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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 終鐘 ◇ 本性 ――――――
61/194

◍ 彼を “鬼” にしてはならない

 

 四世広場を目前にして、花連はある人だかりに遭遇していた。

 結界を破られた楼閣から避難してきた都民を誘導する、坤旗営こんきえいの邏衛士たちだ。

 艮旗営ごんきえいと対する位置――裏鬼門の南西にある邏卒屯所で、逢魔時おおまがどきに警邏をするため艮営に次ぐつわもの揃いだが、彼らは大将をはじめ、比較的、穏健な気質であった。まさしく対照的な存在と言われている。



「この先はどうなっているッ」


 そんな息せき切った声に反応して、陣頭に立っていた一人が振り返った。

 西検罪庁の総大将でもある、坤営長の猗暖イノンだ。彼は花連を率いて駆け付けた飛蓮フェイレンと、険しい面持ちで向き合った。

 行動エリアが近いため、普段からよく遭遇し、現場で見かける相手としては、一番確実に頼れる者同士かもしれない。

 猗暖イノンは思わず弱音のように漏らした。


「分かりません。なんとか住民の退避は済ませたんですが、直後に、降ってきた瓦礫がれきで道をふさがれてしまって…」


「突破する。黒同舟に攫われた女児が、この先にいる可能性がある」


「っ…!? 本当ですかッ」


「だが、お前は部下を連れて、できるだけ遠くに退避しろ。そこから誰一人、四世広場に近づけるなッ」


 飛蓮が踏み出そうとした時だった。


「……れん、花連の旦那!」


 どこかで聞いたことのある幼子の声が、熱風に乗って微かに届いた。

 菊羽ツェンウェイはハッと振り向いたが、誰もいない。(気のせいか……?)


「……んな! 旦那、こっちでやんす!」


「はいはい、こっちね。ってぅぉおあぁッ‼」


「どうした菊羽ツェンウェイ


「いや! だから! そのぉ……、どうしてこんな所にいるんだよお前らっ!」


 何から説明すればいいのやら。菊羽は頭を掻き毟って喚いた。

 彼が飛びついた瓦礫(がれき)の合間には、ぜぇぜぇと肩で息をしている玉尾木鼠ラナマンデル・リリーが二匹。木の枝の杖にすがり、すすで顔を真っ黒にしている。


「なんだこいつら」


 梨琥リクにつまみ上げられながら、しゅんは大粒の涙をこぼして泣き叫んだ。


「ぅぁぁああん…っ。親びんがぁ、親びんがあぁ…っ!!」


「 “親びん” って?」


「……たぶん皐月のことだ」


 菊羽ツェンウェイが立ち上がりながら、桐騨とうだの胡乱げな視線に答えた。


 青丸は息も絶え絶えに、必死で歩を進めた。


「四世広場で…っ!」


「ひいなっていう女の子とぉ…っ!」


 蕣が急かすように、短い手足をばたつかせた。








   *   *   *







 真っ暗な世界にがともった。

 いや、ともったというよりも着火されたような火の付き方だった。


 これは、八年前の記憶である―――。

 鉄くずの臭いがする闇の中に、夕日が差し込んでいる。

 缶詰の中にいるような狭苦しい空間で膝を抱えていた。閉じ込められたわけではない。自分で入ったのだ。

 このまま、そっとしておいてくれればいいものを、頭上を蓋していた板状の材木が、せっせと取り除かれていく。


*――見ぃーっけ!


 ぽっかり丸く切り抜かれて見える夕焼け空に、誰かが顔をのぞかせた。口元に楽し気な笑みを浮かべているそいつが、手を差し伸べてくれない時点で、次に何が起こるかは、だいだい予想がついた。


 ザバっと、大量の水が降ってきて、さすがに目を背けた。

 もともと目元が隠れるほど伸ばし気味だった前髪が、視界を完全に奪った。

 真っ黒にした。雫を滴らせるへどろのように貼りついて。



 だが、自分ひとりが耐えれば済む話なら、髪を逆立てて怒るほどのことではないと思ってきた―――。





   *   *   *





「皐月…っ!!」



 遅い。来るなら、もっと早く来い。 

 引きつれた叫び声が耳朶(じだ)を打って、皐月は不敵に浮かべていた口元の笑みを消した。


 抜刀しようとしていた左蓮も、その声に反応して踏みとどまった。


 燃え盛る建物に取り囲まれているそこにたどり着き、飛蓮フェイレンは絶句した。


「ちょっと…っ!」


 少女を抱きしめている少年の状態に、後を追ってきた六人も呆然とした。


 椿奈チュンナは思わず口元を覆った。皐月の肩口から、何やら細いものが背中へと突き抜けている。炎にきらめくその先端からは、赤い雫が滴り落ちていた。


「さつ…っ」


 もう一度叫ぼうと口を開きかけた飛蓮フェイレンを制するように、皐月はゆっくりと動いて見せた。


「ひいな……」


 かすれ気味の声だったが、少女の脳裏に、同じ声色を向けられた今朝のことが思い出されてきた。



 *――そうだ、代わりに “これ” ………



 水底から見上げているかのような視界に、一人の少年の輪郭がぼやけている。

 彼に差し出されたのは、真っ赤に色づいた―――




 “なんだっけ” ……?




 *―― “これ” ……



 つまんで見せられたそれは―――、なんだっけ……。


 あまりいい色がなくて、気に入ってくれるかどうか心配だった。でも、ちゃんとこうして受け取ってもらえて、物凄く嬉しかった。



 でも、自分じゃ結べない。



 *――あはは! 分かった! じゃあ、頭の後ろで横髪を一つにぃー…



 なんだっけ……っ。―――?


 胸の奥がどうしようもなく熱くなった。

 楽しかった。こんなに笑ったのは久しぶりだった。

 あの橋の上で、偶然に彼を見つけた時には、本当に……、本当に――………っ。



 こうしている間も、互いの力はギリギリと鬩ぎあいを続けている。


「また、代わりに結ってくれるだろ――?」


 しょうがないなぁ、って言ってさ。


「ほら、俺、不器用だから――………」


 皐月は切り払われないよう腕をつかんでいるのとは逆の左手に、髪紐をにぎりしめている。その握り拳を、ひいなの背中に押し当てて瞑目する。

 こんな状態でも、すぐに命が危うくなることはないが、血液の消耗は、霊応とやらの消耗に直結している。ただの打撲や病と違い、笑えない状況に追い込まれていくのが、おぞましい感覚で分かる。正直、立っているのもしんどい。


「やっぱり、鬼ごっこはまた今度にしよう。次は俺が、追いかける番だって覚えておくから」


 ひいな。お前は目を醒ませ。このままだと俺、死んじゃうよ。

 痛いし、寒いし。それに、今日はなんだか凄く疲れた。


「ひいな……」


 皐月は痛みをこらえて片膝をつき、抱きすくめた少女に額を突き合せた。

 頼むよ――……。


 パチパチと弾け飛ぶ火の粉の音に紛れて、かすかな呟きが届いのは、それから数泊後のことだ。


「……、つ……」


 呼ばれた気がしてハッと顔を跳ね上げると、ひいなが黒い瞳に光を取り戻してきていた。

 真ん丸から歪んでくる目の縁が、水面のように揺らぎ、光を増していく。

 流れ星を思わせる美しいきらめきが、その頬を伝い落ちる。


「友達だと思ってた……、子たちにね…っ――?」


 ひいなは、少し笑って見せながら訴えた。

 いじめられて、遊んでもらえなくなって、ひどいことをされて。なにも知らないくせにと、思わず言い返したことが、一度だけあったのだ。

 そしたら全部、台無しにされた。敵わなかった。


「悔しくて、お父さんに抱き着いた夢を……、見たの…っ。――……」


 泥だらけだったのに、受け止めてくれて、その懐でたくさん怒って、泣いて――……。


「久しぶりに声が聞けて…、ほっとしたの…ぉ…。でも…っ―――」


 ポロポロと零れ落ちる涙は、火影が踊る頬の上ですぐに乾いていくが、跡がひりひりする。そこにまた伝い落ちる。

 視界が晴れ渡った時、彼女が目にすることになったのは、自分が感情のままに傷つけたと見て取れる相手の、信じられない姿だ。

 動転して当然。皐月はひいながショックを受けることまで考えが至らなかったのが情けなく、自嘲をこぼすしかなかった。


「気にしなくていい。わざと避けなかったんだ。大丈夫、大丈夫。ほら、泣くな――……?」


「でもぉ…っ。―――」


 俺も久しぶりだ。そんなに泣かれるのは。怒りならいくらでも受け止められる底なし沼を持っている。湖ができるほど、ひとの涙を望むこともあるが、やっぱり、杯が満ちる程度もらえれば十分だ――……。

 

 冷え切っていた手足に、体温が戻ってくるのが分かる。途端にこみ上げてきた眠気のような脱力感に敵わず、皐月はうなだれた。


 やるせない感情の鎮め方というのは、もっと他にあるのかもしれなかった。

 だが、なぜか自分のやり方は、これでいい気がする。

 望んでこうしてきた気が――……。

 

「皐月ッ! ひいな…っ!」


 ほんの一瞬。本当にたった一秒たらずだったが、気を抜いてしまった背中に、飛蓮フェイレンの叫び声が叩きつけられてきた。


 ハッと顔を跳ね上げると、左蓮が率いていた妖魔の一体が、ひいなの背中を火矢で狙っていた。

 長い舌で裂けた口周りをなめまわし、得意げに笑っている。彼女ごと “一攫千金が手に入る獲物” を射抜こうとしている。


 弓を構えた妖魔は実際、内心で、しめたと思っていた。

 自分たちを地上に誘い出した奴の目的は分からない。だが、まととなっていることに気づき、目をみはっているこの小僧を射止めれば、それなりに名を挙げることができそうだというのは分かる。

 抜け駆けだろうと、誰の意に背く行為だろうと知ったことか。


 殺してやる―――。





*――逃げろ……り…―――が…っ。………



 とん…、と。胸先を突かれた感覚を最後に、皐月は深く、暗く、現実が遠ざかるのを感じた。

 “自分に似た声の持ち主” が頭の中にいて、 “自分ではない誰か” をかばうようなことを言っている。よく聞き取れない。

 自分には関係ないのなら、これほど――……、この声に痛みを覚えるわけがないのに


 

 だめだ。



 痛みを強いてでも、抵抗を示すべきだと思う自分がいる。

 星空と炎から離れていく無音になった世界で、皐月は呆然と呟いた。呟いたつもりだった。実際には声になっていない。

 首を横に振る。精一杯手を伸ばし、無我夢中で突き飛ばしてきた腕をつかみなおす。


「だめだ…っ!」


「逃げて皐月いいぃぃ…っッ!!」



 ひいな。聞いてくれ。俺は…………



「俺は――――……っッ!!」




     |

     |

     |



 ぎりっと歯噛みするや、駆け出そうとした爪先に、見覚えのある匕首が突き刺さった。柄に蔓草の彫刻が施された萼国夜叉きょうごくやしゃの扱う代物だ。強力な避雷針となったそこが、まばゆい閃光を放った。


「…飛蓮フェイレン


 バチバチと紫電が鳴る白煙に呑まれた彼に、左蓮は低く呼びかけた。

 案の定、煙を切り払って無傷の姿を現した飛蓮は、雷を落とされる前よりも鋭い眼光、威厳を向けてきた。さすが、 “神代じんだいの生き残り” ―――。


「あの小僧は何者だ? まさかお前の…」


「やづさッ、今はお前らに構っている場合じゃない…ッ!!」


 刹那。



「やめろおおおおおおおお―――――…………っッッ!!!」



 全員が、がばりと腰をひねらされた。



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