◍ ただいま救世主を連行中
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「はぁー…」
真っ暗な足先の方に、ため息がとぐろを巻いて落ちていく。
「どうした~?」
「や、おかしいでしょ、やっぱり……」
「おかしいって?」
「普通さぁ、こういう場合は強制じゃなくて、任意だと思うんだよね。一歩まちがえれば誘拐事件だよ? “これ” ……」
「なに言ってやがる。派手にけつまづいて、たったの二メートルでとっ捕まったマヌケ野郎とはいえ、お前はもう、立派な “逃走犯” だろうが」
「……。」
苦々しげな沈黙がさした。
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――――【 強制連行 】――――
「ねぇ、俺って一応 “要人” なんじゃないの?」
「知るかッ。問答無用でしょっぴかれる理由が知りたきゃ、 “あいつ” に直接会って聞けよ。一刻を争う用件ってやつをよッ」
今うかがえるのは、お互いに声色だけだ。
「嘉壱ー…」
「ああッ?」
さきほどから視界はゼロ。目を開けていても、瞑っても変わりなく、暑くもなければ寒くもなく、東西南北といった方向はもちろん、時間の感覚すら失われた状態にある。
いつもの不良っぽい口調でやり取りしてきた嘉壱は、事に乗じて、耳垢をほじる余裕をかましていた。それがマズかった……。
「お前、なんか隠してるだろ」
「ぬぁ…っ!?」
なんでバレた…っ!?
背中の筋がつるほどのド緊張に襲われ、嘉壱はごくりと唾を飲み込んだ。
*――絶ッッッ…っ対にいぃぃ、気取られるなよ。
もし、しくじったら~~……
不穏な言葉をはらんだ頭の中の風船が、思考を圧迫しはじめる。拳銃の発砲音のような、恐ろしい最後の一言を溜めに溜める “鬼上司” の命令である。
実をいうと、この闇の先には、ある危機的状況が待ち受けているのだが、それはただの序章に過ぎない。
「そそ…っ、そぉ~だッ! 別に隠し事ってほどのことじゃねぇんだけど~、俺、ちょうど今、腹痛起こしててぇ~、携帯品もろもろ一式、さっき立ち寄った公衆トイレに忘れてきちまってな?」
「携帯品?」
「ああ! 場合によっちゃそのせいで、お前に少し迷惑かけることになるかも~、アハハハっ…」
「よく分からないけど、緊急事態だとか言って、どうせろくでもない用件だったりするんだろ。 “また” ――」
「ぐ…っ」
誤魔化し通すしかないと分かってはいるが、かなり厳しいい状況……。隙をつかれ、再度逃亡を図られやしないか、膨張する焦りと不安で、頭の中がいっぱいになってきた時、
「ん――?」
これまで絶えず、髪を逆立てる方向に吹き続けてきた風に、微妙な音程の変化が生じてくる。
「お…、おおっ! ほら見ろっ、ようやくお出ましだ!」
ちょうどよく空気の変わり目が訪れて、嘉壱は誤魔化すように笑い、あからさまに喜んだ。
―― * * * ――
さて、天花園の花神に呪われた人間――花人の特徴は、花盗人の印たる華痣と、色鮮やかな瞳を発現する見た目以上に、それら “脈印” に宿る強靭な生命力を使い、様々な贖罪に一生を捧ぐことだという。
痩せ地の再生、傷病者の治療、穀物を貧民に恵むために回国する者もいるが、やはりその異能は傭兵として重宝され、人々に禍福をもたらしてきた。
穏健な東天の花人も、祖先を盲目にした私利私欲を嫌う形相は明王の如く、平和貢献のためと言いながら、破壊神同然の爪痕を残すため、世界各国の皇帝たちでさえも慰撫に努めている。
そんな鬼人の国に華瓊楽が使者を遣わしたのは、未曽有の大旱魃に見舞われた八年前。
足もとに額ずく自業自得な権力者たちには目もくれないが、盤上の戦で神算鬼謀をもてあましていた花人たちは、某若手の逸材に白羽の矢を立て、この華瓊楽の危機に挑む精鋭部隊を結成させた。
李彌殷は現在、その者らの活躍により、平穏を取り戻したかに見えるが、本当の戦いはこれから始まる。
再来しようとしている旱魃の元凶を迎え撃ち、それぞれの約束を果たすため、新たに招かれた “真の救世主” と目される、謎の少年とともに――。
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少しずつ瞼を開いていった嘉壱は、次の瞬間、あんぐりと顎を落とした。
「なっ…!?」
大海原を真上から見ているようなスケールで、なだらかな丸みを帯びた大地が漠々と広がっている。
高さはまちまちだが、垂直に隆起した奇岩が、そこかしこから突きだしていて、その比較的高い石柱の天辺と、目線が同じ位置にあった。
「ねぇ」
夜の虚空に放りだされた格好で、嘉壱はゆっくりと回転する景色の中、声をかけてきた相手の方を見やった。
黒い翼―――いや、見事な濡羽色の髪。少年のそれが、生き生きと広がっていく。視界いっぱいの月面をバックに――……。
「今さらなんだけどさぁ…」
やや躊躇いがちに切りだされ、見入ってしまっていた嘉壱はハタと我に返った。
「もっと要領よく、目的地に近い場所に出られる方法ってないわけ?」
「んだよ。そんなこと聞いてくるっつーことは、やっぱりお前、本格的に俺たちと…」
お――?
風が両耳の横で、ヒュぅぅ…と、下手くそな口笛を吹きはじめる。
「ぉお…っッ!?」
荒い岩肌の断崖すれすれを、否応なく落下していく。
そうだ。悠長に会話している場合ではなかった。