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払雲花伝〈ある花人たちの物語〉【塵積版】  作者: 讀翁久乃
◆ ―――――― 終鐘 ◇ 本性 ――――――
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◍ 記憶の赤い果実 | 鬼ごっこは昔から得意


 皐月の衝動的な動きに追いつけなかった青丸としゅんは、バランスを崩し、彼の後ろ髪の内から放りだされてしまった。


「ぅわ…っ!」


「わぁっ!」


 スカートをなびかせながら、華奢な少女の体が砂袋のように降ってくる。

 いや、三階建ての屋上から落とされれば、どんなに軽い子どもでも、鉄球並みの衝撃を与えてくるだろう。


 分かってはいたが、皐月は腕ではなく体で受け止めに行った。受け止め損ねないためだ。

 もう少しで目にするところだった最悪の光景をなんとか阻止したはいいが、案の定、ほっとしたくても息をつけなくなった。



 まずい――。肋骨ろっこつ折ったかもしれない。


 この程度で骨折したかと思うとアホみたいで、自嘲がこぼれた。

 やばい。なぜって……


 昔からの悪い癖で、皐月は怪我をするたび、はじめこそ呆然とするが、最終的には笑いをこらえるのに必死となる。

 腹を抱えるほど大笑いした記憶は、すべて強烈な痛みとセットで思い出されてくる。


 周囲にはもちろん、異常なものを恐れる目を向けられてきた。だが、幼馴染として育った少女だけは、壊れた目覚まし時計を止めるように、今も容赦のない拳骨を振り下ろしてくる。

 同じように痛くとも、これはただ痛いだけで笑えない。頭のネジが飛んでいることを教えてくれるのはありがたいが、怪我人をさらに痛めつけるとは、どういう神経をしているのかと睨みつけてやると、決まって返ってくる言葉がある。



 *――あんたに言われたくないわッっ!!




 抱え込んでいる少女の無事を確認しようと、懐に目を落とした皐月は歯噛みさせられた。

 白い瞼を閉じたままぴくりともしないひいなが、煤に汚れた八年前の “幼馴染あいつ” に見えた。


 脳裏に焼き付いている光景と現実が、一瞬すり替わった。ひいなは無邪気で、人懐っこくて、他人を喜ばせるのが好きで……、そういえば少し、あいつに似ているかもしれない――……。



「しっかりしろ……、ひいな。ひ…」


 違和感を感じてすぐ、皐月は起きだした少女から離れ、後ずさった。


 風に煽られる蝋燭の灯火のように、ゆらりと立ち上がったその右手の指の爪がうごめいて絡み合い、一本の鋭利なつるぎへと変形した。

 異様なことが起こった我が身に、当の本人は気づいていないようだ。頭がやや右後ろへ傾いており、盲鬼とやらと同じように白目を剥いている。


「まさか……」


 皐月は、嫌な予感以上のものを感じ取った。


 肯定を示すかのような、左蓮の嘲笑ちょうしょうが降ってきた。


「娘よ。少し遊んでやれ――」


「な…っ」


 愕然と屋上を振り仰いだ隙に、さっそく一撃目を食らいそうになった。

 なんとか反射神経が働き、地面を転げる勢いに任せて身を起こす。 


「ち…ッ!」


 速い。

 瞬きする間もなく、ぐんと距離を詰められた皐月の喉に力がこもる。爪の剣が首を突き刺そうとしてくる。


「っ…」


 咄嗟に腕をつかんで逸らし、闘牛を受け流す要領で突き飛ばしてしまったが、ひいなは転ばなかった。

 転びかけて、俄然、火が付いたようだ。わらいながら、一気に刺客並みの俊足となって向かってくる。


 右、左、左、右――と、細かい突きの連続攻撃。次いで、はすに遠心力を加え、切り払われた。


 皐月は髪数本を犠牲にしたが、ギリギリですべてかわしきった。ひいなの動きが早まるにつれ、眠っていた身体能力がよみがえってくる。


 つと、胸が痛んでバランスを崩したものの、地面についた片手で、思いっきり体を押し上げた。あごを蹴り上げると見せて怯ませ、その隙に後方へ倒立回転。さらに、間合いを取り直すため、様々な宙返りを交えて加速する彼のそれは見事だ。走っても追いきれない素早さである。


「ひいな…っ!」


 しかし、決して余裕があるわけではない。懇願するように呼びかけるも、躊躇いを見せない少女の猛攻が容赦なく続く――。



     |

     |

     |



 四世広場は東西の市楼と、北城市方面にある官庁街、南城門へ向かうメインストリートのちょうど中間点にある。

 重層の建物と、出店の天幕に囲まれており、頭上には紅灯が放射状に渡されている。

 達筆な字で、『城隍祭』と書かれた短冊が、燃えながらひらめいていた。


 広場中央の鐘楼周りには、果物や生花入りの木箱が積み上げられている。

 その上に飛び乗ると、ひいなも足場の悪さをものともせず、執拗に追ってくる。

 一つ、二つと蓋を叩き割られ、飛び降りた直後、皐月の首元を狙った爪が木箱に突き刺さり、なぎ払われた。


「親びん…ッ!!」


 目に焼き付くような炎の陰影の中、赤黒い薔薇の花びらが飛び散った。

 血しぶきに見えてしまい、思わず駆け寄ろうとした蕣だが、尻尾を踏みつけられてコケた。


「バカっ、邪魔しに行くようなもんだぞッ!」


「だって兄貴ぃ…っッ」


 青丸も、今に皐月が刺殺される想像がよぎらないわけではない。焦る気持ちは一緒。彼が常人を装っていただけの化け物で間違いないとしても、相手はあの嬢ちゃんだ。まともに反撃できないはず――。


「ぼさっとしてないで付いて来いっ! ここで観戦してても仕方ねぇだろッ!」


 花連の旦那を呼びに行く。今の自分たちに出来ることは、それくらいしかない――……っ!!



     |

     |

     |




 左蓮は皐月の身のこなしから、正体に繋がる情報や確信を得ようと目を凝らしていた。

 その眉が、ふいに吊り上がった。



  ずすっ、と



 ようやく得た確かな感触に、ひいなは白い目でにやけた。

 しかし、実際に貫いたのは、袖と裾がはためく真っ白な長衣だけ。

 気が付くと、爪の剣が鐘楼の礎の壁に突き刺さって抜けなくなっている。


「く…ッ、うぅううううああああああ…っっッ!!」


 慟哭に似た怒りの咆哮を上げ、懸命に引っ張るが、なかなか抜けない。

 鼻息を荒くして、石畳の地面を踏みしだく。

 散乱している青果が、彼女の裳裾に汚らしく果汁を飛び散らせる。


 黄色のひなげし。

 薄紫の矢車菊。

 白い鈴蘭。

 空色の勿忘草わすれなぐさ

 

 祭りを彩るはずだった五月の草花が、鮮やかな姿のまま踏み散らされていく様子は痛々しい。


 皐月はようやく笑えた――。

 地団駄を踏む少女の背後に立ち、背を見つめ、呼吸を整える間ができて。

 胸は痛むが、くすくすと笑えた。


 散らせ、散らせ。あぁ、楽しい。久しぶりに楽しい。

 なぁ、ひいな。遊んでくれて、ありがとう。でも、




「こんなのは、人間が楽しむことじゃない――」



 花や食べ物をそんなふうに踏みにじられたら、悲しむのがお前だろ。

 ひざまずいて、涙を落とせ。

 水鏡みなかがみができるほど、泣いて見せてくれ。

 炎天を仰ぎ、塩辛い雨を降らせろ。

 生き物にとってはむしろ、喉が渇いてしまうほど。


 そしたら俺は、嬉しく思う―――。



 今朝のように、本当は息を荒げるほど物に当たりたくて仕方ない、狂ってしまうほど、やりどころのない怒りを抱えていて、辛いのなら――……



「いいよ――?」



 誰にも、受け止めてもらえないのなら。



 はらり、と。皐月が刺繍糸の組紐を取り去り、結わいていた横髪をほずれ落とすと、ひいなの爪の剣も抜けた。



 どうしても、訴えずにはいられないのなら―――。



「……で―――……」




   “おいで” 



 そう、穏やかに発して見えた少年の唇の動きを読んで、左蓮はハッと目を瞠った。









  ―――― 【 花言葉:「幸福な家庭」・「完全なる善」 】――――





 *――あ~あぁ……



 地に突っ伏した少女は、空を見上げた。

 その人の顔は逆光で陰っているため、最初はまぶしくてよく見えなかったが、彼女はそれが誰か、すぐに分かった。

 黙っている中にも、優しさを感じる。淡い苦笑がにじんでいてた。




   *   *   *




「…ぉ…おと…っ――…、さぁん…!」



 泥だらけのまま飛びついて、嗚咽をもらす後ろ頭をなでてもらった。


「どうした、ひいな。ほら、泣くな」


「だっ…てぇ…っ、だってぇぇ――……ッ!」


 ひいなが倒れていた辺りには、踏み荒らされた跡があった。潰された小さな赤い果実。うねの間が、転々と黒く染まっている――……。


「やめてっていったのぉ…っ! でも…っ。きいてくれなかったああ…!!」


 これは市場に売り出すつもりだったものではない。病床の母が大好きだと言うから、早く元気になるように、今まで一生懸命、父と育ててきたのだ。

 決して多くは望まない。ただ、母に差し出す器の中がいっぱいになれば、それでよかった。その日が来るのが待ち遠しかった。

 毎朝、可憐な白い花の数を数えて、そこに蜜蜂がやってくるのを待って、紋白蝶が止まってくれたのを眺めて、毛虫に驚いて父に泣きついて。


 笑われて――……。



 ただの苺じゃなかった。 

 大切な日々が詰まっていたのに。



「みんな――…っ。自分のことばっかり…っッ!!」



 ひいなは、父の襟元をにぎりしめ、眩し過ぎるほどの青空に、悲嘆と憎しみをまき散らす。



「ひいな――……」



 柔らかな声だった。父はいつもそうだった。誰よりも土と汗に汚れ、日に焼けて――……、痩せていた。だが、よく耳に届く滑らかな質感の声色を持っていた。


「ひいなは、頑張り屋さんだよなぁ……」


 働き者で、父さんはとても助かってる。


華瓊楽カヌラのお国はね、今とっても大変なんだ。それは……、分かるかい?」


 ひいなは鼻をすすりながら、なんとなくうつむいた。――知ってる。ついこの間までは、遠くの人の話だった。家を失って、故郷を失って、ろくな食事もとれず、何某なにがしかの邸から出る生ゴミを、血眼になってあさっている老人や子どもがいる。


「……――そう。みんな、必死なんだ」


 命を繋ぐことに必死のあまり、誰かの何かを守るために、悪いことだと分かっていながら、正しさを後回しにせざるを得ない時だってある。 “正しくあり続けるのは、実はとても難しいこと” なんだよ。

 


「お腹が減っているとね――?」



 人ってみんな、心も減ってしまうものなんだ。父さんも、母さんも、ひいなもそう――。




「ひいな。この苺は、あの子たちのお腹に、少しでも納まったんだろ?」


「え…?」


 しゃがみ込んで、笑みを浮かべた父の口元に、ひいなはじっと見入った。


「なら、いいじゃないか」


 裳裾の泥汚れをはたき落としてくれた豆だらけの手が、両肩をぎゅっと励ますように握った。



「食べ物にとって一番かわいそうなのは、食べてもらえないことだ」



 父さんは、嬉しいぞ……?



 なぁ、ひいな。





 誰かの欠けてしまった心を、満たすことが出来たのなら――……。




   

     :

     :

     :

     *






 *――そうだ。代わりに “これ” ………



 さらりと、黒髪のベールが広がった。艶のあるそれは、深紅の炎に照り輝いている。

 赤い果実が、真っ白な目の前に一瞬だけぱっと現れた。苺ではない。釣鐘型の梨のような、りんごのような――……。



 “なんだっけ” ――――……。


 

 ぱっと、鮮血が散った目の前に誰かの髪紐がつままれ、そよいでいた。



「今朝のお礼にって、お前が作ってくれたんだぞ……?」



 *――あげる、 “それ” !

  


 白目を剥いたままの少女は盲目になっているはずだが、空を仰ぐその表情に変化が生じた。


「……?」


 感情を暴走させている状態の盲鬼にとっては、珍しい現象が起きているようだ。左蓮はひいなが夢を見ていると気づいた。無意識のうちに、昼間経験した出来事を思い起こしているのだろう。怒り以外の感情で、眉間が震えているように見えた。




 *―― “おいで” ……



 左蓮は先ほど、確信に近いものが待ち受けている扉の前に立ったような感覚をおぼえた。

 孤独にさいなまれ、道を踏み外しかけた花人ばかり、懐に招き入れる男がいた。眼下の少年は、そいつと瓜二つだ。飛叉弥以上に―――。



「つくづく面白いな。見ているか? ぬえ。 “意図” はどうなっている……?」




   ×     ×     ×




 時おり、火の粉が舞い上がってくる。

 熱さを感じる状況に包囲されはじめていたが、鵺は空に向けた銅鏡を胡坐あぐら上に乗せたそこから、一歩も動いていなかった。

 先ほど墨を溶かし入れた鏡面には、鬼女と化したひいな少女の絵図が浮かんでいる。泥のような、煙のような墨の淀みに巻かれていたのに、奥底の方から煽られ、晴らされていく。


「すみません。見破られます―――」




   ×     ×     ×




 左蓮はその言葉を受け、頭の中で通信を切ると、いよいよ――という顔をした。

 少年は、自分を刺し殺そうと突進してきた少女を、その勢いのまま真っ向から抱きとめた。


 今、左肩口を貫かれて平然と佇んでいる――。

 爪の剣を突き入れてきた少女の右腕を、おもむろにつかんだ口元が不敵に笑っている。



「鬼ごっこは楽しい……」



 昔から、()()()()()()()()()()()()()なんだ。



「これで、今度は俺が “鬼になる番” ――だよな……?」



 頭のネジが飛んでいる奴の笑い方だった。それがこちらに向けられてきて、直感に訴えられた左蓮は手をかけた腰の刀を、カチャっと不穏に鳴らした。




 〔 読み解き案内人の呟き 〕



【 苺 】……


「幸福な家庭」・「完全なる善」の他、

「無邪気」・「あなたは私を喜ばせる」という花言葉がついている。


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