を苦笑しながら、皐月の頭を指弾した。

 こちらは本当に無反応――と思いきや、やられたら、やり返す主義であるためか、後ろ蹴りを食らわせてきた。


「いっッ…!?」


 飛叉弥は粉砕されかけた顎を押さえ込んだ。いッてぇ……。

 馬に蹴られた並みのダメージが、じわじわと浸透してくる。


「飛叉弥…」


 その問いは、妙に清々しさをはらんで聞こえた。


「うん?」


「こいつ――……、これからどうするだろうな」


 飛叉弥は軽く目を瞠った。

 少しでも気になるような感想を抱いてくれただけで、今回の締めくくりとしては、良しと考えるべきなのかもしれない。一度に色々なことがありすぎた。口で説明してばかりいても、実感が伴わなければ、どんな真実にも意味はない。


 須藤皐月がどういう人間で。


 どういう花人で。


 どういう秘密を背負ってきたか――。

 どんな辛苦に耐え、巌の上に咲き誇ってきたか。

 少しずつ、実感しながら知ってこそ、踏み入る覚悟も伴うというもの。

 ならば、答えは出さずに引き延ばす方がいいだろう。


 そう思うと気が抜けて、飛叉弥はただ、薄く笑って返した。




「……――さぁな」





改投稿(21.10.18)

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